第27話 ネルカでも軟禁

 アンコウたちがアネサの町を立って、今日が5日目。


(この辺りもひどいな)


 アンコウの視界に入っている村は遠目から見ても、多くの家々が火で焼かれたのであろう傷跡がはっきりと見てとれた。先ごろおこなわれたグローソンとロンドのいくさに巻き込まれたのだ。


 アンコウたちは、もうあと数時間もすれば視界にネルカ城が見えてくるところまで到達している。そしてネルカに近づくにつれて激しい戦いの跡も見えるようになっていた。


(アネサとは段チだな。相当激しい戦いだったみたいだ)


「……旦那様、ひどいですね」

「ああ、」

「ネルカは大丈夫でしょうか?」

「ああ、いくさはもう終わってるんだ。城や町がどれだけ痛んでいても俺たちには関係ないからな」

「……いくさは嫌ですね。何でこんなことをするんだろう」


「決まってる。得をする奴がいるからだ。俺だって、でっかい城の安全な場所でふんぞり返っているだけで領地や財産が増えるんだったらどんどんいくさをやらせるさ。だから世界が滅びるまでいくさはなくならない」


 アンコウは、この世界で冒険者になってから、ほぼベタ付きでアネサの迷宮で活動してきた。目的は金を稼ぐため、ほかの理由は何もない。

 より稼げるのなら、地上での魔獣狩りやほかの迷宮に行くこともやぶさかではなかったし、あまり割りはよくないが依頼を受けての仕事をこなしたことも少ないながらある。


 しかし、傭兵稼業だけは真っ平御免まっぴらごめんであった。少なくとも、いくら金を積まれても自分から戦場へ行くつもりはない。


(危険すぎる。怖い。趣味じゃない)

 戦場の景色は、ずいぶん戦うことに慣れたアンコウでも、しらふでは恐ろしい。


 いくさは、迷宮での狩りとはまったく違う殺し合いだ。誰かの命令で殺し合いをはじめ、誰かの命令があるまで止められない。

(王様にでもならないとやってられない)と、アンコウなどは思う。


 しかし、アンコウとは違って進んでいくさに赴く者たちはいる。それも少なくない数がいる。

 とくに抗魔の力を持ち、通常より優れた戦闘力を持つ一部の者たちにとっては、戦場いくさばは迷宮などでは決して手に入れることができないお宝が手に入る夢の舞台でもある。


 戦場で手に入るもの、それは権力けんりょく


 冒険者のような抗魔の力を持つ者の戦闘能力は、どの国の権力者からも歓迎され求められている。いくさで勝つにはとにかく力が必要であり、そこにきれいごとは通用しない。

 どんなに貧しく、身分の低い生まれであろうとも、力がありいくさで功をあげたならば、必ずその身分は仕える主によって引きあげられる。


 この世界では強い抗魔の力に恵まれ、強い戦闘能力を身につけた者には、たとえどれほど卑しい身分の家に生まれ、クズのような性根の者であっても、貴族となりうる栄達の道を開くことができる。


 社会的身分と名声を伴う権力を手に入れれば、金、人、物、は後からついてくる。

 自らを忠義という美名のもと、他人の道具とし、自由を犠牲にし、生命を他人の欲望を満たすために危険にさらし続けることになっても、それを求め願う者は常にいる。


 アンコウも、人として、男として、そういった欲望のあり方はわかる。しかし理解はするが、アンコウ自身にそういったものを求める野心は皆無だ。


 だが、アンコウも多少なりとも抗魔の力を持っているうえに、最近共鳴というパワーアップ手段を手に入れた。

 アンコウ自身は、その共鳴の力はただ難儀なだけで役に立たないと思っているのだが、周りがどう見るかはわからない。


 アンコウは未だネルカへ行って何をするのか、具体的なことはまったく知らされていない。

 それに関しては、隠しているというよりも、いま一緒に行動しているグローソン兵団の隊長も、アンコウにネルカに行くように言ったビジットたちも、本当に知らされていなかったようだ。


(来ればわかるってことだな。嫌になるぐらい上から人を見ていやがる)


 当たり前だが、アンコウは死刑になるのも拷問されるのも真っ平御免まっぴらごめんだ。

 しかし、これまでの状況から推察するに、いきなり問答無用で命を奪われたりする心配はないだろうとアンコウは思っていたし、少なくとも何らかの選択肢は用意されるのではないかと考えていた。


 しかし、アンコウはたとえ身の安全を完全に保障してもらえたとしても、その代わりにこのような惨状を生む戦場に立つことを要求されでもしたら同じことだと恐れてもいた。

 アンコウは、いわゆる権力者に仕えて手に入れることができる社会的身分や名声などという種類の権力にはまったく興味がない。


(できるなら、今すぐにでもこの世界からはおさらばしたい)

 という、むろん生きたままで元の世界に帰るというのが、今でもアンコウの本当の望み。


 そのアンコウにとって、この世界での政治的権力や社会的身分を手に入れるために、自分の意志や自由を犠牲にし、他者の駒となって戦場に立つなど、まったく割りのあわない行為だ。


(絶世の美女の王女様の婿にっていうのなら考えてみてもいいけどな)


 アンコウは馬車の外のなんともいえない景色を眺めながら、あれやこれやとらちもないことも含めて、これからの自分の運命に思いをめぐらしていた。



「旦那様、城が見えてきましたよ」

「……ああ、そうだな」





 ネルカの城の規模はなかなか大きく、領地境を守るための要塞の役目も果たしてきた城だ。

 長年ロンド公が支配してきた城だったが、此度こたびグローソン公の手に落ちたことで、ウィンド王国内でのグローソン公とロンド公の力関係も、大きくグローソン公側に傾くことになるだろう。


 アンコウたちの一団は、ネルカの城下町を囲む城壁の外側で待機していた。

 隊の代表者たちが今ネルカへの入場のための手続きをしており、アンコウたちはそれが終わるまで待っている。

 戦後処理もまだ終わっていないのだろう。グローソン側の警戒は、未だかなり厳しい態勢が敷かれていた。


(だけど、これだけの警戒態勢を敷けるということは、ネルカは完全にグローソンの手に落ちているということだ)


 アンコウは特にやることもなく、城壁の門の向こう側にわずかに見えるネルカの街並みをじっと見つめていた。


「ん?…なんだ、」


 その街の中から城壁の外の向かって、一列に並んだ男たちが歩いてきていた。

 しばらくして、先頭の男がアンコウの近くを通り過ぎても、まだ列の最後尾は見えず街の中へと続いている。


 アンコウの目が、その男たちの列に釘付けになる。ただの男たちの一列行進ではない。

 男たちの両手には手枷がはめられ、前後の男同士が縄でつながれていた。それが延々と連なっている。


「……これは」

「戦争奴隷さ」

 アンコウの横にいつの間にかマニが立っていた。


 マニもアンコウ同様真剣な目つきで、男たちの行進を見つめている。

 歩いている男たちは成人の男ばかりだ。若い者でも10代の半ばほどにはなっていて、子供の姿は一人もなかった。


「女子供がいない分だけましか」

「この男たちは、たぶんグローソンと戦った兵隊やこの街でそれなりの地位にあった家門の者たちだ」


 アンコウはマニにそう言われて、あらためて男たちの列を見てみれば、確かに薄汚れてはいるものの なかなか質の良さげな服を着ているものが少なからずいた。


「それに、この男連中は労働奴隷として離れた土地に連れて行かれるんだ。反乱の芽を摘むため、見せしめのため、相当過酷な労働を強いられることになる。戦さに勝った側からしてみたら、こいつらは死んでもぜんぜんかまわないと思っているだろうからな。

 それに女子供だって奴隷にされているさ。女子供であろうともグローソンに弓を引いた者や、この目の前にいる男たちの家族も大勢奴隷にされているだろう。力の弱い女子供なら土地から引き離す必要はないからな。近場で売られているだけの話さ」


「ずいぶん詳しいな、マニ。負け戦さに首を突っ込んだ経験でもあるのか?」


 アンコウは幾分軽い調子でマニに聞いた。このまま続けるには話が重過ぎると感じたのだ。

 しかし、マニは真剣な表情のまま、じっと目の前を行進していく男たちの列を見ていた。


「参加した全部のいくさで勝ったわけじゃない」


 マニが真剣な顔のまま答える。

 マニはアンコウと違い、これまでにいくつもの戦場いくさばに立った経験があった。自らの意思で、時には人に乞われて、戦争の経験も積んでいた。


「一緒に戦った仲間が同じように奴隷にされて、それを見送ったこともあったよ」


 アンコウは、この考えなしのイノシシ女が、奴隷にされた仲間を黙って見送らざるをえないときの気持ちは相当なものだっただろうなと他人事ながら思った。


「……そうか」

「助けられなかった」

「当たり前だ。自分が奴隷にならずにすんだ幸運を喜ぶべきだ」

「仲間を助けるために、あとをつけて忍び込んだんだけど、見つかってしまってな」

「な、なに?」

「私も仲間たちも必死に戦ったんだけど、ダメだった。結局生き残ったのは私だけだったよ」


 マニが遠い目をして話していた。その口調も表情も辛そうではあったが、決して罪悪感にさいなまれているというものではない。

 マニは単純に悔しいと思っているのだ。


「……おい、マニ。お前、何人でその奴隷にされた仲間のところに忍び込んだんだ」

「ん?私一人だけだよ」


 マニの口調は、それがどうかしたかという感じだ。

 マニは大切だと自分は思っていた仲間を助けるため、たった一人で、奴隷にされた者たちがいずこかへ送られている途中の集団の中に忍び込んだというのだ。

 まちがいなく、そこには多くの武装兵の監視がついていただろう。


 これだけ聞けば英雄譚えいゆうたんだ。しかし仲間は助けられずに死んだ。

 アンコウには、マニが自分の気持ちだけでロクに計画も立てず、ロクな準備もせず行動したに違いない事が容易に想像できた。


 本当にその仲間はマニが助けに来てくれることを望んだのだろうか。

 マニのとった行動のせいで、マニの仲間だけでなく、その場にいた他の奴隷にされてしまった多くの者たちまでが巻き込まれて、命を落とすはめになったのではと、アンコウは思った。


「もう少しだったんだ。もう少し私が強ければ……」


 そういう問題じゃねぇ!、アンコウは心の中で叫けぶ。

 この女は後悔と反省のしどころがずれている。自分の浅慮せんりょと行動のせいで仲間たちが死んだという自覚が感じられない。


 人の命が軽いこの世界では、他人の命の価値など綿毛の重さほどにしか感じていない者はそこらじゅうにいるし、今ではアンコウも人のことは言えない。

 しかし、マニのは違う。この女は比喩ではなく、本当に100%の善意で人を地獄に連れて行く。これは逆に厄介だ。


 アンコウは、これ以上ないぐらい眉をひそめて、マニを見ていた。


(……考え無しなんてレベルの問題じゃないな。筋金入りだ。疫病神やくびょうがみより死神しにがみに近いんじゃないのか。何で生きてるんだ、こいつは。普通自分も死ぬだろ)


 アンコウは、やはり一刻も早くマニとの付き合いは断った方がいいとあらためて思った。



ピュィィィィーーッ!

 アンコウの耳に指笛ゆびぶえの甲高い音が響く。


「合図だ!みんな街の中に入るぞ!用意をしろ!」


 それぞれに時間をつぶしていた兵士たちが、いっせいに動き出す。アンコウも遅れることなく動き出し、再び自分の馬車のほうへと歩いていった。


(あんな奴隷の行列を見るとさすがに少し不安になるな)


 アンコウが馬車に乗り込もうと馬車の扉に手をかけると、アネサからここまでともにやってきたグローソンの兵隊の一人がアンコウに声をかけてきた。


「おい、アンコウ。あんたはちょっと待て」

「ん?なんだ?」

「あんたらはここから別行動だ。その馬車は使わずにそのまま門をくぐってくれ」


 アンコウにそう言った兵隊の男の後ろに、白髪と顔にシワの目立つ整った服を着た一人の人間族の男が立っており、アンコウのほうを見るときれいな姿勢で頭をさげてきた。


 アンコウも、いぶかしく思いながらも反射的に頭をさげた。頭をさげられたら、相手を確認する前に頭をさげてしまうのは、抜けないアンコウの癖のひとつだ。


 アンコウたちはその身なりの整った年配の男の先導で、4人の騎兵に囲まれながら外壁の門をくぐり、町の中へ入っていく。

 その門をくぐったすぐ近くに一台の馬車が止まっていた。それはここまでアンコウが乗ってきた馬車よりもずいぶん大きく、装飾も派手に施されたものであった。


「さぁ、どうぞ乗ってください」

「いや、いいのか。こんな豪華な馬車、今まで乗ったことがない」


 白髪の男が丁寧に馬車の扉を開け乗車を促してくれたのだが、少し気後れしたアンコウは一番に乗り込むことをためらっていた。


「どうぞお気になさらず。元々この馬車はこの町にいたロンドの貴族の所有物なのです。べつに乗り捨ててしまっても誰からも咎められることのないものですから遠慮は無用です」

「……あっ、そう(収奪品かよっ)」


 アンコウは先ほど見た奴隷の列を思い出し、この馬車の元の所有者は今どうなっているのだろうとふと考えた。


「何だ、アンコウ。乗らないのなら、私が先に乗るぞ」


 マニがそう言いながら、アンコウと馬車のあいだに割って入ってこようとする。そのマニの肩をアンコウはつかみ再び引き戻す。


「なに言ってんだ。ずうずうしい。大体こうして無事にネルカに着いたんだ。マニ、お前はもうどっかに行けよ」

「何を言ってるんだ、アンコウ。お前たちはまだ自由になってないじゃないか、最後までちゃんと付き合うさ」

「いらん!」

「ハハッ、大丈夫。遠慮はしなくていい。私が好きでしていることだから」


 マニがさわやかな笑顔を見せながら言った。それを見てアンコウは、頭がくらくらしてくる思いがした。


「それにビジットだったか、あいつから1カ月分の給金も貰っているしな」

「くっ、(ビジットめっ、くそ忌々しいっ)」


 アンコウは契約上マニの同意がない限り、1ヵ月間はマニとの雇用契約を解除できないことになっている。アンコウが何と言ったところでマニはついてくるだろう。

 強引に置き去りにしても、このあいだみたいに一人でアンコウが連れて行かれる場所に乗り込まれでもしたら厄介この上ないとアンコウは思う。


 アンコウは憤然としながら、馬車に乗り込んだ。

 そしてアンコウに引き続き、マニが馬車に乗り込んでこようとしたが、アンコウはささやかな抵抗とばかり、乗り込んでくるマニを馬車の外に手荒く押し戻し、うしろにいたテレサの手を取り馬車の中に引き入れた。


 アンコウとテレサが先に馬車に乗り込み並んで座席に座る。

 そのあとにアンコウに押し退けられたマニが、フフフッと笑いながら乗り込んでくる。

 そしてマニは、アンコウの正面に座る。マニはまだ、フフフッと笑っている。


「……なんだよ?」

 アンコウはわけがわからないうえに、うっとおしいと思いながらマニに聞く。

「いや、アンコウとテレサは仲がいいな。はたで見ているこっちが恥ずかしくなるじゃないか、フフフッ」


(この女はっ……!)


 アンコウの子供っぽい嫌がらせではあったが、意思表示の行為としてはかなりわかりやすいものだったのにもかかわらず、マニにはそのアンコウの意図がまったく伝わっていなかった。

 アンコウは思わず絶句。顔中に青筋が浮きあがる思いがした。


 アンコウの横に座っているテレサにも、アンコウの怒りが伝わってくる。テレサはアンコウの横でおもわずうつむいてしまう。


「何だテレサ、そんなに恥ずかしがらなくていいだろう。10代の乙女みたいだな、フフフッ」

「な、何を言ってるの、」


 テレサの頭に、マニはわざとやっているんだろうかという思いが一瞬よぎる。しかしマニの表情には何らふくむものは見えなかった。


 テレサがトグラスの宿屋の女将をしていた時に、マニに対して抱いていた印象が、この短い期間で大きく変わってしまった。

 こんな人だったのかと。その変化は印象が悪くなったというよりも、変になったというしかないものだった。


「このバカ女!やっぱりお前はここでおりろ!」

 テレサの横でアンコウが堪らず怒鳴った。

「だ、旦那様、」


 アンコウはここまでいろいろ我慢してきたことに加えて、マニが連発した無邪気でトンチンカンな発言のせいで、その苛立ちが我慢の限界を超えたようだ。

 そしてアンコウは怒声をあげながらマニにつかみかかった。


「な、何だ!どうしたアンコウ!そんなに照れなくてもいいじゃないか!」

「うるせぇ!お前はそのへんの井戸にでも飛び込んで、二度と地上に出てくるな!」

「旦那様、止めてください!危ないですから、こんなせまいところで暴れないで!」





 アンコウたちを乗せた馬車が、ネルカの町の大通りを城に向かって走っている。

 テレサとモスカルが怒るアンコウをとりなし、今はアンコウも不機嫌面ながらおとなしく馬車に揺られている。

 モスカルというのはアンコウたちの案内をしてくれている白髪の男の名前だ。


 アンコウがチラリとそのモスカルのほうを見る。

 モスカルはアンコウに挨拶をした時に、丁寧な口調でご案内とお世話をさせていただくとのたまわってはいたが、ていのいい見張りだとアンコウは思っていた。


 実際アンコウの目には、モスカルはただの執事役の男には見えなかった。

(細身だが鍛えられた体をしている。武人ではないとしても素人ではないな)


 モスカルは帯剣こそしていないが、先ほどマニにつかみかかろうとしたアンコウを抑えたときの素早さといい、腕力の強さといい、若いころに武術の鍛錬をしていたに違いないと、アンコウに思わせるものをもっていた。


 今この馬車に乗っているのは、アンコウ、テレサ、マニ、モスカル、以上の四人。

 会話はない。モスカルは目を閉じてじっとしている。テレサとマニはさっきからずっと馬車の外を見ていた。


「ひどいな」

 マニが外の景色を見ながら誰に言うわけでもなくつぶやく。


 マニのつぶやきに、アンコウも再び馬車の外に目をやる。この街は、ネルカの城のもとに広がる城下町だ。


 アネサも決して小さな町ではなかったが、ネルカはそのアネサよりもずいぶん人口も多く、規模の大きい町である。3、4階建ての背の高い建物も、ちらちらと見うけられ、本来ならずいぶん華やかな町並みであっただろう。


「モスカル」

 アンコウが外の景色を見たままで、モスカルの名を呼んだ。

「なんでしょう」

「相当大規模な市街戦になったのか」

「そのようですな。私も城が落ちた後にここに着いたので戦闘には参加していませんが、ロンド兵の抵抗もかなりのものがあったようです」

「そうか、ネルカはかなり早く落ちたと聞いていたからな。ここに来るまでは正直ここまで被害が大きいとは思ってなかったよ」

「さようですか」

 モスカルはわずかに目を開けていたが、表情は変えることなく答えていた。


(ロンドの抵抗が少なかったわけじゃなかったんだな。グローソンが自軍の被害が大きくなることを覚悟で、速攻で力攻めに攻め落としたってところか)


 あちこちの建物が崩れ落ち、焼け焦げている建物も少なくなかった。


「この通りは城へと真っすぐにつづく大通りですから、とくに戦闘が激しかったようです。確かに比較的町の広範囲が戦場になったのですが、この大通り一帯が一番ひどいのですよ」

 モスカルがとくに感情を込めることもなく、アンコウたちに説明をした。


「……そうか」


 アンコウは外の景色を見るのを止め、馬車内に目を戻す。

 町の被害は大きいようだが、あちこちで町の再建もすでにはじまっている様で、大工仕事に汗を流す多くの者たちの姿もアンコウは確認していた。


 アンコウとしてはまだ完全に戦いが終結していないという状況にネルカがあることが恐ろしかったのだが、すでに復興作業がはじまっている町の様子を見て、再び戦いが起きる心配はなさそうだと判断した。


「まっ、どっちにしろ終わった戦さだ。巻き込まれる心配がないならそれでいい。それよりもそろそろ教えてくれよ。俺は何でグローソンに捕まえられてるんだ?そしてこれからどうなる?」


 アンコウが最も気になっていることをモスカルに聞いた。


「知りません」

 モスカルもこれまでのグローソンの者たちと同様その答えは変わらない。


「いい加減にしろよ、何も知らないやつが俺をどこに案内するんだ?」

「ネルカの城です」

「そんなことは知ってる」


 このわずかな会話で、アンコウとモスカルのあいだに少しぴりぴりした空気が流れはじめる。

 それに気づいたマニもテレサも、視線を馬車の中に戻していたが、ふたりの話に口を挟もうとはしない。


「いいか、モスカル。俺を客扱いしてくれるんだったら、せめておれが自分の命の心配をしなくてよくなる程度の情報はよこしてくれよ」


 アンコウがじっとモスカルの顔を見る。モスカルの顔に特別な感情は何も浮かんでこない。


「私があなたのことで知らされていることはごく限られています。アンコウ殿は聞いておられますかな、10日以内に殿様がネルカ城に入られることになっています」

「なに?殿様って、グローソン公か?」


「はい。すでに正式に通達がなされておりますので、ここにいるグローソンの者たちの多くがすでに知っていることなのですが、あなたはそれにあわせて呼び寄せられたのです」


「それはつまり……グローソン公が俺に用があるってことでいいんだな」

「はい。むろんあなたは一介の冒険者にすぎませんから公式なものにはなるはずもないですが、何らかの形で公爵様にお目通りすることになると思います」


 淡々と離すモスカルに対し、アンコウの視線の鋭さが増してくる。


「……で、そのアンタんとこの殿様が、この一介の冒険者の俺に何のようなんだ」

「私は存じ上げておりません」


 本当に知らないのか、知っているのに言う気がないのか、モスカルはそれ以上は話を続けようとはせず、また目を閉じてしまった。


「チッ!」

ダンッ!

 アンコウは、馬車の扉を手で思いっきり叩いた。





「……チッ、どこかに似ていると思ったら、アネサで軟禁されていたあの部屋に似ているんだ」

 アンコウは案内されてきた部屋をぐるりと見渡してつぶやいた。


「何が公爵様の客だよ。前となんも扱いは変わってないじゃないか」

 アンコウはベッドのうえにわずかばかりの荷物を放り投げ、イスに座り、足を投げ出して毒づく。


 アンコウには一人部屋が、テレサとマニの2人はアンコウの部屋の近くにある同じ部屋に案内されていた。やはり見張りの兵はつけられていたが、ここでもアネサの屋敷同様、屋敷内ならかなり自由に動くことが許された。


 しかしアンコウがいるこの屋敷は、いわゆる城の本館からはまだかなり離れている。


 城が離れたところに見えるこの屋敷の前にアンコウたちを乗せた馬車が止まったので、そのことをアンコウがモスカルに問いただすと、この屋敷のある場所も一応城の区域内にあるということだった。


 このそこそこ大きな敷地を持つ屋敷の外観は、かなり古びていたが此度こたびの戦火に巻き込まれることなく、問題なく使用できる状態を保っていた。

 それにアンコウたちだけでなく、その他にも多くのグローソンの関係者たちが、この屋敷に滞在しているようだ。


(ほんとにアネサを立つ直前のあの屋敷に雰囲気までそっくりだ)


 この扱い、客でも囚人でもなく、俺はほんとに何なんだとアンコウは思う。

 ここにきてもさして変わらない自分への扱いを思えば、自分がたいした重要人物でないことは決定的だとアンコウは思っていた。こんなどうでもいいような扱いなら、もう放っといてくれよとアンコウは心から思う。


(……10日以内にグローソン公がここの城に入るって言ってたよな)

 もちろんアンコウはグローソン公が来るのを指折り数えて待つという気分にはならない。しかし、

「くそっ!来るんならとっとと来いよっ」


 アンコウ自身はまったくグローソン公と会いたいとは思わないが、どうせ会わないといけないなら早くすませてほしいと思う。

 しかしこの扱いではグローソンの殿様がこの城に来たとしても、すぐに会ってもらえるかどうかは怪しいものだとアンコウは感じた。


 アンコウは、さっきこの屋敷の庭で曲芸の稽古をする芸人一座の者たちを見た。グローソンの戦勝祝いの宴などで、その技を披露するため雇われたのだそうだ。


「俺は何の芸を殿様に見せればいいんだ?まさか本当に殿様の暇つぶしに呼ばれたんじゃないだろうな」


 アンコウの愚痴は止まらない。だが、アンコウの愚痴は不安の裏返しでもある。

 実際のところ、ここにきてアンコウは不安で不安でたまらなくもなってきていた。


 何でグローソンの殿様と会わなければならないのかがわからない。あのショーギが原因か、ただ会えばそれで終わりなのか、自分はこの世界での元の生活に戻れるのだろうかと。


 グローソン公ほどの権力者ならば、アンコウの命など大げさでなく虫を踏み潰すぐらいの感覚で奪うことが許される。むろんそのことはアンコウ自身もよくわかっている。


「くそぉ、こんな世界の権力者なんかと関ってもロクなことがあるわけないんだ。わかってるのによぉ、」


 アンコウは体力的にはかなり疲れていたのだが、それとは逆に神経はかなり高ぶった状態が続いている。


 そのためアンコウは体を投げ出すようにイスに座っているにもかかわらず、その口だけが動きつづけ、とめどなく心に湧いてくる不安を吐き出すように、アンコウは一人グチりつづけるのだった。

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