第26話 望まぬ同行者

「いい加減にしろ!俺は寝る時間だって言ってるんだよ!」


 アンコウは、もう完全に表向きの建前も投げ捨ててしまった。アンコウはマニに詰め寄り、マニの胸ぐらをつかみあげる。


「この状況でどうやってどこに逃げるんだよ!お前が死刑になろうが、どうなろうが知ったことじゃないけどな、人を巻き込むなって言ってるんだ!何回言えばわかるんだ、このバカが!

 確かに俺はグローソンに捕まえられていて自由はないがな、とりあえず今のところ命の保障はされてんだよ!明後日にはネルカ城に出発予定だからな、とりあえず明後日までは生きているだろう。

 だけど、今お前に付き合って逃げ出したら、明日のお日様を拝む前に地獄行きだ!俺を助けたいんだったら、だって言えっ!」


「!!………」


 マニがアンコウから目線を外す。マニの体から力が抜けていくのが、マニの胸ぐらをつかんでいるアンコウの手に伝わってきた。


「……わ、わかった。に、だ……」


 マニの返事を聞き、アンコウはマニの胸ぐらから手を離した。

 そしてアンコウは自分のベッドまで歩いていき、頭をかき、大きくため息をつきながらそのままベッドの端に腰を下ろす。


 マニはその場でうなだれたまま、床を見つめている。テレサはそんなマニを見ていると、心がチクチクと痛んだ。

 テレサはマニのすぐ横まで近づくと、小さな声で礼を言った。


「こんなところまで来てくれてありがとう。ついて行けなかったけど、マニさんが来てくれてうれしかったのは本当ですから」


「……………」


 テレサに話しかけられてもマニは反応せず、無言で床をじっと見つめている。

 動かなくなったマニに、ビジットが近づいて来て話しかけた。


「そうか、道に迷ったんなら仕方がないな。向こうで少し詳しい事情を聞かせてもらおうか。一応剣は預からせてもらうぞ」


 ビジットがまわりの男たちに合図をすると、数人の男たちがマニに近づいていく。


「マニさん、すみませんが武器は預からせてもらいます」


 男たちは、マニから剣やナイフなど身につけている武器を次々と取り上げていく。そのあいだもマニは抵抗する様子はなく、おとなしく従っていた。

 ビジットは、マニがおとなしく武装解除に応じている様子を見て、顔にこそ出していないが心からホッとしていた。


 ビジットはグローソンの尖兵として、かなり以前からこのアネサの町に入り込み諜報工作活動に従事していた。


 今日まで、このマニという冒険者と面識はなかったが、アネサの有力な冒険者の一人として以前から多少マニの情報を得ていたし、この騒動が始まった短い時間の中で屋敷にいるマニを知る者たちから、より詳しい情報も得ていた。


 現在のこの屋敷の戦力をもってすれば、いくら強い力を持つ冒険者とはいえ、マニを倒すことは可能だろう。しかし、マニが本気で戦うことを選択すれば、自分たちにもそれなりの被害が出ることも間違いない。


 それにビジットは、先ほどマニと互いに剣の柄を握り、にらみ合った時に、一対一でマニと戦えば自分に到底勝ち目はないということも悟っていた。


 それでも必要ならば命を失うことがわかっていても戦わなければならないことが自分の仕事でもある。

 ビジットは自分が死んでも、それでマニを抑えることができるならば、ためらいなく行動することが出来るグローソンの戦士だ。

 しかし、


「マニ、大丈夫だ。心配は要らないぞ。少し話しを聞かれるだけだ。終わればすぐに帰れるからな」

「そうですよ。マニさん」

 グローソンが雇っている獣人の冒険者たちが次々にマニに声をかけている。


 ビジットたちはマニ一人の力以上に、マニを慕う者たちの力を恐れた。


 マニがこの屋敷で暴れたとき、いま自分の目の前にいるこの者たちは、果たして本当にマニに剣を向けるだろうか?その剣先を自分たちグローソンの側に向けるのではないか?

 そして、仮にマニの命を奪う結果になったとき、それに怒り、グローソンに剣を向ける強者たちがこの町のあちこちから出るのではないかと恐れたのだ。


(マニのお目当てだったアンコウは、どうせ明後日にはこの町を出て行くんだ。こんなことはうやむやにやり過ごせるならそれにこしたことはない)


 この程度の騒ぎで済めば、自分の裁量で問題なく穏便に処理できると、ビジットは胸をなでおろしていた。


「よし、では行くぞ」


 ビジットは部屋にいる者たちにそう号令をかけて、扉のほうへと体の向きを変えた。



「よし!私も行くぞ!」


 みなが一斉に声の主のほうを見る。ビジットの次に突然大きな声を出したのはマニだった。マニはうつむいていた顔をあげて、決然と前を見ている。


「「「マ、マニ?」さん?」?」


 突然元気よく叫んだマニに、部屋にいる他の者たちは皆、頭が?マークである。

 そのマニが自分の首をグイッと動かして、ベッドの腰かけているアンコウを見た。


「私もネルカに行くぞ!アンコウ!」


 マニから突然ご同行宣言をされたアンコウは、視線をマニに固定したまま、軽く固まってしまった。

 アンコウは、すぐにはマニが言った言葉の意味を理解することができない。アンコウが想定出来うる発想の大きく斜めうえに逸れたマニの宣言であった。


「……!なっ、」

(怖っ、何だこいつ、怖っ)


 アンコウにとってはありえないマニの発想だった。

 この状況でよくそんなことをバカでかい声で言えるものだと、アンコウは元からマニにはあきれていたが、ちょっとばかし怖くなってきた。


「い、いけるわけないだろう!俺は観光に行くんじゃないんだぞ!連れて行かれるんだよっ!それ以前にお前自分の立場がわかってるのか!」


「ああ、私は迷子で、家に帰らしてもらえるんだろう?出直してくるよ」


(怖っ、こいつ怖っ、)


 マニは状況がわかっているのかわかっていないのか、どちらにしても、ものすごく自由?な発想の持ち主だった。


 少なくともこれから実質的に捕縛連行されていく者の言うセリフではない。その自由勝手な発言のせいで、無罪放免されるものが覆るとかもしれなという可能性を考えないのかとアンコウは思う。


「アンコウは命の恩人だし、テレサのこともほっとけない。それに2人のためだけじゃないんだ。このアネサも大きく変わる。私もまた少し町を離れてみたくなった」


「そ、そんなこと俺が知るかっ!この状況でなに言ってんだ!」


 アンコウは本気で面倒くさいうえに気持ち悪くなってきた。こんなやつとはできる限り係わり合いにならないほうが人生平穏だと確信を持つ。


「ビジット!こいつをとっとと連れて行けよ!」

「あ、ああ」


 さすがのビジットも若干引き気味である。しかし、さすがにマニマニアの獣人の武装兵たちは違う。


 はじめはアンコウたちと同様、頭に?マークの顔をしていたのだが、マニの意図がわかると今は温かい目でマニを見ていた。ということは、マニという女は普段からこういう感じだということなのだろう。


(こいつらこの女の性格をわかってて、こんなに肩入れしていやがるのかよ)


 アンコウはマニを温かく見守る兵士たちを見て、元の世界に山ほどいたアンコウには何がいいのかさっぱりわからない10代のアイドル女に群がるいい年をした大人の男どものことを思い出していた。

 マニの行動はアイドルとは程遠いが、マニはアンコウのようなタイプの男にはわからない人を惹きつける天然物の魅力を有しているようだ。


「おい!ビジット!この女はすぐに帰すんじゃないぞ!少なくとも、俺がこの町を立つまでは牢屋にでも放り込んでおいてくれ」


 ビジットはアンコウの叫びに返事を返すことはなく、マニについて来るように促した。

 マニもアンコウに言い返すことはしなかった。ただテレサのほうを見てニコリと笑って見せてから、ビジットの後について歩き出した。


 ビジットとマニが部屋から出て行くと、その後について、部屋の中にいた兵たちも姿を消していく。そして、部屋の中にはアンコウとテレサの2人だけになった。



 まわりが静かになると、アンコウはベッドの端に腰をおろしたまま、疲れたようにうつむき、目を閉じていた。

 テレサは自分はどうしたものかとそのまま立ち尽くしている。


「はぁーっ、ほんとに無駄に疲れた」

 アンコウは大きく息を吐き出し、座ったまま後ろ向きにベッドに倒れこんだ。


「あ、あの旦那様。本当にすみませんでした!」

 テレサがアンコウにむかって大きく頭をさげた。


「……もういいよ。これ以上テレサが謝る必要はない。それよりテレサ、お茶でも持ってきてくれないか。のどが渇いた」


「は、はい」


 テレサはそのまま急ぎ足で部屋を出て行った。


 そしてアンコウは部屋に一人、ベッドに寝っ転がって天井を眺めている。アンコウはなんともはや、言葉もないという感じであった。


(……疲れたよ)





 ほんの少し前までの騒ぎとは打って変わって、周囲には夜の静けさが広がっていた。

 部屋の扉を開ければ、暗く長い廊下に一定間隔で壁にかけられたランプの火が灯っている。そしてアンコウの部屋の前には、いつもどおり夜の見張りのレクサが立っていた。


 そして部屋の中、アンコウとテレサが向かい合ってイスに座り、テレサが入れてくれたお茶を飲んでいる。


「旦那様、本当に明後日ネルカに出発するんですか?」

「ああ、らしいな。俺も今日聞いたばかりだ。不安か?」

「ええ、少し」

「まぁ、拒否権はないけど半分は客扱いみたいだからな。そんなに心配をする必要はないよ」


 アンコウはテレサにそうは言ったものの、内心最悪の場合も考えていた。自分の財産も自由も命も他人に握られている。その事実をアンコウは軽く見てはいない。


「今のままで良いわけがないからな。状況が動くこと自体は悪いことじゃないと思っている。だけど、軽率なまねだけは絶対にダメだ。さっきのマニみたいな行動は論外だ。慎重に計算高く動く。命を守るため、自由になるためだ」


「はい」


 アンコウは一応注意はしたが、テレサがマニのようなまねをするとは思っていない。テレサは、十分な慎重さと計算高さを備えている女だった。


「まっ、テレサがマニのまねをしようとしたってできる訳がないけどな。あいつほどの抗魔の力はないし、あいつほどバカはそうはいない。もしまたどこかであいつを見かけることがあったら塩でもかけてやれ」


「旦那様、それはいくらなんでも。マニさんだって私たちを助けようとしてくれたんだから」

「ん?テレサだって、結構な迫力で怒鳴りつけてたじゃないか」


 アンコウはからかうような口調で言った。


「き、聞いてたんですか?あ、あれは仕方がなくて、」


「怒鳴りつけて正解だ。それでも、あのバカはわかってなかったじゃないか。ああいうヤツには気をつけろよ。テレサもたいがい人がいいからな。身の安全に関るようなときは余計な感情を入れるなよ」


 テレサも、アンコウが言っていることはよくわかっている。


「……ええ、ほんとにそうですね」

 テレサも、今回のことは自分のところで止めることができた騒ぎだったと真剣に反省していた。


「とにかく明後日にはここを立つことになるから、テレサも準備しておいてくれ」

「はい、」


 テレサはお茶をひとくち口に含んで、

「はぁーっ」 と、ゆっくりと息を吐き出した。


「テレサ、不安になりすぎても仕方ないぞ。あんまり考えすぎるなよ」


「いえ、私はこの町の近くの村の生まれで、15で結婚してからずっとこの町で暮らしてきましたから、ほかの土地のことをほとんど知らないんです。

 トグラスの女将をしていた時にお客さんたちのいろんな話を聞いて、いつか私もいろんな場所に旅行にでも行きたいなぁなんて思っていたものですから、初めてアネサを離れるのがこんなことになるなんて、ほんと人生ってわからないですね」


 テレサは、最後は無理に笑顔を浮かべて言った。


「……いいんじゃないか。用心さえ忘れなかったら、旅行気分でいても。どっちにしろおれたちに選択権はない。人任せ、成り行き任せなんだ。自由に動くことはできないけど、景色を楽しむぐらいのことをしてちょうどいいかもな」


 アンコウの言葉に少し気持ちがほぐれたのか、テレサの顔が緩む。


「ふふふっ、そうですね」

「…ああ」





 アンコウたちがネルカにむかってアネサの町を発ってから、今日で3日目になる。

 昼間の陽が高い時間ではあったが、さほど気温も高くなく、陽の下を移動するにも心地よい天気だ。


 そのネルカへと続く、田舎道ではあるが比較的整備された街道を少し外れたところに、馬と馬車に乗ったグローソン兵の一団があり、一時休息をとっている。


 そのグローソンの兵団と共に移動しているアンコウたちも、馬車に乗せられての移動だったが、ここまでの移動速度は比較的ゆっくりとしたもので、予定ではネルカに着くのに後2日はかかるとのことだった。


「もうっ!ちょっとだめですよ。次やったら隊長さんに言いますからねっ」

「悪い悪い。ちょっと手がすべっただけなんだ。へへっ」


 テレサが小川で洗い物をしていると、近づいてきたグローソンの兵隊がするりとテレサの尻をなでた。

 兵隊たちにとっては日常の挨拶のようなもので、この3日間、同じようなことをしてくる者は後を絶たなかった。


 さほど急いではいない旅程であったが、途中どこかの町に立ち寄ることはせず、むさくるしい男ばかりで野営を重ねての移動であり、テレサたちのような女の存在はアリに蜜のようなものであり、多少のことは仕方がないとテレサは上手にあしらっていた。


 テレサの主人であるアンコウの扱いは悪くはなく、このネルカへの移動にあたっては豪奢とはいえないが、それなりの馬車を一台用意されており、護送される囚人ではなく、おかしなまねさえしなければ客人として遇される約束がされていた。


 そのことは兵士たちも承知しており、テレサは多少尻やら乳やらを触られることがあっても、アンコウの奴隷であるテレサに度の過ぎた無体をはたらく者はこれまでのところはいなかった。


「テレサ、これ持って行ってやるよ」

 今テレサの尻をなでた男が、洗い終わった食器類の入った籠の一つを持ち上げながら言った。

「あら、ありがとう」

 テレサは男に礼を言いながら、笑って会釈をする。


 そしてその男も、気分良さ気に重い籠を持って立ち去っていった。


(ふふっ、まっ、等価交換といったところかしら)



 籠を持って行ってくれた男の姿が見えなくなると、入れ替わるように別の男がテレサのそばまで近づいてきた。


「へへっ、お、俺も手伝ってやるよ」

「!え?ああ、ありがと」

 テレサが振りむいたすぐ近くに、ひげ面の男が立っていた。

「へへへっ、」


 すると、その少しむさくるしいひげ面の男はわざとらしく足をもつれさせ、テレサに抱きついてきた。


「おおっと!危ない!」

「キャッ!な、なにをっ」

 男はテレサに抱きついた拍子にテレサの大きな胸を鷲づかみにした。

「へへっ、」

「や、やめなさい!」


 テレサが自分に抱きつく男を突き飛ばそうとしたその瞬間、


ドガァッ!

「ぐがあぁっ!」


 男は何者かに頭を殴り飛ばされ、派手に地面を転がった。その男を殴り飛ばしたのは、テレサと同じような服を着ている獣人の女。


「おまえ、この真っ昼間からいい根性だな」


「マニさん!」

 テレサが自分を助けてくれた女を見て名を呼ぶ。


 今のマニは、剣も防具も武具の類は一切つけていない。どこにでもある労働者階級の小奇麗で、動きやすそうな婦人服を着ている。


 しかし、獣人女のマニの背は高く、その怪力にふさわしくないすばらしいスタイルをしており、どのような服装をしていても、一見するだけで華麗とも言える美しさがあった。


 しかし、マニのその冒険者らしい鋭い目とマニらしい行動は、見た目の華麗さを吹き飛ばすに十分過ぎるものであった。


ドガッ! ボグウゥッ!

「ゲフッ!や、やめて、グガッ!」

 マニは地面に倒れた男に近づき、さらに足で踏み潰すかのように蹴りつけはじめた。

「まったく、男ってヤツは」

ドガッ!

「ギャッ!」


 マニの突然の派手な登場に一瞬呆気にとられていたテレサであったが、マニが男を蹴りまわしているのを見て我を取り戻す。


「マ、マニさん、やめて!何をしてるの!」

「ん?なにって、罰だよ。当然だろ」

「やりすぎです!何やってるんですか!」


 マニは眉間にしわを寄せて、首を振る。


「ダメ、ダメ、テレサ。これぐらいやらないと、男は懲りないんだよ?」

「ギィィー、た、助けて」

 マニが男の顔を踏みつけている。

「だ、だから、やりすぎ、」



「おい!マニ!お前なにやってんだ!」

「あっ、旦那様っ」


 アンコウは少し離れたところに止めてある馬車の中からこの一部始終を見ており、いま地面に這いつくばっている男が気配を消してテレサに近づいていくのに気づいて、実に面倒くさいながらも一応馬車を降りてきていた。


 しかし、アンコウが歩いて近づいて行くあいだにマニがさきに現れ、そしてこのざまである。


 アンコウは、顔にも声にも苛立ちをにじませながら、テレサとマニの近くに立っていた。


(この暴力女はほんとにっ)

「マニ、俺はこのあいだも言ったよな。一緒に来るんだったら、ちょっと男に体を触られたぐらいで人を半殺しにするなって」


「い、いや、触られていたのはテレサだし、私は助けようと、」

「そのテレサ本人がやり過ぎだって言ってるだろう、何だその足は」


 マニの足の下では踏みつけられている男の顔が、圧迫されてひしゃげていた。それに、頭からもかなり派手に血が出ている。


「マニさん、もういいから」

「あ、ああ」

 マニは、ようやく男の顔から足をのけた。


「おい、マニ。このあと誰が謝りに行かないといけないかわかってるよな、2度目だもんな」

 マニはアンコウにそう言われて、ようやく2日前のことを思い出した。

「ううっ…、そ、それは」


 アンコウは自分が望んだわけではないが、表向きはグローソンの招待客として、ネルカに行くことになった。

 どうせ行かなければならないのなら、護送車に乗せられるよりは客人用の馬車に乗るほうがいいに決まっており、アンコウもそれ自体には文句はなかった。


 ただ腹立たしいことに、客人用の馬車だけでなく、ビジットにマニという余計な同行者も押し付けられてしまったのだ。


 マニはビジットたちに連れて行かれた後も自分の立場もわきまえず相当ごねたらしい。

 ビジットはとにかく余計なトラブルを起こさせないために、客としてネルカに行くことになったアンコウの世話をするメイドとしてマニをつけることにした。


 しかもビジットは、アンコウにネルカに行くにあたって必要な書類だと言って、何枚もの書類にアンコウにサインをさせたのだが、その中のひとつにアンコウ自身がマニをメイドとして雇うという内容の契約書を混ぎれこませていた。


 アンコウとしては軟禁中の自分を、さらにこんな三流詐欺師のような手段でだますやつがいるとはまったく考えていなかった。それゆえに、ロクに目を通さず、その書類すべてにサインをしてしまった。

 人間はどれだけ用心していても、だまされる時はあっさりだまされる。


(……ビジットの野郎、厄介ごとの種を体よく俺に押し付けて、アネサの外に放り出しやがった)


 しかも、その契約書には雇用主の意向だけではなく、雇用された側の同意がなければ、1ヶ月は契約を解除できないとの旨がご丁寧に付け加えられていた。


 アンコウは自分が自由の身であったならば、こんな何でもありで力さえあればどんな無法も横暴もまかり通る世界での契約書など、半笑いで反故にしてやるところだ。

 しかし、悲しいかな力の世界であるがゆえに、今のアンコウの立場では頭からこれを無視することもできない。


 おまけにアンコウがそのことを初めて知ったのは、アネサを出発する日の朝に皆が集められた広場だった。

 アンコウがビジットからそのことを聞かされたときには、マニも旅行準備を万端に整えて広場に来ており、アンコウの激烈な抗議もむなしく、どうすることもできなかった。


 さらにマニは、アネサの町を出る前に早速やらかした。

 マニは道中武装することを禁じる約束をさせられており、はじめから移動に適した婦人用の服を着ていた。


 マニは一般的な基準でいうと、背は高いもののスタイルはよく、獣風味若干強めではあるが美しい顔をした獣人の女である。

 それにテレサよりもずっと若く、集まった広場にいたグローソンの兵士たちの注目を集めていた。


 当初マニがこのアネサで有名な若手冒険者だということは周知されておらず、マニにスケベ心を刺激されたグローソンの兵が、集合場所の広場で実に軽いノリでぺろりとマニの尻を撫でた。


 これがテレサだったなら、軽く笑って流して見せただろうが、マニの尻を触った兵隊はその場で高速回転して地面にたたきつけられた。

 まわりにいた者もよくわからないほどのスピードで、ぶん殴られたのだ。


 そして、アンコウはその後が大変だった。

 そのときはビジットもまだ近くにいたにもかかわらず、マニはアンコウの正式な契約を交わした使用人であり、マニがしたことの責任はすべて雇い主であるアンコウにあるとビジットはアンコウに宣言したのだ。


 当然アンコウは怒り抗議したが、まったく受け入れられなかった。

 しかも、この後この兵士たちを旅をするのはアンコウであり、このまま放って置くのはよろしくないぞ意味はわかるなと、ビジットはアンコウに脅しめいた忠告までしてきた。


 そして、しぶしぶアンコウは、マニを従えて、この隊の責任者のもとに行き、頭をさげ許しを乞うた。


( くっ、いま思い出しても腹が立つ。それなのに、またやりやがった)


「し、仕方がなかったんだ。アンコウはいいのか、テレサがこんな男たちに触られても」

「いいんだよ、この程度は。いいかマニ。お前が余計なことをしなくても、テレサはどうとでもできたんだ」


 もし、この男がテレサを本気で押し倒そうとしても、この男一人の力ではかなわなかったはずだ。

 アンコウが止めに入ったとしても、こんな血まみれになるほど殴ったりはしないだろう。


「マニ、今のお前は冒険者じゃないんだ。何でもかんでも腕力でものをいわせようとするんじゃない。何でこの男はこんなに頭から血を流してるんだ?どうみても過剰防衛だろうがっ。マニ、お前がやったことの責任は俺にくるんだぞっ!」


「うっ……すまない」

 ようやくマニは頭をさげた。


「わ、私も一緒に謝りに行くよ」

「それはいい。お前は余計な事をするな。わびは俺一人でいれにいく」


 アンコウが男の状態を見ると、出血のわりには頭の傷も深くなく、この程度なら簡易の治療で十分だと判断できた。

(まぁ、この男にも非があることは間違いないからな。そのあたりを大げさに言っておくか)


「…いや、やっぱりそうはいかない!これは私がしたことなんだから、私がちゃんと説明して、頭をさげる必要がある!」


 マニはアンコウが余計なことはするなと指示したにもかかわらず、また自分の意見を声高に主張し始めた。これもマニは、何も悪気なくやっている。


(この女はっ……!)

「おい、マニ。お前、説明って言葉の意味がわかってんのか?自分の言いたいことを言うことを説明するとは言わないんだよ。このあいだも、お前の言うその説明のせいで、相手を無駄に怒らせたのをもう忘れたのか。

 お前のせいで許してもらうのに、確実に3倍は時間がかかって、確実に3倍は頭をさげることになったんだ。………お前、ちょっとは懲りろよ」


 アンコウの目に本気の怒りが渦巻いている。アンコウは自分よりも強い相手にはめったなことで、本気で殴りかかろうとは思わないのだが、マニはすでにその対象外となっている。

 あとほんの少しのきっかけさえあれば、アンコウは返り討ち覚悟でマニに殴りかかる自信があった。


「でも!それは、」

「マニさん!もうやめなさい!事情はどうあれ、あなたがどう思っていても、あなたはいま旦那様に雇われているんですよ!冒険者も時には依頼を受けての仕事もするでしょう?その時もそんなふうに依頼主の意向を無視して仕事をするんですか?」


「い、いや、そんなことはしない」


 マニの扱いに関しては、アンコウよりも幾分テレサのほうが上手くなってきているようだ。

 テレサもずいぶんマニには遠慮がなくなってきたようで、アンコウはこの際、自分に押し付けられてしまったマニをテレサに押し付けようと考えた。


「マニ、ここからネルカに着くまではテレサの指示に従え。テレサがしゃべるなと言えばしゃべるな。動くなといえば動くな。お前個人の判断は全部却下だ」

「なんだよ、それは!」

「何だ、新入りが先輩の指導を受けるのは当たり前だろう。それとも奴隷のテレサに指図されるのは気に入らないのか?」


 アンコウがわざとらしくそう言うと、マニは慌ててテレサのほうを見た。


「なっ!そんなことはない!奴隷だろうがなんだろうが関係ない。テレサはいい人だ!テレサの言うことならなんでも聞くさ!」



 アンコウは地面に倒れていた男を背中に抱えあげながら、はぁーっ、と大きく息を吐いた。


「じゃあ、テレサ。後は頼むよ。いろいろ大変だろうけどな」

「は、はい。旦那様のほうこそ一人で大丈夫ですか?」

「ああ、この男もたいした怪我ではないみたいだし、客人から囚人に降格ってなことにはならないだろうさ。しかし、これ以上無駄なストレスはためたくないからな」


 アンコウはマニのほうを向き直り、まったく懲りてないだろう女の顔を見た。


「おい、マニ。テレサに胸と尻を触られたときに笑顔でかわす対処法でも教わっておけ」

「な、何だよそれは」

「何でもいい。尻を触られても、胸を揉まれても、とりあえず笑っとけばいいんだよっ」


 アンコウはそう言うと体の向きを変えて、遠巻きにこちらのほうを見ているグローソンの兵隊たちのほうに歩いていった。

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