第25話 あきらめの悪い救出者

「おい!アンコウ!どこに行くんだ」


 アンコウは、そのまま扉の前まで歩いていって足を止めた。


「便所だよ。マニ、あんたは俺がこの部屋に戻ってくる前に消えてくれ。死ぬ気で天井を走れば逃げれるんだろ?ただし、あんた一人でだ」

「な、なにを言って、」

「……旦那様」

「ああ、テレサ。帰りの道案内はいらないぞ。まぁ、どうしてもついて行きたいんだったら、好きにすりぁいいけどな。もう面倒くせぇし」


 アンコウはそう言いながら扉を開けて部屋を出て行った。

バタンッ!


(はぁ、何なんだよ、もうっ)

 アンコウは閉めた扉の前に立ったまま、グシャグシャと自分の髪をかきむしった。

「フウーッ、」

 アンコウは大きくため息をついた後、ぐるりと周りを見渡した。

(……見張りはまだいないままか……)





 アンコウが部屋を出て行った後、マニはひどくいきどおっていた。


「なんだ、あいつは!逃げる勇気もないのか!」


 マニはひとしきり憤りを言葉にしてぶちまけた後、テレサに、2人だけでもとりあえず逃げようと提案してきた。しかし、テレサは首を縦には振らない。


「どうして?アンコウのことも見捨てるつもりはないんだよ。テレサだけでも先に逃げていたほうが、後でアンコウを助けるのも楽になると思うんだ」


 テレサはどう言ったものかと頭を悩ませている。ここまでのマニを見て、テレサもマニと一緒に逃げても自分は逃げ切ることはできないだろうと判断していた。

 マニは当初テレサが思っていた以上に無計画に過ぎた。


 アンコウは心の中でマニを疫病神やくびょうがみに指定したが、テレサもマニのことを心の中ではドロ舟だと思うようになっていた。

 マニと2人で逃げるなどということは、一奴隷女に過ぎないテレサにとって危険すぎる賭けだった。


「……いえ、マニさんが知らないのは無理ないですが、今この屋敷はグローソンの兵隊でいっぱいなんです。ついこのあいだ新しく来た軍人さんたちの駐屯場所になったの。ここまで見つからずに来れたのが奇跡みたいなもの。旦那様が怒るのも当たり前だわ。

 私はわかっていたのに、ついマニさんの好意に甘えてしまって、マニさんをこんな危険なところまで連れてきてしまった。あなた一人なら、間違いなく無事にこの屋敷を抜け出せることができるわ。

 私なら大丈夫だから、ほら、さっきみたいに自由に屋敷の中を移動できるぐらいには信用されてるのよ。そんなひどいこともされてないから、すぐ殺されるなんて事はないと思うの。だからマニさん、今はあなた一人で逃げてください」


 テレサはその内心とは違い、ごく自然に実に申し訳なさそうな体で言った。しかし、そんな遠まわしな拒絶の意思は、マニには通じない。


「大丈夫!私は自分の意思でここに来たんだ。テレサとアンコウを助けることは、私が自分のためにもしなくちゃいけないことなんだ。だからテレサが、そんな謝らなくてもいいんだ。アンコウだって後で必ず助けるよ。

 いくら奴隷だっていってもテレサの命はテレサのものなんだから、先に逃げよう。アンコウだって好きにしろって言ってたじゃないか」


 マニはやさしい目でテレサを見つめながら言った。


「い、いやそういうことじゃなくてですね……」


 マニはまぎれもなく善意で言っている。本気でテレサを助けようとして行動している。テレサもそのことはよくわかっている。

 テレサも多少打算を働かせることもあるが、根本的に人がいい女で、善意むき出しのマニにどう言ったらよいものかわからなくなっていた。


 テレサにしてみれば、マニは100%の善意でドロ舟に乗るようにすすめてきている。これはかなりタチが悪い。

 テレサは、何とかマニ一人で帰ってもらおうと必死に言葉を続けた。





 アンコウは部屋を出て周りに人がいないことを確認すると、廊下を一人歩き出した。別に本当に便所に行くことにしたわけではない。


「……さてどうするか、」

 アンコウは自分以外にも、マニたちが天井を移動していたことに気づいた者たちが間違いなくいるだろうと思っている。

(……あれじゃあな、俺より鈍いやつだって気づく)


 第一レクサたちには、アンコウ自身が天井にいる連中をどうにかしろと苦情を伝えていた。


(レクサたちのあの態度といい、おれが言う前にとっくに気づいてたんじゃないのか……騒ぐほどのことじゃないってことか、いや、それは考えずらいな……)

「……くそっ、ほんとバカで力のあるやつは始末が悪い」


 助けてくれるということ自体はありがたい話だが、ロクな計画も立てずに命を賭けるマニの神経がアンコウにはわからない。

 


 そして長い廊下の端まで歩き、アンコウが右に曲がろうと方向転換したところで、アンコウはピタリと足を止めた。

 アンコウが曲がった先に、何人もの武装した者たちがいたのだ。その中にはレクサたち見張りの男らの顔もあり、さらに彼らを統括する立場にあるビジットもいた。


「……………」

 足を止めたアンコウは、無言のまま彼らを見すえている。


 ビジットがアンコウの近くまで歩いてきて、じっとアンコウの顔を見る。


「何だよ、男に見つめられても気持ち悪いだけなんだけどな」

「……アンコウどうかしたのか?」


 ビジットの目に、いつもとは違う非常に鋭いものがある。そのビジットのうしろからも武装した男たちの視線が、アンコウを捕らえていた。


「いや……ちょうどよかった。あんたたちを探していたんだ」

「…ほう、どうかしたのか?」

「ああ、部屋に強盗が入ってきてな。逃げてきたんだ」


 アンコウは至って普通の態度、口調で言った。


「なに?」

「だから、強盗だ。テレサが人質になっている。だから人を呼びに来たんだよ。いやぁ、こんな集団で武装した人たちがいてくれて助かったよ」


「…ふん、強盗に襲われて、テレサを人質にされたにしては冷静だな」

「こういうときはパニックになるのが一番ダメなんだよ」

「わざわざこんな屋敷の奥まで、しかも金なんか一銭も持っていない男の部屋に強盗か?どんな間抜けだそれは」

「とんでもねぇ間抜けだ。それは間違いないんじゃないのか。まぁ、ここは俺の家じゃないからな、どうなってもかまわないが、お前らはそういうわけにはいかないだろう?」


「……テレサは、お前の奴隷だろう」

「奴隷が主人を助けるために強盗の犠牲になるんだったら、奴隷冥利どれいみょうりに尽きるってもんだろ」


 ビジットは依然冷たく何かをさぐるような目でアンコウを見ている。


「その強盗はどんなやつだった?」

「獣人の女だ。間抜けかもしれないが、そこそこ強そうだったから気をつけるんだな」


「……お前の知り合いじゃないのか、アンコウ」

「さぁな。びっくりして飛び出してきたんでな、顔までは覚えてないな」

「ずいぶんと都合のいい目だな。じゃあ、強盗なら斬り殺してもいいんだな」

「それ、俺の許可がいるのかよ?いらないだろうが。間抜けな強盗の末路なんか俺が知るかよ」


 アンコウは面倒くさそうにそう言うと、なにやら殺気立った目をした獣人の若い男が一歩アンコウに近づいてきた。


 その男は、見た目だけで言えば、まだ二十歳にもとどいていないような少年の面影さえ残っている容貌をしていた。その装備から察するに、グローソンの正規の兵隊ではないだろう。

 

 アンコウは、その若い獣人の男と相対する。

(アネサの冒険者か、たぶんそっちのほうだな)


「ふざけるな!マニさんが強盗なんかするわけないだろうが!それにあんたの女奴隷を人質にしているだなんて、嘘も大概にしろよ!」

「何だお前。何でお前がそんなことを知っている?あいつの仲間か?」


「マニさんはな、すげぇ冒険者なんだよ!あんただって、この町で冒険者をしてたんだったら、マニさんのことは聞いたことぐらいあるだろう!

 俺はな、迷宮で仲間にも見捨てられて、魔獣に食われそうになったとき、あの人に助けられたことがあるんだよ。マニさんが強盗なんてするわけねぇ!」


「……そんなことは聞いてない。お前は何で俺の部屋に押し入ってきたやつが、そのマニだって知ってるんだって聞いてるんだよ」


 アンコウに冷静に重ねて問われて、その獣人の若い男の勢いが弱まる。


「……見たんだよ。マニさんがこの屋敷の中にいるのを」


 マニはテレサと共に天井に登る前に、すでにこの屋敷の者の目に触れていたらしい。


(あいつ、天井裏の大ネズミになる前から見つかってるじゃねぇか)

 アンコウはほとんど表情を崩すことはなかったが、心の中では派手なため息をついていた。


「じゃあ、何でお前は声をかけなかったんだ?お前はそのマニさんと知り合いなんだろう」

「そ、それは……」


 その若い獣人の男が言いよどむと、ビジットが代わりに話し出した。


「一時的にだか、町の治安を保つためにグローソンはこいつらのような冒険者たちも多数雇っている。しかし、そのマニという冒険者は雇っていない。その部外者の冒険者が、何か隠れるようにして屋敷の中を移動していたらしい」


「そうか、」

 アンコウは再び若い獣人の男を見た。


「ここにいるはずがないマニが、コソコソこの屋敷の中をうろういてたから、お前は声をかけられなかったってわけだ。何だ、お前も怪しいヤツと思ったんだろ?」

「ち、ちがう!マニさんは何かそうしなきゃならない理由があったんだ!」


「…あっそう、どっちにしろ俺には関係ないことだ。とっとと捕まえに行けよ、ビジット。とりあえず怪しいヤツってことでいいだろうが」


 ビジットが答える前に、今度はまた別の獣人の男がアンコウに近づき、話しかけてくる。


「本当に関係ないのか?マニはこのあいだのいくさで、お前に命を助けられたと人づてに聞いた。マニはお前を助けに来たんじゃないのか?」


「何だ、お前は。そんなこと俺が知るかよ。大体俺は何でかしらないが、グローソンにとっ捕まって軟禁中なんだ。俺を助けに来たんだとしてもこの屋敷の連中からしたら強盗みたいなもんだろ。捕まえるか斬り捨てるかすることに変わりはないだろうが、もう早く行けよ」


「な、何だと!お前はわかってるんじゃないのか!マニはお前を助けに来たんだろう!この人でなしがっ!」


 男が怒鳴ると、この獣人の男のまわりに集まってきていた他の獣人たちも口々にアンコウをなじりはじめた。

 マニはアンコウが思っていた以上にこの町の冒険者たち、特に多くの獣人たちから慕われているようだ。


 マニは冒険者として強い力を持ち、冒険者らしくなく他者に優しい、それに彼らから見れば若く美しい獣人の女だ。今回のような考えなしの無鉄砲さも普段は愛される理由のひとつなのかもしれない。


 マニは、本当に自分が必要だと思った最低限度の情報収集しかしていなかったようで、直接的、間接的を含めて自分のことを知っている者がこんなにもたくさんこの屋敷にいることを全く把握していなかった。


 この者たちと手を組んでアンコウ救出作戦でも作っていれば、アンコウもそれに賭けてみようという気持ちになっていたかもしれない。

 しかし今のアンコウの気持ちは、ただまわりのマニマニアたちからなじられて、忍耐できる怒りの限度が超えただけである。


「うるせぇっ!何が人でなしだこの野郎!クソ寝ぼけたこと言ってんじゃねぇ!こんなバレバレの間抜けな侵入者に命預けろっていうのか!俺はお前らと違ってあのバカに何の思い入れもないんだよ!

 お前らは俺に地獄行きのチケットを持ってきたヤツに感謝しろとでも言うのか!」


 それまであまり感情を見せずに話していたアンコウが、突然怒りをあらわに怒鳴りつけた。アンコウのまわりにいる武装した男たちが押し黙る。


 アネサの者であろう獣人たちの多くは、その顔に怒りの色を浮かべてはいるが、彼らも冒険者であれ傭兵であれ、戦いの前線で生きてきた者たちだ。

 きれい事を吐いているだけでは、決して生き残ることなどできないという厳然げんぜんたる事実を実体験として知っている。

 どれだけマニに好意を持っていようが、アンコウの言うことを一方的に否定することはできなかった。


 そして静かになった彼らの中で次に口を開いたのは、やはりビジットだった。

 ビジットは今のアンコウの様子を見て、ここに来るまでは可能性の一つとして考えていた、アンコウ自身が脱出計画をたくらんでいるかもしれないという考えをほぼ消去して話しはじめる。


「お前の言うとおりだアンコウ。とりあえず怪しいヤツを捕まえに行くことにする。強盗であれ何であれ、グローソンに敵対する者なら抵抗すれば斬る」


 ビジットの言葉を聞いて、まわりにいる一部の者たちがざわざわと騒ぎ出した。


「ビ、ビジット殿、俺たちにマニは、」

「お前たちはグローソンに雇われているんだ。お前たちもその道のプロだろう。まさか雇い主であるグローソンに敵対する者を斬れないなどと言わないだろうな?」

「そ、それは……」


 はたから見れば冒険者や傭兵などといった輩は、みな勝手気ままに生きているように見える。いや、実際にそうなのだが、そんな彼らであるからこそ、これだけは絶対に守らなければならない仁義というものがある。


 この状況で彼らがマニを斬ることを拒否するということは、間違いなくその仁義に反することになる。

 ビジットは彼の指揮下にある武装兵たちを厳しい目つきで見渡した。

 ビジットは一時いっとき無言の間をあけた後で、また口を開く。


「……しかし、それはそのマニという者がグローソンに敵対する者であった場合のことだ。聞くところによれば、そのマニという冒険者は、このあいだの攻略戦のおり非道なロンドの太守どもに剣を向け、我らと共に戦ったと聞いている。何か事情があるのかもしれない」


「そ、そうです!ビジット殿!マニは全身傷だらけになるまで太守の兵たちと戦ったんだ!」


 まわりから次々とマニを擁護する声があがる。この場には、マニに好意を持つ者たちがたくさん集まってきているようだ。

 ビジットはおそらくこのような者たちが、この屋敷の中にほかにもいるだろうし、この町全体で見れば、もっと多くいるだろうと感じていた。


 もしそのマニという者を捕縛するか、まして斬り殺すなどすれば、相当反発する者が出るのではないかと危惧した。


 一般の民衆が何百人と牙を剥いたところで、武力で押し潰してしまえばいいだけの話だったが、このアネサの町にいる多くの獣人冒険者たちの離反を招くことは、今の時点では非常にまずいとビジットたちは考えていた。


(もし今、獣人の冒険者たちが騒ぎ始めたら、間違いなくグローソンに敵意を持つものたちがそれに乗じて行動をはじめるだろう)


 そうなれば、せっかくここまでうまくいっているアネサの占領統治が、ふりだしに戻りかねない。



(なんだこの茶番……しかしマニのやつ、すごい人気だな。何のカリスマなんだあいつは。ビジットの奴は穏便に済ませたいみたいだけど、あのイノシシみたいな考えなしの女がおとなしく従うのかねぇ)


 アンコウは本当にマニがどうなろうとどうでもいいと思っていたが、この屋敷の連中が困るのはちょっといい気味だと思った。

 アンコウはビジットのほうを見て、少しからかうように言う。


「よう、ビジット。あの天井から降ってきた女はどう考えても不法侵入者だろ?あいつがこの屋敷に敵対する者じゃなかったらいったい何なんだ?」


 ビジットはアンコウが少し面白がっていることに敏感に気づき、にらむようにアンコウを見た。

 ビジットはアンコウに近づいてきて、

「迷子でも何でもいいんだよ、この野郎」と、アンコウにだけ聞こえるような声で言った。


(……とにかく騒ぎをこれ以上大きくしたくないわけだ)

 だったらとっとと終わらせて、早く俺をベッドで眠らせてくれとアンコウは思う。

 いい加減こんな何の得にもならない騒ぎにはうんざりしているアンコウだ。


ビジットは、次はみんなにも聞こえるような声で、アンコウに話しかけてきた。


「じゃあ、アンコウ。一緒に来てもらおうか」

「何?何でだよ」


「当たり前だろう。その獣人の女がいるのはお前の部屋だ。お前はその女は強盗で自分の奴隷を人質にしていると言った。それならばお前自身の問題でもある。

 しかしそれは、ここにいる皆が言うように、お前の勘違いかもしれない。勘違いは誰にでもあることだ……それに他の可能性もある。アンコウ、実はお前自身が悪だくみをしてウソをついているのかもしれない」


「……ああ?いい加減にしろよ。俺はどうでもいいって言ってんだ。お前らの勝手に好きなように始末をつければいいだろう」


 ビジットはアンコウの主張は無視して、言葉を続ける。


「アンコウ、自分の無実は自分で証明しろ。なに、そのマニとかいう獣人の女がグローソンにとって無害な者とわかれば、つまりお前の潔白も証明されるだろう」

「!~ビジット!お前はっ!」


 この野郎、俺をまだ面倒ごとに巻き込む気だと、アンコウは気色きしょくばんだが、まわりの武装した兵たちもビジットの言葉に合わせるように、いっせいにアンコウににじり寄ってきた。


「くっ、」

「なに心配するなアンコウ。俺達も一緒に行ってやる。むずかしい仕事ではないさ」

 ビジットの顔に薄っすらとアンコウをからかうような笑みが浮かんでいた。


(こ、この野郎っ)





 アンコウはビジットたちに囲まれて、再び自分の部屋まで戻って行くことになった。そのころアンコウの部屋では、まだマニとテレサの押し問答が続いていた。


「どうしてわかってくれないんだ。私はテレサたちを助けに来たんだよ!」


 マニがどう言っても、テレサはついて行こうとはしない。テレサがどう言っても、マニはわかってくれなかった。

 業を煮やしたマニは、強引にテレサの手をつかみ連れて行こうとする。


「いいかげんにして」

 テレサは自分の手をつかむマニの手を、もう一方の手でつかみ返し、今までにない厳しい声を発した。

「……本当ならこんなことは言いたくないんだけど。マニさん、成り行きとはいえあなたをここまで案内してきた私が浅はかだったわ。

 あなたと一緒に行っても私は逃げられない。まず捕まるわ。最悪殺されるかもしれない。私は自分のために行かないと言ってるの」


 テレサがマニを見る目も、きついものに変わっている。


「な、なにをアンコウと同じようなことを、私が絶対逃がして見せるよ!」


「もう少し冷静に状況を見なさい。逃げられるとしてもそれは強い力を持つあなただから。ただし、そのあなたでもほかの者をかばう余裕なんてないわ。この屋敷の現状を考えれば、それぐらい戦いの素人の私だってわかる。

 あなたが善意でしていること、本気で私を助けたいと思ってくれていることもわかってる。だけどそれならなおさら今は、あなた一人でここから立ち去りなさい」


「どうして!きっとうまくやってみせる!私を信じて!」


「いいかげんにしなさいっ!迷宮でたいした知恵のない魔獣の群れを相手にしているのとは違うのよ!ここにいるのは、軍人に冒険者に傭兵、いくら剣に自信があっても、勢いと勇気だけでどうにかできるわけないのよ。

 マニさん、あなたは強いわ。だけど誰にでも勝てるわけじゃない。戦いになれば弱い者から死ぬ。あなたより先に私が死ぬし、旦那様が死ぬわ。あなたが私をかばってくれたとしても、あなたが死ねば私も死ぬの。

 それにここは迷宮じゃないわ。ここから外に出たら、それで終われるわけじゃないのよ。だから、今はあなた一人で帰りなさい!」


「!!……」


 テレサは結局、アンコウがマニに言ったのと同じようなことを、より強い口調ではっきりと言うことになってしまった。


 マニはテレサから手を離し、唇をかむ。マニだって、今の状況の厳しさがわかっていないわけではない。

 これまでマニは魔獣相手に窮地に立たされることがあっても、退くことなく、逃げることもなく、立ちむかい戦うことで道を切り開いてきた冒険者なのだ。


 だから今回も同じように考えていた。それをテレサから真っ向から否定されてしまった。


ガチャ、

 そのとき部屋の扉が開き、アンコウが戻ってきた。


「あっ、旦那様」

「アンコウ」


 しかしアンコウは無言で扉のところに背をもたれたまま、それ以上なかに入ってこようとはしない。


「むっ、誰か来る」

 この時になってようやくマニは、この部屋にむかって複数の足音が近づいてきていることに気づいた。


 そして、次にその扉から姿を現したのはビジットだった。


 マニはそのビジットの姿を見ても逃げ出そうとはしなかった。それどころか腰にかけている剣の柄に手を伸ばした。

 ビジットは表情を変えることなく、剣に手を伸ばしたマニをじっと見つめている。


 まだ扉のところに背もたれて立っているアンコウは、そんなマニの行動を見て眉をしかめている。


「マニさん!手を離して!」


 テレサが厳しい声でマニをいさめる。マニはためらいながらも、まだ剣の柄から手を離さない。

 そのマニを見て、ビジットもゆっくりと手を剣に伸ばしていく。両者のあいだの緊張が増し、一触即発の雰囲気が漂いはじめた。


 テレサもそれを感じ取っていたが、もはや自分の言葉ではマニを抑えることはできないほどの覇気がマニから発しはじめていた。


(ど、どうしよう、どうしたら)


 テレサはマニの提案は拒否したが、マニが助けてくれようとしたことには感謝していた。

 奴隷に落ちた自分のことを忘れず、気にかけていてくれてこんなところまで来てくれたマニには無事に帰って欲しかった。


「マ、マニさ」

「ハアックショイッ!!」

 突然大きなくしゃみが部屋に響いた。


「だ、旦那様…?」


「あー、」

 アンコウが鼻をつまんでグニグニと動かしている。


 部屋の中にいる3人全員が、一斉にアンコウのほうを見た。

 その面倒くさげな雰囲気満載のアンコウの姿が、つい今しがたまでの緊迫した雰囲気をかなり軽減していた。


「あー、風邪引きそうだぜ。俺はもう寝る時間なんだ。マニ、お前はもう帰れよ」


「な、なにを」

 マニがいぶかしげな目でアンコウを見る。


「お前が何でここにいるのか俺は知らないが、お前が道に迷っただけなら無事に帰らせてもらえるそうだ。よかったな、マニ」

「な、なにをバカなことを」


 さすがにマニも自分がしていることは命がけのことだということはわかっているし、その覚悟もある。

 アンコウはそんなマニのほうを見て、にっこりと笑った。

(バカはお前だ。毛深い女は趣味じゃねぇんだよ、とっとと帰れ)

 アンコウは笑みを浮かべながら、心の中で悪態をつく。


「マニ、駄々をこねるなよ、子供じゃあるまいし。お前のお友達が心配して、みんなして迎えに来てくれてるんだぜ」

「なに?」


 部屋の外で、中で交わされている会話を耳をそばだてて聞いていた者たちが、アンコウに手招きをされて、次々と部屋のなかに入ってきた。



「あ、あんたたち何をやってるんだ!?」


 部屋のなかに入ってきた者たちを見て、思わずマニが声をあげる。


「マニ、」

「あんた、レッグか」

「俺たちはみんな今ここで働いてるんだよ。いつもどおり依頼を受けてのただの仕事だ。いい給金が出る。アネサの支配者がグローソンになっても俺たちの仕事に変わりはないからな」

「そ、そうか」


「マニ、お前はここで何をやってるんだ?俺たちは正式に契約を交わした仕事だ。グローソンに敵対する者は捕まえるか、斬り捨てるかしないといけない。たとえお前でもだ。

 まぁ、俺一人ではお前に敵うわけがないが、この屋敷にはいっぱいいるぞ。グローソンの強者たちがな。それに俺たちみたいにお前のことを知っている者もまだいる」


「そ、そうか……」


 しばらくマニと男たちは何やら話をしていたが、ふいにマニと武装したマニマニアらしき男たちとのあいだの会話が止まる。

 男たちはじっとマニの顔を見ている。

 マニからは、まったく予想していなかった展開に戸惑いを隠せない様子がありありと見て取れた。


 その様子を黙ってみていたビジットが、再びマニと男たちの前に出てきた。ビジットはすでに剣の柄から手を離している。


「俺はビジットだ。この連中を統率しているこの場での責任者だ。まず聞こう。マニ、お前はグローソンに敵対する者なのか?

 いいか、いずれにしてもお前から詳しく事情を聞く必要があるが、お前がグローソンの敵対者か否かでは、その扱いがまったく違うものになると思えよ」


 ダークエルフであるビジットはまわりにいる獣人の男たちに比べれば、その体の線は細い。

 しかし、その眼光の鋭さは幾多の戦いを経験してきたであろう戦士のもので、冒険者としての実力は本物であるマニを前にしても怯むことはなく、今の抑えた口調のセリフにもなかなかの凄みがあった。


 しかしマニは、ビジットの問いに明確な答えを返さない。

 そのときアンコウが片手を大きく振りながら、扉のほうから歩いてきた。


「ダメだ!ダメだ!そんな言い方じゃこの女はわからねぇよ」

 

 アンコウは武装兵たちのあいだを抜けて、マニの近くまで行くと、小さな子供に言い諭すかのような口調で話しはじめた。


「いいかマニ、いちかだ。どっちかを選べよ。

いち、お前は泥棒。、お前は迷子。簡単だろ?

いちなら、お前はこの御友人ごゆうじんたちに捕まって死刑にされる。

なら、お前はこの御友人たちに見送られてお家に帰る。さぁどっちだ」


「くっ!アンコウ!お前何を言ってるんだ!私はお前とテレサを」

いちかだ!」

 アンコウはマニの言葉をさえぎって鋭く言い放った。

「いい加減にしろよ!お前一人で帰るんだ!」


 アンコウは、さっきテレサがマニを叱るように大きな声を出していたのを廊下で聞いていた。そのテレサのセリフをそのままマネをして言った。


「う、うぅぅ……」

 マニは考え込むように口ごもる。

 マニが顔をあげて、まわりを見ると、見覚えのあるイカツイ男たちが心配そうにマニのほうを見ていた。

「……う、うう……私は、アンコウとテレサを助けに……」

 それでもマニはまだ言っている。


( くっ、この女しつけぇ)


 アンコウは額中に青筋が浮かんできそうな気持ちになっていた。

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