第24話 望まぬ救出者

「くそっ、何でこんなに人が多いんだよ」


 マニは愚痴をこぼしながら、廊下の柱の陰に隠れて人が通り過ぎるのをうかがっている。

 マニは日が暮れると同時に、アンコウが軟禁されている屋敷に入り込んだ。そして日が沈んでから、もうすでにかなりの時間が経過している。


 今この屋敷には、かなりの人数のグローソンの関係者たちが滞在していた。マニの冒険者としての実力は、若いとはいえ本物であったが、このような隠密行動の経験はほとんどない。


 それでも、自分一人でアンコウやテレサたちを助け出すことができると考えたのは、才能ある若者であるがゆえの愚かさであった。


「くッ、危ない、」


 マニは少し進んでは隠れ、少し進んでは隠れを繰り返しながら、何とか庭を抜けて建物の中に入り込んだ。ここに来るまでに、何度となく屋敷の者に見つかりそうになっていた。


 そもそもこっそりと忍び込んで人を連れ出そうと考えている者が、迷宮に潜る時よりは軽装とはいえ、長剣を持ち、身体中に防具をつけている時点でどうかしている。

 それでもマニは天性の勘と身体能力の高さで、ここまで入り込むことができた。

 少なくとも本人は、ここまで誰にも見つかっていないと思っている。


(さっきよりも、またうろついているやつらが多くなってきた。何でこんなにいるんだ?)


 マニは、自分が考えていたよりも、ずっと状況は困難だということを認めざるをえなかった。

 それでもアンコウたちを助けることをあきらめようという気持ちにならないことは、マニの意志の強さではあったが、この状況で撤退するという判断ができないようでは、その意志の強さが悪い方向に働いていると言うほかない。


「くっ、私は絶対にあきらめないぞっ」 





 テレサはしばらく前に夕食を終えたあと、すぐに自分に与えられた小部屋に戻ることはせず、日々の雑用に時間を使っていた。

 テレサは、アンコウの世話以外にも、空いている時間にこの屋敷の雑事の手伝いもしており、アンコウ以上にこの屋敷の内ならば、自由に移動することが許されていた。


 アンコウも、テレサがこの屋敷の者たちと親しくなることは悪いことではなく、情報収集という点でもメリットがあると考えている。


「よう、テレサ。大変そうだな」

「ええ、なんだか急に人が増えちゃって、雑用係の手がまだ足りてないみたいね」


 今、この屋敷の中にはグローソンから来た者以外にも、グローソン側についた旧アネサ側の関係者や冒険者たちもいて、テレサと比較的気安く話をする者たちが少なからずいる。


 テレサは手押しカートのうえにシーツのようなものを山積みにして、どこかへ運ぶ途中らしい。


「じゃあ、私はまだ仕事の途中だから」


 テレサに話しかけてきた若い男は、まだテレサと話をしたそうな様子であった。

 兵士や冒険者などといった男たちは、女に対して無作法な者が多い。今の若い男なども、テレサと言葉を交わしながらも、テレサの胸の辺りをあからさまに見ていた。


 テレサの胸は、服のうえからでもその大きさがはっきりわかるほど大きい。テレサは30半ばになろうかという女とはいえ、男たちを惹きつける魅力は十分にもっている。

(ふふっ。いやぁねぇ、あんなにおっぱいばっかり見て)

 テレサは長年このアネサの町で、女将としてひとつに宿屋の切り盛りをしていた女だ。あの手の男の視線には慣れている。


 むろん慣れているといってもしつこく体を触ってくるようなやからには閉口することもある。

 しかしそれも、アンコウとガルシアの仕合いがあって以降は、アンコウに対する屋敷の者たちの戦士としての評価が上がったようで、そのアンコウの奴隷であるテレサに度の過ぎたちょっかいをかけてくる者はいなくなっていた。


 しかし、新しくやってきたグローソンの兵士たちには、まだそのようなことを知らない者が多いだろうから気をつけろと、テレサはアンコウから注意されてもいた。


(ふふっ、さっさと用事を済ませて、部屋に戻らないと)


 テレサはこの仕事を済ませたあとも、自分に与えられている部屋でゆっくり休むことはできず、身支度を整えてアンコウの部屋に行かなければならない。

 アンコウから今日もアンコウの部屋で休むようにと言われていたからだ。

 テレサにも小部屋があてがわれてはいるものの、アンコウとテレサが同じ部屋で寝ることは禁じられていない。


「ふふっ、」

 こんなに連日同衾するのなら、もう同じ部屋にしてもらったらいいのにと、テレサは思っていた。


 そして、カートを押すテレサがこの後のことをいろいろ考えながら廊下の角を曲がった時、

「キャッ!ウグッ!?」

 突然横の扉が開いたかと思うと、テレサは口を押さえられて、その部屋の中に引きずり込まれた。


 テレサは強い力でがっちりと抑えられて、身動きができない。

 その手の主は、すばやくもう一方の手で、テレサが押してきたカートも部屋の中に引っ張り込んで、音もなく扉を閉めてしまった。


「!フグッ、ググッ、ンッ」


 テレサはあせる。

 何とか逃げ出そうともがくのだが、一本の腕の力だけで完全に動きを封じられていた。抗魔の力に目覚めつつあるテレサは普通の人間種の男よりも力がある。それなのに今テレサは完全に力負けしていた。

 テレサは相当強い力を持っている男に襲われているのだと思い恐怖した。


「!んんっっ!」


 恐怖に駆られたテレサは、それまで以上の力を振しぼり、暴れはじめる。

 さすがに片手では押さえきれなくなったのか、もう一方の手がテレサの胴体に巻きつき、がっちりと抱きかかえられてしまった。


 テレサはまったく身動きがとれなくなり、相手の顔も確認できない。手で口を完全に押さえられ、もうひとつの腕がテレサの大きな胸を強く押さえつけていた。


「ンン!ンンンッー!」


「あ、暴れないで、テレサ。私だよ、マニだ」

(えっ?)

 テレサの耳元で聞こえてきたのは間違いなく女の声。

 そう言われて意識を変えてみると、確かに自分の鼻に香ってくる匂いも女のもののようだ。


「落ち着いて、何にもしないから」


 テレサはその言葉を聞いて、抵抗するのをやめ、口をふさがれたままでうなずいて見せた。そして、マニがまた言葉を続ける。


「テレサ、あんたを傷つける気はないんだ。抵抗しない、大きな声を出さないって約束してくれたら手を離すよ」


 テレサがまたうなずく。


「……よし、約束だ」


 マニはゆっくりと手を離し、テレサの拘束を解いた。

 テレサは体を自由に動かせるようになっても、急に逃げ出すようなことはせず、一歩距離をあけてからゆっくりと振りむいた。

 振りむいたテレサの視界の中に、見覚えのある顔貌がんぼうをした一人の獣人の女が立っていた。


「マ、マニさん!」

「しっ!テレサ、声が大きい」

「ど、どうして、マニさんが……あっ、この屋敷で何か冒険者の仕事が入ったとか、」


 テレサはそうは言ってみたものの、この状況とマニの様子からそんな穏便なものではないかもしれないと感じていた。


「ちがう。テレサとアンコウを助けにきたんだ」

「えっ!」

「あー、でもよかったよ。ここでテレサが見つかるなんて。2人の居場所が見つからなくて弱ってたんだ。妙に人が多いしさ。それでアンコウはどこにいるんだ」

「えっ、えっ?」


 テレサにはマニの事情はよくわからなかったが、とにかく自分とアンコウを助けるために、マニがこの屋敷に忍び込んだことはわかった。


「えっと、ほかの人は?」

「いや、私一人で来たんだ」

「へっ……手引きしてくれる人とか、外で待ってる人とか、」

「そんなのはいない。さぁ、行こう。アンコウが捕まっているところに案内してくれ」

 マニがテレサの手を引いて、部屋を出て行こうとする。


「あっ、待って、待ってください!」

「ん?どうした?」

「無理ですよ!」


 今この屋敷はグローソン側の兵士や冒険者、その他の関係者で溢れている。

 マニが本当にたった一人で乗り込んできたのなら、とてもじゃないがアンコウと自分を誰にも見つかることなく外に連れ出すことなんてできないと、テレサは思った。


 テレサはマニがここまで無事にこれたのなら、何とかこのまま見つからないうちに帰ってほしいと話をしたのだが、マニはまったく納得してくれない。


 マニはこのアネサで名の知れた若手冒険者であり、テレサはそのマニが自分とアンコウを助けるために危険を冒してここまで来てくれたのだと知ると、納得してくれないマニに対して、あまり強く言うことができなくなった。


 それに、心配するテレサに自信満々に話をしてくるマニの姿を見ていると、この人なら何とかできるんじゃないかとも少し思えてきてしまった。



「何とか人に見つからず、そのアンコウのいる部屋まで行くことができないかな」

 そう言って、マニがテレサの顔を見てくる。


「……やっぱり無理だと思いますよ。旦那様の部屋を常時見張っている人は一人しかいませんけど、そこに行くまでには絶対誰かに会います。もしかしたら逆に堂々と行ったら、旦那様の部屋までとがめられずに行けるかもしれませんけど。

 仮にそこまで行けたとしても、さすがに堂々と屋敷の外に抜け出せるわけがないですから。それに今この屋敷にはアネサの冒険者の人たちもいるんですよ。マニさんの顔を知っている人もいるんじゃないですか?」


「……そ、そうなのか」

「マニさんは有名ですからね」


 マニは口ごもって考え込んでしまった。

 テレサには、どうやらロクな計画も立てずにここまで来たらしいマニが、今さら何か妙案を思いつくようには思えない。

 ついさっきまで自信満々だったのに、急に悩み始めたマニを見て、テレサはかわいそうに思ったのか、マニと一緒になって何やら頭をひねって考えはじめた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「……あっ、」

 テレサが、なにやら思い出したように顔をあげた。


「んっ、どうした?テレサ?」


 マニが何か期待を込めたような目でテレサを見る。

 テレサは思い出したことをマニに言って良いのか悪いのか、少しためらっていたのだが、マニの明らかに期待をしてるよという顔を見て、つい話をつづけてしまった。


「……えっと、このあいだの戦さのときに、旦那様は屋敷をひとりで抜け出したんですよ」

「どうやって!?」

 マニがテレサの両肩を勢いよくつかんできた。マニの顔がテレサの顔のすぐ目の前にある。

「ち、ちょっ!え、えっと……、」


 テレサはマニの勢いに怯みながらも、視線を上に向けて天井を指差した。





 夜もだいぶと更けてきた中、アンコウは一人部屋でこれからのことを考えていた。

(まぁ、明後日にはここともおさらばだからな)

アンコウはとりあえず、状況が動き出すこと自体は前向きに捉えようとしていた。


「……しかし、テレサは今日は遅いな」


 いつもならとっくに戻ってきているであろう時間が過ぎても、テレサはやってこない。

(まぁ、屋敷の滞在している人数が増えたからな。雑用も増えるか)

 無駄にお人好しのところがあるテレサのことだから、いいように使われているんだろうとアンコウは思った。その時、


(んっ?……なんだ……)


 椅子にだらけた雰囲気で座っていたアンコウの表情が、突然真剣なものに変わり、何かを探るようにじっと固まって動かなくなってしまった。


 しばらく動くことなく椅子に座っていたアンコウは、おもむろに立ち上がり、部屋の壁際まで歩いていくと、壁にピタリと耳を当てた。

 アンコウの耳に、壁を伝って何かの音が聞こえてきた。


(………天井か)


 アンコウは天井をにらみつけるように見ると、壁から耳を離し、ベッドの横まで急いで移動する。


 アンコウはベッドの下に手を突っ込むと、少し長めの木の棒切れを取り出した。

 軟禁中のアンコウは、当然武器の携帯を認められていないのだが、屋敷の者たちの点検は甘く、アンコウはこうして武器になりそうなものを隠し持っていた。


 アンコウは右手に木の棒を持って、天井を見上げながら、部屋の中をうろうろと警戒しつつ歩き出した。


・・・・・・・・・・・暫しの時が経過する。


「……何なんだ、いったい」

 アンコウは未だ手に木の棒を持って、天井をながめている。


 しかし、初めのころとはその様子はかなり変わっていた。警戒心を完全に解いたわけではなかったが、今はアンコウの頭の上に?マークが浮かんでいるといった感じなっている。


 天井の上の気配は今でもしている。一時は壁に耳をつけるまでもなく、天井で何かが動いている音が聞こえていたほどだ。

 ただ、その気配が遠くなったり、近くなったりを繰り返している。


(……まちがいなく人なんだけどな。それでなきゃ、人ぐらい大きいネズミかゴキブリがいる……何やってんだ、こんな時間に)


 はじめはグローソンに敵対する勢力の侵入者か何かかと怪しんだアンコウだったが、その可能性はアンコウの中でほぼ消去されている。

 一応、静かに動こうとはしているようではあったが、あまりにバレバレで、少なくとも一人は完全に素人だなとアンコウは思った。アンコウの中で、こんなお粗末な侵入者は考えられなかった。


 だとすれば、この屋敷の関係者が掃除でもしているのか探し物でもしているのか、そんなとこだろうと判断して、アンコウは一応棒切れは持ったまま、再び椅子に座ってしまった。


 しばらく座っていると、また天井のかなり近い場所から何かが動く気配を感じる。そしてまたそれが遠ざかる。それがまた延々とくり返された。


「!~~~っ!!」


 アンコウは、この手の気配を察知する能力がかなり鋭い。

 一度気になってしまったら、どうしても無視することができなかった。アンコウのイライラが限界に近づいていく。

(ふざけやがって。こんな時間にいつまでも何やってんだっ)


 アンコウは、感情的には怒鳴り声をあげて、天井にイスでも放り投げてやりたい心境だった。しかし、いまさら余計な揉め事を起こすほどバカではないと、グッとこらえて木の棒をベッドの下に戻し、そのまま扉にむかって歩き出した。

 廊下に突っ立っている見張りの男に一言文句を言ってやることにしたのだ。


 アンコウは眉間にしわを寄せながら、いつもよりも乱暴に扉を開ける。しかし、扉を開けて横を見れば、そこに立っているはずの夜の見張り担当の男、レクサの姿はない。


「チッ、あの野郎、さっきまでいたくせに、テレサが来ないとサボるのか」


 アンコウは思わず悪態をつく。

 夜の見張りを担当しているレクサは、アンコウとテレサが夜中にあられもない声をあげているときも、ここに立ち続けているぐらい仕事熱心な男なのに。

 昨日の夜もテレサとの事が終わり、アンコウが用を足しに部屋を出たとき、アンコウを見てニヤついていたレクサの顔をアンコウは忘れていない。


 見張りなどいないにこしたことはないが、珍しく用事がある時にいないなんてどういうことだとアンコウはいきどおった。


(しかし、見張りがいないなんて初めてじゃないか)


 アンコウは悪態をついたものの、彼らがトイレや食事をどうしているのかは知らないが、これまでは常に誰かがこの部屋の外に立っていた。

 アンコウは少し首をかしげながら、部屋の中には戻らずに廊下を歩き出した。


(チッ、このまま部屋に戻っても天井が気になって落ち着けそうもない)

 そしてアンコウが部屋の前の長い廊下を歩いて、曲がり角の近くまで来たとき、先にその角を曲がって、二人の男の姿が現れた。


「おい、アンコウ。どこに行くんだ」


 男の一人は、レクサだった。そのレクサがアンコウに話しかけてきたのだが、幾分いつもよりも語気が強く、目つきにも鋭いものをアンコウは感じた。


「あ?お前をさがしてたんだよ、レクサ。いつも無駄に俺の近くに突っ立ってんのがお前らの仕事だろうが」

 自然、アンコウの言葉も強くなる。レクサたちは、何かさぐるような目でアンコウを見ている。

「……それで、何か用なのか、アンコウ」


 アンコウは、レクサたちの態度になんともいえないムカつきを感じて、あからさまに「チッ、」と、大きな舌打ちを打った。


「何か用かじゃねぇ気になるんだよ。天井がうるさいんだよ。こんな時間に何やってんだか知らないがな。明日にさせろよ」


「………………」

 レクサたちは無言のまま、さっきまでとはまた違ういぶかしげな目でアンコウを見ている。


「……何だよ」

 アンコウは、にらむようにレクサたちを見返した。

 レクサともう一人の男は、なにやら互いに目を合わせている。そして、レクサが再びアンコウに目を移す。


「わかった。そのことは調べてみるから、あんたは部屋に戻っていてくれ」

「チッ!」


 アンコウはまた派手な舌打ちをすると、くるりと自分の部屋の方向にきびすを返した。部屋まで戻ってきたアンコウは、怒りをぶつけるように強く扉を閉めた。


バタンッ!!

「くそっ!」


 アンコウは腹立ちを抑えるように、口を一文字に結んで、

ドスンッ、と椅子に腰をおろした。

 アンコウは無駄に不愉快になった感情を静めるべく、椅子に座ったまま目を閉じて、しばらくそのまま動こうとしなかった。


 しばらく続く静寂せいじゃくの時。


ガタ! ガタッ!

「!!」


 すると、今度は明らかに部屋の真上で音がした。

「チイッ!」

 ようやく少し落ち着きだしていたアンコウの気持ちに、瞬間イラつきが戻る。

 アンコウは椅子に座ったまま、音がしたほうの天井をにらみつけるように見た。すると、


「!あん?」

 アンコウがにらみつけた天井の一角の板がずれていた。

 さらにその板が、まだ少しづつ動いていた。

「な、何だ、」


 そして、半分ほども開いた天井板の間から、逆さまになった人の頭が一瞬出てきた。

「あっ!?」

 後頭部しか見えなかったが不審者以外の何者でもない。


 アンコウはとっさにベッドのほうへと駆け出し、ベッドの下からさっき隠した木の棒を再び引っ張り出した。

 アンコウが木の棒を手に再び開いた天井を見上げると、さっきあった頭は見えないが、天井板はいまだ開いたまま。アンコウは木の棒を構えて、開いた天井をにらみつける。


 すると、そこからまたひょっこりと、さっきとは違う髪色の頭が突き出てきた。今度の頭は正面を向いており、その顔の細かな表情まではっきりと確認ができた。


「なっ!テレサ!」

「は、はい。テレサです………」


 二人目の天井から現れた逆さ顔のぬしは、テレサだった。なんともいえない微妙な空気が二人の間を漂う。


 アンコウとしては頭の中が、???マークだらけになっていた。テレサのほうもなんともいえない顔つきで、言葉がないといった様子。

 アンコウとテレサが上と下で、二人でお見合いをしていると、テレサの横にもうひとつ顔が突き出てきた。


「お前は……」


 テレサの横に出てきた顔は獣人の若い女の顔。逆さまになってはいたが、アンコウが見覚えのある顔だ。


「……マニ、」

「やっと見つけた。助けに来たぞ、アンコウ!」


 マニはそう言うと、実に軽い身のこなしで天井から下に飛び降りてきた。

 ごく一瞬の動きではあったが、若草色の毛をなびかせる一匹の野生の獣のような、しなやかさと強靭さをアンコウに感じさせた。


「さぁ、テレサもおりてきて」


 マニは天井にむかって大きく両手を伸ばしながら言う。マニの身長はアンコウよりずいぶん高い。そのマニが長い手を伸ばしたら、ずいぶん天井も低く見える。


「は、はい」


 マニのように手際よくというわけにはいかなかったが、テレサも多少もたつきながらもマニに受け止められて部屋の中におりてきた。


 天井裏を長い時間移動していたために、二人はかなりホコリまみれになっている。

 降りてきた二人はそのホコリを手で払っているのだが、マニの顔はにこやかで、テレサはホコリを払いながらアンコウの顔を申し訳なさげにうかがっていた。


「……お前らずいぶん長いこと天井裏を散歩していたみたいだな?」

「ん?ああ、テレサに案内してもらったんだけど、なかなかこの部屋が見つからなくて、まいったよ。まぁ、テレサだって、天井裏なんて歩いたことないだろうからな。仕方ないさ、ハハッ」

「……………」

 アンコウの顔に表情はない。


 しかしアンコウは今の状況を何となく理解し始めていた。天井をうろついていたのは、掃除か探し物をしているこの屋敷のバカたれではなく、すでに可能性から消去していた外部からの侵入者で、その目的が自分を助け出すこと。

 そして、すでに自分の奴隷であるテレサは確保済みといったところか。


 アンコウは状況を把握するにつれ、胃を素手で雑巾しぼりでもされているかのような嫌な感覚に襲われていた。


「……テレサが案内してきたっていうのは、どういうことだ?」

 アンコウがテレサのほうを見て聞く。

「あ、あの、」


 アンコウが普通の調子で話していても、さすがにテレサはアンコウが怒っているということに気づいていた。その怒りの理由に思い当たるところも大いにあった。


 テレサは一時、自分たちを助けに来たというマニに期待をしたのだが、天井をうろつき迷っているうちにかえって冷静になり、自分がしていることの重大性に気がついた。

 しかし気づいた時には今さら引き返すこともできず、そのままアンコウの部屋を探すしかなかった。


 アンコウの問いかけにテレサがなにやら言いよどんでいるのを見て、マニが会話に入ってくる。


「ああ、お前たちを助けに来たんだけど、お前たちの居場所がわからなくて困ってたんだ。その時にたまたまテレサを先に見つけてな。誰にも見つからずにここに来る方法を教えてもらったんだよ」


「い、いや、違うんです。教えたっていうか、」

「マニ、お前、屋敷の見取り図もなしにここまで来たのか?それはすごいな」


 アンコウは、テレサにはかまわずにマニに話しかける。マニは、アンコウの嫌味が含まれたその問いかけに気づかない。


「いや、テレサがいなかったら、ここまでたどり着けなかったさ。思っていた以上に屋敷は広いし、人は多かったしな」


 アンコウは能面のような顔つきをしたままだ。しかし実際には、今にも怒りで頭が爆発しそうになっていた。


 アンコウは、迷宮の中で中途半端に力のある自信過剰のバカのせいで死にかけたことを思い出していた。迷宮に潜る冒険者としては、マニはアンコウよりもはるかに強い抗魔の力を持つ強者つわものだ。


 しかし、ここは迷宮ではない。この屋敷は今、実質的にグローソン軍の駐屯所にも等しい状況になっている。

 マニほどの抗魔の力を持つ者でも、一人で一軍を相手に戦うなど無謀以外の何ものでもない。


 アンコウにしてみれば、この状況ではマニも、まわりを死に追い込む自信過剰のバカということになるのかもしれない。


「マニ、すごいな。お前は一人で俺とテレサをこの屋敷から連れ出してくれるのか?」

「なに、私とアンコウがいれば、テレサ一人ぐらい連れ出せるだろう」

「……言っとくが、俺にあの戦場でお前が見たような力はないぞ。あれは俺の力じゃなくて、一時だけの、まぁ、たちの悪い魔法みたいなもんだからな」

「魔法?」

「とにかく、お前が思っているような力はないってことだ」

「そ、そうなのか」


 アンコウは表情こそ変わらないが、冷たい目でじっとマニのことを見ている。

 マニは、アンコウが自分をあまり歓迎している風ではないことにようやく気づきはじめた。


「で、でも、いつまでもここにいるわけにはいかないだろう。殺されるかもしれない。力がないって言っても、お前も冒険者なんだろう。

 このあいだは無様のところを見せたが、私は剣の腕にはそこそこ自信があるんだ。死ぬ気でやれば、絶対逃げ出せる」


「俺は死ぬ気はないんだよ。確かにこのまま殺されるのはごめんだけど、自殺する気もないんだ。マニが俺よりずっと強いのは知ってる。だけど本気でお前一人の強さで、おれたちを連れて、ここから逃げることができると思っているのか?」


 それに屋敷を抜け出せば終わりというわけじゃない。町も抜け出さなければならないし、グローソンの支配地域からも抜け出さなければならない。

 アンコウは、マニに問いただし続けた。屋敷を抜け出した後のことも、ちゃんと考えているのかと。


「い、いや、しかし、ここにいて殺されたらどうしようもないだろう!」

「マニ、お前は俺たちがこのままここで死刑にでもされるっていう情報でも得たのか?」

「い、いや、」


「………このあいだ、外で会ったよな。ただ一時逃げ出すだけなら、テレサと二人あのときでもできたんだよ。だけど町の外に逃げ出すことはできなかっただろう。

 しかも今はグローソンの兵隊や冒険者たちが山ほどいる屋敷の中なんだぞ。たとえお前が生きて出ることができても、俺とテレサは死ぬね」


「やる前からなに弱気なことを言ってるんだ!ここまで誰にも見つからずにこれたんだ。また天井をつたっていけば、大丈夫だ!絶対外に出られる!」


(…重症だな)

 あれで本当気づかれていないんだったら、この屋敷の責任者はさらし首もんだとアンコウは思う。

(ああ、そういえば、さっきのレクサたちの様子はおかしかったっけ)


 大体つい今言った 超幸運にも屋敷を抜け出せたとして、その後どうするんだというアンコウの疑問には何も答えず、この獣人女は華麗にスルーしている。

(人の話を聞いていなかったのか、この野郎)と、アンコウは思う。

 アンコウは、この獣人女を天井から降ってきた疫病神に認定した。


「あ、あの、すみませんでした。旦那様がこのあいだの戦さの時に、天井をつたって屋敷を抜け出したことを私が教えてしまったから。初めにもっと強く言って、マニさんに帰ってもらうべきでした」


 テレサがアンコウとマニの話に入ってきて、アンコウに頭をさげた。そのテレサの姿を見て、マニはあせってテレサに話しかける。


「なにを言っているんだ、テレサ!テレサがいたからここまで来られたんじゃないか」

「ええ、私がいたからここまできてしまったんです。私が余計なことを言わなかったら、マニさんはもう帰っていたかもしれない」

「何を!アンコウは命の恩人だし、テレサの事だって、今度は必ず助けてあげるよ!絶対だ!」


(……あぁ、もうダメだ。最悪だ、こいつ。もう面倒くせぇ)


 恐ろしく辟易へきえきした気分になったアンコウは、手に持っていた木の棒をベッドのうえに放り投げて、部屋の扉にむかって歩き出した。

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