第17話 檻の中のアンコウ

 グローソン軍がアネサの町の外に陣をかまえてから、1週間が過ぎた。

 大規模な戦闘はいまだ起きていないものの、アネサへの援軍が現れる気配はなく、不自由な生活を強いられている市民の間には、ロンドの領主やアネサの太守に対する不満の声がどこからともなく広まりつつある。


 またそれとは別に、グローソン軍は攻め落とした土地で略奪などは働かない、規律の厳しい軍隊だという何ら根拠もない噂も広まりつつあり、現状の市井しせい全体の動向を把握できる者がいれば、明らかに故意の情報操作がおこなわれていると疑うべき事象が起こっていた。


「マイキー。いつまでここにいるつもりだ。とっとと乗り込めばいいだろう」

 ダッジが少しイラつきをみせながら言う。


 ダッジたちがここにきて、早1時間以上が過ぎている。ダッジは待つのに飽きてきていた。

 人影の少ない寂れた雰囲気の場所、ある閉鎖された工房のような建物がダッジたちの目の前にある。この建物の地下に、アンコウが閉じ込められているらしい。


「いいから待て、ダッジ」


 マイキーはアンコウが捕まっているこの場所を見つけたものの、アネサそのものに対するグローソン側の攻略が大詰めをむかえている現状では、このことに割く人手を最小限度に抑えていたため、デンガルの行方はまだ掴めていなかった。


 アンコウがここに連れてこられた初日にはデンガルもここにいて、アンコウに直接尋問もしたらしいのだが、マイキーたちがここを見つけたときには、すでにその姿はなかった。


 デンガルは、かんばしい情報を引き出せないと判断すると、すぐにアンコウに拷問をくわえるように指示を出し、それ以後は人にまかせてここには現れていないようだ。


 しばらくすると、アンコウが捕らえられている建物のほうから、偵察に行っていた男がマイキーの元に戻ってきた。


「どうだ」

「はい。今、一階に4人が集まっています。地下に残っているのはおそらく1人だけ」

「それでやはり、デンガルはいないのだな」

「はい、おりません。ここにいる連中は、なにがしかの情報を得られるまでは、こちらからつなぎをつけないよう言われているようです」

「そうか」


 その会話を聞いたダッジが口をはさむ。


「もういいだろうが。デンガルのことはなかの連中に聞けばいい」


 長年冒険者をしているダッジからすれば、権力の犬であるマイキーたちのすることはいささか慎重すぎる。

 ここまでくれば、剣をひっさげて突撃すればいいとダッジは思っていた。


 今のアネサの状況で、グローソンの草であるマイキーたちの正体がばれることは、絶対に許されないというのも当然だ。それはダッジにも理解できる。

 だが、ばれるわけがないだろうと、ダッジは自分たちのすぐ後ろに立っている男を見て思う。


 ダッジの視線の先にいる男は、このアネサの騎士団の鎧を身にまとっていた。騎士団の鎧を身にまとっているのはこの男1人ではない。

 ここにはマイキーとそれに従うダッジたち冒険者のほかに、数人のアネサ騎士団員もいたのだ。


 どうやら、グローソンの裏切りの誘い手は、このアネサの防衛力の中心である騎士団内部にまで伸びているらしい。


 マイキーは、ここでこれから起こるであろう斬り合いが騒動になることを恐れて、事前に騎士団を通して、犯罪組織の捕縛というおおやけの紙切れを得たうえに、こちらの味方につけている数名の騎士団員をこの場に同行させていた。

 むろん、このあとの処理も、こちらの都合のよいように処理できるように手を打っている。


(……騎士団員までもか。思っていた以上に腐っていたな、この町は)

 ダッジは、あらためてグローソン側について正解だったと思う。


「マイキー」

 ダッジがマイキーに突入指示をうながすように呼びかける


「……ああ、これ以上待っても、デンガルは姿を見せないだろう……いくぞ。全員殺してもかまわない」

 マイキーは、ようやく断を下したようだ。


「よし、デンガルのことはいいんだな」


「これが終われば、すぐに出てくるだろう。あんな愚か者たちでもこちら側の人間だ。信じられない浅知恵だが、我らに敵対するつもりでやっているわけではなかろう。ここをつぶされたら、さすがに自分たちのやったことの危うさに気づくはずだ。

 この大事なときにまったく無駄な仕事だが、放っておくのも示しがつかない。この戦時下でとは思ったが、ここまでくればデンガルを確保して自主的にやめさせるよりも、みせしめに痛い目を見せておいたほうがいいだろう。

 今後同じようなことを繰り返されたらたまらんからな。警告がわりだ」


 そして、マイキーたちは騎士団の団員は全て外に残し、それ以外の者を率いて建物内への突入を開始した。





 アンコウは、変わらず地下の牢屋に、血まみれでつながれていた。


 この一週間ほどの間に、充分死んでもおかしくないほどの暴力を受けていたが、連中も手慣れた作業のようで、時折ときおりアンコウにポーションを使い、アンコウが苦痛を感じながら拷問をうけ続けなければならない状態を保たせていた。


「うううぅぅぅぅ………」


 アンコウに意識はある。だが、まともな思考ができているのか、自分でもわからくなっている。

 この種の一方的な恐怖と屈辱をともなう暴力を受けるのは、抗魔の力がない農奴として生きていたとき以来だった。


 アンコウの目は、この後も続くであろう暴力に対する恐怖で染まっている。

 しかし、目に浮かぶ怯えの色とは違い、アンコウの心には怒りと憎悪も渦巻いており、それがアンコウの正気をかろうじて支えていた。


 (痛い、痛い、嫌だ、怖い、死にたくない………)

(くそが、あの野郎、ぶっ殺してやる、殺す、殺す………)

 (痛い、痛い、嫌だ、怖い、死にたくない………)

「あ、ああぁぁ~~、……痛いぃぃ、」


 アンコウは今1人で鉄格子の中、自分の血溜まりの中に座っている。

 鉄格子の向こう側には、見張りの男がひとり、椅子の座っているが、アンコウのほうはまったく見ようともしない。


 アンコウに直接拷問を続けていた者たちは、しばらく前にこの地下を出て行って、まだ戻ってきていない。

 アンコウは時折、これ以上これが続くのなら死んだ方がましだと考えるが、いまだ生きたいと思う気持ちのほうが強い。

 だからといって、ここから自力で逃げる方法などまったく思いつかなかった。



 アンコウが恐怖と不安と絶望感じながら、薄暗い地下で目を虚ろにしていると、突然、上の階から大きな音と振動が、アンコウがいる地下の空間に断続的に響きはじめた。


 ついさっきまでの静寂の空間から一転、天井が抜け落ちるのではないかと思うほどの激しい音と震動がアンコウを襲う。

 ひとり地下に見張りに残っていた男も、身構え、睨むように天井を見つめている。


 それは、明らかに複数の者たちがはげしく争っているとわかる物音であり、アンコウは自分が閉じ込められているこの場所がどこにあるかは知らなかったが、何者かによって、この場所が襲撃を受けたのだろうということが容易に想像できた。


 しかし、アンコウは単純に助けが来たとは思えなかった。逆に、この襲撃者によって、自分が殺される可能性も否定できない。

 アンコウはこの突然の事態に、かなり鈍くなってきていた頭が刺激され、少し覚醒しはじめた。


 しかし、多少思考が明瞭になってきても、牢屋に鎖でつながれているアンコウにできる事は何もなく、いたずらに緊張感だけが高まっていく。

 アンコウは祈るような気持ちで、上の階から聞こえてくる激しい物音に耳を澄ませていた。


 アンコウの頭のうえで突如響きはじめたその争う物音は、非常に激しいものであったが、それほど長くは続かなかった。

 その激しさが収まったとき、何者かが行った奇襲に近い攻撃が、すでに何らかの結果に至ったのだとアンコウは悟る。


 それはこの地下に1人残っていた見張りの男も同じように感じたようで、顔面は蒼白になり、激しく動揺しているようであった。

 アンコウも拷問に怯えていたときとは違う緊張感に包まれて、血の味が混じった唾を飲み込んだ。


 そして見張りの男は腰の剣を抜き、ゆっくりとうえにのぼる階段のほうへ近づいていく。

 自由に動くことができないアンコウは、どうしようもないとわかってはいても手足を動かし、ガチャガチャとつながれた鎖が大きな音をあげる。


「うるさいぞ。静かにしろ」


 階段をのぼろうとしていた見張りの男が、アンコウのほうを振り返り、抑えた声に怒気をまじえて言った。


「お、おい!これを外してくれ!これを外してくれたら、一緒に戦ってやる!」

 アンコウが鎖を指し示しながら言う。


「で、でかい声を出すなっ。静かにしていろっ」


 男はアンコウの大きな声にあせり、眉間にしわを寄せてアンコウをにらみつける。

 しかし、その顔には隠しきれない不安の色がありありと出ていた。


 アンコウには上の階で何が起こっているのかはわからなかったが、ここへ来てからうけた暴力のひどさを思えば、次にあの扉を開けて入ってくる者が鬼や悪魔であっても、自分が置かれた状況のひどさは今と変わらないと思う。


 そういえば、あの獣人の2人ほどではないとはいえ、この野郎もさんざん人をいたぶってくれたと、アンコウは思い出した。


 その男の顔と声に明らかに現れている不安と恐怖の様が、妙にアンコウに嗜虐心しぎゃくしんを刺激した。

 アンコウの口元がニヤァと笑う。そして、


「わっはっはっはっ!でかい声がなんだって!良く聞こえないなー!もっぺん大きい声で言ってくれよー!アッハッハッハーー!」


 アンコウの突然のバカでかい声が、地下室中に響きわたった。アンコウの口から血の唾が飛ぶ。アンコウのこの行動はまともとは言えない。


 地下に響いたアンコウの声は、ただ単に自分をいたぶってくれた見張りの男が狼狽うろたえる顔をもっと見たいという衝動的な思いを実行してしまったものにほかならず、10日近くに及んでうけた暴力のせいで、正気と狂気の合間を揺れ動いているアンコウの精神状態ゆえの行動だ。


「このっ!静かにしやがれっ!」

 抑えきれない怒声を発した見張りの男が、アンコウにむかってナイフを投げつける。

ガキンッ!

 しかし男が投げたナイフは、アンコウの手首にはめられた金属の枷で、あっさりと弾かれてしまった。


 そしてアンコウは、不安や恐怖、怒りなどの混じった何とも言えない表情を見せる男を見て、ニヤリと狂気じみた笑みを浮かべた。


バダンッ!!

 その時、乱暴に蹴り飛ばされたような勢いで、階段の上にある木製のとびらが開け放たれた。


 そして、そのとびらが開いたと同時に、階段の上から勢いよく人が降ってきた。

 その降ってきた人が、すでに数段階段をのぼりはじめていた見張りの男にぶち当たり、その勢いのまま、2人はアンコウが閉じ込められている牢屋の前まで転がってきた。


 見張りの男の体に覆い被さるように、降ってきた男が乗っかっている。

 下をむいているため、アンコウには階段の上から落ちてきた男の顔こそ見えていなかったが、その毛並みや着ている服や体型から、落ちてきた男が自分に激しい暴力を加え続けていた獣人の男の1人だということがすぐにわかった。


 アンコウは怯えたように体を縮こませ、壁のほうにずり下がる。


「ヒ、ヒイィーッ!」

 アンコウではない。情けない声をあげたのはアンコウではなく、獣人の男の下敷きになっている見張りの男。


 見張りの男が自分のうえの乗っかっている獣人を押しのけた。押しのけられてあお向けに転がった獣人の男のノドは、大きく切り裂かれていた。

「ヒイイィィィ、」


 見張りの男の顔から胸あたりが、その獣人の血で真っ赤に染まっている。

 死体となった獣人の男の切り裂かれたノドからは、まだ新鮮な血が流れ出ており、それを見たアンコウの口元に、にっこりと笑みが浮かんだ。


 その笑うアンコウの目はとても暗く陰惨なもので、もし今のアンコウの顔を見ている者がいれば、間違いなくその者を不快にさせるだろう。


 アンコウと見張りの男が、目の前に転がる獣人の無惨な死体をながめているわずかな時間に、いつのまにかこの地下室に入ってきていた者たちがいた。

 一番初めに入ってきた者が、階段の半ばほどから階下にむかって飛び降りてくる。


ダンッ! と、階段を力強く蹴り、飛び出す音。


 アンコウたちは、その時点でようやく目を上にむけた。


 飛び降りてきた者は、その落下する勢いを利用して、そのまま見張りの男の胸に剣を突き刺した。


「ギイャアアー!」

 その剣は見張りの男の体を完全に貫いている。


 男の体を貫く剣を手に持つ者はアンコウの見知った顔の女。さらに、その女に向かって階段のうえから声をかける見覚えのある山賊のような風貌の男がいた。


「ホルガ、カタはついたか!?」

「はい、ご主人様」


 突然に一変した地下の状況、アンコウはじっとその2人を見ている。

 アンコウの顔には、さっきまで浮かべていた気味の悪い笑みはすでになく、にらみつけるような目で警戒心を露わに2人を見ている。


「よう、アンコウ助けに来たぞ」

 ダッジが、じつに平坦な口調でそう言った。


 ダッジが抜き身の剣を手に持ったまま、ゆっくりと階段をおりてくる。

 下までおりてきたダッジに、ホルガはすでに事切れている見張りの男から抜き取った牢屋の鍵を渡す。

 ダッジはそのまま牢を開け、アンコウの前までやって来た。


「……よう、アンコウ助けに来たぞ」


 抜き身の剣を手に持ったまま、ダッジはアンコウを見下ろして、先ほどと同じセリフをごく普通の口調で言った。

 アンコウの不安と警戒心がこもった鋭い目が、ダッジにむけられる。


「……こいつらはお前の知り合いなんじゃないのか!?」


 アンコウは目つきこそ鋭いが、発する声に強さはない。

 ここで拷問をうけながら、聞かれ続けたこと、

「ショーギというゲームをどこで覚えたのか」 それと全く同じことをひと月ほど前に、アンコウはダッジからも聞かれている。


 その時のダッジの妙な様子をアンコウはよく憶えており、自分を拷問した連中とダッジは関係があるのではないかと、ここにいる間、ずっと考えていた。


 ダッジは、顔に浴びた返り血を拭きながら答える。

「知り合いの知り合いだ。直接この連中のことは知らない。まぁ、大きくみたら仲間じゃないともいえないがな。だが、少なくともお前のそのざまには、おれは関係していない」


 アンコウが怒りのこもった目でダッジを見た。ダッジが、まだ血のついている剣をアンコウの鼻先に突き出した。


「この血はうえにいたヤツらの血だ。それにお前も見てただろう。あの野郎を殺したのはホルガだ。おれたちはお前をそんなざまにしたヤツらを斬り殺して、お前を助けに来たんだぜ。感謝されこそすれ、そんな目で見られるおぼえはねぇ」

 ダッジの声に凄味が籠もる。

「てめぇがそんな目でおれを見ているうちは、鎖を外すわけにはいかねえんだぞ、アンコウよ」


 アンコウを見下ろすダッジの目も鋭いものになる。

 アンコウはダッジの言うことをすぐに信じたわけではなかったが、現状アンコウは見張りの者がいなくなったところで一人でここから出ていける状態ですらない。


 ダッジを見上げるアンコウの目から、みるみる力がなくなっていき、アンコウはうなだれて動かなくなった。


 ダッジたちを完全に信用したわけではなかったのだが、自分を拷問していた連中が殺され、自分の知った者たちが目の前にいることでアンコウは少し気が抜けてしまったようだ。

 アンコウは血溜まりの中うずくまり、動かなく、いや動けなくなっていった。


 ダッジはそんなアンコウに近づき、手早くアンコウの手足にはめられていた枷を外した。手足が自由になっても、アンコウはうずくまったままだ。


 アンコウが転がるこの地下に、ダッジとホルガの他にも次々と人がおりてくる。


「ダッジ、終わったか?」

「ああ、問題なしだ」


 牢屋の外に、いつのまにかマイキーが立っていた。


「マイキー、この後はどうするんだ」

「とりあえず、死体を全部この牢屋の中に放り込んでおく。デンガルたちが見たら、これをやったのが俺たちだとわかるしるしを残してな。サルにもわかる伝言がわりだ」

 無表情のまま、淡々と言うマイキー。


「それは親切なこった。で、こいつはどうする?」

 ダッジがアンコウのほうをアゴでしゃくりながら聞く。


「仕方がない。このまま身柄を確保する」

「なぁ、こいつを捕まえるのも一応命令なんだろう。手伝った俺たちも手柄になるのか」


「報酬という意味では期待できんな。元々このアネサを落した後、この男が生きてまだこの町にいたら捕らえろというのが命令なのだ。

 逆にいえば、この町を落とす過程でこの男が死んだとしても別にかまわないという程度の命令だ。今回のことは、所詮身内のバカの尻ぬぐいに過ぎない」


「おれの元主家のお貴族さまは、その程度の功を欲しがるほど欲深なのかい」

 ダッジが、ここにはいない元主筋の貴族を少しからかうような口調で言った。


「わかっているだろう。その程度の功を得る力しか残っていないということだ。このいくさの最中に、戦場で働く武勇のない者など、今のグローソンではいずれにせよ先はない」


「じゃあ、これはただ働きってことか」

 ダッジは血のついた剣をチラチラと振ってみせた。


「こちらでそれなりの評価はする。なによりお前達の意思の確認ができた。本当の働きどころはこれからだ。与えられた役目によって、掴める戦功は大きく変わる。お前たちの力には期待できそうだ。上にもそう報告しておく」


 それを聞いて、ダッジは不敵な笑みを浮かべた。


「ひと使いが荒そうだな。まぁ、存分に使ってくれ。当然それ相応の報償は期待していいんだろうな」

「グローソン公は厳しい御方だが、それなりの働きをした者には充分に報いられるお方だ」


 ダッジはマイキーを見て声なく笑う。いま言ったことを忘れるなよ、といったところだろうか。

 ダッジはマイキーとの会話をやめ、ホルガのほうを見た。


「ホルガ。アンコウを上まで運んでくれ。それと哀れなアンコウに愛の手をだ。こいつを飲ませておけ」

 ダッジは牢屋を出て、取り出したヒールポーションをひと瓶、ホルガに渡して階段にむかって歩き出す。

「ああ、ホルガ。無理やりにでも飲まして、とっとと連れてくればいいからな」

 ダッジはいったん止まって、そう言い足した。

 ホルガはダッジにむかってうなずき、牢屋の中に入っていった。


 ホルガが牢の中に入ると、アンコウは体を丸めて床に横になっていた。ホルガの目に映るアンコウは、全身血だらけ傷だらけで疲労困憊している。

 うす目は開いていたが何かを見ているようではなく、意識があるのかないのか混濁しているのかさえよくわからない状態にホルガには見えた。


「アンコウさん、これを飲んでください」

 ホルガがアンコウの体を軽く揺すりながら言う。

「う、う、う、ううぅぅ」

 しかしアンコウは、ホルガの呼びかけにも、あまり反応を示さない。


 おそらく拷問の際に何らかの薬物も使われていたはずで、激しい暴力とあやしげな薬物、体の限界が来る前にポーションを用いて回復させる。

 十日近くもこれを繰り返され、普通の人間ならとっくに死んでいるような拷問をうけたアンコウの心身は、間違いなく限界にきていた。


 アンコウに起きる気配がないことを確認すると、ホルガはアンコウの体を抱え、ゆっくりとアンコウの上半身を起きあがらせた。


バシイィッ!

 起きあがらせたアンコウの顔を、突然ホルガは平手で打ち抜いた。

 もちろん手加減はしているのだろうが、獣人の女戦士の平手打ちはかなり強烈な音を響かせた。


 アンコウはその衝撃で、一瞬大きく目を見開く。しかしやはり目の焦点は合っていない。

 でも、ホルガにはそれで十分であった。無理やりにでも飲ませればいいというのがホルガの主人であるダッジの命令だ。


 ホルガはアンコウの口にかなり強引にポーション瓶を押し込んだ。アンコウの体に抵抗する力は残っていない。

 そのまま瓶が空になるまで、アンコウは口の中に液体を流し込まれた。


「ううぅぅーっ、」


 ポーションを飲ませ終え、ホルガがアンコウの体から手を離すと、

ドサッ と、アンコウは再び床に倒れ伏した。

 そしてホルガはそのアンコウを背中に担ぎ上げて、ダッジの指示どおり、この薄暗くカビ臭い血のニオイの漂う地下の牢屋から運び出していった。



 アンコウがホルガに背負われて、何日かぶりに太陽の下に出たときには、アンコウの意識は完全になくなっていた。

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