第12話 さらば 坊ちゃん

 アンコウは血まみれの手に剣を持ち、再びダークエルフに迫る。

 ダークエルフは、アンコウの仲間の冒険者相手に剣戟を繰り広げていた。顔と腕に傷を負っているダークエルフは、思うように剣を操れていないようだ。


 アンコウの仲間の剣圧に押されたダークエルフは体勢を崩す。

 その隙をついてアンコウは踏み込み、剣を振るおうと迫る。


「くそどもがッ!」


 アンコウの姿を視界に入れながら、ダークエルフは怒りと焦りの籠もった言葉を吐き捨てた。


 そしてダークエルフは、剣を振りあげるアンコウの横をかいくぐるように身をひるがえした。これまでの動きとはちがう、あきらかにそこには逃亡の意思が見てとれた。


 ダークエルフはアンコウの剣がとどかない距離をあけて走り抜けていく。そのうしろをアンコウたちは逃がすものかと追いかける。


「いまさら逃がすかよ!お前はここで死んでいけ!」


 アンコウは全力で走るが、やはり足はダークエルフのほうが速い。

( くそっ!)


 そのダークエルフを追いかけるアンコウの耳に、突然、悲鳴のような叫び声が響いた。


「く、来るなあぁぁ!どこだ、マルス!助けろぉぉおお!」


 ダークエルフやそれを追うアンコウたちが走っていく方向に、体のあちこちから血を流している貴族のお坊ちゃんが例の建物から飛び出してきた。

 それに続いて、カリムではない2人のアンコウの仲間が剣を持って飛び出してくる。


 お坊ちゃんが口にしたマルスというのは、偽名であろうが外にいたもう1人の護衛の男の名前。

 しかし、飛び出してきたお坊ちゃんが走ってくるダークエルフを見て顔に浮かべたものは、さきほどのアンコウたちと同じく驚愕の表情。


 お坊ちゃんも自分の新しい護衛がダークエルフであることは知らなかった。それはお坊ちゃんが知る護衛のマルスという男の姿ではない。

 驚愕の表情を浮かべながら、ダークエルフの進行方向上で貴族のお坊ちゃんは足をもつれさせて道に転がった。


「ヒイィッ!」


 お坊ちゃんは自分に斬りかかってくる襲撃者の剣刃と、自分にむかって走ってくるダークエルフの姿に恐怖し、なすすべなく尻を地面につけたまま逃げようとするが、思うように体が動かない。


 そして追いついたアンコウの仲間の冒険者の剣が容赦なくお坊ちゃんにふり落とされた。

「死ねえっ!」

「ヒイイィィ、」

 しかし、いまにもお坊ちゃんを斬ろうとしていた男は、突然、熱風を伴う爆発音と共に吹き飛んだ。

ドォンッ!

「ぐがあぁーっ!」


 アンコウたちから逃げていたダークエルフが、走りながら火の精霊法術を発動させ、その火球が、お坊ちゃんを斬ろうとしていた冒険者の男の顔面を直撃していた。


 吹き飛ばされた冒険者はダークエルフがかなり近い距離に迫っていたにもかかわらず、お坊ちゃんを仕留めることに気をとられて、ダークエルフの攻撃にまったく反応できていなかった。

 その冒険者の男の顔面は真っ黒に焼け焦げ、吹き飛ばされた先でピクリとも動かなくなっている。


 ダークエルフは、お坊ちゃんを守ったわけではない。ただ自分が逃げる進行方向上にいた男たちが邪魔だったにすぎない。

 ダークエルフは、そのまま走るスピードを落とすことなく、尻もちをついたままのお坊ちゃんの横を走り抜けていく。

 しかし、その直後、

ガツゥン!

「ぐわあぁぁっ!」

 突然あがるダークエルフの叫び声。


 アンコウは、前を走るダークエルフの頭に拳大の大きい石がぶつかるのを見た。

 脳震とうでも起こしたのだろうか、両膝の力が抜けたようにダークエルフは崩れ落ち、走ってきた勢いのまま地面を滑る。


ズザザアアァァーッ!


 石が飛んできた方向にある建物の出入り口近くに、何かを投擲したのであろう姿勢のままのカリムの姿があった。


 カリムたち裏口班は、腕が立つであろうと思われていた中年の護衛の男をカリムが1人で相手をし、その隙に他の2人の冒険者が標的であるお坊ちゃん貴族の首を獲るという作戦を実行していた。

 つまり、カリムが外に出てきているいうことは、もう1人の護衛の男はすでにこの世にいないということだ。


 カリムが投げつけた大きな石を頭に受けたダークエルフは、何とか立ち上がろうと必死にもがいていた。

 しかし、すぐには体が思うように動かないようで、地面に両手両膝をついたまま、起きあがることができずにいる。


 その様子を見たアンコウは好機とばかりに、血走った目のまま口元には笑みを浮かべて、ダークエルフとの距離を一気に縮めた。


「死ねえぇっ!」


 アンコウはいまだ立ち上がることができていないダークエルフの背中に、思いっきり剣を突き立てる。


ザグウゥゥッ

「ギャアァァーーッ!」

 響く絶叫。


 アンコウのもつ剣の先がダークエルフの背中から胸元に突き出ている。アンコウはさらに剣を握る手に力を込めて、剣を押し込んだ。


「あがっ!がっ、がっ、ががあぁぁぁ………」

 ダークエルフの口から漏れる言葉にはなっていない声。


 ダークエルフの体から力が抜けていくのが、ダークエルフの体に剣を突き刺しているアンコウにも伝わってきた。





「おい、なんでお前みたいな馬鹿ボンに、ダークエルフの護衛がついてるんだ?」

 アンコウが聞く。


 アンコウたちが事前に聞いていた話では、この男にダークエルフの護衛がつけられているという情報はなかったし、逆に近しい者たちから疎んじられ、親族から殺害を依頼されての仕事だったはずだ。


「し、知らないっ。おれは何も知らないっ」


 すでに戦闘は終わり、お坊ちゃんはアンコウたちに地面に引き倒されたまま、周りを囲まれている。

 アンコウたちの後ろには、戦闘が終わって、いつのまにか集まってきていたロイスとその仲間たちもいた。


 お坊ちゃんの顔には、これまでの強気や傲慢さは消え、ひどく怯えるのみである。

 そこにアンコウたちの仲間の冒険者の1人が、ダークエルフの死体を引きずって、お坊ちゃんの前まで持ってきた。


 アンコウが足で、その死体をあお向けにひっくり返す。

「ヒィィッ!」

「こいつの装備をよく見てみろ。見覚えがあるだろう。こいつがお前の護衛の男だ。マルスとか言ったか」

「し、知らないと言っておるだろう!」


 強い口調で大声を出しても、腰が抜けているようなざまでは何ら凄味が出るはずがない。アンコウたちをただイラつかせただけだ。


「おい。ロイス」

 それまで口をはさまずにアンコウたちのお坊ちゃんへの即席の尋問を見ていたカリムだったが、突然ロイスに目をむけた。その目つきは鋭い。

「ロイスよ。この馬鹿が知らなかったとしても、お前が知らなかった言い訳にはならねぇぞ。2人死んだ。ヘタすりゃあ、おれが死んでいたかもしれない」


 カリムはロイスに近づきながら話しつづけ、ロイスの顔にむかってゆっくりと剣を突き出した。


「も、申し訳ない。まさか、あの護衛がダークエルフだったなんて………」

「今回だけだ。いいか、今度こんなヘタ打ちやがったら、ぶっ殺すぞ!」


 突然のビリビリとしびれるようなカリムの怒声にロイスの顔はまっ青だ。ロイスは息荒く呼吸をしながら、何度もうなずいている。

 カリムの剣先はまだロイスの鼻先に突きつけられたまま動かない。


「も、もう一度、そのダークエルフのことから、い、依頼主たちのことも洗い直します。そ、それまで、その男はこちらで預かります」


「あぁ!?」


 カリムはそのままロイスに剣を突きつけて睨みつけていたが、しばらくすると突きつけていた剣を下におろした。

 ロイスは安心したように大きく息を吐き出す。


 しかし、ロイスに突きつけていた剣をおろしたカリムは、そのまま貴族のお坊ちゃんに近づいていくと、無言のまま、お坊ちゃんのノドを大きく切り裂いた。


ブシユユュュューーッ

「しいいぃーっ!!」

ドサンッ!


 お坊ちゃんは、空気が抜けるような声と血しぶきを周囲にまき散らしながら、後ろに倒れていった。


「……ロイスよ、これでおれたちの仕事は終わりだ。後はお前の仕事だ。いいか、これ以上ヘタ打ちやがったら、必ずお前を殺すからな」


「あっ、あっ、」

 ロイスの顔色は青を通り越して、色が消えたような表情になりながら、カリムにむかって必死にうなずいていた。


 一方アンコウは、顔にかかってしまった馬鹿ボンの血をゴシゴシと拭きながら、


(………チッ、カリムの野郎。バカの血が無駄にかかっちまったじゃねぇか。殺すにしてももうちょっと考えてやりやがれ)

 と、心の中で毒づいていた。





 数日後、アンコウたちは貧民街にあるロイスたちの組織の拠点の1つにいた。


 この間の仕事の報酬はすでに、組織のリーダー格の男から謝罪の言葉とともに受けとっていたのだが、ロイスからその後の調べについて話があると言うことで、アンコウたち4人が集められていた。


「間違いないんだろうな。あの馬鹿ボンの身内の貴族どもからの報復がないっていうのが、あの仕事を受けた絶対条件だったんだからな」

 アンコウがロイスに念押しをする。


「はい。確認しました」

「直接ウラを取ったってことでいいのか」

「……ウラを取るといいますか、依頼主も、あの馬鹿ボン貴族の父親も、誰もあのダークエルフの護衛のことを本当に知らなかったようなんですよ」


 ロイスの説明によると、依頼主とその周辺の者たちは、一族の立場を守るために単純にあの馬鹿ボンが邪魔になったのであり、それに何ら疑うべき事は出てこなかったとのこと。


 あの護衛をつけたのは馬鹿ボンの父親とその家宰の裁量によるものだったが、馬鹿ボンの始末をつけるという一族としての判断に何ら裏はなく、彼らの家で雇っている護衛の者たちの中で、あまり強くなく人間族だと思っていたあの男を意識的に選抜したのであって、決してあの馬鹿ボンを守ろうとしていたわけではないらしい。


「じゃあ、ロイス。その話が間違いないとしてだな。あのダークエルフは何なんだ?」

 アンコウはロイスの話を聞いて、首をひねりながら聞く。


「ご存じのとおり、あのダークエルフは元々あの貴族の家で警護の仕事をしていたんです。雇われる際に言っていた経歴は全くのでっち上げでして、まぁ、種族からして偽っていたんですから、本当のことなんて何一つ言っていなかったんですがね。

 おそらくあの貴族のお坊ちゃんにではなく、実家である貴族の家そのものに入り込んでいた密偵じゃあないかって線が有力ですね」


「そいつが、たまたまあのお坊ちゃんの護衛にまわされたと。それで、どこの誰が何の目的で送り込んでいたのかはわかっているのか」


「いえ、それはわかってません。ただ、貴族の家に密偵が送り込まれること自体は珍しいことじゃないですよ。ごく当たり前にあるっていってもいい。でも、今回はその送り込まれた密偵がダークエルフだったっていうのがですね………」


 この世界に住む種族の中で、ダークエルフの数はアンコウたち人間種と比べるとかなり少なく、そういう意味でも目立つ存在だ。


「ここ最近なんですが、妙なダークエルフがいるって情報があちこちからあがってきてましてね。いや、そいつらが何か問題を起こしたってわけじゃないんですがね………」


 ロイスも、それ以上はよくわからないといった様子で眉をしかめていた。ロイスが少し考えこみ、言葉が止まってしまうとその隙を縫うようにカリムが言葉をはさむ。


「なぁ、ロイス。お貴族様の事情なんかどうでもいいんだよ。ろくでもないことを考えて裏でシコシコやってるヤツなんざぁ、いつでもどこにでもいるだろうが。大事なのは、それがおれに何か関係があるのかってことだ。

 とりあえず、お貴族様ご一門の報復はないってことでいいんだな、ロイスよ」


 ロイスは、そのカリムの言葉を聞いてうなずく。


「で、もうひとつは裏でシコシコやってる謎の御一門のほうだがよ。あのダークエルフを殺したのは、確かにおれたちだ。だけどそれを理由に、そのどこの誰ともわからないシコ族どもが、おれたちに報復をしにくるのか?」

 カリムは少し面倒くさそうに続けて問うた。


「いや、それはないでしょう。あのダークエルフを送り込んでいたのが何者であっても、密偵が1人殺されたぐらいで、自分たちの正体がばれるリスクを犯して、いちいち報復をしにくるなんて考えられませんよ」


「そうだろうが。だったら、その話はもういい。必要なんだったら、そっちで勝手にやってくれ。アンコウも気にしすぎだぜ。話が長くなっちまうよ」


 カリムがアンコウとロイスが話しているのを黙って聞いていたのは、ただ興味がなかっただけだったらしい。

 ロイスはカリムのその様子を見て、ひざ上においていた袋から何やらテーブルのうえに取り出してきた。


「今度のことでは、こちらの不手際で皆さんにご迷惑をかけてしまいました。あちらのほうから、少しばかり追加料金を頂きましたので、これは皆さんの取り分です」


 それを見て、面倒くさそうにしていたカリムの顔に、一転して喜色が浮かぶ。


「わっはっはっ!何だ、ロイス!そんないいもんがあるんだったら、どうでもいい長話をする前に出せよ!」


 カリムがロイスの背中を笑いながら、バンッとたたいた。

 ロイスはその背中をたたかれた結構な勢いに、前につんのめりながらも苦笑いを浮かべていた。


 そして、カリムとロイスがじゃれ合っている間に、アンコウは素早くその金の入った小袋を1つ掴み取った。


「おい!アンコウ!こういうのはリーダーが先に取るもんだろうが!」

「知るか。貰えるもんはとっとと貰うんだよ」

「何を!その袋が一番重いってんじゃないだろうな!」

「カリムさん。大丈夫ですよ。どれも同じ額です」

「なにぃ?ロイス!何でパーティーリーダーのおれの取り分を多くしとかないんだ!」

「カリム、くだらないこと言ってないでとっとと貰っとけよ」


 アンコウは追加の報酬が入ると聞いて、急にテンションが上がりだしたカリムに少し呆れたように言った。


「わっはっはっー!」





 アンコウ、カリム以外の2人の冒険者は、追加の報酬を受けとるとさっさと帰ってしまった。カリム以上に貴族やダークエルフの話には興味がなかったようだ。


 ワハハ、とカリムの笑い声がまだ聞こえている。カリムは感情の起伏が激しい男だ。

 貰った追加報酬が入った袋をお手玉のようにもてあそびながら、アンコウたちと話を続けていた。


「こんな金はパーッと使っちまうに限る。アンコウもくるか?」


「いや、今日は宿に戻るわ。いま泊まってる宿の主の知り合いの冒険者が、黄金こがね角大猪の肉を持ち込んだらしくてな。おれらにも振る舞ってくれるらしいんだ」


「へぇ!それはまた珍しいですね、アンコウさん。あれの肉は絶品ですが、この辺りではほとんどとれなくなってますからねぇ」


「そうか。じゃあ、仕方がないな。アンコウ、おれはしばらくはあの四つ角の宿屋にいるから、迷宮に潜るんだったら一声かけてくれ。都合が合ったら、おれも行くからよ」


「ああ、わかった。それはこっちも助かる。メンバー探しは手間だからな」


 アンコウとカリムの話も一段落しそうになったときに、ロイスがふいに思い出したのか、また2人にむかって話し始めた。


「ああ、そういえばアンコウさんはトグラスの宿屋の娘と知り合いでしたね。親しいんですか?」


 突然トグラスの娘の話が出てきて、アンコウは少し首をかしげる。


「何だ、突然だな。特別親しいってほどのもんじゃない。昔この町に出てきたばかりの頃に、あの宿の親子には多少世話になったがな。ただの知り合いの範疇はんちゅうだ。なんだ、あの娘になんかあったのか?」


 アンコウは、半月ほど前にトグラスの宿屋の娘ニーシェルを勤め先の商家まで送りとどけたときのことを思い出していた。

 アンコウたちの後ろをつけていたロイスも当然そのことを知っている。

 アンコウはあの美しく育っていた娘の身に、実家の借金関係で何か起こったのかと思った。


「言っとくが、あの娘のために動かなきゃいけないほどの恩義はないからな」


 アンコウはあの一家のトラブルに首を突っ込むつもりはない。そのことをはじめに言っておく。


「いえ、あの娘は変わらずあの商家で働いているみたいですよ。娘のほうではなくて、トグラスの女将のことなんですがね」


「ん?女将?テレサさんなら借金のカタに連れてかれたんだろう?」


「ええ、そうなんですよ。で、そのトグラスの女将がうちの縄張りにある奴隷商店に売り飛ばされていたみたいでしてね。トグラスの宿屋はうちの縄張りからも近かったですから、女将の顔を見知っている者も多くいましてね。

 うちの若いのがその店に決まりのあがりを頂戴しに行ったときにたまたま見かけたみたいでして」


 カリムはたいして興味はなさそうだったが、ロイスの話に少し口をはさんできた。


「あの女将はもう30は過ぎていただろうが、そこそこキレイだったよな。普通に働いてたから、病気持ちってわけでもないだろう。なぁ、アンコウ?」


「ん?ああ、病気だって話は聞いたことがないな」


「ロイス、お前んところの縄張りだったら、間違いなく裏通りの奴隷屋だろう」


「ええ。奴隷商のテッグカンのところですよ。カリムさんも知ってるでしょう」


「あいつのところか。典型的な場末のカビ臭い奴隷屋だな。なんでそんなとこに売り飛ばされたんだ。あの女将ならもうちっとマシなとこに売り飛ばせただろうが」


 要するにテレサは、かなり安物売りの奴隷屋に売り飛ばされたらしい。


「いや、あがりの徴収に行った若いもんが言うにはですね。トグラスの女将の顔や体にかなり殴られた跡があったみたいなんですよ」


「殴られたあと?場末のカビ臭い奴隷屋っていうのは、わざわざ自分とこの売りもんに傷をつけて並べるのか?」

 アンコウが、ごく単純な疑問を口にする。


「ハハッ、まさかアンコウさん。まぁ、ああいう店には嗜虐しぎゃく趣味の客が使い捨ての奴隷を買いにくるっていうことはありますがね。そういう客だって買っていくときにはできるだけ新品を選んでいくもんですよ」


「そうだろうな。じゃあ、何でだ?逃げだそうとでもしたのか?」


「いえ、その奴隷屋に売られてくる前に殴られた跡らしいです。バカなことをするもんですよ。殴られた跡がある状態で売れば高くなんて売れるわけがないですからね。

 そもそも売値はどうでもいいとでも思っていたのかもしれません。殴った後でテッグカンの店に売るぐらいですから。借金のカタにあの女将を取ったにしては、お粗末な話ですがね」


 アンコウはロイスの話を聞いて、トグラスで見たあのショボイ借金取りの手先の男のことを思い出した。

(やることなすこと全部ショボイな。あの金貸し一味は)


「まっ、金貸しとしても二流、三流だったんだろうな。しぼれるもんは全部しぼり取るのが、いい金貸しなんだろう。あいつらは失格だな」


 アンコウは、トグラスの向かいの果物屋の奥さんから聞いた 借金取りたちがトグラスに押しかけたときの話も思い出していた。


(たしかあの借金取りの男、宿泊客の獣人の女戦士に殴られて、気ぃ失ってたって言ってたよな)

 その腹いせにテレサに暴力を振るって、裏通りの奴隷屋に売り飛ばしたのかとアンコウは思った。

(………だとしたら、どうしようもない話だな。くだらなさすぎる)


 アンコウは、それ以上、言葉を続けることなく、目の前に置かれている残り少なくなったお茶をゆっくり飲み干した。


 いまアンコウたちがいるところは、ロイスたちの組織が拠点にしている場所の1つだったが、その建物自体はこの貧民街のどこにでもあるような古い建物で、アンコウたちがいる部屋の内装も粗末で、はっきり言えば全体的にボロい。


 しかしアンコウに出されたお茶は決して安物の茶葉の味ではなく、香り高くスッキリした味わいだった。

 アンコウはこのお茶を飲みながら、コイツらけっこう儲けていやがるなと関係のないことも考えながら、頭の中で情報の整理をしていく。


 ロイスはそんなアンコウを見て、トグラスのことにはたいして興味がなかったのかとも思いつつ、話を続けた。


「いや、このあいだアンコウさんがあのトグラスの娘と一緒にいるところを見て、何か強い関わりでもあるのかと思って話したんですが、そういうわけでもなかったみたいですね」


「………んー、そうだな。多少同情はするがな。あの家族の幸不幸は、おれには関係がない話だ」


 アンコウはそう言って、再び顔をロイスのほうにむけて質問をした。


「で、あの女将はいくらで売られてるんだ」

「えっ?いや、具体的な値は知りませんが、あの奴隷屋でそういった状態ですから、相当安いんじゃないですかね。消耗品扱いかもしれませんね」

「そっか。ロイス、知ってる店なんだったら、ちょっと紹介してくれないか」

「えっ?買うんですか?」

「ああ、条件次第だけどな」


 ロイスは、アンコウは一体どういうつもりなんだろうとちょっと戸惑う。

 言ってることが矛盾しているように思ったからだ。


「……助けるんですか?」


「あぁ?ロイス、人の話を聞いてたのか。そんな義理はない。ちょうど奴隷を探してたんだよ。ほんとはもうちょっと若いのをって考えてたんだけどな。安く買えるんだったら、あの女将なら買いかなと思ったんだ」


 アンコウとロイスは話を続けていたが、カリムは2人の話にもう興味を失っているようだ。

 アンコウが奴隷を買おうが買うまいが、それもカリムにはどうでもいい話、カリムはぼちぼち部屋を出て行こうかという動きをしながらアンコウに聞いてきた。


「アンコウ、あの女将は迷宮に入れないだろうが。いくら安いからってそんなもん買ってどうすんだ?」

「別に仕事の戦力が欲しくって、奴隷を買うわけじゃない」


 アンコウはあの女将が強くはないだろうが、抗魔の力を持っているだろうことを知っている。鍛えれば、迷宮探索の戦力になるかもしれない。

 しかし、アンコウが魔獣狩りの戦力が欲しくて奴隷を求めているわけではないというのは事実であった。


「ふーん、そうかよ。まぁ、あんまり無駄遣いはするなよ。金なんて、あっちゅう間になくなるからな!ワハハッ!」


「………カリム、お前には言われたくないよ」

「ワハハッ!死んだら金は使えねぇからな!」


 カリムはそう言うと、もうここには用はないとばかりに席を立ち、じゃあなと一言ひとこと言い残して部屋を出て行った。おそらく酒場にでも向かうのだろう。



 カリムが出て行って、ガランとした広い部屋にアンコウとロイスの2人だけになった。


「で、どうなんだ?」

「もちろん構いませんよ。ただあっしもこの後にちょっと用事がありましてね。お供することはできないんですが、他の者に紹介状を持たせて同行させますので」

「十分だ。ただ条件や女将の状態しだいでは買わないこともあるけど大丈夫か」

「ええ、テッグカンっていうのはそんなたいした男じゃありませんので、余計な気遣いはいりませんよ」


 そしてアンコウとロイスも、話が一段落すると席を立った。

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