第11話 違和感の正体

「くそっ!家の者たちはどいつもこいつも、おれをなんだと思っているのだ!父上もだ!母の実家から今までにどれだけの財物の支援を受けた?それだけのものが入ってきたのはおれがいたからであろう!

 それをいつまでたっても謹慎の沙汰を解かぬばかりか、こちらのわずかばかりの要求もまともに聞き入れようとはしない!」


 貧民街の一角にある1軒の空き家の中で、辻斬り坊ちゃんが怒りの言葉を吐いている。

 常識ある者が聞けば、愚か者の愚痴としか言えないようなものだ。それでもお坊ちゃんの側に仕えている中年の護衛は、神妙に相づちを打っていた。


 この護衛の男は先日アンコウに片目を小クナイで刺された男。アンコウに毒矢を刺した男だ。

 男の目には眼帯が巻かれていたが、痛みがあるような様子はすでにない。


 この男が、お坊ちゃんに相づちを打つ姿は実に様になっていた。

 アンコウを襲ったときにいたもう一方の護衛に男はクビになり、この男が変わらず、このお坊ちゃんに仕えているのは、単に実力が認められているだけでなく、太鼓持ちの才覚にも恵まれているのかもしれない。


 このお坊ちゃんは、自分が不祥事を起こし、父親から謹慎を受けたことにまったく納得しておらず、当初から処分に対する不平不満が強かった。

 それに加えて、アンコウへの辻斬りを失敗してからは、さらにその度合いが強くなり、ところ構わず怒りをぶちまけるようになっている。


 しかし、このお坊ちゃんは自分のそういった行いや考え方が、今日こんにちの自分の危うい状況を生んだということにはまったく気づいてはいない。いや、自分が危うい状況にあるということさえ、自覚していないのであろう。


 そしてアンコウが実力はあると断じた護衛の中年の男は、その若い貴族に諫言かんげんするそぶりもなく、ただただ相づちを打っていた。


「父上は、いや、あれは父上のまわりにいる者たちの差し金に違いない。家宰どもをはじめ、あの家の者どもはおれをいつも見下しておる!今に見ておれよ!」


 お坊ちゃんは、自分の吐き出す怒りの言葉にあおられて、どんどん興奮していった。

 社会的、物質的に恵まれた環境で育ち、普通よりは才能に恵まれた人間。それが過剰な自己愛を生み、謙虚さを養ってこなかった若者の典型のような男だ。


「おれはより強い護衛をつけるように言ったのだ。それをおれが名をあげた者は寄越さずに、あのような中途半端な者を寄越しおって!あれならばケリーの方がマシであったわ!家人風情が、主家の男子をなんだと思っておるのだ!」


 今この空き家の中には、お坊ちゃんと中年の護衛の男の二人しかいない。もう一人の護衛の男は、お坊ちゃんの指示で外に出ていた。


 しかしこれだけ大きな声を出していれば、お坊ちゃんの声は家の外まで聞こえているに違いない。実際に、この建物の外に立っていたもう一人の護衛の男の耳に、お坊ちゃんが自分のことを悪し様にいう声は聞こえていた。


 しかし、この新しい護衛の男はそんなことはまったく気にする風ではなく、お坊ちゃんに指示されたことに従い、この家の周囲の見張りと、今日の獲物となるべき対象を探し、キョロキョロと眼を動かしていた。



 アンコウたちは、辻斬り貴族たちが潜んでいる建物を少し離れた場所から眺めている。

 アンコウたち実行部隊6人以外にも、ロイスやロイスの組織の人間たちが、この周囲にすでに何人も展開していた。


(よし、大丈夫そうだな)


 事前の情報収集から、ここまでの手配、ロイスたちはなかなかしっかりした仕事をしており、アンコウはこれまでロイスの組織と関係を持ったことはなかったが、アンコウの中で彼らに対する評価はかなり高いものになっていた。


(こいつらとはこれからも懇意にしていたほうがいいかもしれない)



「カリムさん、これからの行動はあなた方の指揮におまかせしますよ」

 今もアンコウたちの近くに控えているロイスが、カリムに言った。

「ああ、まかせておけ。あっちゅう間にケリをつけてやる」


 カリムの表情にも余裕の色が見える。逆に実行部隊ではないロイスのほうが、強ばった顔つきをしており、あきらかにここにきて緊張の度合いを高めていた。

 カリムとロイスは同じ人間種人間族。しかしこれからおこなわれるのは抗魔の力を持った者同士の戦闘だ。


 どちらにも一級と呼ばれるような実力をもつ戦士はいなかったが、それでも通常の人間種であるロイスが割っては入れるようなレベルの戦いでない。

 ロイスの緊張はごく自然で人間的なものであろう。


 カリムの視線の先には、お坊ちゃんが潜む建物と、その建物の外でウロウロしながらまわりを見渡している一人の男の姿が映っていた。


「よし!おれたちはあの建物の裏側に回る。アンコウ、こっちの三人はお前がまとめろ」

「わかった」


 カリムは、ロイスからいろいろな情報を聞き出しながら、他の5人の冒険者に指示を出していく。

 アンコウもカリムの指示を聞きながら、用心深く標的である貴族がいる建物と、その建物の近くに立っている護衛の姿を建物の影からのぞき見た。


 アンコウたちは、万が一にも彼らに見つからないために、まだかなり距離をあけて隠れていたのだが、アンコウの目にも、小さいながらはっきりとその護衛の姿を確認することができた。


(……ん?何だ?いま一瞬……)


 アンコウは一瞬、覗き見ている護衛の姿から何かおかしなものを感じた。


「おい!アンコウ、見つかるなよ!」

「ん?ああ。わかってるよ」


「カリムさん、大丈夫ですよ。あそこからは、この場所は死角になっていますから」

 ロイスはこの辺りの建物や道にかなり精通しているようだ。


「そんなことはわかってる。おれもここの生まれだぞ」

「ええ、それこそ、よくわかってますよ。カリムさん」

 ロイスは少し苦笑いを浮かべていた。


 二人は同じく、このアネサの町、この辺りの地区で育ったらしく、その関係での古なじみだった。年はロイスのほうが少しうえなのだが、ずっとカリムに対して敬語を使っている。

 詳しい事を聞いてはいないが、子供時代少年時代にいろいろあったんだろうなと、アンコウは思っている。


 アンコウはカリムの現在の生き方、普段の言動や性格からも、カリムがまともな子供時代を送っていたとは思っていない。


 この辺りの不良少年どもの犯罪者とほぼ同義のタチの悪さは、この町のものなら誰もがよく知っていたし、実際にカリムはこの地区でそういった不良少年と呼ばれる少年時代を送り、成長してきた男であった。


 アンコウはカリムたちから視線を移して、もう一度チラリとあちら側を見る。


 護衛の男はアンコウたちがいる方向とは逆の方向に体をむけていた。アンコウは先程、護衛の男から感じたわずかな違和感を今度は感じなかった。


(………気のせい、だったかな)


 アンコウのそんな様子を見逃さず、カリムが口を開く。


「ハッハッ、アンコウは少し用心深すぎるんだ!まぁ、いつものことだがな。お膳立ては万端だ。後はおれたちは逃げ場のない獲物を狩るだけだ」


 アンコウはカリムの言葉を聞いて、口元に笑みを浮かべた。

 カリムはアンコウを用心深すぎるというが、そのカリムも大雑把なようで、実にまわりをよく見ている。


 いや、カリムだけではない。自他共に認める用心深いアンコウだが、そうは見えなくてもカリムのように長年冒険者として生き延びてきた者たち、特にパーティーリーダーを務めてきたような者たちは、総じて戦地にあっては用心深さを身につけている者が多い。


 カリムや先に迷宮で魔獣狩りを共にしたダッジもそうだが、種族や性格などは関係なく、彼らのようにパーティーリーダーとなる者が冒険者としての用心深さを持っているということは非常に重要だ。


 そうでない者の指揮命令下に入ることはできるだけ避けなければならないとアンコウは思っている。でなければ、生き残れないのが冒険者稼業だ。


「ああ、そうだな。あとは殺るだけか」



 アンコウたちはカリムの指示に従って、二手に分かれて動き出した。

 アンコウが率いる3人は正面から、パーティーリーダーでもあるカリム率いる3人は裏口から、一気に標的のクビを狙う作戦だ。


 また、それぞれに連絡要員として、二人の組織のメンバーがつけられていた。

 ロイスはアンコウたちから離れ、この一帯に配置されている構成員全体の指揮を執る仕事に戻って行った。


 アンコウたちは、一時的に連中が潜む建物がある通りから外れて、1つ向こうの路地から近づいていく。

 そして、アンコウたち正面班は、その路地を進み、辻斬り貴族が潜む建物のすぐ近くまで移動してきた。


 アンコウたちは身を潜めて、さらに接近を図る。昼間だというのに人気ひとけがなく、薄暗い細い細い路地だ。

 アンコウたちはその細い路地から、さらに廃墟といえるような建物の中に、窓であったのであろう壁の穴から侵入した。


 アンコウたちは、その建物の中をさらに移動して、目的の建物のほぼ正面に位置する窓の近くまでやって来た。

 アンコウらしく、ここまでの距離に対して、かなりの時間をかけて慎重に進んできた。おそらく、カリムたち裏口班はもうすでに待機位置まで到着しているはずだ。


 アンコウたちは、カリムらのほうの連絡員が次の作戦開始の連絡を持ってくるまで、打ち合わせどおりにこの場所で待機する。


 アンコウは窓のところで身をかがめ、ゆっくりと外をうかがっている。

 窓から見える向かいの道に見張りの男の姿が見えた。少し大きい声を出せば、確実にとどくであろう距離にその男はいた。


 目的の建物からは少し離れたところをウロウロと歩いており、おそらくお坊ちゃんの指示に従って、辻斬りの獲物となる者でも探しているのだろう。


 アンコウが見ていると、その男が振り返り、仲間のいる建物のほうに戻ってくる。そしてまた、その建物の前を通り過ぎていく。

 見張りの男は、そうやって、この建物の前の道をずっと行ったり来たりしていた。


 正面を向いて、こちらに近づいてくる男の顔が、アンコウたちにも見えた。まだ若い人間族の男、アンコウとさほど歳は変わらないのではないだろうか。

 アンコウがこのあいだ襲われたときの護衛の男たちは、二人ともかなりいい装備をしていたが、それに比べるとこの男の装備は少し見劣りがする。


(この男の装備をととのえる余裕がなかったのか……いや、世話になってるっていう商家には金があるだろうし、単にあの馬鹿ボンの気分の問題かもな)


 どちらにせよアンコウたちにとって、これから戦う相手の装備が少しでも劣るものであったほうがありがたい。


 アンコウたちが潜んでいる建物と辻斬り貴族が隠れている建物のちょうど間を、偵察をする護衛の若い男が普通の足取りで歩きながら通り過ぎていく。

 偵察の男は、アンコウたちがいる建物のほうもチラリとは見たが、アンコウたちの気配に気づいた様子はまったくなかった。


 自分たちのほうが襲われると、本気で考えてでもいないかぎり、巧みに潜むアンコウたちを見つけることは困難だろう。

 しかしなぜか、その男を見つめるアンコウの表情がいつのまにか厳しいものに変わっていた。


(……なんだ今のは……)


 アンコウの眉間にシワが寄る。少しずつ遠ざかる男を見る目が、先程までとは比べものにならないぐらいに鋭い。


(……なんだあいつ。やっぱり何かおかしい)


 アンコウが、先程カリムたちと一緒にいたときに、遠目に見たあの男に一瞬感じた感覚的な違和感。今アンコウは、その感覚をよりはっきりと感じた。

 この違和感がなんなのか、良いものなのか悪いものなのかも、アンコウにはわからない。しかしアンコウは、この手の感覚がかなり鋭い。


(あいつは何かおかしい)

 アンコウは具体的に何かはわからないが、そのことだけは確信を持った。


「サルグラ。あいつ、なんかおかしくないか?」


 サルグラはここにいるアンコウ以外の冒険者の一人、獣人族の男である。

 サルグラもアンコウが外をうかがっている窓から、アンコウと同じように、その護衛の男を見ていた。


「……そうだな。確かに少し違和感を感じるときがあるが、気にするほどのことじゃないと思ったんだが」

 サルグラは、そう言ってアンコウの顔を見る。


 サルグラも少しは違和感を感じていたらしいが、アンコウが感じているほどのものではないようだ。獣人族は総じて人間族よりも、アンコウが感じているこの種の感覚が鋭いことが知られている。


 しかし、これはあくまでカンのようなものであって、常に働く能力と言えるものではないし、正確さに関しても絶対視できるものではない。


「………そうか」


 アンコウは、いまも目の前の道を歩く男に、良し悪しではなく、違和感を感じ続けている。

 アンコウは眉をしかめ、首をかしげながらも、それ以上、疑問不安を口にする事はやめた。


 ふいに、アンコウと獣人戦士のサルグラがほぼ同時に後ろをふり返る。自分たちがこの部屋に入ってきた出入り口のほうに、そろって目を向けていた。


「誰か来たのか?」

「ああ、みたいだな。」


 アンコウとサルグラは一瞬目を合わせ、アンコウはサルグラに無言で出入り口のほうを指し示した。

 サルグラも無言で頷き、連絡員の男を1人連れて、そちらのほうに素早く移動していく。


 移動を終えたサルグラは、出入り口のすぐ横に張り付いて様子をうかがう。

 しばらくすると、サルグラは何やら口を動かし、小声で話をしはじめたようだ。すると、出入り口の向こう側から一人の男が姿を現した。

 その男は、カリムたちのほうについて行っていた組織の連絡員の男の一人だった。


 顔をのぞかせた男とアンコウの目が合う。その連絡員の男が、アンコウにむかって軽く会釈するのを見て、アンコウも頷き返す。

 アンコウは首と目をせわしなく動かし、窓の外の様子とサルグラたちの様子を交互に確認していた。


 そしてサルグラと連絡員の男はしばし言葉を交わしていたが、話に一区切りつくと、サルグラは再びアンコウのところへと移動してきた。


「アンコウ。カリムのほうは準備が整ったそうだ」

「わかった」

 アンコウとサルグラは真剣な顔で言葉を交わす。


 もう1人の冒険者も、2人の会話を聞いており、3人のボルテージが一挙に高まる。


 アンコウは、今も違和感を感じ続けている見張りの男に、若干の不安を覚えるものの、ここへきて湧いてきた根拠のない不安など、攻撃を中止する理由にはならないと覚悟を決めた。


「それと、カリムからの伝言だ。『ど派手にぶちかませ。それが合図だ。』だと」


 アンコウは、それを聞いてニヤリと笑みを浮かべた。まずアンコウたちが外の見張りに攻撃を仕掛ける、それは事前の作戦どおりだ。


(ここまでは順調に進んでる。ためらうほどの理由はない)

 アンコウは大きく一度深呼吸をすると、2人の仲間に声をかけ、ゆっくりと動き出した。


 アンコウたちは扉のないこの建物の玄関口まで移動した。

 そしてそこで、外に飛び出すタイミングを見計らう。3人とも、もう口を開くことなく、ここまでくれば、すでに心身ともに戦闘モードに入っていた。


 外の道を行ったり来たり移動している男が、再びアンコウたちの前方を通過し、アンコウたちに背中をむけて歩き出す形になった瞬間、アンコウは軽く手を挙げて、うしろの二人を前に誘いざなうように振り下ろす。

 と、同時にアンコウは、音もなくその男にむかって走り出した。


 アンコウは、まだ剣の柄に手をかけていない。その代わりに左右の手に一本ずつ使い慣れた小クナイを握る。

 アンコウは、ついさっきまでは小細工は一切せず、剣を持って一気に見張りの男を斬り倒すつもりでいた。


 剣の代わりに小クナイを持ったのは、今もあの男から感じているよくわからない違和感がどうしても気にかかったため、念を入れて接近し斬りかかる前に、少しでも早く男にダメージを与えておくことにしたからだ。


 アンコウたちは初動から全速力で走る。道を歩く護衛の男がアンコウたちの気配に気づき、振り返る。

(もう遅いっ!)


 男がふり返ろうとしていたときには、アンコウはすでに1本目の小クナイを投げうっていた。


 さらに走りながら、もう一本もわずかな時間差で投げる。

 1本目は顔面、2本目は防具に隙があった腹部目がけてかなりの速度で飛んで行く。2本目を投げた瞬間にアンコウは確信する。

(よし当たる!)

 完全に相手の隙をついた投擲とうてきだ。


 仮に相手の剣技が高く、1本目を剣で弾かれたとしても、アンコウは2本目が防がれるイメージはまったく湧かない。

 いや、アンコウは1本目も、あの男は防ぐことができないだろうと思っていた。


 さらに、アンコウが小クナイを投げうっているわずかな間に、後ろを走っていた仲間の2人がそれぞれ剣を手に持ち、アンコウを追い抜かし、男にむかって走っていく。


 アンコウの目には、すでに血を流し倒れ伏す護衛の男の姿が見えるようだった。

 しかし次の瞬間、アンコウの予想は裏切られる。


「なにっ!!」

 アンコウは走りながら驚きで目をむいた。


 少なくとも1本は必ず当たると確信していた小クナイが、2本とも標的を捉えることなく、虚しく空中を飛び去っていったのだ。


 しかも剣技で小クナイを弾いて防がれたわけではない。護衛の男は、ただ自分にむかって飛んでくる小クナイを避けた。


(あいつ!なんてスピードだ!)


 アンコウにとってまったくの予想外。

 完全に相手の隙をついた強襲だった。小クナイの飛び行くスピード、相手との距離や状況を考えても、単純な体さばきだけで避けられるとは思ってもみなかった。


「気をつけろ!」

 アンコウが前を行く二人に警告を発したときには、サルグラがすでに男に斬りかかっていた。

 猛スピードで突進していったサルグラの勢いを殺さないままの一刀。


 しかしその剣も空を切り、サルグラの剣は地面をたたいていた。男はそれも避けてみせた。そして、

ギィャアン! もう一人のアンコウたちの仲間の冒険者の剣を、抜きはなった自分の剣で受け止めていた。


「気をつけろ!そいつは強い!」


 アンコウは瞬時に当初の想定を切り換える。この護衛の男は事前の情報よりも間違いなく強い。


(ロイスの野郎!情報の詰めが甘すぎるだろうがっ!)

 アンコウは心のなかで、この男はたいしたことがないという情報をもたらしたロイスたちに毒づいた。


 しかし、初撃を当てることはできなかったが、アンコウたちが圧倒的に優勢な状況であることに変わりはない。

 アンコウは未だこの男の実力のほどを計りかねてはいたが、

(実力を出させる前に殺やればいい)と考えた。

 

 敵戦士は、アンコウの仲間の冒険者と剣をあわせ、力比べを演じている。

 先程見せた尋常でないスピードと違い、意外にも男はアンコウの仲間の剣圧に押されていた。


(むっ、力はないのか) ならば、やはり一気にケリをつけるのが正解だとばかりに、アンコウも剣を抜き、男に斬りかかる。


「でやあっ!」

 アンコウは剣の押し合いを続ける最中、自由に動くことができない男の側面から斬りかかった。

「チィッ!」

 男の口から苦痛の響きを帯びた舌打ちが出る。


 しかし、男はとっさに身を引いており、その場を逃れ、わずかにアンコウの剣先が男の上腕にとどいたのみだった。


「くそっ!これも避けるのか!」


 アンコウは攻撃の手を止めることなく、再び男との距離を詰めるため、足を前へ前へと踏み出した。

 しかし、アンコウは足を砂に取られて滑らせてしまう。

「チイッ!」

その隙に男は、アンコウたちから距離をとった。


 それにしてもこの男の動きは速い。それを見て、アンコウはいったん足を止めざるを得なかった。わずかながら戦場の時間が止まる。


(こいつのこの動きと速さ………おかしい)


 違和感に次ぐ違和感、アンコウここへきて戸惑いを隠せなかった。しかし、わずかながら男に手傷を与えた今、感じる違和感の検証などしている暇はない。


「おおーっ!」

 気合い一声。殺気を込めた鋭い眼光。アンコウは再び剣を持ち直した。


 しかしアンコウが再攻撃を仕掛けるよりも早く、初太刀を避けられていたサルグラが、体勢を立て直し、男にむかって再び走りだしていた。


「この!ちょこまか動いてんじゃねぇ!」

 サルグラが怒声を発する。


 アンコウも負けじと剣を片手に走り出す。アンコウから見えるサルグラの様子には、今度は一切の油断がない。


 サルグラは獣人の冒険者、彼もスピードには自信があり、力ならば間違いなくあの男の上をいく。そのサルグラが男の間近まで迫る。

 今度は男に逃げる気配はなかった。剣を持ってはいるものの両手を下にダラリとさげて、何やらブツブツとつぶやきながらサルグラを見据えていた。


(……?)

 あまりに無防備な姿。アンコウもサルグラも意味がわからなかった。


「てめえっ!なめてんのか!」

 サルグラが男に向かって、大上段から剣を振りおろした。


 あたり一面に噴水のように血しぶきが舞った。

 敵戦士とサルグラがいるところまで走り寄る途中であったアンコウの頭上にも、まさに血の雨のように赤い液体が降り注ぐ。


 そのアンコウの目に映る光景


―――――サルグラの首がない。地面にゴロリと落ちるサルグラの首。


 いまだ倒れず、おのれの両足で立つサルグラの首なしの体。趣味の悪い手品のように、首がなくなった場所から勢いよく血が噴き出していた。

 アンコウの目に、一瞬の時間で映しだされた光景だ。


 そのアンコウの視界の端をキラキラと光る精霊の証に覆われた風刃が飛び去っていった。


(風の精霊法術!!!)

 

 驚愕。走るアンコウの心身が一瞬でその感情に染まった。さらに降り注ぐ血の雨の中、いつのまにか敵戦士の顔がそれまでとまったく違うものになっていた。


「なっ!ダークエルフ!」


 長い黒髪の長髪は変わらない。しかし、褐色の肌、先の尖った細く長い耳。

 一見してわかる、男はダークエルフになっていた。


 いや、男はもとより人間族ではなく、妖精種であり、この世界の最上位種属とされているエルフの劣等忌み子ダークエルフだったのだ。

 近親種であるがゆえに、一般のエルフたちにより、その明らかな能力的劣等性を忌み嫌われ、彼らの蔑視迫害の対象とされている一族、ダークエルフ。


 しかし、アンコウクラスの冒険者にとって、精霊法術を使い得るその力は脅威以外の何ものでもない。


( くっ、幻視だったのか!)


 アンコウが男を見る度に感じていたよくわからない違和感の正体、ダークエルフが法術を用いておこなっていた幻視。

 アンコウも話には聞いていたが、実際に見たのはこれが初めてで、その違和感の正体まで見抜くには経験が不足していた。


 アンコウは、目の前にいるダークエルフに驚きと恐怖を感じながらも何とか足を止めることなく、剣を握る手に力を込めて突撃を続けた。


 精霊法術を使う相手だ。時間を与えるほうが今は不利になるとアンコウは考え、止まりそうになる足を何とか前に出し続ける。

 死の恐怖と対峙しながら剣を振り続けた3年間の冒険者生活の賜物たまものか、何とか止まらず走り続けることができた。


 しかし、ダークエルフは倒れ落ちたサルグラの体の近くから風のような速さで飛びさがり、アンコウに距離を詰めさせなかった。

 後ろにさがりながらも、ダークエルフは再び何かをつぶやきはじめ、それに合わせるようにうっすらと小さな光りの粒が弾けはじめる。


「させるかよっ!」

ドガァッ!


 法術が発動する前に、ダークエルフ目がけて何か大きいかたまりがもの凄い速さで飛んできた。

 法術を使うために精神を傾けていたこともあって、さすがのダークエルフも躱しきることができなかった。


ガゴォンッ!

「ぐわっ!」

 避けきれなかったそのかたまりが、ダークエルフの肩口に当たり、ダークエルフは踏鞴たたらを踏んだ後で片膝をついた。


 その様子からもアンコウは、このダークエルフは単純な体力はさほど強くはないと確信を持つ。


 そのダークエルフは自分の体に当たった物体を目にして、少し眉をしかめる。それは、先程自分が風の精霊法術で斬り落としたサルグラの首。

 アンコウは全力で突進するスピードを利用して、走る道筋に転がっていたサルグラの首をためらうことなく全力でダークエルフにむかって蹴り飛ばしていた。


 アンコウは、自分のその行為に何ら抵抗も罪悪感も憶えない。死んだ仲間の弔いをするにしても、自分がここを生きのびることができてこその話なのだから。


 ダークエルフの男が視線をあげると、すぐ側までアンコウが迫っていた。


「死ねえっ!」

 アンコウが立ち上がろうとしていたダークエルフの男に剣をふり落とす。

 男は中途半端な姿勢ながら何とか後ろに飛びさがったが、

「ギャアッ!」


 アンコウの剣が、飛びさがるダークエルフの顔面をとらえた。浅手ながら、男の顔の右半分、額、目、頬の辺りを斬り裂いた。


 顔に傷を負った男は飛びさがった場所でよろめきながらも、何とかアンコウとの距離をあけようとする。

 しかし、ここで逃がすようなことはアンコウが許さない。いったん距離をとられて精霊法術を発動されれば、一挙に形勢逆転される可能性もある。


 再び距離を詰めたアンコウは、今度はこれでケリをつけるといわんばかりに剣先をダークエルフの喉もと目がけて突き出した。


「くらえっ!」


 しかしアンコウの剣はとどくことなく、気がつけばアンコウのほうが、その場から吹き飛ばされていた。

「ぐわあぁっ!」

 ダークエルフは中途半端な術の発動ながら、アンコウにむかって風の精霊法術による局所的な風圧を放ってみせた。


 アンコウは後方に吹き飛ばされ、地面に落ちる。

 しかし、法術としては未完成であったため、アンコウの体が斬り裂かれるということはなく、アンコウは何とか体勢を維持して、吹き飛ばされた先で両手両足を地面につけて踏みとどまった。


「ぐううっ、」

 アンコウはすぐさま動き出そうとするが、受けた風圧の衝撃によって息が詰まり、すぐに動き出すことができない。


 アンコウは、吹き飛ばされて四つん這いになっている場所、そのあたり一面の地面が真っ赤に染まっていることに気づく。

 アンコウのすぐ横にはサルグラの首なし死体が転がっており、サルグラから流れ出た大量の血が地面を真っ赤に染めていた。


「!なっ」


 アンコウが両手をついているところにも、真っ赤な血溜まりができており、その血はまだ温かく生々しいぬめりを帯びていた。


 地面に四つん這いになっているアンコウの顔に血溜ちだまりから漂ってくる血の湯気ゆげがかかり、濃厚な死の香りを運んでくきた。

 その血煙ちけむりに飲み込まれるように、アンコウはそれまでの戦闘の興奮が引いていくのを感じた。


「あっ、あっ、あ………」

 アンコウの全身に悪寒が走り、心が不安感におおわれそうになる。


ギャンッ!

 一瞬我を忘れそうになったアンコウの耳に激しい金属音が鳴り響いた。


 顔をあげたアンコウの視線の先には、ダークエルフに斬りかかるもう1人の仲間の冒険者の姿。


 アンコウの意識が戦闘に引き戻される。不安と恐怖を押さえ込み、逆に濃厚な血の香りで野生の闘争心を沸騰させる。いまはまだ逃げるときではない。

 ましてや戦場で不安や恐怖で縮こまる者には死神しかやってこない。仲間の血溜まりの中、両手両足を真っ赤に染めたアンコウは再び立ち上がった。


「おおおぉぉーっ!」

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