第10話 辻斬り狩りの依頼
「よう、ニーシェル。久しぶりだな」
アンコウが宿屋トグラスの前に立つ娘に話しかけると、娘は驚き、警戒するように身を引いて、アンコウのほうを見た。
「……あっ…アンコウさん?」
「ああ、久しぶり」
アンコウとニーシェルは面識がある。
ニーシェルは、実家である宿屋のトグラスを子供の時分から手伝っており、アンコウがトグラスを利用するようになって、ニーシェルが奉公に出るまでの1年ほどの間に、何度も話をする機会があった。
アンコウがニーシェルを最後に見てから、2年以上が過ぎていた。その頃のニーシェルは、まだ背も低く、あきらかに子供だった。
(……2年で、ここまで成長するのかぁ)
ニーシェルの年は、まだ14。しかし、アンコウの目に映るニーシェルは女になっていた。それも相当な美人だ。
(この年頃の子は怖いねぇ。自分がオッサンになった気分になるな)
しかし、その美しい娘の目が赤く充血している。美しい娘の顔が悲しみに染まっていた。
それを見てアンコウは、若いキレイな娘が悲しむ表情っていうのは男を妙な気分にさせる力があるな と不埒なことを考えてしまう。
「トグラスのことは、ついさっきおれも聞いた。だけどニーシェルは、ここで何をしてるんだ」
「私は昨日知りました。奉公先の店の人から聞かされて、……昨日は我慢しました。だけど、だけど、私………」
ニーシェルの目に涙が浮かんでくる。
アンコウは、この様子では奉公先に許可をとってきているわけではないだろうと思った。
「ニーシェル。仕事さぼったな?」 アンコウが軽い口調で聞く。
ニーシェルは下をむいて、無言でうなずいた。
「店の人には、ここには行くなって言われたんじゃないか?」
ニーシェルがまたうなずく。
「ニーシェル、見ず知らずの男たちにおもちゃにされて、売り飛ばされる覚悟はできてるか?」
アンコウが、これまでと変わらない口調で言う。
ニーシェルは驚いて顔をあげて、顔を左右に振る。その仕草はまだ子供っぽいものだった。
アンコウはその様子に苦笑する。
「たく、ニーシェル。店の人がここに行くなって言ったのも、そういう心配をしてたからじゃないのか?」
「……はい。似たようなことを言われました」
「あり得ない話じゃないってことはわかってるんだろ?」
「はい、だけど、だけど、お母さんがっ!」
ニーシェルの目から、ついに涙がこぼれ落ちる。
美人の憂いは様になる。アンコウはそんなニーシェルの姿を見て、
(胸も大きくなってるし、この子は相当高く売れるな)と、ろくでもないことを考えた。
「まぁ、気持ちはわかるよ。………そりゃあな」
アンコウはニーシェルから目をそらし、出入り口に板が打ちつけられたトグラスのほうを見ながら言った。
「ニーシェル、これを最後にしろよ。しばらくここには近づくな。いや、ここの近くに来なくても一人で出歩くのは当分よせ」
「……はい……」
ニーシェルも、本当はよくわかっている。
ニーシェルの奉公先は、母親のテレサが探してきた従業員を大切にするしっかりした店だ。そして、ニーシェルの奉公先での評判はすこぶるいい。
ニーシェルの実家の不幸を聞いて、その災厄がニーシェルにまで及ばないようにちゃんと考えてくれていた。それがわかっていても、ニーシェルは乱れる気持ちを抑えられなかった。
念のためアンコウは周囲を見渡す。
(………ここを見張っている人間はいないみたいだな。まぁ、そこまで執拗にする意味はないか)
アンコウはニーシェルを奉公先の店まで送っていくことにした。
さすがに、このあと万が一、ニーシェルの身に何かあったら、後味が悪すぎると思ったからだ。
ニーシェルも、ここまで来て自分の目でトグラスの現状を見て、少しは冷静になれたのであろう。アンコウが店に戻るよう話をすると、おとなしく実家であったトグラスの店に背を向けた。
*
アンコウはニーシェルと二人歩いた。むろん明るい雰囲気にはなり得なかったが、ぽつりぽつりと言葉は交わした。
そして太陽が傾き、時刻が夕方にさしかかるころ、ようやくニーシェルの奉公先の店が見えてきた。
「ニーシェル、いいか。もうトグラスには行くなよ」
「はい。あそこにはもう私が帰る場所はないって納得できましたから」
ニーシェルの表情は決して納得できたというものではない。
しかし、実際に自分で行動することで、自分にはどうすることもできないのだと、ニーシェル自身も少し自分の気持ちを抑えることができたのだろう。
「そっか」
「……はい。アンコウさんわざわざ送っていただいてありがとうございました」
「いや、」
アンコウが会話を切り上げようとした時、アンコウたちの後ろから声がした。
「ニーシェル!あなたどこに行ってたの!」
どうやらニーシェルと同じ店で働く、ご同輩らしかった。
店のほうからではなく、後ろから現れたのはニーシェルを探していたからだろう。
その表情には安堵と怒りの色が浮かんでおり、アンコウのほうをチラチラと
アンコウも、とっさに声をかけてきた娘のほうを振り返っていたのだが、今、アンコウの視線は、その娘のほうにむけられていない。
振り返ったアンコウの視界に、一人の男の姿が映ったからだ。
ニーシェルに声をかけてきた娘の、さらにむこう側にある細い路地の近くに、その男は立っていた。それは、
(チッ………さっきのストーカーか)
その男は間違いなく昼間アンコウをつけ回していた男。
(あれはニーシェルじゃなくて俺のほうの客だな……)
その男は隠れることなく、アンコウのほうをじっと見ている。
(あのやろお……)
ニーシェルのそばまで駆け寄ってきた娘が、アンコウに警戒のまなざしを送る。
「ニーシェル、この人は?」
ニーシェルにも、その知り合いの娘のアンコウに対する警戒心がありありと伝わる。
「大丈夫よ。家の知り合いの人なの」
アンコウは、二人の会話に加わろうとはしなかった。
そしてアンコウは無言のまま、二人に背を向けて歩き出だそうとした。
「あっ。アンコウさん、待って」
「……ニーシェル、その娘に俺の身元の説明は店に戻ってからやってくれ。その娘の様子じゃ他にも心配をしている人がいてそうだしな。俺はもう行くよ」
アンコウは足を止めることなく、首だけ少しニーシェルのほうにむけて言った。
「は、はい!アンコウさん!ありがとうございました!」
ニーシェルは歩いていくアンコウの背に御礼の言葉をかけて深く頭を下げると、同輩の娘と二人、店にむかって駆けていった。
アンコウはもうそれ以上、走り去る二人の姿を追うことはせず、まっすぐに路地の角に立つ男にむかって歩きはじめた。
人に後をつけられるということは不愉快であるし、状況によっては想像以上に恐怖や怒りもともなう。
先程とは違い、男はあきらかにアンコウと接触を図ろうとしているようだ。アンコウは強く警戒しながらも、無視してやり過ごすことは不可能だろうと判断した。
アンコウは男のかなり近くまで歩いていき、足を止める。
男は、まったく隠れるそぶりも逃げるそぶりも見せずにアンコウを見ていた。男の顔にわずかに笑みが浮かぶ。
アンコウは男を観察する。
30になるかならないか、アンコウよりはうえのようだが、まだ若い男だ。腰に剣は差していない。男から感じる気配からも、この男は抗魔の力は持っていないとアンコウは判断した。
ならば、この男に単独でアンコウを殺す力はない。
しかし男の態度には、明らかに余裕があるようにみえる。腕力がないにもかかわらず余裕がある、
(………どこかの組織の人間かもしれない)
アンコウは警戒しつつも、その男に声をかけた。
「何のようだ」
アンコウの男を見る目は鋭い。男はそのアンコウの目に怯む様子もなく、口を開く。
「アンコウさんですね。少しお話がありまして。よろしいですかね?」
「いいわけないだろ。なんだ、お前は」
男は怯まない。顔に笑みを浮かべたまま話を続ける。
「ご存じかとは思いますが、最近、近くの裏通りで死神のまねごとをする身なりのよい方がいるようでしてね」
「知らねぇよ」
アンコウは剣の柄に手を掛けて、さらに男に近づく。男は顔に笑みを浮かべたまま、少しづつ後ろにさがっていく。
「へへへっ。おっかないですねぇ、アンコウさん」
「ふんっ、俺はいたって温厚な人間だよ。無駄に人に噛みつくのは大概テメェみたいな人間だろうが」
「誤解ですよ。おれはアンコウさんに話があるだけなんですよ。何、ちょっとした仕事の依頼ですよ」
「あ?頭湧いてんのか。お前みたいな見ず知らずの胡散臭いだけのやつから、仕事なんか受けるわけないだろ」
非常識きわまりない話だ。この男が見た目どおりの裏の稼業の人間だったとしたら、なおさらこんな仕事の依頼の仕方はあり得ない。
裏の仕事はいろんな方面で危険をともなうことが当然に多い。後々のことを考えれば、ある意味、表の仕事以上に仕事を依頼してきた人間への信頼が必要となる。
アンコウは、この男はだめだと思った。
(……もうちょっと、
アンコウの目から感情が消えていく。
アンコウと男は、少しずつ路地の奥へと移動していく。
アンコウは考える。この男の仕事を受ける理由も、ここでこの男を殺すほどの理由もない。これ以上は無駄だと。
そのまま ある程度路地に入った時点で、アンコウは男との距離を一気に詰めて腰の剣を男にむかって抜き放った。そのアンコウの剣が男の顔の横でピタリと止まる。
「………み、見事な腕前で」
男は何とか浮かべた笑みを保っていたが、剣を突きつけられれば、さすがに顔は引きつり、余裕は一気になくなっていく。
アンコウは男にむかって殺気を放ちながら、いったん止めた剣をゆっくりと男の顔にむかって動かした。
アンコウの剣刃が男の顔に触ると男の頬から、スゥーッと、血が流れ落ちてきた。
「ぐっ……!」
男の顔から笑みが消え、全身が小刻みに震えだす。
アンコウは本気で殺すつもりはなかったが、別にこの男が死んでも構わなかった。
そのアンコウにとってのこの男の命の軽さが、アンコウの振るった剣から男にも伝わったのだろう。男の全身から汗が噴き出してくる。
「お前、名前は?」
「……ロ、ロイスっていいまさぁ、以後御見知り、ヒッ!」
アンコウの剣がさらに男の頬に食い込んだ。しかし、この男もなかなかいい度胸をしている。
「以後なんかあるわけないだろ。いいか、今日は殺さない。だけど、次は殺す。二度とおれの後ろを歩くな」
ロイスの唾を飲む音が聞こえてきそうなほど、ロイスの喉仏が動いた。
ロイスの目に、アンコウのうしろに見える表通りに、人が行きかっているよう様子がこの路地からも見える。
しかし、わずかに道をそれただけのこの路地にはまったく人の姿はない。ただ、剣を突きつけられたロイスと凄むアンコウがいるだけだった。
その時、
「ウワァッ!!」
突然アンコウの耳に響く大きい声。
と同時に、アンコウの目の前にロイスではない人の顔が現れた。
「なっ!」
驚いたアンコウは、とっさにうしろに飛びさがる。
その際、ロイスの顔に当てていた剣が、さらに深くロイスの顔を傷つけてしまった。
「あぁーっ!」
ロイスは頬を押さえて、その場にしゃがみ込んだ。
「ハハハッ!どうだ!驚いただろう?アンコウ。」
突然目の前に現れた男が、笑いながらアンコウに声をかけてきた。男は、ロイスのうしろのさらに細い路地に隠れていたようだ。
そしてそれはアンコウが見知っている男の顔。
「なっ、……なにやってんだ!カリム!」
アンコウは驚きと怒りをない混ぜにしたような顔で、その男の名前を口にした。その男はつい2日前までアンコウが一緒に迷宮に潜っていた男、カリムだった。
実に、子供っぽいいたずら好きのこの男がやりそうなことではあったが、それ以前になぜカリムがここにいるのかがアンコウにはわからない。
「アンコウ、驚いただろう?」
「何でカリムがここにいるんだ!?」
「驚かそうと思ってな!」
「カリムさん!何してるんですか!もっと早く、ふ、普通に出てきてくださいよ!」
ロイスが頬から血を流しながら、カリムに言った。
「……カリム、どういうことだ。お前このストーカーと知り合いなのか?」
カリムは、まだ20代後半の若さであったが、すでに10年以上冒険者として稼ぎ、生き延びている男だ。
カリムの背は高く、アンコウが真っ直ぐに見れば、その目線はカリムの厚い胸板あたりにくる。
この立派な体格を持つ男は、生まれつき抗魔の力を持っていたが、その力は子供の頃はさほど強いものではなく、思春期を迎えた頃から抗魔の力が急速に強くなり、それと同時にカリムは冒険者の道に入ったらしい。
「ああ、古なじみだ。こいつらがアンコウにも話があるらしい。おれはその付き添いだ」
「ふーん。カリムも一枚かんでるのか?」
「関わってはいるがな。立場はお前と一緒だ。仕事を持ちかけられた。まぁ、おれの場合、知り合いでもあるからな。話だけでも聞いてやってくれ」
カリムは明るく、豪快な男だった。アンコウとカリムが話している間にロイスは立ち上がっており、カリムのことを恨めしそうな目で見続けている。
「あんた、ロイスって言ったな。何やってんだ、死にたいのか?人の後をこれ見よがしにつけ回して、挙げく斬られて、血ぃ流して。カリムを連れてくる意味がないだろう?」
「そういう条件だったんですよ。カリムさんについてきてもらうための」
どうやらロイスはカリムの遊びにつき合わされたようだ。
「でもカリムさん!予定とちがう!もっと早くに出てきてくれないと!」
カリムのほうに顔をむけたロイスが、強い口調でカリムを非難する。
「ん?何だよ、ロイス。おもしろかったんだからそれでいいんだよ」
カリムの言葉に少し凄味がこもる。ロイスを見る目もギョロリと大きくなった。
カリムは明るくて豪快であると同時に、手が出るのが早く沸点が低い男だ。そのことをよく知っているロイスは、カリムから視線を外し口ごもった。
(古なじみでも、友達同士ってわけじゃなさそうだな)
アンコウは二人の様子を見てそう思った。
「ワッハッハッハ!ロイス、この程度のことでへそを曲げるな!ほらよ!」
カリムはロイスにむかって、ヒールポーションを一瓶投げ渡した。
*
アンコウは窓から外に目をむける。向かいの建物との距離は短く、住民たちが建物と建物の間にいくつもの綱を張り、そこに洗濯物を干していた。
(もうそろそろ取りこまれる時間だな)
アンコウはロイスたちの案内で、裏通りを入っていったところにある石造りの建物の中の一室にいた。
昔この町に駐屯していた兵士たちによって防塞を兼ねた兵舎として造られた建物で、今はあまり豊かではない人々が自分たちの住居として利用している。
相当古い建物ではあるが、いまだしっかりと建っている。
「で、どうですかね。アンコウさん」
ロイスがアンコウに聞く。
アンコウ、ロイス、カリムの三人がひとつのテーブルの椅子に座っている。アンコウが、わずかな時間だけ窓の外に向けていた視線をロイスのほうに戻す。
「さっきも言ったが、条件は4つ。まず、金だ。十分な報酬。次に、カリムがこの仕事を受けているということ。ロイス、お前やお前の組織のことはおれは知らないからな。ろくに知らないヤツらとこんな仕事はできない」
「何だ、アンコウ。おれに甘えてんのか?気持ちわりぃな!」
「気持ち悪いのはお前だ、カリム」
眉をしかめるアンコウを見て、カリムが、ワハハ と豪快に笑う。
そんなカリムをそれ以上は相手にせず、アンコウは話を続ける。
「次に戦力だ。あの辻斬り貴族どもを間違いなく殺れるだけの戦力をそろえること。おれは戦いを楽しむ趣味はないからな。最後に貴族を殺して本当に大丈夫なのかと言うことだ。
戦力をそろえてちゃんと準備をすれば、そりゃあ、あんな馬鹿ボンの一人ぐらい殺せるだろうが、
「おれは受けたぜ、アンコウ。だからここにいる」
カリムが大きな目を見開いて言う。
「金も、まぁ、相応の額は出る」
「アンコウさん、人数は相手の倍の冒険者を用意するつもりです。アンコウさんにその一人になってもらいたい。あいつらと一度やり合ったことのあるアンコウさんなら打ってつけってもんです。
それにあとの心配はまったくいりませんよ。この仕事の大本の依頼主は、あの辻斬り貴族の御身内ですからね」
ロイスは、カリムから貰ったヒールポーションをひたした布を頬に当てながら話している。
ロイスの話によると、あの辻斬りのお坊ちゃんはこの近辺でもかなり有力な貴族の一門に属する者らしいのだが、いまでは自分の親族からも相当に疎まれているとのこと。
アンコウはそれを聞いて、あれだけ好き勝手やっていればそれも当然のことか、一族あげてくそったれ揃いなんてこともないだろうからなと思った。
「まぁ、貧民街とはいえ、あんだけ堂々と人斬りやってたらな。そうなるのも当然か」
アンコウは思ったことを口にする。
しかし、アンコウはまだこの世界の貴族に対する評価が高かったようだ。
「いえ、辻斬りのほうはともかく、あの男は他にもいろいろ問題を起こしてるようでしてね。何でもしばらく前に、この町の太守様のご息女に仕えているメイドを手籠めにしたらしいんですよ。
本人はそうとは知らず、襲ったらしいんですがね。まぁ、連中にしたらいつもやっているお遊びだったんでしょうし。
それでも、ご息女付きのメイドといっても、お姫様が顔も知らないような者もたくさんいてるんですがね。連中にとって運がなかったのは、その襲った女が太守のご息女が大切にしているメイドだったらしく、これがけっこうな問題になったらしいんですよ。
ヤツの父親や親族のお偉いさんが、あっちこっちに働きかけて何とか表沙汰にはならないようにしているようですが、かなり尾を引いているようでしてねぇ」
辻斬り坊ちゃんは貴族の父親が家で働いていたメイドに手をつけて生まれた子供で、実子として認められてはいるが、家の家督とはまったく関係のない立場にあった。
しかし、母親のほうがなかなか裕福な商家の娘だったらしく、そちらのほうの支援を受けて、家を継ぐ責任もないことから、同じような立場にある者よりも、かえって自由かつ贅沢三昧に生きてきたらしい。
金のある商家が行儀見習いの名目で貴族の屋敷に娘を出すというのはよくある話で、ようは権力との接点を持ちたいという打算がそこにはある。
その働きに出した娘が、その貴族の子を身籠もるというのはその商家にとって、決して不幸なだけの話ではない。
「まぁ、ちょっと甘やかされすぎたんでしょうね」
今、あのお坊ちゃんは家長である父親から謹慎を言い渡されている最中なのだが、その謹慎先の屋敷は母方の実家である商家所有のものだった。
謹慎といっても座敷牢に閉じ込められているわけではなく、面倒を見ているのはお坊ちゃんに大甘の母方の実家の商家なのだ。自然、謹慎など名ばかりのものになる。
それどころか、その謹慎中の暇つぶしにやらかしたのが一連の貧民街での辻斬りだった。
アンコウは、ロイスの話を聞いているうちに湧きあがってくる吐き気をともなう不快感を抑えることが出来なかった。
アンコウはいつのまにか視線をロイスの顔より少しうえに向け、腕を組み、天井をじっと見つめていた。
(……辻斬りが暇つぶしか、おれの命は暇つぶしか……)
アンコウのなかの不快感が怒りに変わり、アンコウの頭の中をグルグル回る。
わかってはいた。貴族たちにとって、貴種の血脈、王家や王家の直臣から認められた冠位を持たない者の命など羽毛のごとく軽いものなのだとアンコウもとっくに知ってはいた。
しかしそれでも、現実に自分の命が虫けらのごとき扱いをされたのだと、他人の言葉からあらためて気づかされると、抑えていた感情も噴き出すというものだ。
いつのまにかアンコウの体から殺気があふれ出す。
アンコウは腕を組み、天井を見つめ、動かない。ずっと話しつづけていたロイスも、ようやくアンコウの様子の変化に気づいて口を閉じる。
そして、ロイスの顔におびえの色が浮かんできた。
一方カリムは、そんなアンコウの様子をおもしろそうに見つめている。
「おい、アンコウ。そんなに腹が立つんだったら、ぶった斬ってやればスッとするだろうが」
カリムが笑みを浮かべながら言った。
するとアンコウも、カリムのほうに視線を移して口元に笑みを浮かべる。
「ふざけんなよ、カリム。そんな気分の問題で、いちいち貴族をぶった斬ってたらキリがないだろうが」
「ガハハ、違いねぇ!命も力も時間も、あれもこれも足りねぇなぁ」
アンコウは自分のなかにある怒りをぐっと抑えて、大きく一度息を吐き出す。
「ふうぅーーっ」
そしてまた、窓の外で大きく風にたなびく洗濯物の波に目を移した。
―――― そしてアンコウは、ロイスの依頼を引き受けた。
ロイスが所属している組織は、アネサの貧民街を拠点としている。
ロイス曰く、住民互助組織(?)の1つだそうだ。しかし、アンコウの元の世界の言葉で言うと、ギャング、マフィア、任侠集団、そういった類のものだ。
アンコウの元いた世界との違いは、そういった存在が法によって禁じられてはいない。必要悪、あって当たり前の存在なのだ。
そういう意味ではアンコウの元の世界での表社会・裏社会の感覚とはあきらかに違う。
この世界でも表に堂々とは出てこないものではあるが、
アンコウのような冒険者稼業を
冒険者として長く生きていくことを考えれば、ロイスが属している類の組織との関係は多少の損得勘定は無視してでもきちんと築いておいたほうがいい。
彼らのような存在は、味方にすれば間違いなく冒険者としてこの世界を生き抜くための力になる。
それにロイスに言わせれば、アンコウやカリムのような冒険者のほうが、自分たちよりもよほど血なまぐさく危険な存在ということになる。
「遅くても、半月以内にはあいつらはまた動くと思います。もう次の辻斬りの相談をはじめているらしいですから」
(………連中の内部情報は筒抜けか。あいつらもう詰んでるな)
そして辻斬り貴族たちが再び動き出したのは、アンコウがロイスの依頼を受けてから10日目のことだった。
*
全ての準備と標的の監視は、ロイスたちの組織が受け持っていた。
ロイスたちの組織に所属する者たちは、そのほとんどが抗魔の力は持たない貧民層出身の一般人で構成されている。
情報収集や交渉事はお手の物だが、抗魔の力をもつ者相手の戦闘となれば当然分が悪い。
それでも数の力を頼めば、ロイスたちだけで連中の首をあげることもできなくはないだろう。
しかしそんなことをすれば、必ず多くの犠牲者が出ることになるし、たとえ貧民街であっても、
それゆえに、ロイスたちが舞台を整え、アンコウたち実戦部隊が獲物を狩りとる役割分担が必要になるのだ。
アンコウたちは事前連絡を受けて、すでに辻斬り貴族どもがやってくるだろうと推測される地区に入っていた。
そのアンコウたちが待機する建物の中に、組織の連絡員が一人、入ってきた。
「カリムさん。連中が動き出したようです。屋敷を出て、事前情報どおりこの地区にむかっているようです」
アンコウたち実戦部隊のリーダーには、カリムが指名されている。連絡員の男はカリムに話しかけたが、その声は部屋にいる者すべての耳に聞こえていた。
「連中の数は三人。標的の貴族と護衛が二人」
「その護衛の二人も事前情報どおりの二人でいいのか」
「はい」
護衛の内の一人は、先日アンコウに毒針を突き刺してくれた男だったが、もう一人はアンコウも知らない男だった。
「このあいだも言ったが、おれを襲ったときにもいた男は間違いなく抗魔の力を持っているし、それなりに実戦経験もあるだろうから油断はできない。あのお坊ちゃんの力押しも馬鹿にはするなよ」
「アンコウは心配性だ。それでも二人とも一対一でやれば、お前が充分に殺やれると感じたんだろう」
「馬鹿ボンは問題ない。護衛のほうはどうかな。敵わないって感じはしなかったが、まともに斬り合う前におれは逃げたからな」
「それでもこっちは6人だ。6対3で問題あるか?」
当然ながら冒険者の中でもピンキリはある。集められた冒険者については、アンコウが自分と比べてみて、こいつなら余裕で勝てると断言できるような者は一人もいなかった。
よくこの短期間で、それなりの力を持った冒険者を6人も集めたものだとアンコウは素直に感心していた。
「ないな」
アンコウとカリムはみんなに聞かせるように話をした。
カリムが、連絡員の男のほうを見る。
「もう一人の護衛の男っていうのも問題ないんだな」
「はい。その男も元冒険者で、雇われて馬鹿ボンの父親の屋敷の警護をしていたらしいんですが、馬鹿ボンの要請があって、つい最近そちらに回されたようです。
新しい護衛が必要になったのは、アンコウさんの辻斬りに失敗したことが元の原因みたいですよ。アンコウさんを襲ったときにかなりひどい怪我を負った男はクビになったみたいでして。まぁ、怪我よりも真っ先に戦闘不能になったことが馬鹿ボンの不興を買ったみたいなんですがね」
「クビになったのか?」
アンコウがつい聞き返す。
「ええ」
(……あいつ、雇い主の馬鹿ボンを体を張って守ったんだけどな。報われないな。まぁ、クビになってなかったら今日が命日になる。あいつにとって、ある意味神仏のご加護か)
「しかし、アンコウにやられた奴をクビにして、お家に替わりを要求したらすぐにそいつが来たわけだ。やっぱり父親はその馬鹿の味方か?」
「いえ、カリムさん。そうでもないですよ。代わりにきた男は確かに元冒険者ですが、そんなに強くはないみたいです。
その貴族の家で雇っている護衛の中にはかなりの
「そうか。まっ、殺し合いする相手が弱いってんならありがたい話だ!」
父親が愚かな息子を改心させようとしているなら、息子の要求を全部はねつけるというのはありだ。
しかし息子の護衛に、あえて弱い者を選んで当たり障りなく送りつけるというのは、父親の息子に対する冷たさをより強く感じさせる。
依頼主が親族だとはいえ、馬鹿ボンを討ち取ったあとで、いきさつを知らない貴族の身内からの報復があるのではという心配も、父親がこれならまず大丈夫だろうとアンコウはあらためて安心できた。
「では皆さん、そろそろ出張る準備をお願いしますよ」
連絡員の男の言葉に、部屋にいる6人全員が同意の意を示した。
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