第5話 嫌いな世界
「おい、アンコウ。何のつもりだ?」
「おい、おい。おっかねぇな、ダッジ。別に何でもないぜ。同じパーティーメンバーだろう?おれが持っていても問題ないだろうが」
「ああ?話すり替えてんじゃねぇ。パーティーの決め事を守れっていってんだよ。誰が持つかはパーティーリーダーのおれが決めることだ」
ダッジの顔からだんだん笑みが消えていく。
アンコウは相変わらず、笑みを浮かべて、とぼけた表情でダッジを見ていた。
「ご主人様、魔石の回収終わりました」
魔石の回収を手早く終えたホルガが、ダッジのうしろまできていた。手には魔石の回収時に使った短剣をまだ持っている。
「そうか」
ダッジはアンコウを鋭い目で見たままで、ホルガに答えた。
「………ホルガ」
「はい」
ダッジが何やらアゴで合図をすると、ホルガはダッジの横まで進み出てきて、アンコウをじっと見つめた。少しずつ雰囲気が
アンコウは本気でこの魔石を独り占めしようとは考えていない。当然だ。この二人を敵に回してアンコウが迷宮の外に出られるわけがない。
逆にダッジがアンコウを殺してお宝を独り占めしようと思ったら容易にできるだろう。
アンコウはダッジがそこまで悪辣なまねをする冒険者ではないと判断して、ダッジのパーティーにも参加していたのだが、ここまでの流れ上、必要以上の不安に襲われていた。
しかしアンコウもこうして二人からプレッシャーをかけられれば、この場の決定権は完全にむこうが握っており、自分の圧倒的不利な立場をより強く認めざるをえない。
(……ったく。ウォンとツルがいなくなって、おれはダッジにまったく逆らえない状況になったって事か。クソいまいましい)
アンコウは心の中で毒づきながらも、顔には一層の笑みを浮かべた。
「ハハハッ!なんだよ二人とも!そんなおっかない顔をするなよ!せっかく生き残った仲間なんだからさぁー」
アンコウはそう言いながら、腰の袋から例の魔石を取り出し、立ち上がってダッジたちにゆっくりと近づいていく。
アンコウが近づいていくと、ホルガがアンコウとダッジの間に立ちふさがるように出てきた。
「何だよ、ホルガ。なんもしないよ。しかし奴隷の鏡だね、お前は。ご主人様のいうことに忠実で、ご主人様の身を案じて壁になるか」
「奴隷とはそういうものでしょう」
ホルガが無表情のまま、アンコウに言った。
「……しかしだ。それは同じパーティーの仲間にやることじゃないよなぁ、ホルガ?」
それまでわざとらしい笑みを浮かべていたアンコウの顔が、一転厳しいものに変わる。
「ホルガ!お前は、おれを敵扱いする気なのか!」
アンコウは語気も厳しく突然怒鳴るように言った。ホルガもいきなり怒鳴り声をあげたアンコウを鋭い目つきでにらむ。
アンコウは別に本気で怒っていたわけではない。これもダッジの出方をうかがうための芝居だ。
するとダッジはホルガの肩を掴み、ホルガをうしろに退かせた。そしてダッジ自身が、アンコウの前に出てくる。
「いい加減にしろよ、アンコウ。そこまで疑い深いとさすがに気分が悪い。何だったら、ご期待に応えてやろうか。あぁ?」
ダッジがドスのきいた声で脅すように言う。アンコウは自分をにらむように見るダッジから目をそらすことなく、しばらく黙っていた。
「ハハハハッ!」
アンコウが張り詰めた空気をほぐすように、今度はまた笑い声を上げた。
「そんな真剣になるなよ、ダッジ。おれが疑い深くなってるって気づいてんじゃねぇか。だったら何とかしてくれよ。パーティーリーダーなんだろ?」
アンコウは意識的に、軽く明るい調子で言った。
「チッ………俺たちは生きて迷宮を出る。そして、その魔石を売っぱらって、俺とお前で分ける。しかしだ。その魔石は、このパーティーのリーダーである俺が預かる。
それがお互いに生きて戻って、金を手に入れる第一歩だ。この場での問題はそれだけだ」
ダッジは先程とは違い、面倒くさそうではあったが、普通の声色で言った。
アンコウはダッジがしゃべっている間も探るような目でダッジを見つめていた。そしてアンコウは、大げさに目を見開らいて言う。
「おおー!さすがはダッジだ。ありがたい言葉だ。出来たリーダーで助かるぜ。信頼してるぜっ」
「やめろ。白々しい野郎だ。それにまだ迷宮の中だ。気ぃ抜いてると殺られるぞ」
アンコウは言質を取ってから、手に持っている大きい魔石をダッジに差し出した。
言葉だけの口約束などは、破る人間はたやすく破るものなのだが、それでも面倒であっても言質を取っておくことは必要な作業だと、アンコウは思っている。
「ありがたい忠告だ。外に出るまでしっかり働くから、よろしく頼むよ。リーダー」
「チッ、面倒くせぇ野郎だ」
ダッジは、アンコウの手から魔石をつかむと振り返り、すぐに歩き出した。
「ああ、ホルガ」
アンコウはダッジに続いて歩き出そうとしていたホルガを呼び止めた。
「なんですか?」
ホルガは相変わらずの無表情だが、先程のこともあり、アンコウを見る目はいつもより少しきつい。
「ホルガ。さっきは怒鳴って悪かったな。ちょっと気が立っていて、お前に当たっちまった。お前はよく働いてると思うよ。一緒にいるおれらもほんとに助かってる。
いや、お世辞じゃなくてさ。おれも奴隷を買うなら、ホルガみたいなヤツがいいな」
アンコウは本当にお世辞で言ったわけではなかったが、これは今後のことを考えて、ホルガにも悪感情をもたれないほうがいいと思い、素早くフォローを入れておいたことに違いはなかった。
効果があるかどうかはわからなかったが、悪くなることはないだろうと、とりあえず言ってみたのだ。
「………いえ、気にしていませんから」
ホルガは相変わらずの無表情のままで言うと、そのままダッジの後ろをついて歩いていった。
(ふむ。ちょっとは効果があったみたいだな)
アンコウは、無表情ながらホルガの自分を見る目が少しやわらかくなったのを見逃さなかった。
奴隷の行動はその主の命令で決まるので、ホルガにどう思われても実際には大きな問題ではないのだが、人の感情の動きを見抜くという力は、この世界を生き抜くうえでは非常に重要なものだ。
アンコウはこの世界に来るまでは、規則や秩序がしっかりしている社会ほど、人に気をつかい、空気を読む必要があるのだと思っていた。
しかし、それは間違いであったと今では思っている。
規則がなく、秩序が乱れているからこそ、他者の顔色をうかがう力が必要になるのだ。うっかり他者を怒らせることが即、死につながることもあるのだから。
「おい、アンコウ!お前はそこに残るのか!」
「冗談じゃねぇよ!」
「休憩するにも、ここはまずい!移動するぞ!」
「待ってくれ!」
アンコウは、ダッジたちのうしろについて再び歩き出した。
アンコウたちはダッジの判断で予定を繰り上げて、迷宮から出ることにした。
さすがにその日のうちに出ることはできなかったが、予定よりも一日早く迷宮の外に無事に出ることができた。
魔獣の「湧き」などは滅多に起きることではないし、第2階層からなら、この3人がいれば、十分に戦うことができた。
アンコウたちが迷宮の外に出た時、すでに太陽は落ち、月と星明りの時間になっていた。
「この時間じゃあ、魔石の換金は無理だ。とりあえず宿屋に行って、換金は明日だな」
ダッジが言う。
アンコウとしては、とっとと換金と金の分配を済まして解散したかったのだが、ダッジの言うとおり夜になっていては仕方がなかった。
「ああ、わかった」
アンコウたち3人はそろってアネサの町に入る門にむかって歩いていく。
アンコウたちがさっきまで潜っていたアネサの迷宮はアネサの町を出たすぐ近くにある。正確に言うとアネサの町はこの迷宮があったからこそ、できた町だ。
魔素の迷宮には魔獣が住み、魔獣を倒せば魔石が手に入り、この魔石の用途は多様で、この世界では絶対必要なものになっている。
しかし、誰もが迷宮に入ることができるわけではない。妖精種ならば誰もが魔素に対して耐性を持っているが、人間族や獣人族はそうではない。
人間族や獣人族は、魔素にからだが侵されることなく魔獣を倒す力を備えた者は、全体のうちの一部の者に限られる。アンコウもダッジもホルガも言うなれば選ばれし者といえる。
先天的にその素質を備えている者、後天的にその能力に目覚める者の差はあるが、そういった力のある者のうち、魔素の迷宮や魔素の漂う地に入り、魔獣狩りを
魔獣を狩り、自分の力で魔石を手にすることができるということは、他の力なき者よりはるかに栄達を手にすることができる可能性が高い。
しかし、ウォンやツルのように魔獣の牙の前に倒れる者も多く、ホルガのように奴隷とされる者も少なからずいる。
力なき者は強き者に食われ、弱き者を喰らった者はさらに強き者に食われる。アンコウが元いた世界のように弱者を救う社会的なセーフティネットなど存在しない。
アンコウたちは町の門をくぐり町のなかに入っていく。
そしてアンコウたちは、門の比較的近くにある迷宮に潜る冒険者たちがよく使う宿屋のひとつに入っていった。
「ダッジさんお帰りなさい。ご無事でなによりです」
「ああ」
どうやら、迷宮に潜る前にダッジはこの宿を使っていたようだ。魔石を売って稼いでいる冒険者は、一般的にいって普通より金を持っている者が多い。
意外にも冒険者を目あてにしている宿屋は、比較的大きくキレイなところが多い。
この受付の従業員の言葉遣いも、じつに丁寧である。
しかし同時に、この受付の男性の体つきは筋肉質で、隠しきれない威圧感もあった。多数の冒険者が出入りする以上、暴力沙汰も多く、それに対応できる人間を雇っているのだろう。
それでも冒険者たちが宿屋に歓迎されているのは、揉め事も多いが、明日死ぬかもしれないという思いを強く持っている冒険者は、あの世に金は持っていけないということで、多くの金を落としてくれる上客だからである。
「また二人部屋でよろしいですか?」
「いや、三人泊まれる部屋でたのむ。明日には二人部屋に変えてもらうかもしれねぇけどな」
「かしこまりました」
アンコウたちは3人同じ部屋に入った。ベッドは3つ用意されていたが、アンコウの気が休まることはない。
アンコウがいつも使っている宿屋はもっと安い宿屋であり、特別理由がないかぎり、一人で泊まっていた。
(仕方がないけど、気が休まらないな。せっかく迷宮から出てきたのに)
「くそっ」
アンコウは、小さな声でつぶやいた。
「おい、アンコウ。不機嫌になるなとはいわねぇが、お互い様なんだぜ」
アンコウはダッジにそう言われて、とってつけたような笑顔をダッジにむけてみた。
「………やめろ。それは本気で腹が立つ」
「何だ。注文の多いリーダーだな。おれみたいな下っ端は大変だ」
アンコウは大げさに肩をすくめる。
「テメェは本当にいい度胸だ。誰をからかってるのかわかってるんだろうな?」
ダッジが少し本気で剣呑な雰囲気を見せてきたので、アンコウはおとなしく頭をさげておいた。
(まったく、冗談も通じない。まぁ、今晩だけの我慢だ)
そんなにいやならば別の部屋を取ればいいのだが、魔石の換金が済んでいない以上、そうもいかない。
魔獣狩りをパーティーを組んでおこなって、手に入れた魔石を持った者が、そのまま持ち逃げするなんて話はザラにあることだ。
アンコウは、すでに迷宮から出てきている今の時点で、ダッジがそんなまねをする可能性はとても低いと思っている。
しかし、信頼関係のある固定パーティーならいざ知らず、いっぱしのフリーの冒険者としてむやみに相手を信用する姿勢を見せるなど、甘いマネはできない。
そんなことをすれば、かえって自分のことを軽く見られてしまう可能性すらある。
とりあえずアンコウたちは荷物を置いて食事に行くことにした。
「アンコウ、ホルガ行くぞ」
「ダッジのおごりか?」
「なにぃ」
「今回は金になりそうなお宝があったんだ。メシぐらい奢れよ」
「チッ」
どうやらメシは奢って貰えそうだと、アンコウはダッジについていった。
ダッジにメシを奢るように催促はしたが、実はアンコウはそこそこ金は持っている。
前の世界からの習慣みたいなものなのか、冒険者になってそれなり金を稼げるようになると、他の冒険者たちと違いアンコウは意識的に稼いだ金を貯めていた。
明日死ぬかもしれない冒険者としてはかなり珍しいことなのだが、アンコウはどうしても無駄に金を使う気がしなかった。
そもそもアンコウは死ぬ気がないし、金を稼ぐために冒険者としてリスクを負うことは仕方がないとしても、それ以外の時は、できるだけ穏やかに豊かに生きたいと思っている。
それゆえ必要な出費も多い冒険者家業ではあったが、アンコウは、3年ほどの経歴を持つアンコウクラスの冒険者としては、かなり金をためこんでいた。
そして今度の狩りの稼ぎで、アンコウは欲しいと思っていた とある物を買うことができるだろうと考えていた。
*
「わははははっ!」
ざわつく宿の食堂。冒険者を上客としているこの宿の夜の食堂は、食事をするところというよりも居酒屋という感じだ。
ダッジはかなり速いペースで酒を飲んでおり、すでにかなり酔いが回っているようだ。
(はぁーっ、これはまだ当分部屋に戻れそうもないな………)
アンコウとしては、食事を済ませたらとっとと部屋に戻って眠りたかったのだが、ダッジは他の多くの冒険者と同様かなり酒量が多い。
アンコウも酒は飲める口だったのだが、かなり水で薄めた酒を何かを食べている合間にちびりちびりと飲んでいる。
アンコウは量を飲むときは一人で部屋で飲むか、よほど気心の知れた人と一緒でなければ、怖くて人前で酔っぱらうことは控えていた。
アンコウは特に人に対して用心深い。過去に奴隷にされた経験などから、この世界の人間に対する警戒心が強くなってしまっている。
逆にアンコウは、よくこんなところで酔っぱらうことができるものだとダッジやこの食堂で派手に酔っぱらっている者たちに対して感心すらしてしまう。
平和な異世界からきたアンコウには、まだそういう図太さは身についていない。
「へへへ。よう、ダッジ。ご機嫌だな」
「ダッジ、稼ぎのほうはいいのか?」
「また今度、誘ってくれよ」
ダッジは、この街を拠点にしている冒険者たちにそこそこ顔が広い。まわりにいる酔っぱらい達が、入れ替わり立ち代り、ダッジに声をかけてくる。
なかにはかなり風体のよろしくない者もまじっており、ダッジに一声かけて、ホルガの体を触っていくような者もいたが、ダッジもホルガも特別それをとがめることもなく、いつものことのように振舞っている。
「………なぁ、ホルガ。金でも取ってやったらどうなんだ」
アンコウはダッジやホルガが何もいわない以上、直接自分が間に入って、やめさせるつもりはまったくない。
迷宮の中では、ホルガはその戦闘能力ゆえに常にダッジの壁になり、ウォンやツルには性の対象としてその体さえも好きにされていた。
そのことを思えば、いま酔っぱらった冒険者に胸や太ももを触られるぐらいは軽いものなのかもしれない。
しかしアンコウにしてみれば、生きるか死ぬかの迷宮の中ならいざ知らず、宿屋の食堂でメシを食べながら見たい光景ではなかった。なぜなら自分が奴隷だったときに、味わった苦痛を思い出すからだ。
「いえ」
ホルガはアンコウにそう一言だけ答えた。
ホルガは表情を変えることもなく、お茶のようなものを飲んでいる。おそらく酒を飲むことはダッジが許していないのだろう。
「はははっ!アンコウ!お前も触ってもいいんだぞ!ホルガは触られるのが好きなんだ!それともお前は男のほうが好きなのか?」
(完全に酔っぱらってやがるな。この山賊づらは)
ダッジに下衆いところがあるのはいつものことであり、どちらかというとただ明るくなるだけの酒であって酒癖が悪いというわけではないのだが、アンコウは出来れば今すぐにこの場から立ち去りたいと強く思っていた。
「言ったろう、ダッジ。おれは分け前をもらったら、その金を持って娼館に行くんだよ」
「ワッハッハッ!そうだったな!お前は獣人女は専門外だったな!」
(誰がいつそんなこと言ったよ、この山賊づら!)
アンコウは自分の矛盾に気づいている。アンコウは娼館を日常的に使っている。人間の女も獣人の女も買ったことがある。
娼館で働いている女は、なかには金のために働く自由民の女もいるが、その多くは奴隷であった。
自分は娼館で女を買うくせにホルガを触ろうとしないことに何の意味があるのだろうか、迷宮の中でホルガを抱く者、酒の場でホルガの体を触る者、それを嫌悪する資格が自分にはないだろうと思っている。
しかし、どうしても嫌だったのだ。理屈で感情は抑えられない。
( くそっ!もう嫌だ。こんな世界は!)
そしてアンコウは、自分の中にある矛盾も、この世界のせいにする。
アンコウにとって、元の世界とこの世界を比べれば、確かにこの世界の方がひどい世界ではある。しかし、自分にとって都合の悪いことの全てが、この世界のせいなどということはあり得ない。
アンコウも本当はわかっているのに、この世界のせいにするしか気持ちのもっていきようがなかった。
そして、アンコウはまた少しこの世界がきらいになっていく。
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