第6話 辻斬り貴族

「わっはっはっは!どうしたアンコウ!お前も飲め!ウォンとツルの弔い酒だ!」

「おれはこれぐらいが適量なんだよ」

(何が弔い酒だよ。これっぽっちも気にしてやがらないくせに。まぁ、それはおれも人のこと言えないけどな)


「あっはっはっはー!」


(それにしてもダッジのやつ、相当テンション高いな。くそっ、これは長引くな)


 ダッジはそれから空が白むまで飲み続け、アンコウはやむなくそれにつき合った。





 「ふわーっ、眠い」


 次の日の早朝から、アンコウたちはガンツ商店にいた。店が開く少し前には店に着いており、アンコウたちがこの日一番目の客だ。

 この店はダッジが魔石を換金するときにいつも使っている店であり、なかなかの大店おおだなだ。


 アンコウはまだ眠く、時折あくびもしていたが、内心は緊張というか少し興奮していた。

 実はアンコウたちは店に入ると、ダッジがすぐに顔見知りの店の番頭ばんとう格の従業員にまわりにわからないように魔石の入った袋を見せた。するとアンコウたちは、いつも換金する場所とは違う個室のような場所に案内されることになった。


 アンコウも何度かはこの店を利用したことがあったのだが、その部屋に案内されたことはない。

 しかし、その部屋が高額物品の持ち込みがされたときに使われる場所だということは知っていた。


 案内された部屋ではテーブルの席にダッジが座り、アンコウとホルガはそのうしろに椅子を置いて座った。これから始まる売買交渉は、パーティーリーダーであったダッジに一任している。



「ダッジさん、お待たせいたしました」

「いや、開店早々だったからな。問題ない」


 入ってきたのはアンコウたちをこの部屋まで案内してきた番頭ばんとう格の男だ。

 商人らしく物腰は低いが、顔つきは厳つく、だるまのようなガッシリとした短躯たんくの男。この男は妖精種のドワーフである。名前はロビ。


「では、拝見いたしましょう」


 ダッジは袋の中身をテーブルの上に全て出し、腕を組んでロビを見ていた。

 ロビは他の魔石には目もくれず、ひときわ大きい魔石を手に取った。そして、それを時間をかけて鑑定する。


 妙な緊張感が漂う中、アンコウも一言も発せず、魔石を鑑定するロビを見つめていた。


 そして手に持った魔石を再びテーブルに置いたロビがおもむろにダッジを見て、買い取り金額を口にした。

「なっ……!」


 それまでポーカーフェイスを保っていたアンコウだったが、その金額を聞いて思わず声を漏らしてしまう。

 その金額は、アンコウがこの1年間で稼いだ金額の3倍を大きく超える額だった。


 アンコウは半開きになった口で、うしろからダッジの横顔をうかがう。ダッジは口角をつり上げて笑っているように見えた。

 しかし、その顔に驚愕というほどの驚きの色はない。


(………ダッジ、わかっていたのか)

 しかもダッジは、さらに買い取り金額をつり上げようと交渉を始めた。



「ダッジさん、無茶を言わないで下さい。私どもと長いおつきあいのダッジさんです。私も妥当な金額を提示したんですよ」


 しかしダッジは退かない。手慣れた調子で交渉を進め、はじめにロビが提示した価格よりもさらにいくらか買い取り金額を上積みさせてしまった。


 結局その金額は、アンコウのこの一年間の稼ぎの4倍近くに達する額になった。





「うわっはっはっはっはー!」

 部屋に響くダッジの笑い声。


 交渉が終わり、ロビが部屋からいなくなった代わりに、目の前のテーブルのうえには、金貨銀貨の大金が積まれている。


 テーブルに積まれている金のなかには、今回アンコウたちが魔獣を狩って手に入れた魔石を売った分も含まれていたが、その金貨銀貨のほとんどがあの大きい魔石1つと交換されたものだ。


「ダッジ、あんたわかってたのか?」

 アンコウがまだ少し惚けたようにテーブルのうえに置かれている金を見ながら言った。

「ん?まぁ、お前が思っていたよりは、俺は高い金額を考えていたんだろうがな。これは予想外だ」


 さっきまでいたロビが言うには、あの魔石にはアンコウたちが単に表面を触れて感じることができた魔力だけでなく、魔石のなかに表面を触っただけではわからない魔力を秘めている種類のものらしい。


 ドワーフであるロビは、アンコウではわからなかった その秘めたる魔力も探り当てることができる能力を持っている。

 そして、そのことはダッジにもわかっていたようだ。


「経験ってやつだ。ロビがやったような魔力探知は俺にもできねぇがな。あの魔石の大きさや色を見れば、そういう可能性はあるだろうと思っていた。まぁ、それにしてもの収穫だったがな。くっ、くっ」


「あの魔石は一級品だったってことか」


「いや、一級品だったら、少なくともこの2倍はいくだろうぜ。一級品を常に狙っているトップクラスの冒険者たちだって、一級品の魔石なんかは年に数えるほどしか手に入れることができないらしいからな」


 それを聞いて、アンコウは目をむく。一級品の魔石などアンコウには縁のないもので、それに関する知識はほとんど持ってなかった。

 それゆえに、少なくともこれの2倍は超えるという一級品の魔石を年に何個かは手に入れる冒険者がいるという事実に逆に驚いた。


 それならば、今アンコウたちが売ったぐらいの魔石ならもっとザラに手にしているかもしれない。

 アンコウは彼らが相手にしているだろう魔獣たちとは決して戦いたいとは思わないが、彼らが手にしているだろう金貨銀貨の額には素直にうらやましいと思ってしまった。


「そのうらやましい連中はどんだけ欲深で命知らずなんだ?そんだけ稼いだらとっとと引退すりゃあいいのにな」


「なかにはそういうおもしろ味のないやつもいるだろうがな。それだけ力を持っているヤツらはそう簡単に戦うことから身を退くことなんかできねぇさ。まわりがそう簡単には許さねぇだろうし、だいたい冒険者なんてやってる人間が自分の欲望に底をつくれるとは思えねぇ。

 アンコウ、お前だったらそれだけの力を持っていたとして、そこそこの金を稼いだだけで田舎に引っ込むなんてマネができるか?俺はできねぇな。金だけじゃねぇ、それだけの力があったら権力を望むことだってできるだろう」


 アンコウは何も答えなかった。今なら田舎に引っ込むと言うことができる。

 しかし実際にそんな力を手にしたとき、自分がどう変わるかは確かにわからないと思ったからだ。アンコウは質問には答えずに質問で返した。


「何だ、ダッジ。あんたは権力がほしいのか?」

「ああ、ほしいな」

 ダッジはためらうことなく軽い口調で答えた。


 アンコウはダッジが冒険者になる前は、とある地方貴族に使える騎士であったことを思い出した。

 ダッジの家は代々その地方貴族に仕える騎士の家柄であったらしく、ダッジが正式な騎士となってまだ間もないころに地方貴族同士の領土争いに敗れ、ダッジが仕えた貴族の家は滅び、ダッジは冒険者の道に入ったと聞いていた。


 ダッジはその頃の話をほとんどしないので、アンコウもそれ以上の具体的なことは何も知らない。

 それにそのようなことはこの世界では今もよくあることで、別に珍しいことでもない。


(あんな山賊づらの騎士がいるかよ)

 というのがアンコウの率直な感想であり、ダッジのことは、今はどうみても骨の髄から冒険者になっているとしか、アンコウの目には映らない。


「ダッジ、どんな種類の権力だ?まさか、まだ騎士に未練でもあるのか?」


 アンコウはそんな深くは考えず、軽く笑いながらで聞いた。

 しかし、その質問を受けてダッジがアンコウに返した視線は、思いのほか鋭く厳しいものであった。そしてダッジは何も答えは返さない。


 アンコウは顔から笑みを消して、ダッジから目をそらした。

(ヤバッ、地雷だったかもな)


 誰にでも触れられたくない過去や、表面的にはわからない思いというものがある。

 アンコウはダッジのその厳しい視線から、自分の失敗を察し、自分の脳内で今の質問はなかったことにした。



 アンコウたちは無駄話はそこまでにして、テーブルに積まれた金貨銀貨の分配をおこなう。お宝の分配に関しては事前に決めていたのでいまさら揉めることはない。


 まず10のうち2は奴隷を連れてきていたということもあり、このパーティーリーダーであるダッジに。あとの8を全員で公平に分割する。


 この中には奴隷であるホルガは当然含まれず、ウォンとツルは死んだため、アンコウは今回の稼ぎの40%を自分の分け前として手に入れた。

 これはアンコウがこれまでに一度の魔物狩りで手にした最高金額だった。ここ最近の稼ぎの約1年半分にもなる金額を手に入れた。


 そして、アンコウたちは金の分配が終わるとすぐにガンツ商店を出た。



「じゃあな、ダッジ。またいつでも声をかけてくれよ。おかげで今回はよだれもんだったぜ」

「今回のことはもう忘れろ。迷宮で死にたくなかったらな。これは拾った金だ」

「へぇ、言うねぇ。さすが頼りになるリーダーだ」

「うるせぇよ。とにかくまた声をかけるぜ」

「ああ、いつでも、お気軽にな」


 アンコウとダッジは最後に軽口をたたき合った。


「ホルガもまたな」

「はい、アンコウさん」



 そして、アンコウはダッジたちと別れて、ひとり歩く。

 アンコウは、明け方近くまで宿の食堂(酒場)にいたにもかかわらず、まだ朝飯を食べていない。それなりに腹が減ってきていた。


 しかし、今アンコウが向かっている先はメシ屋ではないし、分け前が手に入ったら行くと言っていた、いかがわしくも魅力的な極彩色ごくさいしょくの街でもない。


 こんな大金を持って平気で街をうろつくほどアンコウは剛胆でも愚かでも、ましてや大金持ちでもない。

今アンコウが向かっているのはカラワイギルドの会館であった。カラワイギルドは、アネサの町でもいちにを争う大きさの商人組合である。

 アンコウは稼いだ金のほとんどをこのギルドに預けてた。





 アンコウはいつもどおりカラワイギルドに金を預けると、ギルド会館の外に出た。


 アンコウが自分にとって豊かで平穏な生活を送るために必要な ある物を買うための金は、今回の稼ぎでもう十分に貯まった。

 しかし取り立てて急ぐようなものでもなかったので、アンコウは一日二日ゆっくりと休んでから、それを見に行こうと思っていた。


 アンコウはカラワイギルド会館の正面階段を下りて、再びふり返って会館を見る。


「……しっかし、何回見ても豪華な建物だ。人が預けた金を何に使ってやがるんだろうな」


 金は金のあるところに集まる。決して貧乏人が空を見上げてみても金は降ってきたりはしない。

 しかし金持ちが見上げる空からは金が降ってくる。それはアンコウが元いた世界と変わらない世界の真理だ。


 アンコウはとりあえず今日の宿をとるために、よく使う宿屋の1つの場所を頭に思い浮かべて歩き出した。


 しばらくしてから、アンコウは襷掛たすきがけに体に巻き付けていた背嚢はいのうを歩きながら外した。

 背嚢はいのうといってもそれは実に薄っぺらく、見た目には布を襷掛たすきがけに体に巻き付けているといった方が適切かもしれない。


「………雨だな」

 アンコウはチラリと空を見上げながらつぶやく。


 アンコウが手に持ち替えた布風の背嚢はいのうには、アンコウが元いた世界の大きいジッパーのようなものがついていた。アンコウは、その大きいジッパーを上から下に動かし背嚢はいのうを開けた。


 開いたジッパーの中には何も見えない。ただ真っ黒である。


 そもそもこの背嚢はいのうにはまったく厚みがなく、中に何かモノが入っているようには見えなかったのだが、アンコウはおもむろにその中に手をいれた。

 薄っぺらい背嚢はいのうにアンコウの手がヒジぐらいまで入る。それでもこの背嚢はいのうにふくらみは生じず、薄っぺらいままだ。


 この世界の者ならば、アンコウのその背嚢はいのうが魔具の1つであることは誰でもわかるだろう。アンコウの持つこの魔具である背嚢はいのうには、およそ100㎏ほどの物品を収納することができる。


 背嚢はいのうの中に手を突っ込んだアンコウの頭の中に、次々と背嚢はいのうの中に入っているもののイメージが浮かんでは消えていく。

 そして、その中から必要なものを手に掴むと背嚢はいのうの中から取り出した。


 アンコウが取り出したものはフード付きのコートのようなもので、この世界のかっぱ。

 アンコウは再び背嚢はいのうをたすき掛けに背負い、取り出したかっぱを羽織はおると裏通りの方に歩いていった。





「若様、あの男はいかがでしょうか?」

「あのようなみすぼらしい貧弱な者を切っても面白くもない。もっとこの剣にふさわしい者を斬らねば」


 アネサの町の裏通り、貧民街といわれる場所の中でも人通りの少ないとある廃屋の中で、外の道をうかがいながら頭からすっぽりと隠れるマントを着込んだ3人の男たちが話をしていた。


 若様と呼ばれた二十歳ほどの男は、この町に住むとある貴族の子息であり、腰に差している剣を見れば、一目でなかなか羽振りがよい貴族の家であることがわかるほど豪奢な装飾がなされている魔剣を所持していた。


 それは鞘の装飾だけでなく、実際の剣身そのものも、アンコウクラスの冒険者が所持できる魔剣とは、ものがまったく違う一品で質の高い魔石をふんだんに使って造られたものであった。


 この貴族のお坊ちゃんが今しようとしていることは、辻斬つじぎり。自慢の魔剣の切れ味を実際に人を斬って試そうとしていた。

 いや、このお坊ちゃんはもうすでに3度ばかり、この剣の切れ味を辻斬りで試している。剣の切れ味を試すためだけに、この貧民街で罪なき力なき者を5人斬っていた。


 この貴族の坊ちゃんはこの貧民窟の住民の命になんの重みも尊さも感じていないのだろう。森で狐を狩る程度の感覚で人を斬っている。

 いや、人を斬ることに快感を覚えてしまった者にとっては、何よりも楽しい遊びなのかもしれない。


 その3人が潜む建物にむかって、アンコウが歩いてくる。遠くから歩いてくるアンコウの姿が、貴族の坊ちゃんの目に入った。


「あの男。うむ、あの男がよい。あやつを斬る!」


 坊ちゃんの視線の先を追って、お供の者と思われる二人の男もアンコウのほうを見た。


「若様。あの男はコートの下に剣を差しているように思います」

「うむ。これまでは丸腰の町民だったからな。次は多少抵抗する者でなければ、面白うない」

「しかしあの風体、冒険者である可能性もあるのでは?」

「それがどうした!このようなところを歩いている冒険者の一人や二人、この魔法剣の敵ではなかろう!」


 坊ちゃんと話をしていた年嵩としかさの方のお供の男は、内心苦々しく思うところはあったが、その感情を顔に出すことはなく、

「はい」と うなずいていた。


 この年嵩としかさ男も、もう一人の若い方の男も、この貴族の家に護衛役として高い金で雇われた力のある人間族であり、かつては自身も冒険者として生きてきた経験もある。


 面倒な遊びだとは思っていたが、確かに3人であたれば、たとえあのコートの男が冒険者であったとしても後れをとることはないだろうと判断した。


 そしてこの貴族のお坊ちゃんも、生来の選ばれし力を持っている人間であった。

 この魔素に抗う力を持つ者は ある程度遺伝することが知られており、親が力を持つ者であれば子もその力をもって生まれてくる可能性が高くなる。


 当然貴族の家は抗魔の力を持つ者との結婚を望み、自然、代を重ねるごとに貴族の家は一般庶民の家よりも力を持つ者が生まれてくる可能性が高くなっていく。


 つまり単に血脈による身分制度というだけでなく、実際に統計的に見ると、その社会的身分の差が個人の持つ生物としての力の差となっている現実があり、結果、この世界の身分の違いによる差別というものはかなり強烈で絶対的なものになってしまっている。



 アンコウが男たちが潜む建物の前の道にさしかかると、3人の男たちは奇襲を仕掛けるわけでもなく、まわりを気にする風でもなく現れ、アンコウの前に立ちふさがった。


 アンコウは一級ではないとはいえ、冒険者である自分が町中でこの手の賊に襲われるとは考えていなかった。

 しかし、自分の前に立ちふさがった男たちを見て、男たちの目的が何であるかはすぐに察することはできた。


(………こいつらの装備……物盗りではないな)

「………道をあけてくれ。何だったら通行料を払ってもいい」


 この連中との厄介事はできれば避けたほうがいいと思ったアンコウは、多少の金銭ですむのならと下手に出たのだが、男たちはアンコウの問いには答えずに、すらりと剣を抜いた。


「待て!その剣といい、それだけの装備。あんたら貴族だろう?おれはあんたたちと敵対する気はない。人違いじゃないのか!」


 アンコウは一番年若く、金のかかった装備をしている男にむかって話しかけた。アンコウにも一目でわかる、この男が貴族だということは。

 そして人違いではなく、この連中が辻斬りをしている悪趣味な御貴族様であることも察しがついていた。


( くそっ!やっかいな!)


 辻斬りのうわさが流れていたのだ。

 しかし、アンコウが聞いたうわさでは被害にあっていたのはいずれも貧民街に住む力なき庶民であったため、自分が標的にされるとは思っていなかった。


 アンコウは口では「人違いでは」なんていうことを言ってはいたが、連中が話し合う意思がないと察した時点で、意識はすでに戦闘モードに入っている。

 戦わずには逃げられそうもないと、冒険者として瞬時の判断を下していた。


「ワッハッハ、人違いではない。貴様にようがあ」

「!若様、逃げて下さい!」


 何やら話しはじめた貴族の辻斬り坊ちゃんの言葉は、護衛の男の叫び声ですぐに中断された。

 辻斬り貴族が話しはじめた瞬間、アンコウは精霊封石弾の栓を抜き投げつけていた。もちろん狙ったのは、真ん中の貴族風の若い男。


 アンコウのこの攻撃は貴族のお坊ちゃんはもちろん、護衛の二人もまったく予想をしていなかった。

 こちらが攻撃を仕掛ける前に、ここが貧民窟の裏通りとはいえ、町中でいきなり精霊封石弾を使ってくるとは。


 3人の辻斬りの男たちは、完全に不意を突かれた。


 アンコウは、まともにこの3人を相手に戦って勝てる可能性は低いのではないかと、彼らの装備を見て判断していた。

 男たちが剣を抜き、アンコウがそれを見て彼らに話しかけていたときから、気づかれぬように精霊封石弾を使う準備をしていた。


 坊ちゃんをかばい、年若い方の護衛の男が素早く坊ちゃんの盾になるように一歩前に出る。

 そして、その護衛の若い男は、すでにこちらにむかって投げられている精霊封石弾を剣の腹ではじき返そうと剣を振った。しかし、わずかに間に合わない。


ドォガァーンッ!

 火の精霊封石弾が爆ぜた。


 若い護衛の男はほぼ直撃、吹っ飛んだ。そしてもう一人の護衛とお坊ちゃんも爆発に巻き込まれていた。


 アンコウは精霊封石弾を投げつけると同時に全力後退をしていたが、精霊封石弾の栓を抜いたあとも投げるまで少しの時間手に持っていたこと、標的との距離が短かったこともあり、アンコウ自身も爆発の影響を受けて足が地を浮き地面に転がった。


 しかしアンコウは、特にケガなどはしておらず、同じく爆発で地面に転がっている敵3人を見て、してやったりと興奮する。予想以上の打撃を3人組に与えたと思った。


 そしてアンコウは後顧こうこうれいを断つために、ここでこの3人を屠ることを瞬時に判断した。

 貴族に危害を加えたならば、当然、後の報復が心配されるからだ。

 しかし、この時アンコウは敵の状態判断を誤っていた。


 お坊ちゃんは体の左側に爆発によるダメージを強く受けていおり、情けなく悲鳴をあげていた。しかし、護衛の一人が盾となってくれたおかげで、意識はしっかりしているようだ。


 おそらくこれまでおもしろ半分で人を傷つけることはあっても、自分が苦痛を伴うような打撃を負ったことがなかったのだろう。

 実際のダメージよりもお坊ちゃんは、情けない醜態をさらしていた。

 それゆえにアンコウは、このお坊ちゃんが受けたダメージを過大に判断してしまった。


 そして、もう一人の年かさの護衛の男は、爆風をうけ、少し離れたところに転がっている。意識はあるようだが、しきりに頭を振っている。

 爆発によるダメージはさして大きくないようだが、吹き飛ばされた影響で脳震とうでも起こしているようだ。


 この状態を見て、アンコウは3人ともここで討ち取れると判断してしまった。

 素早く起きあがったアンコウは剣を抜き、まず悲鳴をあげている辻斬り貴族にむかって突進していった。


「おおぉぉぉーっ!」

 お坊ちゃんに接近したアンコウは、そのままの勢いで剣を振りおろした。

ギャアンッ!

「なあっ!」


 予想外。アンコウの剣はお坊ちゃんにとどくことなく、お坊ちゃんの魔剣で完全に受け止められてしまった。


「こ、この下郎がぁーっ!」

お坊ちゃんは、そのままアンコウの剣を押し戻すと同時に立ち上がる。

「ヌオオッ!」


 アンコウが考えていたよりもお坊ちゃんが受けたダメージは少なく、また、それ以上に驚きだったのは、アンコウが考えていたよりもこのお坊ちゃんが強い力を持つ者であったということだ。


(この剣の圧力っ!こいつ地力が強いっ!)

 この貴族のお坊ちゃんはアンコウが考えていたより、強い力をその身に宿す者だったのである。


ガァンッ!ゴォンッ!ギャンッ!

 アンコウの繰り出す剣戟を、お坊ちゃんは力任せながら受け続けてみせた。

( クソッ!まずい!)


 天賦の身体能力だけなら、この辻斬り貴族の方が自分より上かもしれないとアンコウは感じた。

 それでも、この男の想像以上の力に一瞬驚かされはしたものの、技能と経験という点ではアンコウよりも大きく劣り、普通に戦えば十分に勝てる相手だ。

 しかし、アンコウの顔には強い焦りの色が浮んでいる。


( くそっ、時間がかかる!)


 そう、負ける相手ではないものの、速攻で倒せそうはない。逆に、ある程度の手傷を負わされるかもしれないと考えなければならない相手だった。


 時間がかかれば、もう一人の護衛の男が間違いなく復活参戦してくるだろう。

 護衛の男がこの貴族の坊ちゃんと同等か、あるいはそれ以上の力を持つ者であったならば、おそらくアンコウは負ける。


 アンコウの初めの奇襲の一撃で、3人にあれだけのダメージを与えることができたのは、彼らの油断であり、アンコウにとっては非常に幸運なことだった。

 奇襲の一撃を加えた時点で、アンコウはきびすを返して逃げるべきだったのだ。


 そう思い至ったアンコウは、辻斬り貴族の力まかせの剣を受け止めると、それ以上の力で力まかせに押し返した。


 うしろによろめき、後退するお坊ちゃん。アンコウはその隙を逃すことなく、

ドォガァッ! と、バカ貴族の腹に思いっきりケリを入れる。

ぐげえぇぇっ と、カエルが潰されたような声を出しながら、お坊ちゃんは地面を転がった。


 それとほぼ同時に、アンコウは転がるバカに背を向けて一気に走り出す。


 アンコウは遅まきながら、逃げるという判断をした。しかし、


「ぐがあぁっ!」

ズザザアアァァー

 アンコウは少し走ったところで声をあげながら地面に転がる。


 右足のふくらはぎに強い痛みが走る。

 アンコウの足に、吹き矢によるものと思われる太い針のようなものがつき刺さっていた。続いて、


「ぐがぁぁっ!」

 アンコウの左腕、防具に守られていない部分に同じく針がつき刺さった。


 それが地面に倒れていた年かさの護衛の男の攻撃であることをアンコウは視認していた。

 アンコウはまだ地面に倒れたままで、自分にむかって飛び道具による攻撃を仕掛けてきた男に対して、腰に差していた小クナイを2つ連続して投げつけた。


 男は飛んできた一つ目の小クナイを手に持っていた太い筒で何とかはじき防いだのだが、


「ギヤァァーッ!」

 2つ目の小クナイを防ぐことができず、男の目に小クナイが突き刺ささる。


 アンコウはこの男の怪我の程度を正確にはわからなかったが、目に小クナイが刺さったこともあり、これ以上攻撃を仕掛けてくることはできないだろうと判断した。


 また、腹を蹴られて地面に転がった辻斬り坊ちゃんのほうも、逃げるアンコウを追いかけてくる気配はまるでない。


 その様子から自分の傷を治すための回復剤でも取り出そうとしているようで、自分から仕掛けた戦闘の最中にもかかわらず、すでにアンコウのことは意識の外になり、自分の怪我のことで頭がいっぱいになっているようだ。


 辻斬り貴族のお坊ちゃんのそのふざけた姿を見ながらアンコウは、

(何でこんなやつのせいで、俺がこんな目にっ!) と、憤激ふんげきしながらも、体に刺さっている2本の太針をすばやく引き抜いた。


 そして、その痛みをこらえつつ立ち上がり、背後を気にしながら、この場から逃げるために再び走り出した。

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