第3話 逃げるが勝ち

 アンコウとダッジはスピードを落とすことなく走り続けている。


「お、おい!ダッジ!なんでお前が逃げてんだ!」

「あ?この状況で逃げねぇやつは、ただのバカだろうが!」


 アンコウの問いに対するダッジの答えは明快だった。

 アンコウもダッジのその意見には同意なのだが、自分のことは棚に上げて、どうしても、お前はリーダーだろうがという気持ちが湧いてくる。


 だが確かに、この状況になっても、いい金になるだろう珍しい魔石の前にへばりついているウォンとツルの二人はバカだとアンコウは思っていた。冒険者とは、常に瞬時の判断が生死を分ける仕事だ。


「あの魔石はどうする!」

「ああ!?ホルガが持ってくるだろ!」


 ホルガはダッジの奴隷だ。ダッジが逃げようが逃げまいが、ホルガが持っているものは全てダッジが所有しているのと同義だ。冷徹ではあるが、ダッジの判断は正しい。


 自分の命をなにより優先し、貴重な魔石もあきらめない。最悪、ホルガが魔獣に殺され、魔石も手に入らなかったとしても、自分が逃げるための時間稼ぎにはなるだろう。


 それでも、自分も魔獣たちに追いつかれ食い殺されてしまったとしても、それは迷宮にもぐる冒険者としての寿命というものだ。

 ダッジもアンコウもその覚悟はあって迷宮で魔獣狩りをおこなっている。その覚悟のうえで、生き延びるためにはどんなことでもしてのける覚悟もしている。



「ま、まてよ!待ってくれ!」

「ダッジ!逃げるのか!お、おれたちも!」


 ダッジとアンコウがすでに逃げ出していることに気づいたウォンとツルの二人は慌てて自分たちも逃げはじめた。


 リーダーであるダッジが逃げているのだから、罰則対象になる敵前逃亡にはならないし、ダッジとアンコウがいなければ、自分たちが生き延びる可能性がなくなることはさすがに二人にもわかっていた。


 声をあげて逃げはじめたウォンとツルの二人をアンコウが走りながらチラリと見たとき、アンコウの目にはウォンとツルの背後に2つの景色が見えた。


 まず、ウォンとツルのすぐ後ろにいたホルガが、壁に埋まっていた魔石を力ずくで引き抜いたのが見えた。

 そしてその後方では、レッドアイウルフから逃げていた冒険者の男が、ついに数頭のレッドアイウルフに追いつかれそうになっていた。


 それでも男は止まることなく走り続けようとしていたのだが、後ろから一頭のレッドアイウルフに飛びかかられて、地面に押し倒された。

 この冒険者の男も、4,5頭のレッドアイウルフなら、一人で相手をすることができる力量は持っている戦士だと先程の剣さばきを見たアンコウは思っている。


 しかし、押し倒された冒険者はすでに手負い、地面に倒れた冒険者の男に次々とレッドアイウルフが飛びかかっていった。


(あれはもうダメだ。あの状態になったらどうにもできない……)

「くそっ!あんなもん連れてきやがって、もうちょっと粘りやがれ!」

 アンコウは走りながら吐き捨てるように言った。


 アンコウはあの冒険者を助けに行く気はハナからない。あの冒険者がどうなろうがどうでもいいこと。


 それどころか、あの冒険者が連れてきた「湧き」のせいで、今は自分の命も危険にさらされている。アンコウは冒険者の男に対して強い怒りすら感じていたわけで、同情心など毛ほども湧かない。


 せめて自分が逃げ切るために少しでも粘ってほしかったのだが、それももう期待できそうもない。


 先頭を走っているダッジが、今いる広い空間から横道に入る洞窟通路に入っていく。ダッジの足はアンコウより速いようだ。しかしアンコウも、全力でダッジの背中に食らいついていく。


 今の状況を考えれば、5人全員が逃げ切れるとは、アンコウは思えなかった。

 つまり後ろにいる者から、先程の冒険者の男のようにレッドアイウルフの湧きに飲まれていくだろう。


 そして、その隙に逃げるしかない。遅れたヤツは時間稼ぎのための撒き餌になるのだ。


「ダッジ!待てー!」

「うるせぇ!走れ!」

 叫ぶアンコウ。怒鳴るダッジ。

 

 その二人の後ろを走っているウォンとツルも何か叫んでいるようだったが、アンコウたちはまったく反応せず、ただ前だけを見て走る。


 そして、今アンコウが走っているところは、さっきいた空間よりもかなり狭くなってきていた。

 今はどれくらいの数になっているかはわからないが、迫り来るレッドアイウルフに追いつかれたとしても、この通路の広さでは何十頭に一斉に襲われることはないだろう。


 ただアンコウが気になっていたのは、この通路に入ってから、そこそこ走ったにもかかわらず、まだ一度も横道がなかったことだ。

 つまり、かなり長い一本道がここまで続いている。レッドアイウルフを振り切って逃げるためには、これ以上、一本道を走り続けるのは危険だった。



「なっ!」

 アンコウは突然驚きの声をあげた。


 ダッジに何とか引き離されることなく、その背中を視界に入れながら食らいついて走っていたのだが、そのアンコウの視界のすぐ横に別の人物の影が突然入ってきた。

 気配もほとんどなく、突然現れたのは獣人の女戦士ホルガ。


「なっ、いつのまに。おい!ホルガ!俺の前を行くつもりか!」


 アンコウの呼びかけにホルガは答えない。ホルガの主人はダッジであり、ホルガが奴隷であるといっても、主人以外の者の命令に従わなければならない義務はない。


 スピードを落とすことなく走り続けようとするホルガに、アンコウはさらにスピードを上げて食らいついていたが、スピードを持続させることは不可能だった。

「くそっ!」


 獣人であるホルガは、アンコウより身体機能が高い。単純に走ることだけをいえば、ホルガはアンコウの先を走っているダッジよりも早い。

 今は何とか並走しているが、置いて行かれるのは時間の問題だ。


 アンコウはあせった。パーティーメンバーは5人しかいない。一人に抜かれるだけで、魔獣どもに食い殺される確率は高くなる。

 しかもホルガの手には大きいサツマイモほどの大きさがあるキレイな色の魔石が握られていた。


 アンコウは、このままホルガに先をゆくダッジと合流されてしまうのはまずいと思った。


 アンコウは、ダッジのことを人間的にはさほど信用していない。あくまで金を稼ぐためだけの一時的な仲間だ。それ以上でも、それ以下でもない関係。


 この状況でダッジの元に魔石を持ったホルガが戻れば、そのうしろを行くアンコウを含めた残りの3人は、ダッジにとっては時間稼ぎのために、レッドアイウルフのエサになることが最も有効な利用法となるだろう。


 アンコウは、自分ならそう考えると思った。もし、なりふりかまわずダッジが自分が生き残り、金を得ることを優先すれば、意識的に自分たちを犠牲にするような行動をとりかねない。


「な、なにをするんですか!」

 それまで、アンコウの問いかけを無視していたホルガが突然声をあげた。


 アンコウは、ホルガがそのまま自分を追い抜かしていこうとしたときに、ホルガが手に持って走っていた例の魔石を器用にかすめ取っていた。


「へへ、重いだろ?これはおれが預かっておく。見つけた人間の責任だ」


 ホルガはあきらかに戸惑っていた。奴隷である自分の立場としては、自分の主人であるダッジに魔石をとどけなければならない。

 しかしアンコウはパーティーメンバーであるし、最初に見つけたのは確かにアンコウだったので、どうしたらいいのか判断できなかった。


 この状況でアンコウと魔石の奪い合いをすれば、たとえ取り返せたとしても、迫りくる魔獣に群れに魔石もろとも飲まれてしまうだろう。


「あっ!アンコウさん、」

 わずかな時間であったが、ホルガが躊躇ちゅうちょしている隙にアンコウは魔石を腰の袋に入れてしまった。


 そしてアンコウはにっこりと笑って、ホルガの顔を見た。

「まかせろ。これで安心だ」

 アンコウが、あからさまな作り笑顔のままで言った。


 そのアンコウの笑顔を見て、ホルガはわずかに眉をしかめた。

 そして少し間を置いたあと、ホルガは奴隷である自分には勝手な判断はできないと考えたのだろう。視線を前方に戻して、ダッジのいるところまで一気に走るため速度を上げた。

 アンコウは、そのホルガの走るスピードにはついていけなかった。


 アンコウとしてはこの魔石を持つことで、この場における自分の価値を少しでも高めることができた。

 もしダッジがアンコウたちを犠牲にしてでも自分が生き残る手段に出たときに、少しでもアンコウがその対象から逃れる可能性を高めるためにしたことだ。


 しかし現実に命の危機が迫れば、ダッジは魔石も仲間の命も犠牲にすることを躊躇ためらわないだろうことはアンコウもわかっている。

 だからアンコウは、ダッジたちにこれ以上引き離されないように必死で走り続けた。



「ギャアァァァーー!」


 アンコウの背後から、突如響きわたる悲鳴。


「うわああぁぁー!ダッジぃぃー!アンコウぉぉー!ツ、ツルがぁぁー!」


 アンコウはうしろを振かえった。

 先程の冒険者の男と同様に、今度はツルがレッドアイウルフに襲われていた。ツルに覆いかぶさったレッドアイウルフが山のように積み重なっている。

 アンコウはその様子を見て、より強い恐怖にかられつつも、ニヤリと笑った。


 障害物のない直線路であったため、ツルが襲われている場所を視認することはできたが、アンコウが走っている場所からは、まだかなり離れている。

 アンコウが必死で逃げているうちに、ツルやウォンをかなり引き離していたようだ。


 そしてレッドアイウルフたちはツルというエサの奪い合いをはじめており、ウォンを追いかけるものの姿さえなく、ツルが襲われている場所で全頭がとどまり、まるで通路の壁のような状態になっていた。

 ツルはアンコウたちが逃げる時間を稼ぐための見事な撒き餌となっていた。


(ナイスだ。ツル)

 アンコウは心の中で、ツルに賞賛の声を送る。もちろんツルはそんなことを望んではいないだろうが。

 しかし、この後逃げ切ることができなければ、アンコウもツルと同じ運命をたどることになる。


「おいっ!アンコウっ!ツルがあっっ!」

 ウォンが再び、アンコウにむかって叫んだ。


「うるせぇ!逃げるんだよっ!」

 アンコウは叫び返して、前を見た。


 アンコウはわかっていた。ウォンもツルの心配なんてしてはいない。もう、誰もツルを助けることなどできない。ウォンは自分を助けてほしかったのだ。


 ツルが捕まって、今一番うしろを走っているのはウォンであり、次に犠牲になるのは自分だと当然わかっていた。だから前を走る者たちにむかって、叫び声をあげた。

 しかしアンコウもダッジも、きびすを返して助けに行くなど、そんな無謀なことは決してしない。それぞれがまず自分が助かることだけを考えていた。


 アンコウの前方を走っていたダッジとホルガの姿がアンコウの視界から消えた。消えたといっても魔法を使ったわけでも落とし穴に落ちたわけでもない。

 ずっと真っ直ぐな道が続いていた通路にようやく横道が現れた。

 ダッジたちはためらいなくその横道を曲がり、アンコウの視界から消えた。


 アンコウも必死で後を追う。意地でもこんなところで魔獣どものエサになるわけにはいかなかった。

 アンコウは特別高尚な人生の目的を持っているわけではなかったが、そんなものはなくても生きる理由には事欠かない。


 4年前、生まれ育った世界で普通に生きていたのに、自分の意思とは関係なく突然この世界にやってきたアンコウ。元いた世界の自分の国の方が、この世界よりはるかにすばらしいところであったと今は思っている。


 しかし、帰る方法はない。元の世界への帰還に関してはアンコウはほとんどあきらめていた。少なくとも、それを目的として自分の生活の中心にはしていない。


 それでもこの世界に居続けなければならないことに対する憤りは常にあり、アンコウはこの世界でも元いた世界のようにはいかなくとも、少しでも豊かな生活、アンコウにとっての普通の生活を送ることを強く望んでいた。


 魔獣狩りをおこなう冒険者などをやっている時点で、普通とはいえないのかも知れないが、これはアンコウがこの世界で生きていくために負わざるを得ないリスクだと受け入れている。


 力なき者は虐げられるという事実が、アンコウがいた元の世界より、この世界のほうが顕著だ。

 アンコウは生きていくため、強さと豊かさを手に入れるため、必要なリスクは受け入れたが、死を受け入れたわけではない。


 アンコウは恐怖に飲まれそうになりながらも必死で走った。


 アンコウはダッジたちが曲がった横道を同じく曲がる。その横道に入ると再びダッジたちの背中が目に入り、アンコウはホッとした。

 その横道は今走ってきた道よりもさらに狭くなっており、いくつか別の洞窟通路につながっているのが、アンコウがいる場所からも確認することができた。


 しかし、アンコウよりも先を走っているダッジたちはいくつかの他の道につながる通路をスルーして真っ直ぐに走り続けていた。

 アンコウの視線の先にはダッジとホルガの背中が見え、さらにアンコウが走っているこの通路の先には上の層へとあがる上り道が見えていた。


 間違いなくダッジたちは、その昇層道を行くつもりなのだろう。



「ヒギィヤァァーッ!た、助けてくれええぇぇー!」


 ついにウォンがレッドアイウルフの群れにつかまったようだ。


 アンコウがうしろを見ると、ウォンは剣を闇雲に振りまわしながら、まだ立ってはいるものの、そのまわりにはレッドアイウルフたちがウォンを取り囲むようにどんどん増えていっている。


「あいつもアウトだ。くそっ!」



「ギィヤアァァーーー!―――――――――


 さほどの時間もかからず響きわたるウォンの悲鳴。


 次は自分の番だとアンコウは恐怖した。アンコウはウォンとの距離をかなり引き離していたため、まだ少しではあるが時間がある。

 アンコウは走った。逃げのびるために、アンコウは走った。

 前を行くダッジたちは、すでに上の層へと続く昇層道を全力で走りながら登りはじめてた。


「ぐううぉぉー!こんなところで死んでたまるかよ!俺の最後はあったかい布団の中で老衰って決まってんだよぉぉぉー!」


 アンコウが昇層道の手前まできたとき、アンコウのうしろに十頭ほどのレッドアイウルフが迫っていた。

 この十頭のうしろに続くレッドアイウルフの群れはまだかなり離れており、この手前の十頭ほどは哀れなウォンを無視して、アンコウを追ってきた一団のようだ。


「くそがあぁぁっ!」

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