第2話 赤眼狼

 アンコウの視線の先には半分ほどが土の中から出ている魔石があった。

 まず大きい。全てが土の中から出てきているわけではなかったが、それでもその大きさのほどは推測できた。

 アンコウがこれまでに手にした魔石の中でも最も大きいものだろう。


「でかいな!それになんだこの色は、今までにこんな色の魔石は見たことないぞ!」

 アンコウが興奮気味に叫んだ。


 アンコウの後ろからのぞき込んでいるウォンとツルも口々に同様の声をあげている。そして、一番前でその魔石の確認をしていたダッジがアンコウに声をかけた。


「アンコウ、ちょっとこれを触ってみろ」


 ダッジにそう言われたアンコウは、ダッジの横にしゃがみ込んでそっとその魔石に触れてみた。


「うおっ!なんだ、すげぇぞ!」

 その魔石からは、アンコウがこれまでに手にしたどの魔石よりも強い魔力を感じた。

「ダッジ、これって一級品か?大きさも魔力もおれが今まで見てきた魔石の中じゃ、一番だ。それにこんなきれいな色の魔石は見たことがない」


「一級品とまではいかねぇな。だけどここらで出てくる魔獣をいくら倒しても出てくるようなシロモンじゃないのは間違いねぇけどな」


 アンコウの顔には、抑えきれない喜色が浮かんでいた。

 この魔石を地上に持ち帰ったら、いくらになるんだろうかと、ここまでに獲得した魔石とは比べものにならないぐらいの金額で売れるのではないかと想像した。


 その金に対する期待のこもった欲望をあらわにしているのはウォンとツルも同じだ。


「お、おい、ダッジ。その魔石はどれぐらいになるんだ?」

「ああ、そんな強い魔石をおれは見たことがないよ。一級クラスの冒険者が手にするような魔石じゃないのか」


 ウォンとツルが興奮した様子でダッジに話しかけたときだった。


――うああぁぁーーー――

 

 いまアンコウたちがいるのは迷宮の中のかなり広い開けた空間。そのかなり離れたところから男の叫び声が洞窟内を反響して聞こえてきた。

 まだかなり距離はあるが男の声がした方向には、ほとんど障害物がないため、男の姿を視界にとらえることができた。


 その男は、アンコウたちがいるこの空間道につながる別の通路から飛び出してきたようだ。

 アンコウたちが警戒してそちらを見ていると、男が飛び出してきたと思われる通路から、一匹の魔獣が姿を現した。


「チッ、ホルガ!急いで魔石を掘り出せ!」

 ダッジが強い口調でホルガに命じた。

 ホルガはうなずくと再び魔石を掘り出し始める。


「ホルガ!多少傷がついてもかまわないから、急げ!」

「はい。ご主人様」


 ダッジはいやな予感がしていた。

 叫び声をあげながら飛び出してきた男の後ろから続いて飛び出してきた魔獣は、遠目からでもその種類の識別ができた。赤い毛並みに赤い眼を持つ赤眼狼レッドアイウルフだろう。


 狼といってもアンコウが元いた世界の虎ほどの大きさがある獰猛どうもうな魔獣だ。

 しかし、魔素の漂う迷宮での魔獣狩りを生業なりわいとする冒険者なら、よほどの初心者でないかぎり、赤眼狼レッドアイウルフ相手なら一対一で勝利を収めることができる。


 それぐらいの強さがないと魔素のただよう魔獣の住処に人間が足を踏み入れるなど自殺行為に等しい。

 しかし、あの男は情けないほどの悲鳴をあげて、ただ逃げている。


 ダッジには、そのおかしさがはっきりとわかっていた。ダッジの横ではアンコウも同じように厳しい目つきで男と魔獣のいるほうを見ている。

 ダッジとアンコウは、心持ち男と魔獣がいる方向に移動して、事の推移をうかがおうとした。


 しかし、迷宮で魔獣が出るのは当たり前、冒険者が迷宮で果てるのも当たり前のこと。

 まだかなり距離が離れているため、ウォンとツルの二人は男と魔獣にたいする警戒心はかなり希薄だった。

 赤眼狼レッドアイウルフ一匹ぐらいどうにでもできると考えていたし、見ず知らずの冒険者一人が魔獣に食われようとどうでもいいことなのだから。


 ダッジとアンコウが離れたため、ウォンとツルは、よりホルガが魔石を掘っている場所に近づいて、物欲しそうな顔でそれをのぞき込んでいる。



――助けてくれえぇぇーー!――


「チッ、やっぱりこっちに来るか」


 叫ぶ男がアンコウたちを見つけて、こちらのほうに走る方向を変えた。それを見たダッジが腹立たしそうにつぶやいた。


「なぁ、ダッジ。あの野郎は何で逃げてるんだ?………やばいんじゃないのか」

「………ああ、嫌な感じだ。ここにソロで来るようなやつなら、赤眼狼レッドアイウルフからあんな無様に逃げねぇだろうからな」


 よく見れば、男も赤眼狼レッドアイウルフも体のあちらこちらから血が出ているようだ。ここに来るまでに戦闘があったらしい。


 そうこうしているうちに、赤眼狼レッドアイウルフが男に追いつく。しかし、レッドアイウルフが男に飛びかかる前に男はふり返り、赤眼狼レッドアイウルフに剣を振るった。


 その剣は魔獣にとどいた。しかし、致命傷にはならず、赤眼狼レッドアイウルフは苦痛の咆哮をあげ、再び男に襲いかかる。冒険者の男も退くことなく戦った。

 戦いはあきらかに冒険者の男が優勢であった。


 男は初心者ではなく、特別弱くもないことがその動きからもわかる。それを見て、アンコウとダッジの警戒心がいっそう高まっていく。


「おい、ダッジ。あの野郎、別に弱くなんかないぞ」

「ああ、面倒なことになるかもな」


 アンコウとダッジは、男と魔獣からは目を離さず、再びホルガたちがいるところにむかって、後退をしはじめた。


 弱くもない冒険者が一匹の赤眼狼レッドアイウルフから必死で逃げている。今のところアンコウたちの目に見えている事象はそれだけだが、あきらかにおかしい。

 たった一匹の赤眼狼レッドアイウルフから、あの冒険者が逃げる理由がわからない。


 アンコウとダッジが、これには何か別の理由があると推測するのは当然のこと。

 二人が推測する別の理由、それは思いつくかぎり、ロクでもないものばかりだった。


「おい!ホルガ、まだ終わらないのか!」

「はい、もう少し待って下さい」

「急げ!」


 魔石が埋まっている壁土がかなり堅いらしく、ホルガは魔石を掘り出すのに苦労していた。


「ダッジ、あんまり急がせると魔石に傷がいくぜ。価値が下がっちまうよ」

「ああ、まったくだ。ホルガ、急いでも傷はつけるなよ」


 ウォンとツルは魔石のことしか目に入っておらず、リーダーであるダッジの意図に反するような指示をホルガに出していた。

 しかし、ウォンとツルの二人はそんなことにも気づいていない。ただただ今までに見たことがないような価値があるであろう魔石の心配をしていた。


「余計なことを言ってんじゃねぇ!お前らぶっ殺されたいのか!」


 ダッジの二人への怒声が響きわたった。単に怒っていると言うよりも、それは殺気まじりの咆哮に近い。


 ウォンとツルの二人は一瞬で縮みあがる。ダッジの心境としては二人の口が開かなくなるまで、殴りつけてやりたいぐらいの思いだった。


(ほんとに頭が悪い。ここの連中はそれでなくとも自分勝手な奴が多い。バカの自己中はほんとに始末が悪い)

 アンコウは蔑むような目でウォンとツルを見て、心の中で嘆いた。


 この世界はアンコウが元いた世界に比べれば、個人の能力に依拠する、より動物的な弱肉強食の色が強い社会だ。家門血統という価値とともに、より純粋に個人の持つ戦闘能力という強さが人の価値を決めていく。


 平和で人権が確立された法治国家からやってきたアンコウにとって、この世界は強い者が道徳も法も関係なく、好き放題できる世界に見えていた。


「ホルガ!バカの言うことは気にするな!傷がついてもかまわねぇから急げ!」


「な、なぁ、ダッジ。あれ、赤眼狼レッドアイウルフだろ?あんなもん一匹にそんなに慌てなくてもさぁ」


 ウォンが少し怯えながらも納得できないというように言った。これにはさすがにアンコウもあきれた。


「おい、ウォン。お前いい加減にしろ。状況がわからないんだったらせめて黙っていろ」


 ダッジではなく、アンコウに言われて、ウォンは怒りの色を露わにアンコウのほうをにらみつけて何か言おうとする。

 しかし、ウォンは言葉を発することをしなかった。自分を見るアンコウの目にも殺気がこもっていたからだ。

「ううっ、」


 アンコウも二人に対するいらつきが完全に怒りに変わっていた。ダッジも同様に、殺気のこもった目でウォンたちを見ている。

 わずかな間のあと、ダッジが凍るような冷たい口調で言った。


「黙ってろ」

「わ、わかった」

 ウォンは顔色を変えて、ダッジから目をそらし口ごもった。ツルの反応もウォンと同様のものだった。


 ダッジは目に怒りの色をたたえながら、視線を再び、まだ距離が離れている場所で戦っている冒険者と魔獣のほうに移す。


 しかし、ウォンとツルは反省したわけでも、ダッジとアンコウが何を警戒しているのか理解したわけでもなかった。

 ウォンとツルは黙ったままだったが、アンコウのほうを何ともイヤな目でにらむように見てきた。


(チッ、うっとおしいな。くそったれどもが。小学生のガキでもできる状況判断が何でできないんだ)

 アンコウは心の中で毒づく。


 アンコウの殺気のこもった目に一時はひるみ、ダッジにはおとなしく従ったものの、ウォンとツルの二人はアンコウのことをどこか自分たちより下に見ているきらいがあった。


 アンコウは、ダッジがいることだし、無駄な仲間内のいさかいを避けるためにも、これまでウォンとツル相手に自分との上下関係をはっきりと思い知らせるような行動はとってこなかった。


(この手のバカは本当に痛い目を見ないとわからないんだよな。めんどくせぇ。まぁ、無駄に強いバカよりはマシか)


 アンコウがこれまでに迷宮や魔素の漂う地で死にそうになったとき、かなりの確率で仲間のなかに自分よりかなり戦闘力の高いバカがいた。

 そのバカが自分勝手に暴走して周りを巻き込んだあげく、パーティー全体を死の淵に引き込むということが何度かあった。

 

 そういう奴に比べれば、このウォンとツル程度の冒険者なら、まともな判断力のある者がリーダーをしていれば、きっちり抑えてくれるので、仕事自体に重大な支障が出ることにはほとんどならない。


 それゆえアンコウは、ウォンとツルが不愉快な行動をとっても、心の中で彼らに毒づきはしても、これまでは放置してきた。


(仕方がないな。バカに我慢するのも仕事のうちだ)


 アンコウはここでもパーティー内でいさかいを起こす愚は避けるつもりだ。バカの仲間入りをする気はなし、そんな余裕はないだろうとの判断もあった。

 おそらく目の前で行われている戦闘に関係して、何かより大きい問題が起きるだろうとアンコウとダッジは思っていた。


 そして、いやな予感ほどよく当たる。



――アオォォーンッ………――


 冒険者の男と赤眼狼レッドアイウルフとの戦いは冒険者の男の勝利に終わったようだ。


 魔獣は地面に倒れ伏して動かなくなった。しかし冒険者の男は倒した赤眼狼レッドアイウルフから魔石を取り出そうともせず、再びアンコウたちのほうに向かって走り出した。


 そして、男が再び走り出してすぐに、先程その冒険者の男と倒された赤眼狼レッドアイウルフが飛び出してきた横道から、もう一頭、別の赤眼狼レッドアイウルフが飛び出してきたのだ。


 新たに現れた赤眼狼レッドアイウルフは、躊躇ちゅうちょすることなく逃げる冒険者の男の後ろを追って走り出す。

 そしてさらに、もう一頭の赤眼狼レッドアイウルフが、同じ横道から飛び出してきた。


「おい!ダッジ!」

 それを見たアンコウはあせった口調でダッジに呼びかけた。


 アンコウの中で高まる警戒心が、次の行動に移る必要性を感じとった。ダッジはその呼びかけにすぐには答えず、厳しい表情で前方で起きていることを見つめてる。


 赤眼狼レッドアイウルフ二頭だけなら、アンコウ一人で斬り伏せることもできる。

 しかしアンコウが案じていたとおり、二頭だけでは済まなかった。

 逃げる冒険者の後を追う赤眼狼レッドアイウルフの数は増え続たのだ。


 次々と横道から奴らが現れ、短い時間の間に、すでにその数は十頭を超えていた。

 そしてさらに増え続ける。それを見ていたアンコウの顔色が劇的に変わった。


「ダ、ダッジー!やばいぞ!これは『き』だ!あのクソヤロー、『き』を連れてきやがった!」


 赤眼狼レッドアイウルフは単独で行動することが多く、複数で遭遇することがあったとしても、通常は数頭ほどである。


 しかし迷宮では、ごく稀にかなり数の魔獣が群れをなし冒険者を襲うことがある。

 魔獣の種類も一種類のこともあれば、複数種が入り混じることもあり、この現象を冒険者たちは単に『き』と総称していた。

 これがどういう理由で起きるのか、詳しくはわかっていない。


「うるせぇ!見りゃあわかる!ホルガ!」

 ダッジはアンコウに怒鳴るように言い返し、ホルガの名を叫んだ。


「は、はい。もう少しです!」

 ホルガは埋まっている魔石の根本に短剣を突き入れ、かなり強引に魔石を引き抜こうとしていた。

「ぐくっ。も、もう少し、」


 ウォンとツルもどんどん数を増していくレッドアイウルフを見て、さすがに狼狽うろたえ、顔に恐怖の表情を浮かべはじめている。


 しかし、冒険者の男を追って、こちらに走ってくるレッドアイウルフをチラチラと見ながらも、大物であろう魔石への執着は強く、その場を離れることはなく、ホルガにもっと急ぐように怒鳴りつけていた。


「ホ、ホルガ!急げ!」

「何やってんだ!とっとと掘り出せよ!」


 仲間を見捨てて、敵前逃亡すれば、狩りの分け前はもらえない。冒険者なら誰もが心得ている決まりであった。

 この場から今逃げ出せば、この魔石の分け前は貰えないかもしれない。ウォンとツルの頭には間違いなくそういう思いがあった。


 しかし、アンコウは違った。レッドアイウルフの湧きだと認識し、その数がまだ増え続けるとわかった時点で、アンコウはきびすを返し、レッドアイウルフから逃げるため、一人走り出していた。


「くっそう、なんだってんだよっ!」


 アンコウは、走りながらチラリと後ろを振りむく。また数が増えていた。おそらくまだまだ増えるだろうとアンコウは考える。

 4、5匹なら、アンコウ一人でも相手にする自信があった。しかしこの数相手では無理だ。5人がかりで戦っても危ない。


 いや、まだ数が増え続けていることを考えれば、最終的にレッドアイウルフが何十頭になるか知れない。間違いなく自分たちは食われることになるだろうと、アンコウは思った。


 命に勝る富などない、命あっての物種なのだ。

 アンコウはあの魔石と自分の命を天秤にかける気はなかった。だから躊躇ちゅうちょなく、はじめから一人で全力で逃げだした。


 そして、全力で走るアンコウの横をアンコウより速い速度で走り、追い抜かしていった男がいた。


 それは、さっきまでアンコウの隣にいたパーティーリーダーのダッジだった。

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