#4

真相

――


 津野佑香はこれから先どうするかを迷っていた。公園に向かう道。よく、独り考え事をしていた。振り返ると木立の先に湘南の海が見えた。船が気付かれないようにゆっくりと水平線をすべってゆく。どこかからヘリコプターが、けたたましい音を立ててやってくる。風が葉の擦れる音を作って、生まれ育った町に吹き降ろしていた。もう一機、ヘリコプターが飛んできた。津野佑香はそれを見上げて、視界から消えるのを指で追うと、麦わら帽子を深くかぶりなおして、再び坂を上り始めた。

 坂の上の公園はとても小さい。公園と言っても遊具は無い。ただベンチがあるだけの、彼女にとっては丘だった。いつもはそのベンチに座って詩作をする。ここがお気に入りの場所だった。ベンチの背もたれに手をかけると、木はほんのりと温かい。先ほどよりも登ってきて、眼下の風景はひらけていた。遠く霞む先には江の島が見える。定番とは決して言えないデートコースだけど、津野佑香はそこに好きな人と来ることを夢見ていたのだ。

 今日も今日とて長袖にロングスカート。しばらくそこで吹き下ろす風に身を任せていた。スカートがなびいている。でも、そうしてもいられないのか、津野佑香はベンチから手を離すと、その先の林の中に足を踏み入れていった。林の中は木漏れ日がゆらゆらと揺らめいていて、一面、海の底を照らす水面模様のようであった。その中を進んでいくと、木陰に一つの石がある。津野佑香はその前に座り込むと、一輪の白い花を手向けて手を合わせた。

「やっぱり。ここだったんですね」

 それは彼女にとって青天の霹靂だった。津野佑香はさっと振り返ると、そこに立っている人物が誰であるかを知った。

「あ、あなたは……」

「ごめんなさい。でも、ついてきたわけじゃないんです。津野さん、あなたに会うために公園に来たんですよ。そうしたら、こんな林があったから、ちょっと歩き回ってみたんです」

 瓦木紗綾は淡々と語ると、手を後ろに組んで、一歩津野のもとに寄った。津野はそれに合わせて後ずさりすると、背中が石に当たるのを感じた。

「そこの土は、最近掘り返されたみたいですけど……。そこの石といい、やっぱりそうなんですか?」

 しかし津野はそれに答えようとしなかった。怯えの中に凶暴さを潜めたその目は、追い詰められていた。

「津野さん。今ならまだ、ぎりぎり間に合います。自首してください」

「自首って……、な、何を? は、昭代を殺したのは、姉の、晴代じゃ……」

「いいえ、違います。晴代さんなんて、初めからこの世に存在しないんです」

 津野佑香にとって、紗綾のその言葉は自身の砦を崩すには十分だった。それでも、津野佑香はその場から逃げ出そうとはしなかった。

「T駅の花屋で働いていたのは、晴代さんではなくて、昭代さん自身だったんです。昭代さんがメンバーの眼を忍んで働いていたんです。彼女はそれを誰にもみせたくなかった。だから誰かに見つかった時、昭代さんは言い訳ができるように、晴代という架空の存在を作り上げ、晴代として花屋で働き始めたんです」

 風が吹いた。さらさらと葉の音がする。丁度夕陽がこの林に差し込んでくる頃合いだった。

「ちゃんとそれは、晴代さんの生まれ故郷で確かめられましたよ。戸籍とか、そういう情報は災害で十分に残っているとは言えなかった。でも、産婆さんがまだご存命で、証言してくれましたよ。三条さんの娘さんは元気な女の子と、死産の女の子二人を取り上げた、と。つまり昭代さんしかこの世には存在しない。でもそれを昭代さん自身、存在していると言ったのだから、昭代さんと晴代さんは同一人物なんです。だから昭代さんが死んで、晴代さんが行方不明になるのは当然なんです」

「でも、それでも、私は……犯人じゃ……」

「それじゃあ、津野さん、ここでその長袖やスカートをまくって、あなたの足とか腕とか、よく見せてもらえませんか? 犯人でなければ、怪我をどこにもしていないはずです」

 津野はあわててスカートを抑えた。

「私は不思議でならなかったんですよ。あの現場はいくらなんでも異常だった。花にあふれて、そして死体には首が無い。首を切り落とすのはなかなかの仕事なんです。それをわざわざ切り落とすからには意味がある。なるほど、晴代は昭代が流したうその存在ですが、ここはひとつ晴代が存在するとして話を進めてみましょうか。首が無ければその死体が昭代、あるいは晴代として疑われる。第三の別人である可能性はDNA鑑定で否定されます。結局、DNA鑑定に耐えられるのは被害者が双子な場合しかないんですからね。でも、晴代か昭代が犯人として疑われるなら、何も首を斬る必要は無いんです。双子なんですから顔も同じなんですよ。顔が同じなら、誰かが『彼女には双子の姉がいる』と証言してくれれば、それだけで空想の姉が容疑者になるんですから。わざわざ首を切る必要なんてない」

 林の上を、再びヘリコプターが通過していった。その低く唸る振動が二人の間の空気を小刻みに震わせた。

「じゃあどうして手間を惜しまず首を切ったか。それは、あの現場に大量の血を流す必要があったんです。血で血を隠す必要があったんです」

 津野佑香は紗綾と目を合わせ、その視線を跳ね返そうとしていた。それが無意味な反抗だと知っていても、そうしていないと、今にも眼から涙がこぼれ落ちそうになっていた。

 そんな津野佑香の心中を知ってか否か、紗綾は寂しそうに言った。

「どうして犯人は、花に囲まれた現場を作ったのか。それは、あなたがガラスの花瓶を凶器に使ったからじゃないですか? あの現場には、花屋でもらってきた花を一時的に入れておけるバケツはあるのに、花瓶が一つも無いんですよ。これは変だと思いませんか?」

 一歩、紗綾は津野佑香に近寄ると、彼女の前にしゃがみこんだ。

「あなたは花瓶で昭代さんを殴った。その拍子にガラスの花瓶は割れてしまった。加えてあなたは一つ重大なミスを犯した。その花瓶の破片で怪我をしたんです。現場に自分の血を流してしまった。これが採取されると自分が犯人だと分かってしまう。それを隠すには自分以外の血を、大量の血を現場に流すしかない。死体の腕を切るだけでもいいけど、殴ったのは頭です。死体の頭を分析すれば、おおよそ何で殴ったかは想像できます。そうすると、あの部屋にない、花瓶を凶器に使ったことが推測できてしまう。凶器がなくなっていて、しかも大量に被害者の血が流れていたら、犯人が自分の血を隠すためのカモフラージュとしてあの現場を作ったとすぐにわかってしまう。だから、あなたは、あの人の首を切ったんですね」

 津野佑香は再び紗綾から眼を逸らし、その瞼を閉じた。眉間に寄った皺は苦悶しているようにも見える。

「でもそれだけでは不十分。昭代さんはバイトで大量の花をもらって帰っていた。それをいつもあの水色のバケツに入れていたんでしょう? バケツに花が刺さっているのに、花瓶が一つもないのはおかしい。それに気づかれても、犯人が花瓶を使ったことがわかってしまう。だからあなたはバケツに差してあった花を全て現場にばら撒いたんじゃないですか?」

 紗綾はそこまで言うと、すっくと立ち上がって津野佑香を見下ろした。津野佑香は紗綾の動きに気付いたか、眼を開いて、紗綾を見上げると、すぐに目を逸らした。

「最後に一つ、あなたが昭代さんの胸元に、青い薔薇を置いたのだけ、納得のいく理由がつきませんけど。それはやっぱり動機ですか? 高井さんを三条さんに奪われ、果たせぬ恋の『不可能』の意味での……」

「いえ、それは……」

 津野佑香は立ち上がると土を払って紗綾の前に歩み寄った。 

「たしかに、あの薔薇は果たせぬ恋の『不可能』です……。あの子への最期の贈り物なんです。高井に奪われた、あの子へのせめてもの償い。あの私の詞も、あの子への贈り物。だから、私はあの子をここに連れて来たんです。でも、それが動機じゃないんです。それだけは、言わせてください。あれは、贈り物なんです……あれは……」

「それじゃあ動機は……?」

「誰にも渡したくなかったんです。誰かの手に渡る前に、誰かの手で穢される前に……。でもそれも叶わなかった。あの子は荒んでました。私は知っていたんです。みんなの前で、彼女は気丈にふるまってましたけど……。あの男のせいでと思うと、私、許せなくて。誰の手にも渡したくなかったのに……。だから、私だけが知ってるここに来て、あの子と二人で居られればって……。でも、そんなの身勝手だってわかっていた。わかっていたけど……」

 彼女の頬に、西日に照らされて光るものが流れていった。

「でも、この子の最期は私が貰えたから。だから、もう満足ですから……」

 風がそっと頬を撫ぜて、吹き抜けていく。白い花がひとり、ふたり、木漏れ日の中に揺れている。


 初夏の、ある午後のおはなし。


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薔薇と首 裃 白沙 @HKamishimo

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