ヒーローの子守歌
7 ヒーローの子守歌
「つうわけで、俺、バンドの練習言ってくる。」
突然意味のわからないことを言いだす小原を、私はまず必死に引きとめて状況を聞くことから始めなければいけない。なぜ突然俺には音楽しかない、なんていう展開に達するのか、そして夢泥棒がいつどこに潜んでいるかもわからないのに、なんの対策もせずにバンドの練習に行こうなんて言い始めるのか、私には理解できない。彼はもともと気まぐれで優柔不断な男だから、そもそも「ヒーロー」になりたいなんて夢は到底かないそうもないとは思っていたけれど、それにしたって夢の世界に今潜みつつある危険を考えるべきだ。
「なんで急に音楽の話になるの?あんたヒーローになりたいんだったら、この世界での戦い方とかを覚えた方がいいんじゃないの?」
小原は私の意見を聞くと、実にいやらしい笑いを浮かべて、得意そうに例の本を取り出してみせた。
「ったく…。お姫様になりたいんならもうちょっと勉強してからものを言えよな。いいか。夢売りにはいくつか仕事がある。そのうちの一つが、現実世界の悪夢を救済することなんだろ? ?俺、それがやりたいんだ。もちろん夢泥棒とかいうやつらを倒すのもヒーローとしては大事な責務だ。でも、そんなことをしていても、本当に傷ついた人を直接助けることにはならない。俺はヒーローとして、夢に潰され、夢に傷ついた人たちを助ける義務がある。」
「それでなんで音楽になるわけ?しかもバンドの練習なんか。外に出たら夢泥棒につかまりかねないんだから。」
「それでも俺は行かなきゃならない。なんてったって、悪夢を救済するための一番の必殺技は、その夢食い虫の力ももちろん必要、いや不可欠だと思うけど、より効率的に悪夢から人間を解放するには、音楽の力が必要だって気づいた。じゃあ、俺、言ってくるから。」
「ちょっと、待ちなさいよ…!」
私は、お姫様だ。平和を尊び、美しい衣装で応じさまと手をつないで、この夢の世界を舞い踊りたいと願うお姫様だ。それならば、戦いに行くヒーローを全力で見送る義務がある。断られてもその義務を達成してやりたい。
「私も一緒にいか…行ってあげるから。」
小原はしばらく振り返っていたが、突然私の手を握って、ラボを飛び出す。
私と小原は二人で夢の世界のドリームコモンエリアを疾走した。
「ばらちゃーん!遅いよ。」
スティックを振り回してそう叫んだのはキョロチャンだった。
「このスタジオ、本当に最高。さすが夢の世界って感じ。」
チズチャンもご機嫌という感じで、自分のベースを大事そうに持っている。
「とうとう我々の本領発揮だな。」
ギターのチューニングをしながら、コウチャンも笑う。
そこは紛れもなく、ドリーム顧問エリアに突然現れた、大きなスタジオだった。
「小原。あんた、これどこから借りたの?」
「私よ。」
大きなアンプの影から現れたのは、なんとも奇妙な格好をした、私は勝手に喫茶店の経営者兼ね工場長であると思っていた末吉四郎だった。
「スエーロさん。あなたスタジオの経営もしてるの?」
私が聞くと、末吉は得意げに自分のアンプをみながら行った。
「私はあなた方夢を信じる人たちを助ける何でもやだから。やれと言われたことはなんでもやってしまうのよ。おせっかい化もだけど。じゃ、練習頑張んなさいよ、色男。」
末吉は、小さなアコギを持った小原の背中を強くたたいてスタジオを出ていった。
「あのおじさんん?それともおばさん?見かけによらずいけてるよな。」
複雑な表情のキョロチャンが言う。
「いいじゃん。うちらのためにスタジオ化してくれたんだから、どっちみちめちゃいい人ってことで。」
「そうだぞ。我々はこれで十分力をつけることができるんだから。」
コウチャントチシュチャンも、すっかりあの男を信用してるようだった。
私は、自分だけが少しういているような気がしたのと、どちらにしろ状況がいまだによく飲み込めていないから、確認してみることにした。
「あの、皆さん…。私は、このバンドのリーダーである、小原ハナキの友人であり、かつ夢ラボの職員の夢水アスナって言うんだけど。」
「あ、聞いてるぜ。あんたのことは。ばらちゃんのファンなんでしょ?」
「ち、違います。」
「てれちゃだめだよ。大丈夫。あたしがあんたのハートをわしづかみしてやるから。ばらちゃんなんかより、あたしのベースのほうがかっこいいんだからね。」
「そんなことはないぞ、チズ。お主のベースはひずみが体内。」
「何よ、それ。」
騒ぐ3人の姿をみていると、こいつらが本当にヒーローになりたい小原のことを助けてくれるバンドメンバーなのかと疑いたくなる。
「それで、どうしてお主はここにいるんだ?」
やっと大事な質問をしてくれたのはコウチャンだった。ちなみにこのコウチャンというのは、実は私が夢を売った今守誠の妹に当たる人間である。
「小原も含めて、みんなはどうしてここで練習してるの?」
「そりゃ決まってるだろ?夢をかなえるためだよ。」
あっさりとそう言われてしまったら、私は違うとも合っているとも言えずに、スタジオの机のうえにおかれたメトロノームやよくわからない音楽機器類を眺めるぐらいしかやることはなかった。確かに、きっと私の質問には難しい答えがたくさん用意されているだろうが、きっと簡潔にそれを言葉で表すなら、それはひとえに、「夢をかなえたい」。ただそれだけなんだ。
「まあ、さすがに俺たちがやろうとしてることを、そろそろ説明してやるか。」
小原は変なポーズをとってから、どうして自分のバンドのみんなでこの夢の世界にやってきたのかを話し始めた。その、あいつが決めた、ヒーローにはふさわしくないほど突発的で、大胆で、実に美しいその計画を。
小原が夢売りとして現実世界に戻った日、つまりおそらく昨日、学校に言って授業を聞いていた小原の耳に、救急車のサイレンが聞こえた。小原はどこかやな胸騒ぎを覚えた。もちろん救急車のサイレンを聞いて笑顔になる人というのはあんまり聞いたことがない。けれど、そういうよくある背筋をひやっとさせるような恐怖とは違った。
救急車の行き先は、小原の学校だった。教室に流れてきたうわさを便りにするならば、誰かが体育の授業中、突然意識を失って倒れたということだったらしい。小原はどうしてもそのことが気になって、つまり夢売りの営業どころの話ではなく、おそるおそる保健室に行くことにした。
しかし、もちろんのこと、関係者でない人間は入ることができなかった。そこで彼はもの影で、いったい誰がそういう目にあったのかだけでも確認しておこうと思った。
すると教師たちの、というか関係者たちの間で、「今守」という言葉が聞こえてきた。その瞬間、小原は自分の胸騒ぎがおそらく当たっていたということを認識した。
今守誠。それは、自分のバンドメンバーの姉であるということもあり、彼はかなり仲よくしているつもりだった。少なくとも家はかなり近いところにあったし、母親同市は高校の同級生という強い関係でも結ばれていた。
彼女はいつも強かったしいつも冷静だった。彼が本人から聞いたことだから信義のほどはわからないが、インフルエンザになったこともないし、水暴走やおたふくすら経験したことがないというのだ。
だから、そんな彼女が突然授業中に意識を失って失神するなどということは、普通なら考えられないし考えたくないと小原の場合は思うのである。
教員に何度も頭を下げて、彼女が運ばれた病院を突き止めた小原は、そこへ急行した。もちろん、あの夢売り営業枕を持って。なぜなら、こんなときに彼女をいやせるのは夢売りの営業枕だと思ったのだ。
面会謝絶ということはなかったので、彼は様子が落ち着いたのを見計らって彼女の病室に入り込んだ。
今守は、小原をみるなり安心した表情になって、突然泣き出した。
「小原君…。私は、もう夢を信じることができない。歌の魔法も聞かなかった。どうして私はあの悪夢に襲われてしまったんだろう。」
彼女が倒れた原因というのをこの段階で推測するならば、彼女を何らかの悪夢が襲って、それが現実世界の彼女の意識にまで影響を与えたということであろう。
今守は、震えた声で少しずつ話をしてくれた。
今守は昔からある悪夢に悩まされていた。その悪夢というのは、自分がある巨大な宇宙船なのか飛行機なのかはわからないけれど、そういう巨大な空を飛ぶ乗り物に乗っている。ところが突然強い風にあおられて、彼女はどんどんと落下していく。下に広がるのは真っ黒な水をたたえる海だった。こんなところに落ちたら溺死する以外に道はない。この世の終わり化もしれないという恐怖に何度と泣くさいなまれる。
しかしそういう悪夢に、生まれて間もないころから悩まされていたにもかかわらず、彼女がここまで生きてこられたのは、その悪夢を途中で制御してくれる魔法の存在だった。
もうすぐ海に落ちるという寸前で、彼女の耳に遠くから聞こえる美しい声があった。高いわけでもなく、どちらかといえば低くて、普通に聞いている分には不気味で恐ろしい声のようにも思えるけれど、そのときの彼女にとってその声はとても美しく、心を温め、落下しそういなっていた体を安定させるのに役立った。
気づけば彼女はまたその大きな飛行機に乗って、美しい星空をどこに行くともなしに飛んでいるのだ
。
人間はこの魔法の招待を子守歌と呼んだ。子供たちが悪夢に呪われないように、いい夢をみて笑顔で次の日の朝目を覚ませるように、揺りかごの中や布団の中で、優しい子守歌を歌ってくれる存在が、今守のそばにはあったのだ。
だから彼女は夢を信じられた。飛行機から落ちそうになっても
その優しいお森歌のおかげで、自分は布団という狭苦しい世界にいるのに、ずっと遠くへ飛んでいくことができた。
だからこそ彼女の夢は宇宙飛行士になって、自分が子守歌によってみることができた夢をかなえることだったのだ。そういう夢を大事に大事にポケットにしまって、彼女は今までの年月を生きてきた。
そんな彼女に天気が訪れたのは、この前、ある少女から夢を買ったときのことだった。それこそ私のことである。
なぜ彼女がその夢を買うことを決意したかを、彼女は小原に少しだけ教えてくれたという。なぜなら彼女は、さいきん宇宙船や飛行機で空を飛ぶ夢をほとんどみられていないのだという。そもそも夢というものを見失いかけていたこともあったという。だからこそ、今一度自分が信じた夢をちゃんと見つめ直そうと考えたのだと
いう。
しかしそんな彼女の泡行きたい、そして私を含めた夢売りたちの思いは、あっさりと潰えてしまったのだ。
彼女は無事にあの夢をみることができていた。美しい星空のうえを、巨大で新しい飛行機に乗って飛んでいる。目的地を定めずに、どこまでも飛んでいる。
しかしそんな彼女に、例のごとく強くて冷たい風が吹きつけてくる。あっさりと彼女は飛行機から落ちていく。
彼女はもう今は一人で眠っている。すぐに子守歌を歌ってくれる存在なんていない。悪夢にうなされたらうなされたなりに、自分の力でその悪夢をなんとかするぐらいの力が必要だ。でも彼女は信じていた。いつかこの悪夢はきっと終わる。私が何もしなくても、子守歌が私を助けてくれる。あの魔法の声があれば私はさっきみたいに、自由に空のうえを飛ぶことが…。
冷たい海の中に沈んで、息が苦しくなっていく。もう私は死んでしまうのかもしれないと彼女は思った。こんなひどい夢を見るのは初めてだ。空が遠い。夢が遠い。世界が暗い…。
気づけば悪夢は覚めていた。彼女は普通に朝起きて、学校に向かった。けれど、その頭の中には、初めてみたその悪夢の残像が、まるでいやな
ノイズみたいに残り続けた。冷たい風にあおられる感覚。遠くなっていく宇宙船。落下していく自分の体。冷たい海に落ちて息が苦しくなる感覚…。どうしようもなかった。
そして、体育の時間、走っていて息が苦しくなった彼女はそのまま失神してしまったのだという。
一連の話を聞いて、小原は今守る誠に約束をした。
「今守さん。あなたは夢を盗まれた。けど、その夢を必ずとりもどさして見せます。子守歌の魔法を使って。だから…少し待っていてください。ぜったいに約束は守ります。」
小原の言葉に、今守はまだ半信半疑という顔をしていた。当然だろう。夢を信じ続けていた彼女につきつけられた現実は、自分の夢が悪夢にすり変わって、今まで自分が乗っていた宇宙船という夢が、どこか遠くに自分を追いやってしまったんだから。だから、いくら仲のいい小原の言葉とはいえ、うのみにできないという現実があったのだ。
それでも今守誠は、最後の力を振り絞って、ヒーローになりたいと願う少年に声をかけた。
「小原君。君の夢はなんだ。」
「ヒーローになることですよ!」
頼りないヒーローの決めポーズをして、彼は病院からかけだす。すると、病院の入り口に、誠の妹のことみが立っていた。
「コウチャン。おまえの姉さんを俺は助けたい。協力してくれないか?」
泣きそうな顔のことみが見せた笑顔はけっしてきれいではなかった。でもその笑顔は、涙の中で少しだけ輝く、小さくて強い光になって小原の背中を押してくれた。
「手伝ってあげる。だから、私の姉を、助けてくれ。私たちの希望になってくれ。ヒーローになってくれ。」
小原は、ことみを含めたバンドメンバー全員に召集をかけて、全員に夢を売ってこのスタジオに集めた。
私にとって、今守誠という人は、憧れの存在であるだけでなく、私が学校を休んでからもよく話を聞いてくれた命の恩人でもある。そんな彼女のことを、私は半分だけ夢で傷つけてしまった。たとえそれが誰か悪い人の仕業だったり、夢が欠陥品だったとしても、私は彼女にその幼いころから彼女をむしばんでいる悪夢を、自分の売った夢で思い出させてしまったのだ。これはどう償っても償いきれない罪になってしまった。もちろんそんなことを悔やんでいても、何も救うことはできないし、何も状況は変えられない。そんなことはわかっている。けれど、どうしても私は、今守さんを夢で傷つけてしまったことを悔やまずに入られなかった。
「まあそういうことだ。俺たちの使命、それは悪夢を救済するために、夢食い無視なんぞ使わずに子守歌を作って、夢に傷ついて悪夢に追われ続ける人たちを助けること、そして何よりも、コウチャンの姉さんに、もう一度夢を描くことの喜び、夢をみることの喜び思い出させることだ。」
「さすが、ばらちゃん。それでこそこのバンド、『情熱ローズ』のリーダーだぜ!」
「みんなで頑張ろうね。」
「ばらちゃん…ありがとう。私のために、そして私の姉のために。」
小原とバンドメンバーたちは強く握手を交わした。私はその中に混ざるのに気が引けて、スタジオの橋っ子でそれをみていた。そしたら、小原がギターを持って走ってきたのだ。
「ほら。おまえも俺たちの中学んだ。こっちこいよ。」
「そうだぜ、姉さん。あんたは俺たちのマネージャーなんだから。」
冗談目化してそういうキョロチャンの顔は笑っていた。
こうして私は、夢ラボから派遣された情熱ローズのマネージャーとして、このバンドの子守歌の作成というミッションに突き合わされることとなった。
ユメキには、「小原が新しい作戦を思いついたから、それの監視のためにしばらくラボを離れる」とだけ伝えておいた。ユメキはまるで全部知ってるみたいに、「了解した。」とだけ返事をした。もしかして全部知ってるんじゃなくて、私にかまっていられない事態が起きたのかもしれないが。
それにしても、情熱ローズが考えている子守歌というのは、子守歌とは到底言えないようなものばかりだった。一人はギターをかき鳴らし、一人はドラムをかき鳴らし、一人はベースをかき鳴らす。そしてリーダーの小原でさえ、大声で歌を歌うだけで、
これではただの目覚ましになってしまう。下手をすれば悪夢を助長する武器になりかねない。
でも、私はこういう現実をとがった音で風刺するロックが好きだった。母に夢を潰され、父と母が離婚し、妹に冷たい目でみられ、学校で散々夢を潰すためと教育を受けさせられ、すさんだ心で家に帰ったら、机のうえにおいてあるCDをプレイヤーに入れて、そいつにイヤフォンをさして大音量でそれを流す。耳に悪いとかそんなのは知った子っ茶ない。私の耳には、私の心にはこのどす黒いロックの塊が必要だった。
やつらは夢を潰さない。やつらは私を傷つけない。やつらは私を守り、夢を強くする。
だから、情熱ローズが作る子守歌がどれだけうるさくても聞いていられた。けれども、これが万人に通じる手法ではないことも抑えておく必要はある。しかも、なんてったってこれは応援ソングとか、目覚ましとか、そういう類のものではないのだ。
「ちょっとちょっと、あんたたち。ストップ!」
いつまで経ってもロックをやり続ける4人を、私はやっと制することができた。
「なんだよ、マネージャーさん。」
不満そうにドラムのバチを下しながらキョロチャンがいう。
「もしかして、俺たちの演奏じゃ、悪夢は倒せないのか?」
不安そうな小原を笑い飛ばしながら私は言った。
「そんな演奏じゃ、みんな眠れないよ。」
「眠れなくていいじゃない。そうすれば悪夢に襲われる心配もないんでしょ?完ぺきだよ。」
自分の作戦が成功したと言わんばかりの顔で、チズチャンが笑う。
「だめだよ。そんなことしたら…悪夢だけじゃなくて、夢が見られなくなっちゃう。
」
私の指摘の意味を、チズチャンはしばらくわかっていなかったようだが、やがてベースに顔を埋めて泣き出した。
「やっぱあたしだめだね。馬鹿だね…。」
「チズ。落ち込んでる暇があったら、子守歌のメロディーを考えろよ。」
すっかり小原に怒られてしまった。とはいっても、小原のほうもまともに子守歌のメロディーを考えているんだかいないんだかは不明だ。
「そもそもさ、子守歌ってどんなんだっけ。」
いまさらすぎる質問をキョロチャンがぶつけてきた。
考えてみれば子守歌というのはどんな歌のことをさすのであろうか。私は自分の母が、もしくは父が、旗またまったく知らない大人が、私のために子守歌を歌ってくれていたはずの頃のことを思い出そうとした。
それは揺りかごの中だっただろうか。それとも柔らかいベッドのうえだっただろうか。それとも病院の部屋だろうか。寂しくて、それとも悲しくて、暗い夜が怖くて泣いていた私の耳元で、優しい誰かの声が、いや、優しくはなかったかもしれない。もしかしたら少し低くて不気味な声かもしれない。ともかく、よくわからない歌を歌ってくれた。古くて昔の話をするみたいな、もはや歌とは呼べないような変なメロディーの曲だった。きっと歌事態に対して意味はないのだろう。もしくは意味が合っても考えては行けないんだろう。でも不思議なことが起きて、私は泣きやんで眠っている。そういうのが子守歌だった。揺りかごはゆっくりと揺れて、ベッドは温かくなって、暗い夜の空に星が浮かんだとき、私は眠りについて、夢の世界でお姫様になっているのだ。
そういう曲がきっと子守歌なのだ。
「やっぱ俺たちってさ、うるさい曲しか書けないんだよね。」
小原がいまさら気づいたように言う。彼は、自分が書いた楽譜と歌詞のリストを見せてくれた。
どの歌詞も心を惹かれるものだったし、楽譜だってかっこよかった。しかし、これでは普通のロックになってしまう。
「だめだな。こんなうるさい曲だったら、悪夢を眠らせるどころか、逆に活性化させかねない。どうにかして静かな曲を書かなきゃとは思うんだけど。」
「じゃあコピるのは?オリジナルが書けないならコピればいいんだよ。」
明暗を思いついて挽回しようとするチズチャンが言う。
「コピーったって、何をやるんだ?」
「いいな、それ。じゃあ俺たちの十八番のデイドリは?」
「あのなあ…。あんな陽気な曲、子守歌にはならないだろ。」
それは私も同意見だった。あれは私が目覚ましにしているだけあって、楽器的にはうるさくないが、明るい雰囲気の曲だ。もちろん言っていることは全然明るくないのだが。
彼らがデイドリを好きなのは私も知っていたし、あの曲は夢を応援する曲だから、悪夢を倒すにはもってこいだ。だが、どうやってあの陽気な曲を子守歌にしようか…。
そのときである。
ずっとなやんでいたコウチャンが、その柔らかいギターの音色で、美しくデイドリの旋律を弾いたのである。その旋律は、まったく原曲の旋律をいじったものではなく、原曲をそのままにコピーしたものだった。なのに、なぜだかその旋律は、原曲のような陽気さはなく、心を落ち着かせてくれる強さがあった。
「こんなんじゃないか?子守歌って。」
コウチャンは恥ずかしそうにギターを下に隠した。するとみんなは黙ってその余韻を楽しんでいるようだった。
「すごいぞ、コウチャン。このアレンジならぜったいによく眠れていい夢をみられるはずだ。」
小原が手を挙げて喜んだ。
「俺たちはロックにこだわりすぎてたんだよ。本当に強い音楽ってのは、ギターをうるさくかき鳴らしたり、ドラムをいくらかき鳴らしてもできないのかもしれないな。」
キョロチャンが感慨にふけったように言う。
「でもさあ…。このアレンジ、ばらちゃんの声には合ってないよね。」
チズチャンがもっともなことを言う。小原はロックしか歌えなかった。ロックというか、大声で歌うことがかっこいいと思っているような人だった。別にそれ事態には問題はないと思うが、それにしたって彼の声は子守歌には似合わない色をしている。かといって
「おまえはボーカルをやめろ。」なんて言うことはぜったいにできない。それはマネージャーとして、いや、夢売りとして失格だ。だって、夢を追いかけている小原に夢をあきらめろと宣告することになるからだ。それこそ今守さんに悪い夢を売りつけるのと同等の罪だ。
「小原…。あんたは歌い方の訓練が必要ね。」
小原は残念そうにギターを握りしめる。
「やっぱり歌い方を変えないと、夢はかなえられないか。」
それから小原は、熱心に練習に取り組んだ。
コウチャンが作ってくれたアレンジを楽譜に書いて、ロックとして作られたはずのデイドリを、完全に美しいバラード、いや、子守歌に仕立て挙げていく。
それはひとえに、彼らの音楽に対する情熱であり、悪夢にうなされ、悪夢に追われる人たちを助けたいという気持ちの表れであった。人を救うことを夢にする。自分のためだけに自分の夢を使わない。それこそが彼らのヒーローたる所以なのかもしれない。
小原は自分の歌を変えるのになかなか苦戦した。いつもテンポノかやいハードロックを歌うことが多かった彼にとって、子守歌のような歌を体得するのにはかなりの苦労がつきまとった。本当に伝統的な子守歌を、再現するには、彼の声は高すぎて、よく響いた。伝統的な子守歌というのは、夜にふさわしく、どこか不気味で、荘厳で、儀礼的で、祈りに近いような声をしている。でもそんな子守歌はぜったいに彼には無理だ。
だから彼に歌える最大限の子守歌を、彼は目指している。もちろん夢というのに限界を設定してしまっては、夢の可能性を狭めることになってしまう。でも、限界は存在する。限界を超えるなんてことを言い続けていたら、いつの間にか自分の夢を忘れてしまう。夢をかなえることというのは、少なからず限界設定という耐えがたい屈辱を受け入れることになる。
何日も何日も、彼らはスタジオにこもって子守歌を作り続けた。いい子守歌ができるまで、彼らは妥協しなかった。私はずっと彼らのそばで練習に付き合うことに注力した。なぜなら
夢ラボの職員として彼らの安全を保証するため。しかしそんな薄っぺらい理由だけじゃない。私は純粋に彼らの夢を応援したかった。彼らが人の夢を支えるための子守歌を作るという夢を支えてやれる存在が必要だった。
ロックバンドが作る子守歌にはぎりぎりの限界がある。それでも彼らが作った子守歌が、誰かのよい眠りを支え、誰かの悪夢を救えるならば、それは有益なものになろう。
「できた!」
彼らがとうとう夢の限界地というゴールを見つけたのは、それから何日か経った日のことだった。ドリームコモンエリアは不穏な霧に包まれていたが、スタジオは明るい光に照らされていて温かかった。
「よし。録るぞ!」
小原は深く深呼吸をしてレコーダーを回した。小さなタイマーが、録音表示の時間を告げていく。
子守歌は永遠に響く。いつ始まっていつ終わるかなんてわからない。だってそれを聞いている当人は、眠りに落ちるか落ちないかの瞬間をさまよっていたり、旗またすでに悪夢の手に落ちたときなのだから。
救ってくれるものが何もないと知ったときにこそ、子守歌は温かく響く。
小原は不器用なやつだった。「ありがとう。」を「馬鹿野郎。」に、「ごめんね。」を「ふざけんな。」に、。そういう男だった。自分の気持ちや弱音をぜったいに他人にみられたくないから、彼は必死だった。そういう彼が、人の夢を応援できるような素直な子守歌なんか歌えるのか私にはわからなかったし自信がなかった。
でも今の彼はそんな彼をさらに超越する、強くて優しい子守歌を歌うことができていた。それは、悪夢を救済しようという気持ち、今守を助けたいという気持ち、そしてこのしみったれた世界をなんとか変えたいという気持ちの制だろう。でもそういう怒りを
まったく子守歌に反映させないように、それでもその意味は強く持った声で、彼は歌い始めた。
「夢水。頼んだ。この音源を悪夢に苦しんでる人たちの意識に転送してくれ。」
録音を終えた小原を含めた4人のバンドメンバーの顔は、みな一様に晴れ晴れとしていた。なんだか自分たちの体の中にあるいろいろな気持ちをすべて吐き出したみたいな
そんなすっきりとした顔をしている。
「俺たちの歌が、悪夢に気ずついてるやつらの心に、ちゃんと届けばいいんだけどな。」
「何言ってるの、キョロチャン?届くに決まってるジャン。うちらの子守歌は最強だよ。」
「なあ、小原…。」
晴れ晴れとした顔の中に、一抹の不安をにじませるコウチャンが小原に聞いた。
「私は、姉を助けられるんだろうか?」
小原はそれを聞くと、自分の顔にも不安の雲を少しだけ張り付けて、でも大きく笑って見せた。
「それは俺にもわからない。でも信じるしかないんだ。夢ってのはさ、歌買ったら死ぬんだ。否定したらつぶれるんだ。あきらめたら壊れるんだ。」
すると扉が開いて、誰かがは言ってきた。
「あなたたち、レコーディングは無事に終わったかしら?」
スエーロさんが、相変わらず奇抜なファッションでお出ましになった。この人は進出規模津田名と思うばかりである。
「終わりました。」と小原が元気よく返事をする。
「小原君に連絡をもらってきたのよ。じゃあ、音源をくれるかしら?」
「ここに入っています。」
小原は、自分がおそらく現実世界から持ってきた語句普通のレコーダーをスエーロさんに
渡した。スエーロさんは、それを何か小さなメモリーのようなものに取り込んだようだった。
「アスナちゃん。いえ、夢水マネージャー。いよいよあなたの出番よ。」
スエーロさんは、私にそのメモリーを渡した。私はこのメモリーの取り扱い方も知らないのに、突然メモリーを受け取って戸惑うしかない。
「スエーロさん、これ、どうやって使えば?」
「大丈夫。これをラボに届けさえすれば、香山君も阿久津君も西野さんも
使い方はちゃんと熟知しているはず。ヒーローたちがつむいだ音の魔法を、ちゃんと届けてあげるんだよ。」
変な顔をして、夢の世界のなんでも屋であって、強く強く夢を信じるスエーロさんなんかに言われなくたって、私はぜったいに小原が丹精を込めて作ったこの子守歌を、今守さんに、そして夢を疑って自分から夢を潰すすべての人たちの眠りのために贈りたい。それが私の使命である。そんなことをしても、小原への謝罪にはならないのだけれど。
メモリーを鞄にしまって、私はラボへの道を急いだ。ドリームコモンエリアの霧はより一層濃くなっていたから、迷わないようにゆっくりラボへ向かう。鞄の中に入っているメモリーを盗まれそうになったら、覚え立ての戦い方で、泥棒たちを対峙しないといけない。ラボの明かりが見えたときの安心感は言葉にできなかった。
でもそのとき、私は後ろに誰かの気配を感じたような気がした。
「誰?」
私が後ろを振り向いたとき、その影は私に少しだけ微笑んだ気もして、もう1と誰かと聞いてみたけど、その影も、その風も、何も答えてはくれなかった。
「おかえり!」
ユメキが笑顔で私を迎えてくれた。でもその笑顔は、なんだかすごく疲れているようだった。
「それでアスナ。成果はあったの?」
ミアさんがすかさず聞いてきた。
私はあわててかばんのメモリーを取り出す。ちゃんと誰にもとられないで持ち帰ってこれた。これだけでも安心だ。
「これ、子守歌の音が入ったメモリーなの。これを使ってほしい。」
「おーーーー!」
ユメキは大声で叫ぶ。正夢さんも珍しく立ち上がって拍手をする。ミアさんも頭のうえで万歳をするようなポーズをとる。そんなにすごいことなのだろうかと私は逆に不安になる。
「そうだよ、子守歌だよ。」
ユメキが、まるで子守歌という単語を今知ったみたいに絶叫する。
「そんなに子守歌ってすごいの?」
私は、とりあえず状況を把握するためにも、ユメキに訪ねた。
「僕たちは子守歌という、悪夢を倒す絶対的な技を、生まれて間もない頃にすでに教授されていたはずなのに、なぜ気づかなかったんだろうか。今僕たちには、この子守歌の力しか、頼れるあてがないんだ。これが頼みの綱だった。だから本当に助かった。誰だ。このアイデアを思いついたのは。」
ユメキが涙まで流してその称賛を語っていたら、まるでそれを見越していたかのように、勢いよくドアをあけて、にやにやしながら変なポーズで入ってくる男がいた。
「俺だよ、俺!」
「オレオレ詐欺?」
ミアさんの人ことは的確であり、みんなで大笑いをしたものだった。
「おい、おれに感謝しろよ。この子守歌作戦は、おれたち情熱ローズの汗と涙の決勝なんだから。」
正夢さんは、メモリーの中に入った子守歌のエネルギーを一気にパソコンから取り込んで、ドリームミラーを使って、悪夢に悩む人たちに転送していった。
それから数時間五のことである。私たちがあることについて悩んでいたら、突然ミアさんが言った。
「少し窓を開けないか?」
ミアさんのいう通りだと思い、私たちはラボの窓をあけた。このラボは、外的侵入に備えて締め切っていることが多かったのである。
窓を開けてみると霧はすっかり晴れて、空は美しい青空に変わっていた。
「空ってのは広いもんだなあ。」
小原が感心したように言う。
「そりゃそうだよ。夢も現実も関係泣く、どこまでもつながってるのが
空だからね。」
正夢さんが感慨深げにそういう。
もし、今守さんが、子守歌の力を借りてでもなんでも、その狭い布団から浮き上がって、高く空のうえを飛べるとしたら、それはすごくふしぎなことだ。夜一人で眠るときというのは、自分一人きりになって、自分だけが信じる意識の中にいるというのに、みんなが知っているはずの空のうえを飛んでいるというのは、とてもふしぎで、とても魅力的な話ではないだろうか。そういうふしぎさに身をゆだねた人にこそ、スピカの星の光が輝くんだろう。
そのとき、とおくから大きな光の塊が近づいてくるのが見えた。
「流星軍かな?」
ミアさんがカメラを構えて光の写真を撮ろうとする。
「いや、もしかして宇宙船じゃないか?」
ユメキも珍しそうにその夢を乗せた星の塊を見つめる。
「今守さーん!」
私と小原は同時にそう叫んでいた。
その巨大な光はラボの前で止まった。その広くて他界空から、夢を乗せた光が降りてきたのだ。
「夢水、小原…。」
光の中で、夢の中にいる今守さんが笑顔で手をフル。
「ありがとう。私はまた、夢を信じることができたよ。あのこもりうたの魔法によって…。また私が空から落ちそうになったら、あの子守歌を聞かせてくれ。ずっと夢をみさせてくれてありがとう。」
夢を乗せた光が遠ざかっていくのを見送りながら、私はこのとき本当にうれしい気持ちになった。
「どうだ、香山ユメキ。おれにだってヒーローの素質はあるだろ?こんなふうにして、人を悪夢から救ったんだから。」
自慢げにそういう小原の隣で、ユメキは小さくため息をつく。
「それは、これからの案件を片づけてからそう言え。おれがどうしてこんなにもこもりうたの力に頼っているか、おまえにはわからないのかもしれないが。」
確かに私たちは、何度も同じ悪夢に悩まされ、夢からたたき落とされた少女を、再び夢の力の元へ返すことができた。しかし私たちはそれを何度繰り返してもいつかは限界が来ることを知っている。夢というものは絶えず現実という危険にさらされている。そして今、私たちの目の前にも、夢ラボを、そして夢の世界を危険に陥れようとする危険が、今にも迫ろうとしている。私たちが今までのようなやり方で、夢を打っていては、もう夢を信じてくれる人は増えないだろう。戦いの日は、近い。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます