恋の悪夢
6 恋の悪夢
「私は、姉からもらった家族旅行の夢をみていました。その旅行では
ずっと私が行きたかったハワイに生きました。父も母もとても優しそうで、4人で海に入ったり、買い物もしました。水族館に行って…。写真もたくさん撮りました。でも、旅行の最終日、私が海辺を散歩していたら、突然知らない男が、私の首元をつかんだんです。まあ夢なんて、どうせ全部がきれいなわけじゃないってわかってました。だから最初はとりあえず、抵抗はしたけどいずれ終わると思ってたんです。でもその人は…私をすごい
力で引っ張っていって、気づいたら真っ暗な路地にいたんです。」
スズナは、震えた声で、自分が大切にしていた夢を力ずくで盗まれた話をした。ドリームコモンエリアにつれてこられた彼女はそこで催眠術をかけられそうになる。しかし
そこでパトロールに出ていたミアさんと偶然出くわし、彼女がラボの前まで敵を追い詰め、応戦したという。
「どんな人相の男だったか覚えているかい?」
丁寧な字で目もを撮っていたユメキが尋ねた。スズナは、起きたばかりの頭ではあったが、なるべく正確にその顔の画像を思い出そうと努力していた。
彼女は、そこにあるペンで、簡単な似顔絵を作ってくれた。彼女には、実はかなり絵心があるというのを私は知っていた。
その絵に書かれた男、いや、少年を私は自分の頭の中で再現することができた。けれど、それが誰なのかを考えようとすればするほど、それを認めたくない自分が頭をもたげてくる。
「うーん…たいしてかっこいい顔には見えないけど、この人が夢泥棒の一人って可能性はあるね。」
正夢さんが絵を除きこみながら行った。
「おれ…こいつ知ってます。」
自分の予想通り、その絵をみて真っ先に反応したのは小原だった。けれどその顔は、敢然にショックに満ちている。
「本当か?誰だ?この男は。」
つい尋問口調になるユメキを、正夢さんが止める。小原は震えた声で答える。
「おれと夢水のクラスメイトだと思います。でも、なんであいつが、この世界のことを…。あいつは夢水から夢を買わなかったはず。」
「それが問題なんだろうな、きっと。」
ユメキは何か合点が行ったように叫んだ。
「そいつはアスナちゃんのクライアントになることを拒絶したんだろ。」
「うん…。拒絶したというより、私も売る気はなかった。おそらくこの子は、かなりの現実主義者だって思ったから。人の夢を否定したりはしないけど。」
「それはそうだけど、なんであいつがおまえの妹の夢を盗みにきたんだよ。」
「だから…。」
ユメキはため息をつきながら、机のうえの絵をたたいた。
「まだこいつがスズナちゃんを襲った犯人だという証拠はない。けど、もしその推理をそのまま進めるとすればそいつはアスナちゃんたちのクラスメイトである以前に、僕たちの敵だ。どうしてそうなったかはわからないけどね。」
「そそのかされたってことかな?」
私は、彼をそそのかしそうな人物をすぐに思い出した。だから小原の困惑にはすぐに答えられた。けれども、闇沢がどうしてそんなにも簡単にあいつの手のうちに落ちたのか、私には釈然としなかった。
「唯華だ。あいつが闇沢に何かを吹き込んだんだ。きっとそう。」
「唯華って、誰だっけ?」
「守谷唯華よ。あんたも知ってるでしょ?」
「ああ…。話したことないから、どんなやつなのかは知らないけど。」
小原はまだ釈然としない様子だったが、ユメキはもうすべてを察したようだった。
「それと、僕にはもうひと月になることがあるんだ。」
「楽観的な夢ちゃんが気になるっていうことは総統やばいことだね。」
正夢さんが雰囲気を和ませたかったから七日笑いながら言った。
「今日はナナオがまだ出勤してきていない。昨日けがをしたとはいえ、病欠の場合は、あいつにも渡している営業用の枕から寝る前に連絡を入れることになってたはずだ。だがあいつからはその連絡が来ていない。」
「あんた…ナナオが何か悪いことをしてるとでも思ってるのね。」
ふいに、ミアさんが低い声で言った。その声は、顔をみなくても怒っているとわかる声だった。ミアさんは、ナナオさんといつも喧嘩していたけれど、きっと少なからず彼のことを信頼しているからこそ、あんなふうに何でもいえたのだろう。私にはそういう経験が少なかった。小原や闇沢のことは友人だと思っていたけれど、はっきりと何かものを言いあうことは少なかった。それは私が自分から避けていたし、自分の夢を馬鹿にされたくないという防衛本能のせいだろう。
そういうわけで、私の場合は感情を表に出せなくなっていた。ミアさんもほとんど感情を出さない。しかしナナオさんの前では、怒りの感情が多いとはいえ、生き生きと話していることのほうが多かったはずだ。そんなミアさんにとって、ナナオさんが敵になったかもしれないというユメキの推理は、どうしても信じられないのだ。
「あいつはただの馬鹿だよ。あんな馬鹿が泥棒なんかになるわけないじゃない。」
ミアさんは怒ってそう言うと、突然ラボを飛び出していった。
「ミアのやつ、何か隠してる可能性がある。」
ユメキは、飛び出していったミアを追いかけることなく、机の絵を見つめ続けている。
「とりあえず、これから我々は夢の世界を守るべく、最善を尽くす必要がある。仲間割れをしている場合じゃない。ひとまず、アスナちゃんは正夢と二人で夢製造の仕事を頼みたい。」
私は、また自分が初めてやる仕事をやらされるのかと少し不安な気持ちになった。しかしこの仕事は、正直なところ私が一番やってみたかった仕事でもあった。私はさんざん現実世界で夢と言うものの悪い面を押し付けられてきたわけだ。でもここでなら、夢をいくら作っても怒られない。いや、それには語弊があるけれども、クライアントが求める夢をただひたすらに転送していけばいいわけだ。
「アスナちゃん、僕と二人きりで今日はラボにこもりきりだね。」
正夢さんがそういういやらしい、というか何かをたくらんでいるような顔をするのをみたことがなくて、私は気持ち悪がるタイミングを逸してしまった。
「おい、あんた。夢水に手を出すなよ!こいつ、仮にもまだ高校生なんだから!」
そう反論したのパ小原だった。私は、ユメキではなく小原がそういう反応をしてくるのは創造できなくて、つい大きな声で笑っていた。
「小原君だっけ?君はアスナちゃんのなんなんだよ。まさか君ら、つきあってたのか?」
正夢さんの、すべてを見透かしたような笑い顔に、私たちは断固否定するしかなかった。事実私は、恋愛と言うものが嫌いだった。いや、嫌いにさせられていた。お姫様である以上、いつかは好きな人を見つけなければいけないとわかっていたが、周りからの外圧のせいで、いつしか恋愛にすら興味を持てない、中味のない女に育ってしまったのである。
「それでだ。小原とスズナちゃんは1度現実世界に帰ってほしい。」
「ふざけんな!俺はヒーローになっちゃだめなのかよ!」
「私も…っこのままげんじつ世界に帰ったら、夢の価値を忘れそうで。」
怒った顔と泣きそうな顔の二つの影を押しやるように、ユメキは言った。
「いいか、君たち。ヒーローになるためにも、夢の価値を忘れないためにも、現実世界で仕事をすることは重要だ。君らの仕事は、そう。守谷兄弟の言葉を借りれば、人を殺してくるんだ。」
二人は、しばらく顔を見合わせていたが、やがて何かを思いついたように、「よし、スズナ!俺について来い!こんな仕事、ちゃっちゃと終わらせてやるぞ!」と小原が急に言いだした。
その勢いについていけないスズナは、「あ、はい…。」と小さく頭を下げたりなんかしている。
「そんなかしこまるなよ。俺、これでもおまえの姉ちゃんの友達なんだぜ。」
「それはわかってますけど…。」
今度は私が叫ぶ番である。でも、いつもより大きな声で、そしていつもより大きな笑顔で、初めて友達に大きな声を出した瞬間だったから、実は気持ちよかったりしたのだ。
「小原!うちの妹に手を出さないでよ!この子、仮にもまだ13歳なんだから!」
赤くなる小原の顔をみて、私はふと何かを思い出しそうになる。いったい
それがなんだったのか考える前に、ユメキが津べこべ言ってないで早く行かないと遅れるというので、二人はゲートから追い出されてしまった。
ところが、スズナだけがゲートのドアに挟まれたせいなのか、また戻ってきた。
「どうした、すずなちゃん。忘れ物か?」
「いや、違うんです。お姉ちゃんに預かっててほしいものがあって。」
すずなは私の手に、小さなノートを渡した。
「どうしたの、これ?」
「このノートに、私が夢で旅行したときの写真が載ってる。もし私が夢を忘れそうになっても、この写真はお姉ちゃんがもってて。それじゃ…。」
すずなは、私のことをどうせそんなに好いていないんじゃないかと思っていた。でもあのとき、すずなは私に、その小さな写真でもって、その信頼を示してくれた。そのとき私は、確かにスズナの姉であるという実感を感じていた。
ノートには、数えきれないほどの写真が張ってあった。みたこともないほど笑顔の母。うきわを持って泳ぐ父と思われる男性の焼けた顔。水族館の魚に興奮するスズナ。お土産をたくさん入ったかごを笑いながら持ち上げている私…。
単純で、少し安っぽい夢化もしれないけど、私にとってそれは確かにお気に入りの夢になりそうだ。
「さあさあ、アスナちゃん。夢に十分おぼれたら、さっそく製造開始だよ。」
私は初めて、いわゆる普通の日中の時間を、夢の世界で過ごした。窓の外に見える景色は、いつもよるのままなのか、全然変わらない。車が走っているのはわかるけれど、いつまで経っても明るくなる気配がない。ドリームコモンエリアにいる人の数も、きっとあまり多くないのだろう。正夢さんによると、このラボ周辺の、ドリームコモンエリアは、夢の世界の維持機能を目的とした施設や人間が居住しているとのことだった。
夢の製造をしていて思ったのは、実は夢ラボのメンバー以外にも、たくさんの人たちが夢を売っているということがはっきりした。おかげで、私たちは大忙しでいろいろな人の意識の中に夢を転送することを強いられた。
手順としては、大量に送られてくる夢の信号をキャッチして、夢の精製ボタンを押してそれを相手の意識に同機させる。私は、正夢さんの2倍から3倍の時間をかけてしか夢の転送ができない。おかげで、枕に相手の頭が載っている時間が、きっと1分ぐらいは必要になる。だから相手が枕から離れないように催眠術を適用させる必要があった。しかしこれも1分を超えると使いものにならなくなるから、本当にヒヤヒヤだった。
催眠術の適用は、正夢さんでも行っているようだが、私の場合はそれの力に本当に頼って夢の製造や送信を行っていた。
「この人たちは、みんな私たちの仲間なんですか?」
「そうだよ。僕たち夢ラボが夢を売る戦略は、ラボの職員だけで賄っているものじゃない。もしそうなら、げんじつ世界はもっともっとすさんでいて真っ暗になってしまうよ。現実世界が明るくいられるのは夢のおかげなのさ。ほら、みて。」
彼は、そういっているあいだにも流れてくる夢の信号の発生源を教えてくれた。それは、遊園地や映画館、おもちゃ屋さん、博物館など、多種多様だった。つまり、ここにいる人たちは、さっき私が予想したのとは違って、枕なんぞ使わなくても、すっかり夢を購入しようといる意識が働いている。だからその意識が持続されているうちに、夢をうまく転送できればいいのだ。
「遊園地や映画館、カラオケに博物館。こういうところの職員さんは、夢を売るのが得意でね。彼らに頑張ってもらって、僕たちが遠隔から夢を売りつけていくわけさ。少し夢を壊すようなことを言うと、そういうところで現実世界の人間が無駄な出費を多くしてしまうのは、僕たちのせいなんだよ。僕たちが夢を売りつけたせいで、みんなその夢によって、無駄金を使ってしまうんだ。」
確かに、げんじつ世界には、「夢と魔法の国」と銘打った遊園地がある。映画に出てくる俳優や、博物館に飾られたものは、夢を売るためにあるといっても過言ではない。そういう扱いを受けている物たちは、げんじつに合法的に承認された「夢」なのである。むしろ、げんじつ世界で夢を合法的に語れるのはそこしかない。夢売りとビジネス、いや
夢を製造する段階というのは、その現実世界のすきにつけこんで行われる、少しずるがしこくて、生産的行為なのであろう。
遊園地や映画館など、夢が集まるホットスポットからの夢は、クライアントの名前が確認できないほどの大量の夢の信号を受信する。しかしその中に、いくつかゆっくりと信号が送られてくるものがあって、そういう場合はクライアントの名前や個人情報、意識の中までもが筒抜けになっていることがある。
「これは枕から転送された夢だね。売り手は君の妹さんのようだよ。って、ちょっと!この子、もうすでに13人も売ってるの?すごいなあ。」
スズナから転送された女の子の夢は、「好きな子と一緒に遠くへ行く夢」だった。私はその夢を精製して、急いで送信する。彼女にうまく送信できたようで、赤いランプが店頭して安心する。
小原も、どうやらきちんと働いているようで、5人ぐらいには夢を売ったようだ。しかし、正直彼には派手に働いてほしくなかった。夢売り殺人鬼説を守谷唯華が流布させている可能性はぬぐえないからだ。場合によっては彼に何か影響が出かねない。でもそういう裏の事情を、彼に説明することは不要だと私は知っている。彼はヒーローになることが目的だ。少なくとも夢を信じる力がまだ残っている。もし唯華が迫ってきても、彼の力でなんとかできるというのが私の考え方であった。
そんなことを何度か繰り返していたとき、突然ドアを思いっきりノックする音が聞こえた。正夢さんが呑気な声で、「どうぞ!」と応答する前に、分厚いヘルメットに大きなマスクをかぶって、顔全体を隠した大きながたいの男が入ってきた。
「おい!俺になんて夢を売りつけてきやがったんだ!俺はあんな夢を認めないぞ!」
男はそう言ってラボの机をハンマーでたたきだした。
「穏やかじゃないね、おきゃくさん。詳しく聞かせてもらおうか?」
ハンマーのせいで机が壊れるんじゃないかと思うほどの勢いで、この客は机をたたいていたというのに、正夢さんは温和な口調で客に話し掛けた。この人は、余裕を持ちすぎてそういう言い方をしているのか、相手をなだめるためにそういう言い方をしているのか、私には検討がつかなかった。
だが客はハンマーで棚の端をたたくのをやめて、突然落ち着いた口調で話しだした。
「俺は昨日、恋愛の夢をみさせられた。その夢でおれは、自分が好きなやつと手をつないで星をみていた。だが、俺が告白しようとしたとき、俺の夢は覚めちまった。せっかくいいところまで行ったのによ…。おれはそいつと結ばれる夢を望んでいたのに。どうして、どうして…。」
男は泣き崩れ、またハンマーを振り上げた。
「申し訳ありません、お客様。新しい夢を売りますから、そこのベッドに横になってください…!」
正夢さんは相変わらず低調な口調で繰り返す。だがクレーまーの客は怒りを抑えられない様子だった。
「俺はおまえらを信頼できん!こんな嘘くさい看板を出すしおって、何が夢売りだ!俺の、俺の恋は…!」
そのとき、正夢さんは立ち上がってドリームミラーを出した。そしてそれをクレーマーの客に向ける。どうやら戦闘体制に入ったようだ。彼の体は、ラボから外へこそ出られないが、おそらくこういうときは動かすことができるのだろう。
「アスナちゃん、君は夢の製造のほうに集中してくれ。僕はこっちをやってるから。」
正夢さんは、どうやらクレーまーと戦っているようだった。必至に戦っている正夢さんをみるのは初めてだったから、私からすれば少し新鮮だった。いつも彼はパソコンと友達であり、パソコンと格闘しているように思えたからだ。それだけ彼はパソコンにかじりついて、米の世界の仕組みを守っているのだろう。
しばらくして、ようやくクレーまーの男が降参したようで、外へ逃げていく音が聞こえた。
「あの人、かなり怒ってたけど大丈夫なんですか?」
ハンマーでグチャグチャにされた棚の整理をしている正夢さんに、私は聞いた。
「やつはクレーまーじゃないよ。」
「え?でも今、私たちの夢にけちをつけにきたんじゃ…。」
「やつはクレーまーに化けてたんだ。」
「クレーまーに化ける…?」
私にはまったくその先が読めず、ただ困るしかなかった。しかし、正夢さんはその質問に答えようとせずに、
「しかし、やっぱり恋愛関係の夢には気をつけたほうがいいってのは、本当なんだね。」
正夢さんは、少しだけ擦り傷みたいになってしまったひざのあたりにテーピングを張りながら、何か思うところがあるように言った。
恋愛関係の夢の話は、よく現実世界で耳にする。今日すきなひとが夢の中に出てきたとか、好きな人と夢の中でしか話せないなんて話は、古い小説のネタにもなりそうな話だろう。
しかし、どうしてそれに気をつけたほうがいいのだろうか。
「こういうクレームはよくあるんですか?」
「そりゃあもう…。夢のクレームなんて、毎日ひっきりなしにくるよ。でも、うちのラボにまで来て、あんなことをするクレーまーはまれだよ。うちの取引先、つまりリサイクル工場や、ドリーム喫茶トラウムの人じゃなきゃ、あんなやり方はしない。」
「じゃあみんなどうやってクレームを?」
「夜になってみんながネル時間になるとパソコンの右側に、クレームを表示する意識調整ボタンが出てくるんだ。それで、夢の意識の中にある、壁をクライアントがたたいたり壊そうとすれば、僕たちはそれをクレームと処理して新しい夢に急いでアップデートして、クライアントの意識を捜査する必要があるんだ。たいていの場合間に合わなくて、そういうときは不良品の夢を最後までみてもらうしかないんだけどさ。」
「クライアントは、クレームを発している自分には気づかないんですか?」
「そういうもんさ。夢をみてるとき、クライアントの意識自体は夢に支配されてて、体がそんなことをしてるなんて、みんな思ってないからね。」
私は、不良品の夢を売りつけたりしないように、体では必死に夢の転送を続けた。なるべくクライアントが見たい夢になるように、意識を忠実に読み取って転送しなければならない。案外体も心もかなりの集中力が必要だった。
しかし頭の中には、あることがぐるぐるしていた。
好きな人ができた。そういうときは、げんじつ世界ではぜったいにその話をしては行けない。なぜなら、恋というのは、自分がそう思っていても、かなり自分の夢を描くことによってきれいに彩られるからだ。採算私が思っているように、そんなことを現実世界で行っても意味がないことは明白だ。だから恋をしたり、好きな人ができたとしても、そういうことは自分の夢として、誰にも感づかれない引き出しの底に隠しておく。それが私の、恋を処理する方法だったと私は思っていた。
だからこそ、その引き出しの中から、自分の恋を取り出して、どうやったらこの恋は誰にも潰されることなく、実現できるんだろうと考えながら眠りにつく。現実世界の学校で告白するなんてもってのほかだ。なぜなら、その時点でもしふられてしまったら、その時点で自分の恋は形のないただのゴミになるからだ。そんな怖いことはしたくない。それならば。
眠りにつく前に、引き出しから取り出した恋の匂いをそっとだけ開けて、中の香りを嗅ぐ。案外甘酸っぱい匂いがすることに気づくけれど、やっぱり捨てずに持っておいてよかったと安心する。
私は引き出しの中の恋を、そっと自分の頬にたらして眠りにつく。そうすると私は夢の中で好きな人の背中を追いかけている。
その人は本を読んでいた。いつも分厚い本に囲まれていて、私とは全然違った。私はそういう本が嫌いだったから、全然手をつけられなかったのだ。
「夢水。珍しいな。おまえが図書館にいるなんて。」
化学関連の本が積み上げられた書棚の前で彼が優しく声をかける。夢の中の彼は、げんじつ世界の彼よりも目が小さくて、メガネも分厚くなかった。背は高かったけれど、もっと細くてすらっとしたたち姿が美しかった。
「違うの…。ちょっと、探したいものがあって。」
「おまえ、普段どういう本を読むんだ。」
彼の息づかいが聞こえる。図書館だから大きな声が出せない。だから自然と距離が近くなる。誓いからやめてよなんて言えない。これは私が大切にしている恋の中身。大切に使わなきゃいけない。大切に味わわなきゃいけない。甘酸っぱくて、刺激的で、くるしくて、優しいはずの私の恋…。
「うちは…小説かな?こういう本は読めなくて。」
目の前に積み上げられた、英語の化学雑誌を指さしながら私がつぶやく。彼は小さく笑う。
「小説コーナーはずっと手前だぞ。それぐらい知ってるだろ?なのになんでこんな奥まできたんだよ。」
「もう…響きの馬鹿…!」
そう言うと、私は学校を飛び出して、泣きそうな顔で家に帰る。その道の途中で大きな車に引かれそうになって目が覚める。
そういう夢をなんども何度も繰り返していた。いつも私は言えなかった。
「響。あんたを探しにきたんだよ。」と。
私と闇沢響は、中学からの付き合いだった。彼は運動も少しできたけれど、やっぱり何よりも勉強ができた。私みたいに夢しか描けず、しかも勉強は夢を潰すために行うものだなんてひねくれた考え方をしている人とは違った。
彼のようになりたい。彼と一緒にいたら、もう少し私も更正できるかもしれない。そう思った私の心は自然と彼に向いていた…。そう、私の夢の中だけは。
現実世界では彼は友達だった。もちろんそれ以上でもそれ以下でもない。なぜならそれが現実だからだ。でも夢の中にいけば、彼は私に微笑みかけて、そして書棚の本をみながらでも
私の話を聞いてくれる。そんな彼は私のものであり、私の夢の中にしかいない。私は夢に恋をして、夢の中の彼に恋に落ちた。
だからあるとき、私はとうとういえたのだ。それが現実ではなく、夢の世界の話だから。
「だから、小説コーナーはあっちだってば。」
彼がその大きな手を差し出して私を小説コーナーまで案内してくれようとしたとき、それをそっと握って、叫ぶ私がそこにはいた。
「あんたを探しに来たんだよ。小説コーナーにぜったいにいない、あんたのことを。」
私は、彼の手をそのまま引っ張って図書館を飛び出す。放心状態になっている彼にょ手を引っ張って、学校の屋上に連れ出してキスをする。いままで何度も練習してきたセリフを口にする。このセリフは夢の世界で言うからいいのだ。現実世界で言ってしまったらかなわなくなってしまうけれど、夢ならかなってもかなわなくても、それは封印してしまえばそれでいい。誰にも盗まれない場所にこの恋を封印してやればそれでいい。だからいつも練習してきたあの2文字を、あの柔らかい響きの言葉を叫べた。
「好き!第好き!一緒にいてください!」
私は夢の中で、彼の恋人になった。朝起きたら、また友達の彼にあう。けれど夜になって眠りについて布団に潜り込んで、その甘酸っぱい恋の蓋をあければ、恋人の彼と二人で会い、いろんなところに行った。彼はいろんな本のことを教えてくれた。私が眠そうな顔をしても付き合ってくれた。私が食べたいものを知っていた。だから、彼の甘い胸の中に包まれていた。
でも…私は知っている。恋というのは、簡単に終わって、そしていずれは悪夢になって私につきまとっていくんだと。
ある日、夢の中の私は、小原に呼び出されていた。呼び出された私は、なぜだか緊張していた。隣に彼はいない。今日休みだったのかもしれない。
屋上の風が冷たい。早くこんな夢は、この冷たい風の中で覚めてほしい。彼がいない夢なんて私の夢じゃない。好きという言葉を叫ぶことを許してくれた私の夢を見せてほしい。
でも人間は、きっと考えることは同じなんだ。
私が夢の中で、「好き」だと言えることが許されるのならば、ほかの日とが私にそういうふうに言えることだって許されるはずだ。
「夢水。俺はおまえが好きだ!付き合ってくれないか?」
私は断らざるを得なかった。どうしてかそのとき、小原のことを、私の夢に介入してきた邪魔なやつだと認識してしまったからだ。だから彼にはそんな意思はきっとなかったのだろうけれど、私は彼のことをはねのけた。
「私の夢に入ってこないでよ!あんたなんか最低!」
そのあと、私の恋は、小原の嫉妬によって悪夢に帰られていった。そんなことは現実世界でありえなかったが、小原は闇沢を執拗に追いかけたり、彼の本を盗んだり、彼のものを隠したり、クラスの男子たちを使って彼をいじめてきたりした。小原はそんな子供っぽい性格の男ではなかったはずだったが、彼が私の夢の中でしたことは卑劣だった。そしてそのたびに、私は闇沢の夢をみることを拒んだ。好きだったはずの闇沢が、私への悪夢の提供者に変わっていた。
恋は盲目という言葉がある。その言葉の真意を渡しは知らない。しかし一つだけ言えることがある。夢だろうと現実だろうと、恋をすることで、私は友達を傷つけていた。そしてそんな私の姿は、私の目には移らない。恋のせいで…。
夢の中の小原の嫉妬から、夢の中の闇沢を救ってやるにはどうすればいいんだろうか。
私はある日、その打開策を見つけた、と思うことにした。
私は一番やってはいけないことをして、夢の中の彼の嫉妬をなかったことにしようとしたのだ。
現実世界で私が小原に持った感情ははかなく消えた。
「悪いな。おれにとって夢水は友達だよ。好きとか言われても、全然おまえと彼しになったおれなんか創造できねえよ。おれの好きは、おまえの好きとは違う私が本当に好きだったのは、闇沢ではなくて小原だった。私は自分に嘘をついて、闇沢を好きだという恋の夢をみることを努力していた。そして小原を悪者にした。でもそんなことをしたって、夢が解決してくれることはなくて、むしろ夢は私を苦しめていった。恋という恐ろしい毒薬の力は、もう私の体をしっかりとむしばんで、その胸の奥を、心の中を、頭の左側を痛めつけていく。馬鹿、馬鹿、馬鹿…!好きな人に好きっていえる力を、私はどこかで求めていただけなのだ。
「アスナちゃん、アスナちゃん!」
突然肩をたたかれて、私の意識は戻った。不安そうな顔の正夢さんが、私のパソコンの画面を除いている。
「びっくりした。悪夢に呪われてたみたいな顔してたからさ。手、止まってるよ。早くさばいちゃってくれ。」
私は、目の前で待っているたくさんのクライアントのために、自分が思い出した悪夢のことなんか忘れて、ひたすら美しい夢を売り続けた。
「ねえ、正夢さん。」
私は、少し夢の製造が一段落したとき、正夢さんに尋ねた。
「何?」
「恋の夢が恐ろし行って言ってた正夢さんの真意が、ちょっと私、わかったような
気がする。」
正夢さんはにやりと笑うと、私の質問には答えず、「さあ、仕事仕事仕事。」とだけ言った。彼もきっと、恋の悪夢の当事者なのだろう。
すると、勢いよくドアが開いて、二つの日と影が飛び込んできた。
「どうしてよ…どうして、ナナオが!ナナオの馬鹿、馬鹿!」
泣き崩れるミアさんを支えながら、ユメキが苦しそうな表情でラボに
入ってきた。
「夢ちゃん。女の子泣かせちゃだめだよ。」
正夢さんは、ベッドに倒れ込むミアさんを見ながら、意地悪そうにユメキに言った。そう言われたほうのユメキはというと、いつもの冷静さをまだ少し保持していたようではあったが、すっかり困り果てた顔になっていた。いったい何に困っているのか、私にはまだあまりはっきりとしたことはわからないが、ユメキもこの世界で起きる事件について、困った表情をするのだなと半ば感心したものだった。
「これはかなりまずいことになった。」
そういうと湯メキは私が使っていた夢製造用のパソコンを取り上げ、「ちょっと触るよ。」とっていじり始めた。おかげで私は夢の製造の仕事ができなくなってしまった。が、きっと今はそれどころではない自体が発生したのだろう。
ユメキはしばらくパソコンを触ってから、突然私と正夢さんを交互にみて言った。
「この棚の散らかり具合、正夢だな。」
「何言ってるんだよ。僕、棚のレイアウトなんか把握してないよ。僕がいじれるのはこのドリームPCだけだから。」
「あ、そ。」
ユメキには正夢さんのその答えに関心はないようで、まだ棚から目を話そうとしない。
「じゃあアスナちゃん。この棚がどうしてこんな散らかってるのか説明してくれないかな。」
その言い方は、ある種尋問のようにも聞こえたし、まるで私を疑っているような言い方にも聞こえた。どちらにしろ彼はさっきこのラボで起きた、私にとっては小事件について、何も知らないのだからいた仕方ない。
「さっき、変なクレーマーがここに来たの。俺に変な夢を売りつけてきやがってって。それで急にこの棚を壊し始めた。」
私はその一部始終について、覚えている限りのことをできるだけ自分が詳しく話せるレベルで話してみる。自分のご威力のなさや記憶力のなさは二の次にして、とりあえず自分が怒られることを必至で避けようと努力した。正夢さんは、まるで自分は関係内みたいな顔でパソコンをいじっている。まあこれも遊びではなく仕事だからしょうがない、と思うことにする。
ユメキはその説明を聞くと、またパソコンをいじり始め、そして、しばらくしてから手を止めた。
「アスナちゃん。君は聞いたことがある会?恋の夢ほど悪夢に近いものはないと。」
私の頭の中で、また自分が以前みた変な夢の記憶が現れてくる。恋は今も私に悪夢となってつきまとっていることは、ユメキや正夢さんに言われなくても変わらない事実だった。
「私は恋の悪夢をみたことがある。だから知ってる。」
私にはそれぐらいしか答えられなかった。
ユメキはパソコンの画面を渡しに見せようとした。
「やめてくれ!ユメキ!私は…怖かったんだ。だからあいつの夢をっ!お願いだ、アスナには見せないでくれ!そんな夢を見せてしまったら、私がただの余話無視みたいに…!どうして私は!」
ミアさんはベッドの売れて苦しむようにして暴れている。でもユメキはかまわず、私にその画面を見せた。
「先に説明しておくと、このパソコンでは夢の製造をして、げんじつ世界の人間に転送することだけが機能だけではないんだ。クレーマーや、夢のアップデートを希望する人間のために、今まで夢を買ったクライアントの情報を管理し、過去の夢を呼び出したり調べたりする、ドリームアーカイブという機能がある。これはそのあー会部機能を使って再生した夢だ。」
画面に映し出されたのは、二人の男女が星の下で手をつないでいる夢だった。二人とも笑っていた。何かをしゃべっているようにも聞こえるけれどどちらにしろとても美しくて明るい夢のように思える。
「これは誰の…?」
私が聞こうとしたとき、ユメキはよくみて色とサインを出した。
突然、月光のような光が、二人を照らし出して、はっきりそれが誰なのかがわかった。その瞬間、美しかった夢が鋭い牙を持って襲いかかる悪夢のように思えた。
ベッドに横になったミアさんは、そっとその話をしてくれた。
彼女とナナオは、実は現実世界からの付き合いだった。二人は高校の同級生だった。ナナオ少年の夢は世界一の億万長者になって、世界中すべての国に別荘を持つこと。かないもしないその夢を、いつだって彼は口にしていたという。そしてもう一つ。たくさんの女と結婚をして幸せな日々を過ごすというのも彼の夢だった。つまり彼が生きがいにしていたのは、金と女だった。これが最悪な人間の行き方と決めつけてしまうのは、夢を否定することにつながるので、私は口を噤むことにした。
ともかく、金と女にしか興味のない彼と、とりあえず医者になることを夢にみて、必至に勉強させられていたミアとでは住む世界が違ったはずだった…。
なのに、ミアさんは、あるときに、馬鹿なナナオさんにいらんおせっかいを焼いてしまう。つまり彼に勉強を教えたのである。それが彼との関係を結ぶきっかけとなる。
彼は単純な男だったせいか、あっさりとミアさんのことを好きになる。そして強く迫るようになる。ミアさんは、一応優しく接してくれるナナオさんに乗せられる形で、少しずつ親密な関係へとなっていく。だが、この男は初戦は弱いらしく、告白をしてくることはなかったという。
私が本当に好きだったのは、闇沢ではなくて小原だった。私は自分に嘘をついて、闇沢を好きだという恋の夢をみることを努力していた。そして小原を悪者にした。でもそんなことをしたって、夢が解決してくれることはなくて、むしろ夢は私を苦しめていった。恋という恐ろしい毒薬の力は、もう私の体をしっかりとむしばんで、その胸の奥を、心の中を、頭の左側を痛めつけていく。馬鹿、馬鹿、馬鹿…!好きな人に好きっていえる力を、私はどこかで求めていただけなのだ。
「アスナちゃん、アスナちゃん!」
突然肩をたたかれて、私の意識は戻った。不安そうな顔の正夢さんが、私のパソコンの画面を除いている。
「びっくりした。悪夢に呪われてたみたいな顔してたからさ。手、止まってるよ。早くさばいちゃってくれ。」
私は、目の前で待っているたくさんのクライアントのために、自分が思い出した悪夢のことなんか忘れて、ひたすら美しい夢を売り続けた。
「ねえ、正夢さん。」
私は、少し夢の製造が一段落したとき、正夢さんに尋ねた。
「何?」
「恋の夢が恐ろし行って言ってた正夢さんの真意が、ちょっと私、わかったような
気がする。」
正夢さんはにやりと笑うと、私の質問には答えず、「さあ、仕事仕事仕事。」とだけ言った。彼もきっと、恋の悪夢の当事者なのだろう。
すると、勢いよくドアが開いて、二つの日と影が飛び込んできた。
「どうしてよ…どうして、ナナオが!ナナオの馬鹿、馬鹿!」
泣き崩れるミアさんを支えながら、ユメキが苦しそうな表情でラボに
入ってきた。
「夢ちゃん。女の子泣かせちゃだめだよ。」
正夢さんは、ベッドに倒れ込むミアさんを見ながら、意地悪そうにユメキに言った。そう言われたほうのユメキはというと、いつもの冷静さをまだ少し保持していたようではあったが、すっかり困り果てた顔になっていた。いったい何に困っているのか、私にはまだあまりはっきりとしたことはわからないが、ユメキもこの世界で起きる事件について、困った表情をするのだなと半ば感心したものだった。
「これはかなりまずいことになった。」
そういうと湯メキは私が使っていた夢製造用のパソコンを取り上げ、「ちょっと触るよ。」とっていじり始めた。おかげで私は夢の製造の仕事ができなくなってしまった。が、きっと今はそれどころではない自体が発生したのだろう。
ユメキはしばらくパソコンを触ってから、突然私と正夢さんを交互にみて言った。
「この棚の散らかり具合、正夢だな。」
んだよ。」
「何言ってるんだよ。僕、棚のレイアウトなんか把握してないよ。僕がいじれるのはこのドリームPCだけだから。」
「あ、そ。」
ユメキには正夢さんのその答えに関心はないようで、まだ棚から目を話そうとしない。
「じゃあアスナちゃん。この棚がどうしてこんな散らかってるのか説明してくれないかな。」
その言い方は、ある種尋問のようにも聞こえたし、まるで私を疑っているような言い方にも聞こえた。どちらにしろ彼はさっきこのラボで起きた、私にとっては小事件について、何も知らないのだからいた仕方ない。
「さっき、変なクレーマーがここに来たの。俺に変な夢を売りつけてきやがってって。それで急にこの棚を壊し始めた。」
私はその一部始終について、覚えている限りのことをできるだけ自分が詳しく話せるレベルで話してみる。自分のご威力のなさや記憶力のなさは二の次にして、とりあえず自分が怒られることを必至で避けようと努力した。正夢さんは、まるで自分は関係内みたいな顔でパソコンをいじっている。まあこれも遊びではなく仕事だからしょうがない、と思うことにする。
ユメキはその説明を聞くと、またパソコンをいじり始め、そして、しばらくしてから手を止めた。
「アスナちゃん。君は聞いたことがある会?恋の夢ほど悪夢に近いものはないと。」
私の頭の中で、また自分が以前みた変な夢の記憶が現れてくる。恋は今も私に悪夢となってつきまとっていることは、ユメキや正夢さんに言われなくても変わらない事実だった。
「私は恋の悪夢をみたことがある。だから知ってる。」
私にはそれぐらいしか答えられなかった。
ユメキはパソコンの画面を渡しに見せようとした。
「やめてくれ!ユメキ!私は…怖かったんだ。だからあいつの夢をっ!お願いだ、アスナには見せないでくれ!そんな夢を見せてしまったら、私がただの余話無視みたいに…!どうして私は!」
ミアさんはベッドの売れて苦しむようにして暴れている。でもユメキはかまわず、私にその画面を見せた。
「先に説明しておくと、このパソコンでは夢の製造をして、げんじつ世界の人間に転送することだけが機能だけではないんだ。クレーマーや、夢のアップデートを希望する人間のために、今まで夢を買ったクライアントの情報を管理し、過去の夢を呼び出したり調べたりする、ドリームアーカイブという機能がある。これはそのあー会部機能を使って再生した夢だ。」
画面に映し出されたのは、二人の男女が星の下で手をつないでいる夢だった。二人とも笑っていた。何かをしゃべっているようにも聞こえるけれどどちらにしろとても美しくて明るい夢のように思える。
「これは誰の…?」
私が聞こうとしたとき、ユメキはよくみて色とサインを出した。
突然、月光のような光が、二人を照らし出して、はっきりそれが誰なのかがわかった。その瞬間、美しかった夢が鋭い牙を持って襲いかかる悪夢のように思えた。
ベッドに横になったミアさんは、そっとその話をしてくれた。
彼女とナナオは、実は現実世界からの付き合いだった。二人は高校の同級生だった。ナナオ少年の夢は世界一の億万長者になって、世界中すべての国に別荘を持つこと。かないもしないその夢を、いつだって彼は口にしていたという。そしてもう一つ。たくさんの女と結婚をして幸せな日々を過ごすというのも彼の夢だった。つまり彼が生きがいにしていたのは、金と女だった。これが最悪な人間の行き方と決めつけてしまうのは、夢を否定することにつながるので、私は口を噤むことにした。
ともかく、金と女にしか興味のない彼と、とりあえず医者になることを夢にみて、必至に勉強させられていたミアとでは住む世界が違ったはずだった…。
なのに、ミアさんは、あるときに、馬鹿なナナオさんにいらんおせっかいを焼いてしまう。つまり彼に勉強を教えたのである。それが彼との関係を結ぶきっかけとなる。
彼は単純な男だったせいか、あっさりとミアさんのことを好きになる。そして強く迫るようになる。ミアさんは、一応優しく接してくれるナナオさんに乗せられる形で、少しずつ親密な関係へとなっていく。だが、この男は初戦は弱いらしく、告白をしてくることはなかったという。
そして、彼らは別々の方法で期せずして夢売りになることを選ぶ。ナナオさんがどうして夢売りになる道を選んだのかははっきりわからないが、おそらく億万長者になる夢と、大量の女を寝とるという夢がかなわないことを現実世界で知らされたことが原因だろう。
ラボで再開した二人は瞬く間に今までのような関係を取り戻す。しかしミアさんは、どこかで彼に線引きをしていた。でもそれをはっきり伝えることはできなかった。
夢売りとしての力を二人が得られるようになった頃から、ナナオさんはとうとう夢に訴えてミアさんに迫ってくるようになっていった。彼はミアさんとの関係について、友達という壁をとっとと突破らって、いや、恋人という関係すら突破らって結婚しようとするほどの勢い出会ったのだろう。
だから、彼はそんなことも知らずに、夢の世界に色恋沙汰を持ち込んだ。
それは、ゴミ処理場の爆発で、ナナオさんがけがをして、ミアさんが手当をしていたときのことだった。ナナオさんは泣きながらミアさんに頼んだという。
「一つ頼みがある。おれに夢をくれ。」
ミアさんは、どんな夢を望むんだと聞いた。すると彼は、「それは枕に向かって創造するから、とにかく枕をくれ。」と言ったという。彼は、営業枕に頭を乗せて夢を願った。
そしてその夢が、今私が目の前でみている夢だった。
「でも私にはわかっていたんだ。あいつが願っている夢は、私を自分のものにするっていう夢だったんだって。夢売りになった以上、彼はそれができるようになってしまう。でもね、前にも言ったように、夢売りは夢売りとして、最大限に現実世界からエネルギーを集めるまでは、自分たちの夢をかなえてはいけないという決まりがある。つまり
あいつは自分から夢売りをやめる選択肢を選んだ。それがどういうことなのか、私はさっき知ったんだ。」
ミアさんは、夢の中でだけでいいから、ナナオさんが自分を手に入れようとすることに恐れを感じて、そしてなぜ彼がこの段階で夢売りをやめようと思ったのかもわからず、転送されかかった夢に細工をして、夢の中の二人を引き離し、恋の夢を悪夢に変えてしまった。いつもミアさんが夢食い虫を使っているのとは逆のことをした。
しかしそれは思わぬ誤算だったのである。
悪夢にとらわれたナナオさんは、目覚めた瞬間に外へ飛び出す。そして夢に裏切られたという錯覚にとらわれたまま、夢泥棒になることを決意してしまったのである。
ゴミ処理場の仕事を手伝っていたユメキとミアさんのところに、男は覆面姿でやってきた。しかし、ミアさんを見つけるとそのマスクを剥がした。
「ミアじゃないか?」
「ナナオ。あんた、どこにいたの?無断欠勤じゃない。しかもけがは大丈夫なの?」
矢継ぎ早に質問をするミアさんにたいして、ナナオさんは冷酷に、というよりもそっけなく言った。
「おまえのせいだからな。俺がおまえの敵になったのは。」
「どういう意味?」
ゴミの山をより分けているミアさんの手が止まる。ナナオさんは冷たげな表情で笑う。
「夢の世界でぐらい言わせてほしかったんだ。おまえに好きだって。俺は、億万長者だとか女たらしとか以上に、まじでおまえが好きだったんだ。なのにおまえはおれの夢を潰した。そんなやつ、許せるわけないだろ?」
走り去るナナオさんの背中は、どうしても的には見えなかったとミアさんは語る。
「あいつは馬鹿なんだよ。勉強もできなければスポーツもできない。しかもそれだけじゃなくて、いつも素直になれないんだよ。でもそれは私も同じだったんだ。先に素直に夢を信じていたのはあいつなのに…。私は夢売り失格だ。あいつの夢を、夢売りの力でもって潰してしまったんだ。」
「要するに、さっきおまえらのところへやってきたクレーマーは、変そうしたナナオだったんだろうな。」
ユメキがそういうと、ミアさんはさらにベッドでしゃくり上げ続けていた。
恋というのは、日とのことを簡単につき動かす。明るいほうにも暗いほうにも、大切な誰かを守るために、そしてその誰かを守っているという幻想にかられた自分を守るために、関係ない人を次々に潰したり傷つけたりしていく。それはし方のないことだ。なぜなら人は
恋という悪夢に取りつかれてしまったら、もう戻れないんだから。
でも本当の夢売りならば、そうやって傷ついた人を救済してまた夢を許してやれる希望を提供してやらなきゃいけない。前を向いて歩ける希望をあげなきゃいけない。それが夢を信じる、夢を売る人のすべきことなんじゃないのか。
「ミアさん。」
私はベッドにかけよる。目覚めたスズナにしたように、優しくほほをなでてやる。しゃくりあげているミアさんには、私の無償の偽善に抵抗できるほどの力はなかった。
「ねえ、ミアさん。私もね、恋の悪夢の制で、たいせつな人との恋愛をむちゃくちゃにしちゃったことがある。だから、そのときは自分を攻めちゃったことがある。でもさ、それならそれでさ、夢でつけた借金は、夢で返せばいいんだよ。悪夢があるならいい夢だってきっとあるよ。私は…そう信じてるし、そうなってほしいから夢売りになった。そういう考えじゃだめかな。」
ミアさんは大声でしゃくりあげ続けてはいたが、私の声は聞こえていたようで、強く手を握っていた。女と女のその話し合いめいたものを、男たちはただ黙って聞くほかなかったようだ。
ミアさんはしばらくしてしゃくり上げるのをやめた。
「悔しいな、私は。」
ミアさんはそう言って、私の手を強く握った。とても汗ばんだ、ずっと夢を握っていたんだろうなと思わせる大きな手だった。
「女として、夢売りとして、私のほうがあなたよりもキャリアは長いはずなのに…どうしてあなたはそんなに強いんだ。どうしてあなたはそんなに
前を向いていられるんだろう。私は、弱いな。」
「弱くなんかないよ!いい?ミアさん。夢で失った恋は夢で取り戻すしかないんだよ!だってミアさんは、ナナオさんのことが好きなんでしょ?」
「やめてくれ…!」
ミアさんが泣きながら、でも小さく笑ったのが見えて私は安心した。きっとまだミアさんの中に、夢売りとして生きていきたい、夢を持って行きたいという思いがあってこその笑顔だった。
「それなら、もう1度夢の力でもってナナオさんって好きっていえばいいんだよ。私も私の好きな人に、そういうから。ね、頑張ろうよ!」
ミアさんは、布団の中で涙を流しながら、でも大声で笑っていた。
「あなたは面白いね。いい夢売りになるよ。私だって、あなたに負ける気はないよ。」
そう言うと、ミアさんはまるで死んだように眠ってしまった。きっとナナオさんがけがをしたときから実は一睡もしていないのだ郎。
おもしろかったのは、ユメキや正夢さんは、私たちの会話を聞かずに、何かの作業をしていたのである。あえて男たちに聞いていてほしかったのに、彼は私が机に戻っても
気づかない様子で、必死にパソコンをたたいていた。
「ミアのやつ、寝たか?」
しばらくしてやっとユメキがそう言った。
「うん。ねえユメキ。あと正夢さんも。私たちの話聞いてたの?」
「ああ。ガールズトークって熱くなりすぎるところが苦手でね。シャットアウトさせてもらった。」
正夢さんのいたずらそうな笑い方で、私は彼も多少なりとも女に興味があるんだと悟った。
「なあ、アスナちゃん。君はさっきのミアの話を聞いていて、何か府に落ちないことはないか?ミアの話というより、ナナオが夢泥棒になると決めた理由について。」
ユメキは私の質問には答えず、逆に変な質問をしてきたから、私は彼の意図を必至で救いとろうとした。
「どうして急に夢を売れなんて言ってきたかはっきりしないとかそういうこと?」
私の出した答えに、ユメキは満足したような笑みを浮かべてくれた。
「君もようやく夢の世界の論理に慣れてきたようだね…。ごみ処理場で起きた爆発事故のことや、彼のドリームアーカイブのことについていろいろと調べていてわかったんだが、ナナオはごみ処理場での事件の際、夢泥棒のやつらと接触している。そして仲間に入らないかと誘われたんだろうな。断ったあいつに夢泥棒のやつらはこんな条件をつけてきたと考えられる。仲間に入るか現実世界で生きるかどちらかにしろと。つまり夢売りをやめろと言ってきたんだ。やつは考えに考えた末、ミアにすべてをゆだねることにしたんだ。ミアを愛していた夢が潰されなければ現実世界でやり直す。もしくは現実世界に追放されても、なんとかして夢売りとして再出発をしようとした。しかしさっきの話でもわかったみたいに、ミアは誤った判断をしてナナオの夢を潰してしまった。
だからナナオはもう夢を信じることをあきらめてしまった。きっとこれは、夢泥棒のやつらにも予想できたシナリオだったんだろう。
ナナオが恋に現をぬかして夢売りになったって話を、きっとどこかで調査していたんだろう。恋なんて、悪夢とのぎりぎりの境界線にあることを希望にしてるやつは、泥棒たちの手玉に取りやすいって魂胆さ。」
私の心の中に、さらに夢泥棒たちが許せないという思いがこみ上げてきた。ナナオさんとミアさんの県もそうだし、スズナを、夢泥棒になった闇沢が攻撃してきたこともそうだが、何よりも人の恋を自分たちがうまく利用して夢を潰していくようなやり方で、どんどんと搾取を行っていることにたいしての気持ちだった。恋というのは確かに悪い思い出やトラウマを生み出して、悪夢に変わりやすい存在でもある。しかも一人の日とを愛する代わりにいろいろなものを傷つけかねない。でも夢なんてそんな
ものだ。夢をかなえようとすればするほど、傷つく人も消えていく時間やお金も増える。でもそれはひとえに、何かある幸せを共有したい日とがそこにいるからで、悪夢を生み出す材料にはなりえないはずだった。
恋を使って夢の恐ろしさを知らせるなんて、恋の本当の原理からいえばありえない
ことのはずなのだ。私が信じていたそれは幻想かもしれないが、美しい愛の形とは、夢を潰す愛ではなく、夢を育てる愛のはずだった。それがいくらきれい事でも、幻想でも、美しすぎる魔法でも、それを信じることを禁じられる道理はないはずだ。ましてそれを信じている人たちの心をいたぶって、傷つけて、脅して、そして夢というものを否定させようとするなんてありえないはずだ。
私は、ナナオさんを含む泥棒たちを倒したいと同時に、そんなふうになったナナオさんのことを救ってあげたかった。それはナナオさんのためではなく、ミアさんのため。そして、昔恋の悪夢に傷ついて、まだ小原に謝ることができていない自分のために…。
「そしてもう一つの問題は、彼が行った仕事なんだよ。」
ユメキはまた現実的な目をして言った。
「彼が最初に行ったのは、クレーまーとして変そうし、このラボに侵入したことだ。そしてそれだけじゃなく、きっと何かをやらかしているはずなんだよ。」
それは考えすぎだと私が言おうとしたとき、突然ドアが開いた。
「畜生。予想より全然売れなかったぜ。なんで俺がスズナちゃんなんかに負けなきゃいけないんだよ。ってか25人もどうやったら売れるんだ。」
小原が汗だくになって、夢売り営業としての仕事を終えてかえってきたせいで、雰囲気は一気に和やかになった。
「君の売り方が悪いんだよ、似非ヒーロー君。スズナチャンなんか君の2倍は売ってるよ。」
嫌らしい目を浮かべながら正夢さんがからかう。
「何だよ、似非ヒーローって。営業なんてヒーローと関係ないだろ?しかも、スズナみたいに大量に夢を売ったら、明らかに次の日からスズナの周りの人が少なくなって不審がられるだろ?夢売りってのは夢の世界に人をどんどん転送していく職業なんだから。」
「君はまだまだわかってないね。それが夢売りのヒーローたる所以だというのに。」
小原と正無産の言い合いはしばらく続いた。
それにしても、小原は私以上に勉強熱心らしく、もうあの本を読み終えて、この夢売りの世界の原理を学習したというのだ。たぶん彼は自分がヒーローになりたいという夢を本気で実現する気なんだろう。
「そういえば、スズナは?」
私はふと、小原は戻ってきたのに、スズナはなぜラボに戻ってこないのかが気になっていた。
「さあね。どうせまだ夢を売りさばいてるんじゃないの?
その言い方は、スズナを気にしていないような言い方にも聞こえたが、私はなぜかそんな小原に怒りがわかなかった。
そして、机に向かってくるなり、小原は私に笑いかけてこう言ったのだ。
「夢水。やっぱり俺には音楽しかないみたいだ。」
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