夢を潰す場所

2 夢を潰す場所

Cheer up, sleepy Jean

Oh, what can it mean to a

Daydream believer and a

Homecoming queen?


午前6時。私が大好きな、デイドリーム・ビリーバーが、大音量で流れる。モンキーズのデイドリームビリーバーを最初に聞いたのは、幼稚園の頃、父が流してくれていたカーラジオだった。

「これ、ナンテ曲?」

と、私が笑いながら聞くと、父が車のスピードを上げながら、「知らねぇよ。でも、なんかいい曲だろ?」と言っていた。私も同じ気持ちだった。きっとあの頃は、夢を見ることが許されていたのだ。

そのあと、大きくなってからコンビニのCMと一緒に流れてきた、RCサクセションの日本語バージョンのデイドリーム・ビリーバーももちろん好きだ。でもその頃には、私はもうそんな純粋じゃなかったし、父のカーラジオからは何も流れなくなっていた。

スマホにダウンロードしているモンキーズのほうのデイドリームビリーバーが、まるで、私にいやな世界を見せるように流れる。大好きな曲のはずなのに私に朝をつれてくる。朝なんて子ないでほしい。朝日なんて上らないでほしいと何度願ったことだろうか。朝日にはなんの悪気もない。時間がすぎることに悪気はない。私が朝を嫌いな理由は…。

「アスナ…入るわよ。」

母親の、作ったみたいな優しい声が聞こえた。そんな声を出さなくても、私にはわかる。母は、私に対してもう何も期待をしていないと。

期待をされなくて当然だ。なぜなら私は、何度も母の期待を裏切ってきた。約束を何度も破ってきた。やると決めたことを途中で何度もあきらめてきた。けれど、それは私の心が弱いからということだけではない。私が何度も、いろいろな人たちに裏切られてきたからだ。

「あなた、今日も学校休むの?」

きちんとスーツを着て、すぐにでも会社にいけるような格好になった母が、私の部屋に入ってくるなりそう言った。その質問の答えはわかっているくせに、母は毎日同じことを聞く。これでもう何度目だろう。私が学校に行かないと決めた2ヶ月前からだろうか。

「言ったでしょ。私、もう学校なんか行かないから。」

「あ、そ。じゃあ働くの?」

これも毎日変わらないやりとりだった。別に今日に始まったことではない。学校をやめるなら働けというのが、現実主義者的な母親の考えらしい。別にそれならそれでいい。だが私はそういうやり方を選びたくなかった。なぜなら、学校にいこうが働こうが、わたしがいやなことは解決されないのだから。

「そんなの、すぐ答えなんかでないよ。」

「今月中には答えを出してもらうから。」

母はそれだけ言うと、ドアを占めた。時計は午前7時。2カ月前までは、急いでご飯を食べて学校にいく準備をしている時間だった。学校に行かないなんて意地を張らず、流れていた目覚ましを止めて、重い体をベッドから起こして、顔を洗って着替えてご飯を食べれば学校にいけるのかもしれない。

でも、そういう一連のルーティーンを、まるで苦いものを食べるみたいな顔をしてやりぬいても、私は学校にはいけない。

私は知っているのだ。学校に私の居場所がないことを。

こういう言い方をしたらいじめられている人みたいに思うかもしれない。女子高生なら、グループに入れないから学校に行きたくないみたいな話もあるのかもしれない。もちろんそういうことがないわけではないし、私が学校に行きたくないとはっきり思ったときに起きたことは、ある意味いじめと定義しても間違ってはいないのかもしれない。だが、もしそのいじめが解決されても、私はあの場所で毎日を過ごすことに意味を見いだせなかった。

仮に、さっきの朝のルーティーンを全部終えて、制服を着て、太陽に向かって笑ってから外へ飛び出したとして、学校に向かう電車の改札をタッチしようとしたときに、私の足は止まる。そして、ラッシュの人の流れをせき止めるみたいになる。急いで柱のほうに寄りかかる。

このまま私は本当に学校にいけるのだろうか。学校に行く意味なんてあるのだろうか。あんな場所に行って、私は本当に自分の人生を自分が思った方向に進めることなんかできるんだろうか。

そう思うと、突然止めようのない吐き気が押し寄せてくる。駅のトイレに駆け込んでおもいっきり朝ご飯に食べたパンや目玉焼きやヨーグルトや、そして朝目覚めたときに感じたいやな気分を捨てる。

そういう生活をなんども続けてきたからもうわかっている。今日も、もしああいうルーティーンを続けてむりやり学校に行こうとすれば、自分の体に悪いことも、そして自分がすごく弱い存在であることを、現実世界が突き付けてくる。

私が弱いんじゃない。あなたたちが卑怯なだけだ。どうしてそういうことに気づかないんだろう。だから私は学校に行きたくないんだ。私は気づいてしまった。

学校に私の居場所がない理由は、夢を潰される場所だから…。

まだ夏の暑い7月のある日、私が学校に行くと、先生は、高校2年生の段階で生徒たちがどういう進路を目指して今勉学に励むなり、部活を頑張るなりしているのかを調査したいらしく、生徒全員にアンケートを配った。締め切りは夏休み前までとかなり余裕はあるようだった。

先生は、「私が皆さんの状況を把握したいから。」と、まるで自分の自己満足みたいな発言をしていたが、そんな自分のコレクションみたいなものに、このアンケート結果を使うわけではないことなんて、16年も人生を生きていれば創造はつく。どうせこの結果を進路指導担当の先生にメールで送るなり、スマホでスクショして転送し、この生徒の進路はどうだとか、あの生徒の進路はどうだと、いろいろと意見を並べ立てるのだ。

そういうことがわかっているから、私はそのアンケートの筆を進めることができなかった。くだらないことは書けない。おふざけで書いて消しゴムを使えばいいのかもしれないが、くだらなくないことがどういうことなのか、私は判断に迷った。自分に嘘をつけばいいのかもしれない。自分が別にやりたくもない、かなえたくもない夢を書いて、すごくまともな人間みたいに思ってもらえればいいのかもしれない。

しかし、私は仮にもこの16年、どれだけ自分が不安定な状態でも、自分が心の中でささやく声にだけは、それに従おうとそうであるまいと、きちんと耳を傾けてやろうとしていた。だから、自分に嘘をつくのは最悪の手段であり、よっぽどのことがなければ選びたくなかった。

「夢水。」

その日の昼休み、私が悩ましげにアンケートの空欄を見ていたら、隣に坐っていた私の友人、小原ハナキ(オバラハナキ)が肩をたたいてきた。それ見ろ。私にだって、友達はいる。このクラスに友達がいないから居場所がないわけではない。

「何よ、小原。」

「困ってるようだな、アンケートにどういうことを書いていいかわからなくて…。」

「何か問題でも。あんたはもう書いたの?」

「書いたぜ、ほら見てくれ。」

アンケート用紙の一番最初の欄、「目指している職業、もしくは将来の夢」のところに彼が書いていたのはカタカナ4文字、「ヒーロー」だった。

私はここでやっと笑えた。

「あんた…本気でそれ、先生に出すの?」

「んなわけあるか。適当に書いただけだよ。」

小原は笑いながら自分の書いた「ヒーロー」という4文字を愛おしそうに見つめている。

「おまえもこういうふうに、適当にふざけて書いてみればいいじゃん、自分の本音を。」

「なんでわざわざふざけなきゃなんないのよ!」

「ストレス発散的な…っ。」

小原は、まだヒーローという文字から目を話そうとしない。

「おまえら呑気だな。そろそろ進路決めないとやばいんじゃないのか?」

本を広げながらそうつぶやいたのは私のもう一人の友人、闇沢響(ヤミザワキョウ)だった。彼は小原とは違ってかなりまじめなタイプの人間だった。でも彼のまじめさを、私は嫌いではなかった。なぜなら彼にはずっと夢が会ったから。

「あんたはいいじゃん。もう自分のやりたいこと決まってるんだから。もうどうせ全部書いたんでしょ。」

「まあな。こんなアンケート、朝飯前だ。」

彼は、さっき小原が「ヒーロー」と書いていた欄に書いた文字を見せてくれた。そこには漢字3文字で、彼の夢が書かれていた。科学者…。

私にだって、夢の一つや二つはある。ふざけていいならいくらでも書けそうなものだ。この紙に収まらないぐらい、かなえたい夢はある。かなう可能性の高さや低さに関係なく書いていいならいくらでもある。でもその中から一つだけ夢を核としたら。

「おまえ…本当にそれ、書いたのか?」

昼休みが終わったあたりで、私は自分の「将来の夢」のところに大きく自分で書いた夢を、小原と闇沢に見せた。もちろん二人とも大爆笑した。けれど、二人の爆笑が、とがった刃みたいなものではないということを、私は知っているし、そんな笑いでないという信頼の元に、私は彼らの笑いを耳で聞き、目で感じた。

「おまえもいちずだよなあ。マジでお姫様になりたいのかよ。」

闇沢が、分厚い英語ばかり書いてある本のページをめくりながら笑う。

「悪い?」

「別に悪かねえけど…。お姫様って、どうやったらなれるんだろうな。」

「どっかの国の王様と結婚すりゃあいいんじゃないの?」

小原が超現実的な話をしたので、私は彼の肩を小さくたたいた。

「やだよ、私、英語も話せないし。しかも、部同会とかもないでしょ。」

「いや、ダンスパーティーはあるんじゃねえの…?」

そのとき私は思ったのである。どうやったら私の望むお姫様に

なれるんだろうかと。きっと私の望むお姫様は、日本の皇室の娘三とか、イギリスの王室の娘さんとか、そういうのとはちょっと違う、いや、かなり違う人なのだろう。

ともかく私は、お姫様になりたい。それはお姫様の存在を知ってからずっと変わらなかった。ふざけて書く夢ならこの夢しかない。ふざけて書いてはいるけれど、私がかなえたい1番の夢はこの夢なのだ。

そうなのだけれど…。

放課後、私はそのアンケート用紙を持って図書館へ行った。なぜ図書館へ行ったのかを言葉で説明できない。ただあえて言うなら、図書館に行った方が、自分の夢や進路と向き合えるかもしれない、などと、今の私では考えられないようなことをしたのだ。

図書館にはたくさんの本がある。ある日とは、書棚に積み上げられているたくさんの本を見て、この本たちは夢を与えてくれる扉のようなものだと言うかもしれない。しかし私はそれ以上に思う。こういう本は、かなりの確率で、私の夢やみんなの夢を破戒させる道具になるものもあるということを。絵本や童話は別である。なぜなら高校の図書館に、彼らがいう「幼稚な本」は1冊もない。そういう本があったと思って手にとったら、そういう「幼稚な本」を気難しくこき下ろした票論文だったりする。そういうものには興味がない。興味がないというより破ってやりたくなる。夢を破るなら現実を破りたくなる…。

自習室に入っても、そういう本を読む変な顔の人たちしか見えなくて、私は吐き気がした。15分と持たずに図書館を出た。一瞬の気の迷いがこうして私を苦しめる。そしてその苦しみは最後まで私を突き落とした。

「あら、夢水じゃん。珍しいわね。図書館でお勉強?」

分厚いメガネの奥から私を除きこんできたのは、去年私と同じクラスで、クラス委員も一緒にやったことのある女だった。確か名前は、守谷唯華(モリヤユイカ)だっただろうか。望んで彼女と仕事をしたわけではない。くじ引きでそうなった。

彼女は私が嫌いだった。なぜ嫌いだったかといえば、彼女はいわゆる優等生、言葉を選ばずに皮肉を込めれば模範生徒だった。学校の規範に従っていたし、成績も高かったし、先生方からの信頼も暑かった。私みたいに、先生の顔も見ようとしないような人とは違う。

だからそういう私を見て、彼女はいつもいやそうな顔をする。別に嫌ってもらってかまわない。ただ彼女はただの優等生ではなかった。優等生の中には、そういうことを自慢したり、他人のことをばかにしたりせず、ただ淡々と日々を過ごす人もいる。けれど彼女は最悪な優等生だった。彼女の目的はやはり、学校とか現実とか、そういうものに目を背けている私の心を潰すことだった。

だから彼女は私にいやみも言うし、ちょっとしたミスをしたらすごくいやそうな顔をする。どうしてそんな無駄な労力やストレスを使うのか私にはわからない。だが彼女はそうでもしないとやってられないのだろう。

あの日、図書館から出ようとした私に対してもそうだった。

「私だって、本を読みたくなるときだってあるんですけど…。」

私はとっとと彼女と別れたかった。こんなタイミングで彼女と話したくはなかった。ただでさえ図書館の中は、自分とは全然違う国の人みたいに本をむさぼり読んでいる人たちの塊だっていうのに、図書館の外にはそれの守護神みたいな人がいるなんて、私にとっては考えられない。

「ふーーん。」

彼女はそう言って私から関心をそらしたかと思えば、よくないことに気づいたみたいに、私が手に持っているものをじっと見つめた。

「あら、これ、進路アンケートね。私のクラスでも配られたわ。」

彼女は私の了解も得ずに、私の書いたアンケート用紙を見た。もちろん「将来の夢」の欄しか書いていない、しかもおふざけの回答を、彼女はまるで、獲物を見つけた野獣みたいな目で見た。早くそいつに毒の針をさして破ってやろうかと言わんばかりの目である。

「あなた…まだそんな夢見てるの?もうちょっとまともなのかと思ってたわ…。」

彼女も、小原や闇沢と同じように、私の夢を知って大笑いした。だけど

彼らの笑いとは違う。彼らの笑いよりもずっと鋭い刃でもって、私の胸の奥を次々と切り裂いていく。そうしねその胸の奥にある私の本当の夢を、あっという間に形ないものにして潰していく。

「何が言いたいの?あんたは。」

私にはそれぐらいしか言えなかった。言いたいことは山ほどあったし彼女を殴ってやりたい気持ちもあった。しかし、そういうことをいくらやってもきっと彼女への恨みは晴らせないだろう。

「そんな絶対かなわないチンケな夢見てて、本当に楽しい?」

今私は守谷唯華に感謝している。私にとって、学校がどういう場所なのかをはっきりと結論づけてくれたから。そして私が、もう学校に行かないと心に決める手伝いをしてくれたから。

私の見ていた夢はちんけな夢ではない。それをただ楽しんで見ているわけでもない。彼女は私の夢を、その声で、その言葉で、その心で、滅多打ちに潰したのである。

学校に私の居場所がない。その理由はいじめや勉強のせいや教師との不一致、求職がまずいからとかそういう具体的なことではない。私が学校に居場所を見つけられなかったのは

あの場所が私の夢を前進で潰す場所だからだ。学校は夢をかなえるための場所ではない。あそこは、みんなの夢を破戒して、人を空っぽにする場所だ。

あれから2ヶ月。私は、学校に行くことをやめて、家に引きこもることを選んだ。だが、その2ヶ月がちょうど夏休みと被ったこともあって、家に引きこもっていることが正当化できる時期となった。また、小原や闇沢に誘われて、遊園地やプールに出かけたりはした。そういう場所は現実的なことを考えなくても良かったからだ。彼らは、私が学校に来ないことを心配して、いろいろな場所に私を連れて行ってくれたのだ。それは私にとって良いことであったし、逆に悪いことでもあった。結局こんなふうにして、私は小原や闇沢に迷惑を掛けているのかも知れないと思うと、どうにも夢で溢れているプールや遊園地さえも、源逸世界の作り出した人工的な夢に逃げているような気がして、たまらなく気持ちが悪くなった。ハダだけが、まともに夏を過ごしたみたいにきれいに焼けている。

夏休みが終わった後も、別にまともな生活をしていないわけではなかった。ただ私の現実から、学校に行くというプロセスが一つ抜けただけだ。中学までと違って高校は義務教育ではない。そんなことは小学校ぐらいからわかっていた。欠席日数が30日を超えたら留年が確定することもわかっている。でもそんなことはどうでもいいのだ。留年しようが、教育制度から落ちこぼれようが、私の知ったことではない。ただ私は許せなかった。私の夢にとどめをさした守谷唯華が。私の夢を潰そうとするくせに、将来の夢を見つけることを強制する学校に。どうせ私が見つけた夢は簡単に潰されてしまうのに。

そんなことを考えていてもしょうがなかった。だから、ちょっとでも新鮮な空気を浴びるために、買い物に出かけることにした。

時刻は夕方の5時過ぎだった。きっともう学校は終わりを迎えて、生徒たちは帰り自宅をするだろう。どうせ私がいなくても何も変わらない学校生活が続いている。夏休みが終わって学校に来てみたら、私の席は空っぽだった。そんな事象も、生徒たちにはどうでもいい情報だろう。

買い物に向かう途中の信号でぼーっと歩いていたら、前からやってくる自転車にぶつかりそうになった。

防止をかぶった高校生ぐらい、つまり私と同じぐらいの年の少年が、小さくベルを鳴らした。明らかに今悪いのは私なので、「ごめんなさい。」と小さく頭を下げる。

自転車の主は、なぜか私の前で自転車を止めた。そしてゆっくりとこっちを見た。

まさか金でも出してほしいのだろうか。今私の財布には2000円入っているけれど、それは全部今日の買い物に消えてしまうだろう。しかも、私から2000円もらったところで

この人の生活がめちゃくちゃ潤うとは思えない。コンビニやスーパーのレジで50万円ぐらい盗めば、しばらく生活は楽になるかもしれないが、2000円で生活できる期間なんて、限られている。だから私から金をせびっても何も解決はしないだろう。

「あの…。金なら持ってません。」

私がそう言うと、自転車の主は、大きな声で笑った。その笑い方は、小原や闇沢のそれとも憎き守谷唯華のそれとも違った。

「じゃあ夢は持っているんだね。」

もしかして新手の宗教勧誘か?この街は、都市部から離れた郊外の街だし、その中でもここは住宅街だ。そんなところに、宗教団体がわざわざ勧誘をしにくるだろうか。それに、この人は自転車1台で勧誘しにきたのだろうか…。

でもここはひとまず、この人の質問に答えることにした。

「あります。」

「どんな夢だい?」

「なんでそれをあなたに教えなきゃいけないんですか?」

「現実に絶望しているような顔をしているからだよ。」

この人はいったいどんなことを考えているのだろう。本当に私の顔を見てそう思ったのだろうか。大きな帽子を深くかぶっているくせに、私の顔をそんな直視できたんだろうか。そもそも、まだ何も知らない少女のそんな顔を見て、本当に彼は私が現実に絶望したとわかるんだろうか。

それなら試してやろうと思った。この人が、私の絶望を見破ったのなら、現実に絶望した私を救ってくれるかもしれないと思ったのだ。

「お姫様になることです、私の夢は。」

彼は笑わなかった。怒りもしなかった。涙も流さなかった。つまり表情を変えなかった。なぜだろうか。なぜ彼は、私に何も与えようとしないのだろうか。

「難ですか?わ、笑えばいいじゃないですか?ちんけな夢だって。どうせかなわないだろうって。どうして笑わないんですか。」

私がそう言い終わらないうちに、彼は私にあるものを投げてきた。

それは明らかに枕だった。よく誰かの家、というか自分の家にもおいてありそうな枕だった。それをいきなり投げられても困る。

「これはなんですか?」

「これに頭を乗せてくれ。そうすれば、君はその夢を見られる。」

「私…そんなふざけたつもりで、あなたに夢を話してはいないんですが。」

私は心の底から言った。もしこの人が本当に私の夢をばかにして、枕に頭を乗せろと言っているのなら、私はこの男を自転車からたたき落として警察につれていってやってもよかったのだ。

けれど彼は表情を変えなかった。

「やってみないうちから、君はそういうことを言うのか?」

「だって…!」

私は反論しようとしてやめた。この男は私に何かをしかけてきている。宗教勧誘とかキャッチセールスとか強盗とか、そういうこととはもっと違う、もっと陰湿でもっと鋭い勝負を、私に申し込んでいるのかもしれない。そもそもこれは勝負なのだろうか。

私は思い切って枕に頭を乗せた。

「君のかなえたい夢、見たい夢のことを思い浮かべて、30秒ほど、その枕に頭を乗せておくんだ。それだけだ。」

彼は、あたまを枕に乗せた私にそっと語りかけるみたいに言った。こんなことをして、私の夢をこの男は馬鹿にしていないとわかるのだろうか。と私が思ったとき、なぜだか私は一瞬だけ、意識を失っていた。

「よし、終わった。さあ、起きろ。」

彼は、私に声を書けた。彼に体を触られたくないという思いから、私は枕にある頭を挙げた。

「ありがとう。それじゃ、いい夢見ろよ。」

彼はそう言うと、自転車を走らせて、路地の向こうに消えていった。

いったい難なんだろうか。それが私の率直な乾燥だった。ああいう宗教勧誘とかキャッチセールスはよくあるのだろう。けれど彼はお金をとらなかったし、私が枕に頭を乗せている間に何も盗んではいないようだ。財布に入っているお金も、1円のちがいなくあったし、携帯もきちんと鞄に入っている。

そして何よりも不思議だったのは、私が枕に頭を乗せていたとき、私の意識が一瞬なくなったことだ。あの枕は、そんなに気持ちよかっただろうか…。

とにかく、そんなことを考えている間に、どんどん外が暗くなっていく。私は買い物に急いだ。

スーパーで、あらかた今日買うべきものを買って、それを腕に下げる。さっき私が遭遇したなぞの彼のように、自転車で行くことも考えたが、なまっている体をちゃんと動かしたいのと、他人に気を使って中輪状を使いたくなかったから、ちゃんと歩くことにしたのはいいのだが、それにしても袋の野菜やら肉やらお貸家ら日用品がかなり思い。つりそうになる腕の痛みに耐えながら、必死でスーパーを飛び出す。

「あ、いたいた!夢水!」

遠くから走ってくる見慣れた人影を司会にとらえる。私はなぜだかその人影を見たとき、結果として胸をなでおろした。

「小原、闇沢。」

「ちょっと駅前の本屋でこいつが用事あるっていうからさ、ついてきちゃった。」

「おまえが読書感想文書いてなかったからそれに付き合っただけだ。」

小原と闇沢は相変わらずだった。私がいようといまいと二人の関係は変わらないのかもしれない。しかし私は彼らと一緒にいて、さほどストレスではなかった。

「相変わらずだね、あんたたちは。」

「それを言うならおまえもだろ。」

小原は、ニヤッと私に笑い書けた。彼らは彼らなりに心配をしてくれているはずだ。

「重そうだな。」

闇沢は、私の下げている買い物袋を見ていった。

「一緒に家まで運んでやるよ。」

闇沢は、私の腕から買い物袋をそっととった。

「でもあんたたち、こっちのほうじゃないんじゃなかったっけ…。」

「気にすんな。これも運動だ。な、小原。」

闇沢はいやに張り切っている。きっと彼は、私に学校に来てほしいと、少しだけでも思っているのだろう。

「もう、この暑いのに、おまえはよくやるなあ…。」

小原は首をかきながら、闇沢についていった。

「おまえ、いつ学校来るんだ、次。」

家に向かう坂をゆっくり上りながら、闇沢が聞いてきた。正直一番聞かれたくない質問だったが、彼らが心配している気持ちは痛いほどわかる。

「ごめん。しばらく学校には行かないつもり。」

闇沢にはその答えはわかっていたようで、別に表情は変えなかった。

「まあいいけど、自分の殻に閉じこもるのだけはやめろよ。」

「わかってる…。ありがと。」

小原のアドバイスはうれしかった。でもやっぱり自分の夢を潰されないためには、自分の殻にとじこもるのが得策だとわかったのは最近のことだった。

家の手前まで来たとき、私はふと思い出してはいけないことを思い出した、というより、思い出すことには何ら問題はないけれど、それを口にしてはいけないということを口にしてしまっていた。

「あのさ…さっき、変な人に超えかけられてさ…。」

「変な人…。」

闇沢が小さく笑う。

「おまえも対外変だけどな。」

「本当に変な人だったんだって…。急に、おまえは夢を持ってるかとか聞かれて、枕に頭を乗せろとか言われてさ…。」

自分でも、さっき起きた事象の話をうまく言葉にできないでいた。それが何よりも歯がゆかった。もちろん、彼らにその話を聞いてもらう必要性があるかと言われればないのかもしれないが、誰かにこの歯がゆい現状を伝えたかった。

「おまえ、暑さで頭がどうかなっちゃったんじゃないのか?」

小原が予想通りの返事を返す。闇沢はしばらく何も言わなかったが、

「あんまりいろいろ気にしないことだ。ほれ、荷物。」と、買い物袋を勢いよく私に渡した。

「気が向いたらまた学校に顔出せよ。」

小原なのか闇沢なのかわからないが、二人のどちらかがそう叫ぶのが聞こえた。二人の乗った自転車が、勢いよく駅のほうに向かって行く。まるで私の手の届かない現実世界へ旅立つみたいに。

そんなことできないよ…。私の頭の中はそれしかなかった。あんな場所に顔を出すなんて私には到底無理な話なのだ。

帰ってからスマホを見ると、毎日闇沢と小原がそうしてくれているように、今日の授業のノートの写真が送られてきた。闇沢はとても達筆で、小原は汚い小さな字で書いてあるのがわかる。

別にこんなものを読んだところで、私が楽しい気分にはならない。何をしたって、私は現実を思い知らされるだけだ。だが、私が求めていなくても、彼らは毎日こうしてノートの写真を送ってくれる。そのつながりだけが少しだけ私を、引きこもらせずに済ませているのだろう。

さっき会った奇妙な少年のことが少しだけ気になっていたから、夜眠ることにためらいがあった。本当に夜眠ってしまうことが怖かった。その少年が私にしたことが本当なのか、それとも嘘なのか、それをはっきりさせることに少しだけ抵抗を感じていた。

本当は、夜眠る時間が、私にとっては一番自分の心を許せる時間だった。惰性で今日1日を無理やり生きて、でも夜になれば誰もが目を閉じる。目を閉じることを、夢を見ることを許されているのは、この夜の間だけだ。もし彼が言ったこと、私にさせたことが本当でも嘘でも、夢を見ることはきっと許される…。

目を閉じる直前、夜ご飯のときに、テレビでみたニュースのことを思い出した。自分の住んでいる街からはとおく離れていたある街で、20台ぐらいの若い男性が、車を暴走させ、次々と人をはねて殺したという事件だ。事故が起こったとき、この男性もすでに車が横転して死んでいたという。男性は両親と3人で暮らしていて、高校時代から不眠症に悩んでいたという。また、自室の引き出しや所持品から、大量の覚せい剤が見つかったという。警察やメディアは、彼が何らかの理由で不眠症に悩まされたと同時に、薬付けの毎日を過ごしたことによって、ある種の夢遊病になったと断定した。薬を飲みすぎると幻聴が聞こえたり幻覚が見えるというが、それらにしたがって車を運転し、事故を起こしたと断定した。メディアは高らかに、「私たちは毎日質のいい環境で睡眠できているのでしょうか?」とか、「悪い夢をみたくはありませんよね。」などと、わかったふうな言い方をした。画面には、壊れた車や、彼の散らかった自室が映し出されている。彼の部屋からは、彼の書いていた日記のようなものも見つかった。日記の字はかなり汚かったが、一つだけ読み取れたことがあった。

「こんな世界に居場所などない。」

私はこんな非常識で世間知らずな生き方は選びたくない。でも、なぜだかこのおろかな若者の言い分には、納得できるところがあった。

もしかして、私が目を閉じたら、あの若者のような夢遊病者になるのだろうか。そしたらきっと次目覚めたときは、刑務所か天国にでもいるのだろう。現実に居場所がないならちょうどいいのかもしれない。

ゆっくりと目を閉じる。このまま一勝目をあけなくていいならそれでいいのに、そんなことを思いながら、ゆっくりと現実世界に別れを告げる。私を苦しめ続ける現実世界から離れることを、私は選んだ…。

朝が来てもかまわない。現実世界が音もなく迫ってきてもいい。でも一つだけ願うのは、このまま私の夢が冷めなければいいのに…。

小さなドアをあけると、そこは大広間だった。きれいな衣装を着たたくさんの人が、華やかな音楽に乗って踊っている。よくみると私までもが、宝石のあしらわれたきれいなドレスを着て、美しく輝く耳飾りをつけて、頭の上には小さな冠をかぶっている。いったいいつ私はこんな格好になった、いや、させられたのだろう。紙はきれいに結われ、靴もいつも履いているものよりもずっと思い。これではまるで私が、私が…。

「お姫様。お待ちしておりました。さあこちらに。」

小男が、地面につくんじゃないかと思うほど、私に深々と頭を下げる。私がみたこともない小さな男、というよりおとぎ話に出てきそうな子供に見える。

しかもその小人は、私を「お姫様」と呼んだ。それはけっして間違いのないことだ。なぜこの小人は私をそんなふうに呼ぶのだろう。それはきっと私がこんな美しい、私にしては不釣り合いな衣装を着ているからだ。本当の私はそんなものを着ることができないような、そんな衣装を着ることが許されないような世界に住んでいる…。

本当の私は…。そうだ。私が今いる世界は、そんな本当の私を捨てて、自分が夢にみた私になれる世界だ。その世界では私はお姫様だ。誰にも邪魔されることはない。私は胸を張って、自分はお姫様になってやったんだと叫ぶことができる。

だから何のためらいもなく踊りだそう。

自分と同じぐらい美しい衣装を纏った人たちが何人もいる。その中に、ひときわ華やかでりりしい衣装を着た男の人がいた。その人は私のそばにゆっくりと歩み寄ってくる。

「これは美しいお姫様。僕と踊っていただけませんか?」

漫画や小説、アニメに出てきそうなセリフをその男の人は美しいいぇが尾を浮かべながら言った。いままでみたこともないほどの美少年だった。年齢は私と同じぐらいだろうか。背も高いし冠はまさに王様といっていいほどの風格がある。それでいて恐怖感を感じさせることもない。

これがいわゆる、「プリンス」というやつか。私がそれに気づいたのは、彼が私に手よ差し出してくれたときだった。

「お手をどうぞ。」

「あの…一緒に踊ってくださるんですか?」

愚問だと思ったけれど、聞かずにはいられなかった。私がお姫様であることを誰かに証明してほしかった。誰かに証明してくれれば、私は胸を張って踊れるはずだ。別にそんなことをしてもらわなくても踊れるはずだけれど、今の私は、この夢なのか現実なのかわからない美しい世界を前進で受け止めるだけの力も、余裕もなかった。

「もちろんです。だってあなたはお姫様ですから。」

今手をつないでいるこの男の人が、どんな国のどんな正確のお王子様なのか、私は知らない。でもこの人は、私がお姫様であると教えてくれた。とうとう私は、この夢をかなえることができた。

音楽が流れる。今まで聞いたことがないほど美しいメロディーの曲だ。体が勝手に動き出しそうになる。私はお姫様だ。もう何も心配することはないんだ…。

ところがそのとき、突然私は力が抜けて大広間に倒れた。

朦朧とした意識の中、男の人の声が遠くから聞こえてくる。ここがどこなのかもわからない。私はまだ自分がお姫様のまま生きているのか知りたかった。夢であってもまたあんなふうに大広間で踊ることができたなら、私のこの最悪な気持ちも少しはぬぐわれるはずだ。事実私は、王子様と踊ることができないまま倒れた。その手のぬくもりを感じることはできたけれど、お姫様として舞台のうえを舞うことはできなかったのだ。

なぜこんな中途半端な終わり方をするのだろう。そして今私はどこで何をしているのだろう。自分ですらそれがわからないというのは地名的だ。

男の人たちの声が少しずつはっきり聞こえてきた。

「夢ちゃん。本当によかったの?あの子、クライアントなんでしょ?」

「まあな。でもこの続きは仕事をしてもらわないと見せられない。」

「本当に卑怯だね。君の営業方針は。」

「そうでもしないと仲間はつくれない。たとえ夢の世界でも、卑怯な手は使わないと生きていけないんだよ。現実がそうさせるから。」

男たちの声は実に深刻で、そしてどこか何かとんでもないことをたくらんでいるみたいだった。そしてそのたくらみに、もしかしたら私も巻き込まれてしまっている可能性がある。しかも、ただ巻き込まれてるんじゃなくて、私は新たにその被害者になりかけている。でもそれに抵抗できるだけの証拠もないし、私は彼らのことを知らない。しかもここがどこかもわからない。ただ一つだけ、はっきりし始めた意識の中で感じられるのは、布団の温かさとベッドのぬくもりぐらいだ。でもそれはきっとげんじつ世界でベッドに寝ているからそういう温かさを感じられているだけなのかもしれないと思ってしまう。

「あんまり大きな声を出すと起きちゃうんじゃないの?クライアントが。」

「それならそれでいいよ。彼女もそれを望んでるはず。」

男たちが何の話をしているのか、私はそのぼやけた意識の中でももうわかっていた。彼らは私に用事がある。さっきまで夢の世界でお姫様をやっていた私に何かを仕掛けようとしているのだ。

もう自分が目覚めていることをなんとかして伝えてやったほうが、話が前に住むだろう。とは思うけれど、いったいどういうふうな伝え方をすればやつらは私をみてたじろぐだろう。どういう伝え方をすればやつらは驚くだろう。そういうことを考えるだけ無駄なのかもしれないが、やはり私は、私に対して何かたくらんでいる奴らに一泡吹かせてやりたいと思うのだ。

「ただいまー。」

私が満を持して起き上がろうとしたとき、誰かがどこかの入り口から入ってきた。どうやらここは誰かの家、もしくは大きな部屋なのだろう。とにかく今部屋に入ってきた人は、あの男二人とグルなのだということはわかってきた。

「ミアっちおかえり。あれ、ナオくんは?」

「とろいからおいてきた。」

「もう。君らチームでしょ?ちゃんと面倒みなさいよ。」

「私は望んで一緒に仕事してるわけじゃない。」

「そのチームプレイの乱れの制で、昨日不眠症の子を一人殺しちゃったんだよ。まじめに仕事してくれないかな。」

「あの男は手のつけようがなかったんだよ。」

不眠症…というその言葉が、私の頭の中でどうもひっかかった。寝る前にみたニュースのことを思い出したのかもしれない。

「ああ、そうだ、ミア。君に交配ができるぞ。」

「マジで?男?」

「あれ?君が寂しがってると思って、女の子を雇ったんだけど。」

「女には興味ない。ってもしかしてそこでゴソゴソしてるやつのこと言ってる?」

そんな…!私は今そんなに布団の中で体を動かしたつもりはなかったし、その女の人と目を合わせたつもりもない。けれど、その女の人は、私が今、目を覚ましていることを察してしまっていたのだ。

「だから言ったじゃん。夢ちゃん。あんまり大声でしゃべってると起きちゃうって。」

さっきから夢ちゃんと呼ばれている少年が、こちらへゆっくりと歩いてくるのがわかる。私を殺そうというのだろうか。きっと手に注射器かなんかを持っていて、私に毒を注入して殺そうというのだろうか。

だがさっき彼は、このミアという女の人に対して、「交配ができる。」と言った 。ということは、私を殺すようなことはあり得ないようにも思える。だとしても、何かよくないことをしているような雰囲気が漂っている。

「おはよう、夢水アスナちゃん。」

優しくそうささやいたその人の顔をみたとき、私ははっとした。大体のシナリオの帰結がわかったような気がしたからだ。

あの自転車に乗って私に枕を投げてきた少年が、そこに立っていたのである。

「お、おはようございます。」

「ありがとう、僕のクライアントになってくれて。」

やっぱりこの男は悪徳商法によって私から利益を踏んだ玄人した。しかし、ただの悪徳商法とは違う。もっと恐ろしい、恐ろしいというよりは陰湿なやり方だった。なぜなら人の夢に入り込んで私に何かをしようとしているのだから。

「あの…私…。」

私が何かを言おうとしたとき、勢いよくどこかの入り口が開いて、別の男が入ってきた。

「おい、ミア。おいてくなよ。おかげでおれが悪夢胎児をほとんどやったんだからな。」

「あなたが全部やってくれるんじゃなかったの?」

「いつそう言った…。」

男は椅子にどっかと腰を下ろして、そしてふと私が寝ているベッドを見つめた。

「おいおい!うちはかわいい女の子を寝せられるだけの余裕なんかあるのか?誰だよ、このアマさん。」

男は、明らかに私に興味があるようで、自転車乗りの男を通り抜けて、私とところにやってきた。角張った顔で、いろいろなところにニキビがある。髭があちらこちらに伸びていて、不潔という言葉がちょうどよく似合う男だ。

「ねえねえ、君。もしかしてお客さん?それとも具合が悪いのか?お兄さんが気持ちよくしてやろうか…?」

「ナオくん?うちはそういう場所じゃないからやめてくんないかなあ。」

別の男が言った。

「ええ。だってこんなめんこい女の子がいるんだよ。ほっとくのかよ。」

「まさかねえ…。」

自転車乗りの男は、その男と入れ替わりにまた近づいてくる。その男に比べて、この少年はそういうよくないものが顔や体にはまったくなさそうだ。むしろこの少年は、「ナオくん」と呼ばれている男とは対象的に、美少年といってもいい。

「とにかく起きたならこっちに着て?君に話がある。」

少年は実に優しそうな主立ちだ。けっして何かをたくらんでるような悪魔には見えない。じゃあさっき話していたのはいったい何のことだろうか。きっとこの少年は、悪魔の中でも相当にたちの悪い悪魔だと思って関わったほうがよさそうだだ。だって、こんなに優しい顔をしているのに、その裏にはとんでもない、野望を抱えたとんでもない男だった、なんていうシナリオが大いにあり得るからだ。

ともかく私は、その悪魔なのか天使なのかわからない少年に案内されるがままに、部屋の真ん中にある大きな机の周りにおかれている椅子の一つに坐った。

私が予想したように、私が寝化されていたのは大きな部屋だった。そこにはいくつかベッドが並んでいる。そして、机がいくつか並んでいて、一つの机には巨大なモニターつきのパソコンもおいてある。机の反対側には大きなかごがあって、絶えず揺れている。

そしてその部屋には大きな看板がかけられていて『夢ラボ』と書かれていた。

「改めて、うちのクライアントになってくれてありがとう。

どうだった?お姫様になった感想は?」

やっぱりそういうことだったのかと、私はいままでわかっていたはずのことを整理する。

彼はおそらくあの枕を使って、私が心の中で望んだ夢を私に見せてくれたのだ。だから悪徳商法でもなんでもない。むしろ私は彼に感謝しなければいけない。ずっっとみたかった夢がみられたのだから。

じゃあなぜ、私はまだ彼に対して、おそれとも怒りともつかない感情の波間を向けているのだろうか。

「楽しくありませんでした。」

私は素直にそう言った。それが一番正直な気持ちだったからだ。その理由は簡単だ。

「おい、おまえ。夢ちゃんがせっかく君に与えた最高級の夢なんだぞ。それを楽しくなかっただと…!」

モニターつきのパソコンをずっといじっていた男の人が、大きな目で私をにらんだ。

けれど、夢ちゃんと呼ばれているこの少年は、私のことをけっしてにらまず、というより表情を変えようとしなかった。

「当然だろうね。だって僕が君の夢を途中で終わらせたからね。」

そう、私が楽しくないといった理由はそれだった。私は完全にお姫様であるという実感を得る前に、私の夢が終わってしまったから楽しくないと思ったのだ。この男は、私からそう言われることを最初から知っていたのだ。

やっぱり何かをたくらんでいる。だからこの人の顔は優しいのに、私は今も彼を恐れ、そしてどこか憤っている。

「あなたは、何者ですか?」

私が何よりも最初に確認しておきたかったのはそのことだった。それがわからない以上、反論しようにも言葉が出てこないし、この少年の全体像を把握するにも限界があった。

「ああ。そうだね。いきなりこんな話をしても困るだけか。僕は香山ユメキ(カヤマユメキ)。夢を売っている。そしてこいつらはこの夢ラボの従業員。あそこでパソコンをいじっているのが正夢(マサム)。かごのあたりでつったっているのがミア。そしてさっき君のベッドにニヤニヤしながら歩いてきたやつがナナオだ。」

「よろしくね。君、アスナって言うの?」

さっそく、ナナオさんが私に話し掛けてきた。

「ナナオ。今大事な説明中なんだ。話すなら後にしてくれ。」

少年はきっぱりとナナオさんに、そう言った。私の印象では、ナナオさんのほうが彼よりも年上のように見えるが、おそらくこの少年が、この夢ラボという場所を牛耳っているのだろう。

それにしてもさっきこの少年は、「夢を売っている」と私にせつめいしてきた。これは私にとって、認めたくはないが非常に心地のよい響きだったのだ。さっきまで、何かをたくらんでいる悪魔にしか見えなかった彼の顔が、少しだけ柔らかくて優しい顔立ちにおもえてきたのはそのせいだった。

だから私は試してみることにした。少年が私に枕を投げてきたあのときのように。もしそれが成功すれば、私は彼を最悪の悪魔だと思わないようにしようと、私は自分の胸に誓った。

「どうして私の夢を終わらせたんですか?」

「夢を終わらせられて、君はどう思った?」

少年は質問を返してきた。案外気持ちのよい返され方だった。少しだけ胸の奥に怒りがこみ上げてきて、けれどその怒りは自分を心地よく刺激してくれる。チクチクと胸のおくをえぐる怒りではなくて、私の心の中を厚くする怒りだった。

「夢を潰されたと思いました。私の大切にしてた夢を。」

「いい答えだ。」

少年の笑い方は、私をばかにしているようには思えなかった。だからこそ私の頭の中の怒りが少しずつ熱を帯びて湧き上がってくる。この人なら、この人なら、私に何かを教えてくれるかもしれない。けっして彼を信用しているわけではない。けれどきっと彼は、私にこの気持ちを思い出させるために、私の夢を潰しに来たのだ。

「いい答えって、どういう意味ですか?」

「夢売りにならないか?君も。」

彼は私の質問には答えなかった。でもそんなことは私にとってはどうでもよかった。なぜなら、彼がそう言ってくることは、大体予想がつくからだ。彼がどんなことをたくらんでいるのかはわからなかったが、さっき話していたことから無理やり考えれば、彼が私を仲間に入れようとしていることなんて、いくら意識がはっきりしていない私にもみいぇる。

「え?この子を夢売りにするのか?すげえ、かわいい子がおれの同僚になるのか。」

「あ、そ。私はかわいくないと?」

かごの中を除きこみながら、ミアさんが言った。こういうことはよくあるみたいで、何も見解は発展しなかった。

「どうして私なんですか?」

いいとも悪いとも言いたくはなかった。もう少しこの少年が本気であるかどうかを試したかった。

少年のほうもひるむ気配がない。こういうふうに、誰かと言いあいをしたのは久しぶりだ。

私の中に心地よいぬくもりが少しずつ子見上げてくる。

「君は現実に絶望しているだろう?」

「はい。」

それは認めざるを得なかった。彼に初めて会ったとき、私は本当に絶望的な

表情をしていたのだ。それは変えようのない事実だ。現実に絶望していないなんて嘘を

彼につくことはできない。彼は悪魔なのかもしれないのだから。

「君はいままでいくつ夢を潰された?」

「そんなの…!」

数えたことはないけれど、確かに一つの夢は潰された。音のない、形のない怪物によって。

「夢を潰されたくない。だから君は学校に行くのをやめた。だろ?」

「え?この子、不登校なの?正夢さんと一緒じゃんッ。」

またチャチャを入れてきたのはナナオさんだった。きっとナナオさんなりに、雰囲気を明るくしようとしているのだろうけれど、私にとってはまったく効果が無かった。正夢さんと呼ばれた、パソコンをいじっていた男の人が振り返って、ナナオさんのことを鋭い目つきでにらんだ。

「僕の不登校とこの子の不登校とは違う。」

私は、騒いでいるナナオさん、そして正夢さんの声を聞きながら、たくさんの疑問符の中にいた。

「そんなこと…どうしてあなたにわかるんですか?」

「僕と同じ顔をしていたからだよ。」

「僕と同じ顔って…そんなのわかるわけないじゃないですか。人と人とは違うのに。」

「確かにそうかもしれない。でも僕はそう感じた。だから君に無料で、君の見たい夢を少しだけ見せてあげたんだ。」

この少年はなかなか頭の切れる人だと私は思った。しかも、ただの頭が切れる人ではなくて、夢というものを多少なりとも、いや、かなり信じているらしい。現実世界でいる大半の人間とは違う。守谷唯華みたいに、お姫様になりたいなんて夢に、小さいころから没入している私のことを笑わなかった。笑わないどころか、私の許可なくそんな夢を少しだけ見せてくれた。

そして私を今、自分の仲間にしようとしている。きっとその理由は、彼の言葉を借りれば、「自分と同じ顔をしているから」。もちょっとわかりやすい言い方をすれば、「夢を信じている顔をしている」から…。

「だから君に提案がある。」

「提案?」

「君がちゃんと夢売りとして働いてくれたら、君をお姫様にする夢を見せてあげると約束しよう。それならどうだ?」

「あたしたちのときと同じやり方ね。」

ミアさんが遠くからまたささやいたが、すぐに正夢さんが立ち上がって、黙れのポーズをした。それが本当の約束なのか、嘘の約束なのか、今の私にはわからないし、本当だったとしても信じられなかった。けれど、その目は、笑ってもいなかったし怒ってもいなかった。もし本当に遊びでそんなことを言っているだけなら、本人にそんな気はなくても、不気味な笑顔を浮かべているだろう。

「本当に私のことをお姫様にしてくれるんですか?」

そんな質問をすべきではないとわかっていた。こんなときに

人を疑ってはいけないのもわかっていた。しかし私は、これで最後の質問にしようと思って彼に尋ねた。この質問が終わったら、もう何も質問はしないと誓った。

けれど彼の答えは実に、最期の質問の答えには見合わないものだった。

「それは君次第だよ。」

「どうして…?」

「僕が約束できることは、君が夢売りである限り、君の夢は潰させない。それだけだ。」

学校と言うのは、「将来の夢」を強制してくる。その理由は、夢を持った明るい人間を育てるためだと人は言う。しかし、そういう明るい人間を育成したあとにやることは、その人間を殺処分するみたいな残酷で卑劣な行為の連続だ。子供のころに抱えていた夢を一つずつゴミ箱に捨てて、そのかわりに持っていても輝かない知識や財産や経験だけを詰め込ませる。そして子供のころから持っていた夢は潰せと言ってくる。将来の夢を強制する彼らにとって、子供の夢なんてどうでもいい。

夢を持った明るい子供たちの、その存在が必要なのは、彼らが社会を回してくれると信じているからだ。

そういう世界とここは違う。彼は今そう約束した。彼は夢をかなえるまで夢が潰れないと誓ってくれた。そしてそのためには、いろいろな人に夢を売りつけろという。現実世界の考えからいえば、それに反逆していると言えなくもないだろう。

だが今の私にはそれが必要だった。この少年のように、心の奥に秘めた悪魔みたいな私を使って、潰された夢を取り戻す力が、今の私には必要だった。そう…現実世界に私の居場所が見つからない以上は…。

「わかりました、やります。」

私がソウ言ってから話は早かった。

香山ユメキは、私に1枚の契約書を渡してきた。その契約書の様式は

明らかに私が2カ月前にもらった進路アンケートと同じだった。

「この契約書を全部埋てくれるかな?」

私が、その契約書に少しばかり驚きを隠せずにいるのを察したのか、ユメキはそれが契約書だと改めて説明してくれた。

「特に将来の夢の欄ははっきりと書くんだよ。言わずもがなだけど、嘘偽りなく寝。」

「おれなんて、嘘の夢書いたらばれて、もう1回催眠術かけられそうになったんだから。」

ナナオさんがおどけてみせる。

「え?ばれちゃうんですか?嘘の夢を書いたら。」

「そりゃそうさ。そんなの、字をみればすぐにわかるよ。」

ユメキではなく、なぜか正夢さんが自信ありげに答える。きっとこの人が私の契約書を最終的にチェックするのだろう。

もちろん私は、ここまで来て、自分に嘘をつくつもりもないし、自分の夢に正直になりたくないわけではなかった。けれど、いざペンを走らせようとすると、なんだか恐ろしいものにサインをして、ものすごいものに自分の証を残そうとしてるみたいに思えて、いままでで一番に手が震えた。でもその、緊張感は、けっして何かの苦しみに耐えるみたいな緊張感ではなかった。もっと自分の心の奥を刺激する緊張感だった。柔軟体操をして足の周りが恐ろしい痛みに襲われているのに、その痛みが心地よく感じるように。

いい夢をかなえようと思う瞬間は、きっとこんな気持ちなのだ。いままでそういう気持ちを味わおうとする前に、何回も夢を潰された。だから感じられなかった。だから夢が怖かった。でもこれが当然であり、これがすばらしいのだ。

「かけました!」

私は、ただのアンケート用紙にしか見えない、その呪いの契約書を、ユメキの大きな手に手渡した。こいつを信用している、からではない。私にとっては、自分の夢をかなえるための準備なのだ。

「ありがとう。完ぺきだ!」

ユメキの笑顔を、ちゃんと正面を向いてみることができたのは、これが初めてだった。

「よっしゃ!これで君も僕たちの同僚だね。よろしくね、えーっと…。」

ナナオさんが勢いよく歩み寄ってきた。

私は正直、この不潔そうな男とかかわりあう気はないが、こんなところでいがみ合ってもしょうがない。やっと私の居場所が見つかりそうなのだから、心穏やかに過ごすのが一番だ。

「あ、アスナです。夢水アスナです。」

「そうそう、アスナちゃん。いい名前だよね。改めて、大賀ナナオ(オオガナナオ)です。自分、大学中退してさ、今ここでフリーターやってるんだよねえ。あ、現実世界ではほぼニートっていうか…。」

「へえー。」

思ったより、いい返事が思いつかなくて私は自分のご威力のなさと心の狭さに幻滅した。

「この男にはかまわないほうがいい。あ、私は西のミア(ニシノミア)。25歳。ちゃんと大学を卒業してるわ。」

「でも、仕事場に溶け込めずに今ここにいると。」

「勝手に人の個人情報をしゃべらないでもらえるかしら。」

相変わらず二人の喧嘩が始まって不愉快なはずなのに、私としてはこういうのも悪くないと思えてしまう。なぜなら彼らはきっと、何かをするために集まっていて、それを批判はしても否定することなく喧嘩をしているからだ。

「で、アスナちゃんも、不登校なんでしょ?つまり…。」

ナナオさんが何か言おうとしたとき、正夢さんが叫んだ。

「夢水さん。そろそろ帰ったほうがいいんじゃない?」

「え?あたし、帰らなきゃならないんですか?」

「あ、訂正。行くの街替えだね。」

正夢さんの行っていることの意味が私にはまったく読めなかった。時計をみるともうすぐ午前7時…。現実的に考えれば、私にとっては1日の中で、いや、人生の中で、一番最悪な時間だ。

「そうだな。」

何かの作業をしていたユメキが私をみて言った。

「その前に、簡単にこの夢ラボの業務内容の説明をさせてもらおう。」

ユメキは分厚い書類を私に渡してきた。その書類をパラバらとめくると、何やら難しいことがいろいろと書いてあった。それをみていたら、私が大嫌いな「教科書」という、夢のかけらも希望のかけらも書いてないものを思い出させる。けれどきっと、そういう代物よりは絶対に価値のありそうな書類の束だと思って読むことにした。

「まあ全部読む必要はない。ともかく夢売りの職務内容は主に四つ。一つはその名前が表すように、夢を売る仕事。これがメインだ。夢を買う人間は現実世界のクライアントだ。売る場合、現実世界に行って営業をする。それで、この枕をクライアントの頭に乗せて、クライアントの見たい夢、かなえたい夢を転送して買ってもらう。」

私の頭にあの枕を乗せてきたのは、どうやらユメキが現実世界で営業をした結果らしい。そう考えると、やっぱり彼のしていることは悪徳商法に当たるのかもしれない。なぜなら私はかなえたい夢があるとは言ったが、夢を買うとは言っていないからだ。しかしそこで気づく。夢というのは、買おうと買うまいと、全員が持っているものであり、「夢を持っている。」と私が宣言してしまった時点で、きっと彼の手の中に私はいたのであろう。だから今それについてクレームをいうことはできない。むしろクレームをいう人間というのは、夢と言うものに対して否定的、もしくは夢と言うものを全員が持っていないものと考えているのかもしれない。

「お金はどうするんですか?」

「体で払ってもらうのよ。」

「ナナオは黙ってろ。」

冗談を言うナナオさんのことを、ユメキが向こうのほうへ追いやる。

「夢というのは一律で10ドリームだ。1ドリームは100円。つまり夢は一つ買えば1000円だ。その1000円は自動的にクライアントに

気づかれないうちに、クライアントの持っている何かしらの金銭を管理しているものからなくなる。財布や銀行口座、クレジットカードにICカード。何からなくなるかはわからない。それは僕も預かり知らぬところだし、それを知っても仕事とはそんなに

関係ないからな。

しかも、なくなっても1000円だし。」

「じゃあ、私も、1000円がなくなったんですか?」

「いや、君の夢はお金は発生しないよ。途中で終わったからね。」

要するに彼は、私をここにつれてくるために、あの夢を売りつけてきたのだろう。しかしなぜそうまでして、私の絶望した顔にこだわったのかは、やはり私には釈然としない。

「ともかく、クライアントに営業をして夢を売るのが一番のメインであり一つ目の仕事。だがそれだけが夢売りの仕事じゃない。夢売りっていうのは、この世界を、夢の世界を守るべき存在でもある。それは言葉だけじゃなくて行動でもやらなきゃならない。その重要な仕事が悪夢の処理、つまり苦情対応の仕事だ。現実世界も含め

夢の世界だけでも、悪夢にうなされているクライアントは最近どんどん増えてるからな。眠るときですら安心ができない。そういう人たちを救済するのも僕らの仕事ってわけ。」

悪夢と聞いて私の背筋がぞくっとなる。高校にまともに行っていたころは、いわゆる悪夢というやつにうなされる毎日だった。

そんなときにこの、信用できるかわからないけれどかっこいいことを行っている夢売りに出会えていたら、早く救済されたのだろうか。

「そしてもう一つは、夢を売るなら製造することも必要だ。製造といっても、ちゃんとクライアントに夢が転送されているか、夢が不良貧者ないかを確認したり、不良品の夢がないように書き換えたりする仕事だ。別に職人みたいな技は必要内。それから最後の仕事は、ゴミになった夢を管理したり、リサイクル工場に搬入したりする。まあ言い方は悪いけど、ごみ処理の仕事だ。」

「この世界にゴミなんかあるんですか?」

私は、自分がユメキに愚問を投げかけているのに気づいていたのに止められなかった。どうしても、この世界にゴミがあることを信じられなかったのと、それがどういうゴミなのかわからなかった。そりゃあ、夢の世界とはいえ、人間は生きているはずだから、ティッシュのゴミやガムの食べかす、たばこの吸い殻ぐらいはゴミとして発生するだろう。けれどユメキが言っているのは、そういう生半可なゴミではないだろう。

「そりゃあるさ。君だってたくさんゴミを捨ててきただろ?いや、捨てさせられてきたはずだ。」

そんなことはわかっている。ユメキが言っているごみは、ティッシュでもガムでもだ場子でもなく、夢のことなのだ。

「これだけの仕事を、ここにいる4人だけでいままでやっきたんですか?」

「まさかね。この世界にはたくさんの仲間がいて、この夢ラボにも出入りしている。けど、この夢ラボの職員事態はこの4人、そして君だ。つまり、プレッシャーをかけるつもりはまったくないけど、責任重大ってわけ。」

別にどれだけプレッシャーをかけられてもかまわないと言うのが私の考えだった。なぜならこのプレッシャーというのは、夢を守るために化せられたプレッシャーなのだ。私がいままで自分の中で大切にしてきたものを守るためのプレッシャーだ。

「そして、これも一番大事。夢売りになった場合、働いてからの給料の総計が、1万ドリームにならないと、自分の夢を叶えることはできない。つまり、夢売りになると自分の夢はいったん一時停止と言うことになる。」

ユメキの言葉に、私は疑問を持たざるを得なかった。どうして夢を売る人の夢が、夢を売っている間は一時停止になるのか、まったくわからなかったからだ。だが、その困惑顔を、すぐにユメキは察したらしく、その理由を簡単な言葉で告げた。

「夢売りは他人の夢を売る仕事だ。つまり他人に奉仕する必要がある。そんなときに自分の夢を叶えるのは虫が良すぎるって子と。でも、いつか夢は叶う。そう信じて夢を売るんだ。そうすればその思いが、きっとクライアントにも伝わるから。」

現実世界の人たちは、どれだけ夢の可能性を信じたり、いつかかなうと思っても、完璧にはかなえられなかったり、裏切られたりすることが多い。でも、そんな思いに別れを告げて、夢売りが夢を信じてあげれば、夢は叶うかも知れないのだ。この仕事は、そんな単純で、でもかなり難しいことをする仕事でもあるのだろう。

「というわけで、君には早速一つ目の仕事をやってもらう。君の一つ目の仕事は、学校に行くことだよ。」

ユメキからの突然の仕事要請に、私は固まるしかなかった。やっぱこいつはいわゆるただの悪夢なのかもしれない。私にこんなふうに夢の呪いをかけておいて、私に現実世界を強いろうとしているだけなのかもしれない。私に、夢売りだのなんだのといろいろと言っておきながから、本当は現実世界に復帰しろと伝えているだけなのかもしれない。仮に彼がそういう意思を持っていなくても、今の私に信用できるものというのはほとんどなかった。

「ユメキ…さん。あなたは、結局私に現実世界を強いろうとしてるんじゃないんですか?私は…あんな夢を潰す場所にはもう戻りたくありません。」

「だからこそだよ。」

ユメキの表情は変わらない。こんなにも私が学校と言うものに

対して、もはやアレルギーとも思える反応を示していると言うのに、ユメキはそれをわざわざ私に強いろうとしている。少したとえは違うが、卵アレルギーなのに卵を食べろと言っているようなものだ。

「君の仕事は学校に行くことだよ。夢を売るためにね。」

「夢を売る…?」

彼は私に恐ろしく厳しい挑戦を投げかけようとしている。夢と言うものを取り戻すために現実に立ち向かえという。こんな苦行があっていいだろうか。また、無理やりおきあがれない体を無理やりにでも奮い立たせて、無理やりにでも現実世界に飛び込むことでしか、夢は取り戻せないのだろうか。

夢をかなえるということには多少の苦しみや不条理が伴うものだ。それは、小さいころから夢を一途に信じて、自分がお姫様になれると信じていたころからわかっていた。そして、その苦しみや不条理を目の前にすると夢がかすんで見える。そしてそのたびに、「やっぱりおまえの持っている夢はかないっこない。」とか、「そんな幼稚な夢をいつまで描くんだ。」といろいろな人に、世間に、現実に言われてきた。

そのたびに私は黙りこくって、手の中に持っている夢を床に捨てる。それがごみになって夢の世界に飛んでいく。そういうことをなんども何度も繰り返してきた。そして今の私も… 。

「わかりました。言ってきます。」

「期待してるよ。新人ちゃん。」

モニターをにらみながら、正夢さんが小さくつぶやいた。

「さっき渡した書類の背表紙に、君の夢売りのIDが書いてある。それを枕のはいめんについているボタンで打ち込んで、パスワードを設定してくれ。それを入れれば、この枕は君の支持に従う。何かわからないことがあったらっ授業中でもなんでもいいから居眠りして、こっちの世界に戻って来い。さあ、時間だぞ。」

ユメキは、さっきナナオさんやミアさんが入ってきた入り口を指さす。遠くで、私が毎日聞いているギターの音が響く。いったいどこから流れているのだろうか。この部屋にスピーカー化何かあっただろうか。ギターなんておいてあっただろうか。

シンデレラは、24時になると魔法が解けて、突然みすぼらしい姿になってしまう。それと同じだ。夢というのはいつか覚める。そして放っておけば潰される。そんな残酷な世界に、私の居場所なんてとうていありえない世界に、私は帰らなきゃいけない。

ユメキを信用する気は、正直今の私にはない。けれど、彼を信用するとかしないとか以前に

私は少しだけ、前より強くなろうと決めた。なぜなら、あの世界で私が生き抜いていれば

私の居場所がきちんと存在する。それを彼は、嘘か真かは知らないけれど、私に約束してくれたのだから…。

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