騒乱の後先 5

 心躍る楽しい祭りが始まろうとしています。

 けれど、どんな晴れやかな日であろうと人の営みがある限り、そこに様々なトラブルが起こるものです。

 

 ほんの軽い気持ちで夜の学校に忍び込んだヴァージニアも、まさかそこで殺されかけるなんて思いもしなかったでしょう。

 加えて、生まれてから常に『無能』で『弱者』で在り続けた彼女にとって他人を力で捻じ伏せられる日が来るのは想像の埒外に違いなかったでしょうね。


 けれど普通の人なら大喜びしそうな、このギフトをヴァージニアは喜びはしませんでした。

 

 きっと彼女は本能的に悟ったのでしょう。

 もう今までの弱いままの自分でいる事は許されないことに。

 

 誰にとっても慣れ親しんだを捨てて全く違うを生きる事は難しいものです。

 それは『無能』と蔑まれていたヴァージニアにとっても、です。

 

 でもヴァージニアにはまだ選択が出来る余地がありました。今すぐに聖女の遺産を手放せばいいのです。


 きっとこの時のヴァージニアもその選択に苦しんでいたのでしょう。

 それを救うのは妹レイチェルの苦言でした――。


―――

 前日祭三日目の夜。

 ウルフェン邸の二階にあるレイチェルの部屋には普段ない匂いが籠っていた。その匂いの発生源は部屋の主であるレイチェルの机に置いてあるお盆に乗ったサンドイッチとスープである。

 スープから立ち上る湯気と共に美味しそうな匂いが部屋に拡散されている。しかしすでに夕食を済ませているレイチェルにとってはその香ばしい匂いは食欲をそそるものではなく、彼女は続き部屋の扉をしつこいくらいにノックして中の音を聞くことに集中していた。


 「姉さま、いつまで籠っているんですか。もう夜ですよ。……はぁ、勝手に入りますからね」


 ヴァージニアの部屋の扉は基本的にいつも鍵がかかっていない。案の定、レイチェルがノブを回すと扉は抵抗なく内側に開いた。レイチェルは扉近くにある魔術灯のスイッチに手を触れると部屋に明かりがつき、ベッドに大きな膨らみが出来ているのが見えた。


 「一日中寝てたのですか? 全くいいご身分ですね。こっちは課題に調査にと大忙しなのに」


 いつもならレイチェルが怒ってみせればヴァージニアはすぐに「ごめんなさい~」と言ってくるのだが、今日はそんな気配が全くない。

 たっぷり五秒待って何の反応もないのを確認するとレイチェルは諦めのため息を吐いてヴァージニアのベッドの隅に座ってお尻があるであろう場所をポンポンと叩く。


 「それで一体何があったのですか? 誰に襲われて返り討ちにしたんですか? 場合によっては私が社会的に抹殺してあげますからキチンと順序立てて説明してください、姉さま」


 穏やかな声で物騒な事を口にしながらレイチェルは昨夜の出来事を思い出していた。


―――

 昨日の夜、一向に帰ってこないヴァージニアを待って自室で落ち着かない時間を過ごしていたレイチェルは窓から音がコンコンと一定のテンポで小石が当たる音が聞こえてきたことに気づいた。


 (やっと帰ってきましたか!)


 それは姉妹にだけ通じる合図だった。

 幼い頃、ヴァージニアはよく窓から近くの木によじ登って部屋に入ってきた。その時に部屋にいるレイチェルに窓を開けてもらうために合図を作ったのだ。

 怒り気味に椅子から立つとレイチェルは窓をそっと開けると、すぐにヴァージニアが部屋に飛び込んで来た。


 「姉さま、一体こんな時間まで何を……泣いているのですか?」


 「ご、ごめんなさい!」


 レイチェルに指摘されてヴァージニアは初めて自分が泣いている事に気づいたのだろう。慌てて目を拭うと無理に笑みを浮かべようとするが顔は強張り、更に涙が止まらなくなってしまった。


 「あれ、あれ? なんで私……私……」


 「姉さま、大丈夫です。もう大丈夫ですから落ち着いてください。一体何があったのですか?」


 レイチェルはヴァージニアの手を引いて自分が座っていた椅子に座らせ、自分は屈んで、すっかり冷たくなったヴァージニアの手を撫でて温めた。


 「その、あの、私、学校で、いえ、その前に冒険者ギルドに行って、そこでイーリスちゃんと友達になって、それから、それから……!」


 泣きながら必死に言葉を綴ろうとしているヴァージニアの言葉を遮るようにレイチェルが立ち上がってヴァージニアを優しく抱きしめた。


 「ごめんなさい、姉さま。今は喋らなくていいですから、ね?」


 「う、うう……、うぐっ、ぐすっ」


 昔、ヴァージニアにしてもらった事を真似てレイチェルは優しく頭を撫でる。それで安心したのかヴァージニアはレイチェルの胸で嗚咽を漏らした。

 そうしてヴァージニアを宥めつつレイチェルは冷静にヴァージニアの服装に乱れがないか目を走らせる。


 (着衣の乱れはないわね。でもあちこちに何かに切られたような跡がある。学校でまた何かに襲われた? でもそれでここまで取り乱すのはおかしい気がするけど……)


 その後、ヴァージニアを何とか落ち着かせてつきっきりでお風呂に入れ、着替えを手伝い、ヴァージニアのベッドに押し込んだ。


 「それで一体何があったのですか? 焦らなくていいので、ゆっくり話してください」


 「はい――」


 それからレイチェルは、ヴァージニアが話の途中で眠りに落ちるまで、まとまりのない話を頭の中で纏めながら姉の震える手を握り続けた。結局、この時聞けたのはヴァージニアが学校に侵入するまでしか聞きだすことは出来なかった。。


 (やはり学校で誰かに襲われて、ペンダントの力で返り討ちにした、ということ? でも、それなら何に怯えているの? いえ、姉さまのことだからきっと……)


 そっとヴァージニアの手を置いて部屋から出たレイチェルは自分の部屋に戻ってベッドに潜り込んだ。すでに日付が変わって二時間ほど経っていたがレイチェルの目はすっかり冴えてしまっていた。それはきっと初めて見たヴァージニアの弱弱しい姿にレイチェルも強くショックを受けていたからだろう。


 (姉さまに明日、いえ、もう今日ね。どんな言葉をかけてあげればいいのだろう?)


 そんな答えの出ない問いを考え続けているうちに窓の外が明るくなりレイチェルもいつの間にか眠ってしまっていた。


 夜が明けて。

 召使いのノックの音で目が覚めたレイチェルは何年かぶりの寝坊をしてしまった。けれども彼女の意識はいつもは開いている続き部屋の扉が閉まったままなのに気が付きため息をついた。

 

 結局、その日はいくら呼び掛けてもヴァージニアが部屋から出てくる気配はなく、レイチェルもどう声を掛けていいか分からずにズルズルと夜になってしまった。

 そして話のきっかけになればとヴァージニアの夕食を部屋まで持ってきてノックをするという所に繋がるのである。

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