騒乱の後先 6

 「いい加減に顔を出してください。そうじゃないと話が出来ないでしょう?」


 ややあって、もぞもぞと毛布が動きヴァージニアが顔を覗かせた。


 「全くひどい寝癖ですね。顔にも涙の跡が残っていますよ。少し待って下さい」


 レイチェルは自分の部屋に戻ると一枚のタオルに低レベルの水魔術を使う。そしてほどよく濡れたタオルを手に戻るとヴァージニアの顔を丁寧に拭った。


 「レ、レイチェル、自分でやりますからっ! 苦しいですよ~!」


 「今の姉さまに任せていたらダラダラやって時間がかかるでしょう? さっ、これでさっぱりしたでしょう。それで昨日、学校で何があったのです? 使用人たちが学生街で騒ぎがあったと言っていましたが、それと何の関係があるのです?」


 ウルフェン邸でも通いの召使いたちから学生街で起こった異変の話は入ってきていた。その話を聞いた時にレイチェルはヴァージニアが絡んでいる事を確信した。

 案の定、学生街の話が出るとヴァージニアの顔色が悪くなり再び毛布に隠れようとするがレイチェルはそれを許すほど甘くはない。ヴァージニアのうじうじした態度に苛立っていたレイチェルは逃がしはしないと肩を押さえつけて視線を合わせて、もう一度「何があったのですか?」と強く尋ねた。その圧力に負けたのか、ヴァージニアは俯いたままポツポツと学校でのことを詳しく話し始めた――。


―――

 「眼帯を着けて顔に大きな傷を持つ男……。間違いなく東天のファーディスでしょうね。で、姉さまはその名高い黒曜騎士団長に強烈な一撃を食らわせてやったということですか。しかもその時になぜか周囲の魔術装置が全て異常な動作をした……」


 「あそこまでやるつもりはなかったんです! ただ少し……ほんの少し痛い目にあえば攻撃を止めてくれるかなって思っただけで! なのに、それなのに……」


 そういうとヴァージニアは毛布に顔を押し付けて声を殺して泣き始めてしまった。その姿を見てレイチェルは自分がこの何も知らない姉にどう行動すればいいのか分かった気がした。


 「えい!」


 「痛っ! な、何をするんですか!?」


 チョップを脳天に受けたヴァージニアの口にレイチェルは自分の指を当てて言葉を押しとどめる。


 「今のは勝手な行動をした罰です。怒られたかったのでしょう? これで少しは気が楽になりましたか? なりませんよね? だって姉さまが目を背けているのはもっと別の事なのですから」


 「別の事……」


 「まだ目を逸らすのですか? もう姉さまは今までのような『楽な生き方』を送る事は出来ないのですよ?」

 

 楽な生き方という言葉にヴァージニアは目を見開いた。自分が今まで魔力を持たない『無能者』としてどれだけ苦労をしていたかを一番知っている妹の言葉が信じられなかった。


 「確かに姉さまは不便な生活をしていました。けれど同時に楽をしていたのです。自分は無能だからと何かを決める事も求める事もせず、ただあの男の気まぐれで生かされ、適当な相手と結婚し、子どもを産んで死ぬ。無能であることを理由にそんな人生を生きるの姉さまは受け入れていたし仕方ないと思っていた。そうではありませんか?」


 「だってそうするしかないじゃないですか! 私には何も――」


 「今は違います。私もファーディスに会いましたが、彼は卓越した戦士です。その彼を一蹴した姉さまに力がないとは言わせませんよ? そして力を持った者には、その力の大きさに見合う義務と責任が生まれます。……姉さまが今まで持たずにいられた非常に面倒なうえに一生付きまとう物です」


 「義務と責任……」


 「そうです。この国、いいえ、この大陸で生まれた人はみんな魔力を持ち、ある程度の年齢になれば自然にその力を操れるようになります。そして、その時が来たら親や先生から力への向き合い方を教わります」


 「レイチェルもそうだったのですか?」


 そういってからヴァージニアは(しまった)と思った。レイチェルに対して過去の事を聞くのはタブーとしていたのを忘れていた。だがレイチェルは気にした様子もなく、むしろ懐かしそうに自分の体験を語り出した。


 「あれは私が五歳くらいのころでした。当時、住んでいた家の近くに性格の悪い男の子が住んでいて私はよく苛められていました。ある日、その子が私が母から誕生日に貰ったリボンを無理やり奪って踏むつけたのです。それを見た瞬間、体中の血が沸騰するような感覚がして、気が付いたら男の子の髪の毛から火柱が上がっていました。それが私が初めて魔術を使った瞬間でした」


 魔術を使うには普通は詠唱や道具を必要とするのだが、体内に多くの魔力を保有する人間はそれらの助けなしに魔術を発動できる。この時もレイチェルの怒りが爆発したために起きた魔力の暴走だった。


 「そのあとはもう大騒ぎでした。特に優しかった母に頬を叩かれたのは後にも先にもこの時だけでした」


 レイチェルは無意識に自分の左頬を撫でながら遠い目をしている。


 「今にして思えば、きっと母はこの件で私に注目が集まるのが嫌だったのでしょう。でも、子どもだった私は母のそんな思いを知らずに何を思っていたか分かりますか? 仕返しできてサイコー! いい気味だ、ザマーミロ! でした」


 「そ、それは……」


 「ふふっ、呆れますか? でも子どもの頃なんてそんなものですよ。初めて魔術を使って全能感に浸り、自分より才能がある人を見て絶望する。誰もが幼い頃に通る道です。そうした中で子どもは自分が持つ力の限界や使い方を学んでいくんです。そして今、姉さまにもその時が来たんです。今まで無縁でいた力を持つ者の責任に向き合う時が」


 「ち、違います! だってあの力は私の物ではないんですよ! 私はただペンダントの力を借りただけで何の力も持っていないんです!」


 俯いて肩を震わせるヴァージニアの肩を掴んでレイチェルは強引に彼女の顔を上げさせて視線を合わせた。


 「なら私も含めて魔術を扱う者はみんな無能ということになりますね。だってそうでしょう? 自身の魔力だけで自在に魔術を扱えるなんて人は本当に一握りの天才だけです。それ以外は周囲にあるマナを利用して魔術を使っているんですから」


 オーガスタでは体内に保有する魔力量がその人の社会的地位に結びついている。けれど、保有魔力が多いとされる人でも自由自在に魔術が行使できるという訳ではない。天才と言われるような人であっても、相手を殺傷できるレベルの魔術を扱うにはマナに頼らなければならない。エレンのような百年に一人レベルの天才であっても、戦闘魔術は自力で撃てるのは精々二、三回が限度だ。

 全ての人間はマナを借りている。それは力を借りる相手が違うだけで本質的には今のヴァージニアと何ら変わらないのだとレイチェルは言う。


 「だから姉さまがペンダントの力を借りる事に引け目を感じる必要なんてないんです。きっと姉さまがその力を引き出せたのは運命だったのですから」

 

 人に物事を決められるのを嫌うレイチェルは運命という言葉も嫌っていた。そのレイチェルが発した運命という言葉にヴァージニアは驚いた。

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