騒乱の後先 4

 フレデリックとスコットが密談をしていた同時刻。

 王都南部にある黒曜教の神殿、その中にある客人用の寝室でファーディスは目を覚ました。


 (ここは……。なぜ俺は寝ている?)


 記憶の断絶を経験したのはいつ振りか。そんな事を考えながら腕を動かそうとしたファーディスは突然の痛みに悶絶し、何があったのかを思い出した。


 「誰か! 誰かいないのか!」


 「はっ、はいぃぃぃ!」


 ファーディスの怒声で部屋にやってきたのは彼の部下ではなく神殿付きの若い女性神官だった。普段は聖職者らしい柔和な笑みが浮かんでいるであろう綺麗な顔が恐怖で青白くなっているのを見て、ファーディスはここが自分のテリトリーではないことも思い出し頭を下げた。


 「突然大声を出して失礼した。すまないが誰でもいいので私の部下をここへ寄こしてくれないか?」


 「その必要はありませんぞ、団長」


 ファーディスの声を聞きつけたのは神官だけではなかった。のっそりと部屋に入ってきたのはレイチェルも会った事がある髭面の男、黒曜騎士団副団長ベルベクトだった。

 

 「いや~、うちの団長は寝起きが悪くてな。あとで団長の金で美味しい飯を奢るからここは勘弁してやってくれんか?」


 「いえ、そんな事をしていただくわけにはまいりません。それでは私は失礼します。何かあればお呼びください」


 強面二人の視線が怖かったのか、神官の女性は早口でまくし立てると逃げるように部屋から出ていってしまった。


 「やれやれ、すっかり怖がらせてしまいましたな。それで団長、体の方は……なぜベッドから出ようとしているのですか!?」


 「休んでられんからだ。捕らえられなかったのだろう?」


 「……はい。あのあと我々も衛兵たちに見つからずに逃げ出すのが精一杯でした。ですが団長、あなたは今まともに動ける状態ではないのですよ?」


 「この程度の傷、すぐに……うっ!」


 左手をベッドに付けた途端に体を貫くような痛みにファーディスは顔をしかめた。その激しい痛みに違和感を覚えたファーディスが時間を確認しようと窓に目を向けるとカーテン越しに朝日が差し込んでいるのが見えた。つまり最低でも転落から数時間は経っているのが分かった。


 「どういうことだ? なぜ俺の体はが出来ていない?」


 「ここの大司教様が言うにはあなたに授けられた聖石の加護が全て消失してしまっているとのことでした」


 「……原因は?」


 「分かりません。ですが再生能力が全く働いていないのは確かです。神殿の治癒術士がかかりきりで治癒魔術を使ってくれました。ですが聖石の加護を受けた影響で魔術では治りが非常に悪く……」


 「この有様という訳か」


 治癒魔術の効果が薄かったためだろう。それを補うために巻かれた薬の匂いが染みついた包帯を見てファーディスはため息をついた。


 「勝手ではありましたが、既に北天殿に事の次第を伝えておきました。直に団長にはミレイユ山脈への帰還命令が下ると思います。それまで安静にしてください」


 「……仕方あるまい」


 顔や口に出そうになった様々な感情を飲み込んでファーディスはベルベクトの言葉に頷いた。一介の傭兵ならともかく今の自分は黒曜騎士団の団長だ。その誇りが、これ以上の醜態を晒すのを拒んだのだ。


 「あの~、それで団長、一体何があったのです?」


 ベルベクトはおずおずと、しかし興味を隠せない様子でファーディスに昨夜の事を尋ねた。なぜなら自分よりも強い男にここまでの手傷を負わせた相手の事が一人の戦士として気になって仕方がなかったのだ。そのためにファーディスが目を覚ましたら一番に話を聞きだすために、一睡もせずに近くの部屋で待機してこの時を待っていたのだから我慢も限界に来ていた。

 ファーディスも自分よりも二十ほど歳上の男の好奇心に満ちた目を見て力が抜けたのかベッドに入り謎の侵入者との戦いを話し始めた。


―――

 「……なんとも信じられない話ですな」


 「だが事実だ。ベルベクト、お前の方は何か心当たりがあるか?」


 「格闘術の使い手で思う浮かぶ者は何人かいます。ですが年齢が合いませんな。実は森人もりびとだったという線はありませんか?」


 森人は寿命も長く若々しい見た目を長く保ち続ける事が出来る。その長い生をひたすら鍛錬に注げばあるいはとベルベクトは考えた。

 しかしファーディスはその考えをあっさりと否定した。


 「いや、違う。あの娘には森人特有の長い耳という特徴が無かった。それに……」


 「それに?」


 「上手く言えないが、途中から――そう、俺の初撃を躱した瞬間までは気配も消せない戦いの素人という感じだった。しかし、俺と向き合った瞬間に人が変わったみたいに鋭い動きを見せ始めたのだ。もしかしたら武術の類ではなく魔術で身体能力を引き上げていたのかもしれん」


 「魔術での肉体強化ですか。とすると怪しいのは真理の書ですかな。奴らはかなり非道な人体実験をしていたといいますから。……潰しますか?」


 今までの穏やかな表情から一転、ギラついた目をして判断を仰ぐベルベクトにファーディスは首を横に振った。


 「まだそうだと決まったわけではない。情報は集める必要はあるが、我々はあくまで余所者だ。あまり目立った動きをして黒曜教の評判を落とすような真似は控えろ」


 「しかし団長をこけにされて黙っていては我らの気が済みませぬぞ!」


 「油断があったとはいえ俺がやられた相手にお前たちが勝てるのか?」


 「それは……」


 ファーディスの鋭い視線を避けるようにベルベクトは目を伏せた。ファーディスの実力をよく知るからこそ彼の言葉は重い。しかしベルベクトもあっさり引き下がるわけにはいかない理由があった。


 「しかし今回の事でまた南天が団長にどんな言いがかりをつけてくるか分かりませんぞ? 最悪、騎士団長の座を退くことを要求してくる可能性もあります。あの男はそのためにあの『獣狩り』をこちらに送り込んできたに違いありません!」


 「そんなことはどうでもいい。俺が力不足だと大神官様が判断されたのなら受け入れるしかあるまい。……そういえば奴は今オーガスタに向かっているのだったな?」

 「は? ああ、確かに。オーガスタに珍しい魔獣が出たという噂があったから手勢を引き連れて大神殿を勝手に出たとか……団長、まさか!?」


 「ちょうどいい。南天ご自慢の神官戦士の手並みを見せてもらおう」


 「アレがこちらの言う事を聞きますかね?」


 『獣狩り』の性格をしるベルベクトが不安を口にするがファーディスは心配ないと言い命令書の代筆を命じた。


 「奴が魔獣を狩って回っているのは普通の人間を狩るのでは満足できないからだ。俺より強い奴がここにいると知れば喜んでやって来るだろう」


 「確かに。しかし聖石の欠片捜索に力を貸してくれるとは思えませんが……」


 「それはお前の部隊で行え。奴はいざという時の備えだ。そのつもりで扱え」


 「そんな物騒な備えなどお断りしたいのですがねぇ」


 文句を呟きながらもベルベクトは命令書の作成に必要な物を取りに部屋を出ていこうとしたが、ふと思い出したように部屋の隅を指さした。


 「隊長の武具はあそこに置いておきましたよ。しかし籠手の部分は酷いですね。まるでみたいにぐちゃぐちゃになってますよ。あれは一から作り直さないと駄目ですね」


 (溶かされた?)


 ベルベクトの言葉が気になったファーディスは痛みを堪えながらベッドから出ると自分の黒塗りの武具に近寄った。そして初めて無残に壊れた籠手を見てファーディスは戦慄した。なぜなら高純度のマナティアと聖石の力を織り交ぜて作り上げらた籠手の残っていた部分が高熱で炙られたかのように溶けて変形していたからだ。


 (なぜこんな事が起こり得る? まさかこれもあの女がやったというのか?)


 聖石の力を受けた籠手は生半可の攻撃では傷一つ付けられない。そのうえ壊れても勝手に治るという再生能力を持っている。しかしファーディスの目の前にある残骸からはそんな奇跡の力はまるで発揮されていないかった。


 何かが起きようとしている。

 

 黒曜教にとって良くない何かが目覚めようとしているという予感にファーディスは打ち震えるのだった。

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