二つの伝説 8
前日祭一日目の夜。
風呂上がりのヴァージニアがレイチェルの部屋の窓から外を見ると、数台の豪勢な馬車が連れ立って歓楽街の方から貴族街に入ってくるのが見えた。観劇かそれとも高級店の料理を楽しんできたのだろうか。
そういった貴族の華々しい遊びの陰で普段より多くの巡回の兵士たちが不届き者たちの狼藉に対して目を光らせている。
王都に訪れる人が増えれば治安も悪化する。特にオーガスタ内外の要人が集まり、外へ繰り出す事が多い祭りの日は王都の警備兵が一年を通してもっとも忙しい時だ。
ヴァージニアは窓の下を行く兵士二人に(お疲れ様です)と心の中で言って窓を静かに閉めた。
ほどなくしてレイチェルが扉を開けて入ってくる。その人形のように可愛らしい顔は晴れ晴れとした表情をしていた。
「レイチェル!」
「あまり大声を出さないでください、姉さま。執事風情が私に説教など出来る訳ないでしょう?」
―――
レイチェルの帰りが遅かったことから御者と召使い、そしてレイチェルが主人の留守を預かっている執事に理由を聞かれた。
召使い曰く、「レイチェル様が脱走して見つけるのに手間取った」。
レイチェル曰く、「召使いとは人が多くて逸れてしまった。彼女を捜していたが見つからず、そのせいで帰りが遅くなってしまった」。
御者曰く、「馬を宥めていたから実際に何があったか見ていない。顔をあげたら二人とも人ごみの中に消えた。自分は馬たちの面倒を見ながらお嬢様の言いつけ通り連絡を待っていただけで責任と言われても困る」。
三人の話を聞き執事は口ひげに指を当てて僅かに考え込み――。
「
「あの人混みでは仕方ありません。私は気にしていませんから、あまり厳しい事を言わないであげてください。それではもう部屋に帰っていいかしら?」
「はい。ですが今日の件は旦那様にご報告せねばなりません。申し訳ありませんがしばらくお嬢様には屋敷に留まって頂きたく……」
「構いません。それではお休みなさい」
部屋から出ていくレイチェルの背中を召使いが憎しみに満ちた目で睨む。だがすぐ傍にいる執事の怒りと蔑みが籠った目に気が付くと直ぐに深々と頭を下げた。だが震える手がスカートの裾を掴み青白くなっていた事に執事や周りにいた使用人たちが気づくことは無かった。
――――
「執事に出来る事は精々が
「ええ~!? 今年こそ一緒に遊びに行こうと思ってましたのに!」
「また三年前みたいに私を勝手に連れ出すつもりだったのですか? ……気持ちは嬉しいですけど、もう姉さまをあの時みたいな目に合わせるのは御免です。ですから祭りは一人で楽しんできてくださいな」
三年前、勉強や礼儀作法の指導で疲れていたレイチェルを不憫に思ったヴァージニアは建国祭の日に彼女を連れて屋敷を脱走した。その日に見た物、食べた物は今でもレイチェルは鮮明に憶えている。
けれど、帰った後にヴァージニアはエイルムスから折檻され屋根裏部屋に二週間監禁されてしまった。
監禁を解かれた日、痩せこけたヴァージニアを抱いてレイチェルは泣いた。そして誓った。
(絶対にアイツを絶望の底に叩き落としてから殺してやる。その為なら私は悪魔に魂をくれてやっても構わない!)
母を失った時に燃え上がったレイチェルの復讐心はヴァージニアとの出会いと触れ合いで一度は沈静化した。しかし再び愛する者を失いかけた時にその炎は再び燃え上がったのだ。そしてその憎しみの炎は今もまだ燃え続けたままだった。
(あの男を追い詰める何か。それが判れば……)
「レイチェル、どうかしましたか?」
話している間にどこか遠くを見始めたレイチェルの目をヴァージニアは覗き込んだ。
「何でもありませんよ、姉さま。さてと、姉さまはエレン様から貸していただいた本を調べていたのでしたよね? 何か分かりましたか?」
レイチェルの問いにヴァージニアは目を逸らして「実は……その今日は少し出かけたのです」と呟くように言い訳めいたことを口にした。
「まさか一日遊び歩いていた訳ではないですよね?」
「いえいえいえ! そんな事はありませんよ!? ただちょ~っとだけ色々な事が起こって大変だっただけで……」
「はぁ……。言い訳はいいですから何があったのか話してください」
レイチェルの呆れた声に促されてヴァージニアはエレンに話した事と同じこと、そしてオースマー家で起こった事を出来るだけ正確に話し始めた。
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