二つの伝説 7

 そしてハミルトンの説話が始まって三時間後。

 レイチェルが質問を挟むと、聞いてもいない黒曜教の逸話を交えてハミルトンが答えるというやりとりを経て時間が過ぎた。


 しかしハミルトンという書庫番の知識は確かに大したものだった。

 レイチェルの質問に的確に答え、必要があれば棚から関連した本を二人がいる机まで持ってきて広げ該当する場所を指し示すこともした。彼のすごい所はその時持ってくる本を間違える事も見るべきページも全て把握していた事だ。

 余計な枝葉の話も多かったが、彼のおかげでレイチェルの目的は大体果たせたと言っていい。


 (黒曜教の成り立ちや組織については大まかですが把握出来ましたね。あと聞くべき事は……一応アレについて聞いてみましょうか)


 「ハミルトンさんは歴史にお詳しいのですか?」


 「では、次は……えっ、歴史ですか? 人並み程度には学んだつもりです」


 謙遜しながらも彼の態度は明らかに「なんでもござれ」と言っていた。なのでレイチェルは気負うことなく世間話のように質問を口にした。


 「黒の災厄を終わらせた虹の聖女に関して何かご存知ですか?」


 レイチェルはまた「それはですね――」から続くハミルトンの長話をある程度覚悟していた。

 だが彼女の予想を裏切りハミルトンは苦虫を嚙み潰したような顔をしている。やがて肺の空気を絞り出すように深々とため息を吐いた。


 「虹の聖女。あれはただの作り話ですよ」


 それまでの温和な声とは違う金属の刃のような鋭さと冷たさを併せ持った声ではハミルトンは断言した。


 「嘘?」


 レイチェルは急変したハミルトンの態度に緊張しつつも食い下がる。彼女の本能がこれは踏み込むべき重要な話だと訴えていたからだ。


 「ええ、作り話、まやかしです。黒の災厄、あれはマナ、つまり精霊を軽んじた人間たちへの罰だったのです。己の繁栄のみを追い求め精霊を道具だと考えた傲慢さが招いた事態なのだと大神官様は説いています」


 そういった説がある事はレイチェルも知っていた。

 マナが極端な偏りを見せた時、自然のバランスは崩壊し大きな災害が起こるのは周知の事実だ。

 だから黒の災厄もそうした災害だという指摘は昔から存在していた。

 古代王国時代に多くのマナを人間が消費したから文明を滅ぼすほどの災害が起こった。それは確かに理にかなった説ではあるが、それでは説明できない点も存在した。


 「なら魔獣が大量発生した理由は何でしょう?」


 魔獣はマナを吸収して生まれる。ハミルトンの説明では黒の災厄はマナの欠乏によって引き起こされたもののはずだ。マナが無ければ魔獣は生まれないはずなのである。だが様々な資料でこの時代に魔獣が大量発生したのは確かな事であり、マナ欠乏説に矛盾が生じる。

 だがハミルトンの答えは極めてシンプルだった。

 

 「それは恐らく元々自然の中に追いやられていた魔獣がマナを求めて人里に降りてきたのでしょう」


 (確かにそれもあり得る話です。ですが大陸ごとマナが欠乏する事態があるものでしょうか?)


 黒の災厄は大陸全土でほぼ同一に始まっているのは遺跡などから判明している。

 マナは循環し常に一定のバランスを取ろうとしている。黒の災厄以後もマナの循環が乱れ一地域で大地震や天候悪化が起こり多くの命が失われた。

 大陸の一地方でこの惨状なのに大陸規模で循環が滞ればどれ程の被害を出すかレイチェルには想像もできない。

 

 (ですが黒の災厄以後には速やかに人々が技術や文化を蘇らせました。マナの欠乏で大地が荒れ果てれば、その再生には最低でも数十年はかかるはず。やはりハミルトンさんの話を鵜呑みには出来ませんね。ですが彼、いえ黒曜教の最高権力者である大神官が考える災厄の顛末には興味があります)


 マナの欠乏からパミア大陸の人々はどうやって立ち直ったのか?

 レイチェルは単刀直入に切り込んだ。


 「大陸規模のマナ欠乏が起きれば、とても百年、二百年で復興がなされるとは思えないのです。ハミルトンさんはどうやって黒の災厄から人間が短期間で立ち直ったと考えているのでしょうか?」


 「それは聖石の力です」


 ハミルトンは恍惚とした表情でそう言い切った。そのあまりの力強い断定にレイチェルは呑まれて反論を口にする事も出来なかった。


 「聖石は大地の精霊神がパミア大陸の惨状に心を痛め授けてくれたものなのです。ミレイユ山脈に鎮座する大聖石は地中に溜まった穢れたマナを浄化し地上に解き放ちました。その恩恵を受けて人間や亜人族は繁栄を取り戻せたのです。それなのに聖女という幻想が今も世界中で根付いている。これは非常に憂うべき問題なのですよ」


 額に手を当てため息をつくハミルトンをレイチェルは冷めた目で見つめていたが、すぐに表情を子どもモードに戻し目を大きく開き、さも『真実を知った』風な驚いた表情をしてみせる。


 「それでは虹の聖女の話は嘘だったのですね」


 「黒の災厄時代に、様々な地方で人々を助けた複数の女性の活躍が合わさり神格化されてしまった、ただそれだけの話なのです」


 (だけど黒曜教は聖女の遺産を欲したのですけどね)


 遺産を手にして黒曜教はどうするつもりだったのかは分からない。だが今のハミルトンの話を聞けばあまりいい扱いをされないのは間違いないだろう。


 (充分……とは言えませんが時間的にも潮時ですね)


 「色々教えて下さってありがとうございました! それでは失礼しますね!」


 「ああ、それほど大した事は……」


 呼び止められると厄介なので一息で暇を告げるとレイチェルは脱兎のごとく書庫を飛び出した。書庫を出ると近くにある出口から外に出て外の新鮮な空気を思い切り体に取り込んだ。


 神殿前の広場はまだ人が多いが露店は少しずつ片付けられ始めていた。空の太陽は沈み始め空には夜の闇が滲み始めていた。

 

 (召使いあの人はまだ私を探しているのでしょうか? まあいいわ、お手洗いで着替えて馬車を呼びましょう)


 ―――

 そのあとは何事もなく着替え終わり馬車を呼ぶと十分もすると神殿前にやってきた。馬車の扉が開くとすごい形相の召使いが外に出てくるがレイチェルは澄ました顔をしてその脇を通り馬車に乗り込む。


 「お待たせ。すぐに家へ戻ってちょうだい」


 「はい、お嬢様」


 ずっと召使いの愚痴を聞かされていた御者は疲れ切った声でレイチェルの命令に従うと馬に鞭を入れた。


 「ちょっと、待ちな……!」


 動き出した馬車に驚いて飛び乗った召使いが脛を強打しながら声を押し殺してレイチェルの向かい側の席に座る。

 御者はクスクスと笑っているがレイチェルは全ての精神力を駆使して笑いを飲み込んだ。

 相変わらず睨んでくる召使いを無視してレイチェルは窓から未だ活気あふれる街を見ていた。


 (姉さまが街へ出かける理由が少し分かりました。ふふっ、私の冒険を姉さまにお聞かせするのが楽しみです。その前にあの服装について問い詰めるのが先ですけど!)


 早くヴァージニアの顔が見たくて堪らなくなったレイチェルの顔に笑みが浮かぶ。

 一体何から話すべきか考えたレイチェルの頭に真っ先に浮かんだのは、あの無愛想な眼帯の男だった。


 (東天のファーディス……。黒曜教の最高幹部がわざわざ警備の応援として来たとは思えません。学校に乗り込んで来た神官戦士たちの中に彼もいたのでしょうか? 黒いモヤの件といい何か王都で良くない事が起きる前触れの気がします)


 レイチェルはどこからか聞こえてくる陽気な音楽と人の歓声に身を委ねながらヴァージニアにどう報告するかを黙考する。

 そんなレイチェルに召使いが憎しみの籠った目を向けている事に気づく事はなかった。


 

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