二つの伝説 6
☆
この日は二人はそのまま別れヴァージニアは何事もなく帰宅します。
さて、ではレイチェルはその頃何をしていたのかというと……。
―――
「そして時の大神官様はこう仰られました。『大地の恵みを全ての人に分け与えん』。そうして黒曜教徒たちは重い聖石を背負い山を下り救済の旅へ出たのです。しかし当時のミレイユ山脈近くはダグラス帝国の領土でした。さきほども言いましたが初期の黒曜教徒のほとんどは帝国の苛烈な支配から逃げた者たちです。そんな者たちに対する帝国の弾圧は苛烈でした――」
「あの神官様? 私、そろそろ帰ってもよろしいでしょうか?」
「なんと!? あの帝国の弾圧に耐え多くの人々を救った三聖人の話を聞きたくないと言うのですか?」
二人以外に誰もいない書庫に男の声が響く。どうやら彼にはレイチェルの作り笑いの奥にある倦怠感に気づいてはいないようだった。
(困りましたね。ただ北の大神殿について聞いただけなのにこんなことになろうとは……)
―――
ファーディスと別れ書庫に入ったレイチェルは扉を閉めるとゆっくりと周囲を眺めながら進む。
レイチェルの予想では学校の図書室のように部屋を埋め尽くすほどの本があるのだと思っていた。だが書庫の中には低い本棚が壁沿いに四つしかなく、その中には黒曜教の歴史や聖人などがキチンと分類されて隙間なく置かれている。部屋の中央には長机と椅子が並べられて読書スペースが設けられているが利用者の姿はない。
そして本棚と本棚の間には隙間には一枚づつ額縁に入れられた絵が掛けられていた。険しい山間に立つ壮麗な神殿の外観から始まり、神殿の前を間近に捉えた絵、天井の高い廊下、そして人より大きな聖石を奉る礼拝堂の四枚だ。
(ミレイユ山脈はとても険しい場所だと聞いていますが、そんな場所にこれほどの物を建てるなんて凄いですね)
信仰の力という物を見せられた気がしてレイチェルは瞬きも忘れて見入ってしまっていた。
「ミレイユ山脈は非常に険しく誰でも立ち入れる場所ではありません。なので神殿には大神殿の絵が飾られお年寄りや体の弱い信徒にもその姿を見てもらえるようにしているのです」
「きゃっ!」
いきなり後ろから声を掛けられたレイチェルは体を震わせて慌てて後を見た。
「おっと失礼。驚かせるつもりはありませんでした。ただここに立ち寄る方は珍しい上に絵に関心を寄せてくださったのが嬉しくてつい声をかけてしまいました」
男は年齢が二十代後半から三十代前半、短くカットされた髪に
本人も自分の笑顔が胡散臭く見られるのを自覚しているのか笑顔を引っ込め真顔になるとすぐに弁明し始めた。
「実はその絵は私の父が描いた物でしてね。熱心に見てくれる方を見て嬉しくなってしまいました。本当に申し訳ない」
「いえ、どうかお気になさらず。お父様が描いたと言う事は大神殿でお勤めになられていましたのですか?」
「いえ、まさか。大神殿は信仰の篤い選ばれた者しか奥に入る事は出来ません。これは私の父が若い頃に大神殿へ巡礼した時に描いた物なのです。それをオーガスタ教会の大司教様のご厚意でここに飾らせてもらっているのです」
男は片眼鏡の位置を直しながら少し自慢げだ。だがレイチェルの視線を感じるとコホンと咳ばらいをして本来の務めに戻った。
「申し遅れました。私はこの書庫を管理しているハミルトンと申します。前日祭の日にここに来るとはどうしました? もしかして迷子……」
「迷子ではありません! 今日は黒曜教とは何かを学ぶために来たんです」
ハミルトンの言葉を氷の如き冷たさで否定してからレイチェルは予め考えていた台詞を口にした。その際に実年齢より少し幼い感じを醸し出す事を意識してみる。あまり認めたくないが自分の容姿は十五より幼く見られている。ならばそれを利用して情報をスムーズに聞き出そうという考えから少し演技を加えて見たのだ。
「ほう、それは素晴らしい! 嘆かわしい事ですが信徒の中には黒曜教を施療院と勘違いして教えを知らない者も多いのです。あなたはまだ幼いにも関わらず大変立派な考えをお持ちですね!」
幼いと思わせようとしたのはレイチェルだが改めて他人から言われるとやはりイラッとしてしまう。だが気合で笑顔を作って取り繕うとレイチェルはそそくさとハミルトンから離れようとするが、すぐに呼び止められてしまった。
「ああ、少しお待ち下さい。具体的に黒曜教の何をお知りになりたいのですか?」
「……黒曜教は誰がどうやって作ったのか、とか?」
レイチェルは黒曜教の成り立ちを知りたいという言葉を子どもっぽく言ってみた。内心では何か怪しまれているのではと逃げる事も視野に入れて足を擦ってハミルトンと距離をとる。
「なるほど、成り立ちについてですか。確かにそれに関する本はあります。ありますが子どもには少々難しい専門的な本しかないのですよ」
レイチェルは子どものふりをした事が仇になってしまった事に舌打ちしたい気分だったが、気を取り直して次善策を考える。
だがその考えがまとまる前に男が提案をしてきた。
「なので私があなたの疑問に答えましょう!」
この提案を受けるべきか否か。レイチェルは少し考えたのち答えを口にした。
「それではお願いします」
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