二つの伝説 2
訳の分からないままに応接間に連れてこられたヴァージニアは二人掛けのソファーに座らせられエレンがその横に座る。エレンに向かい合う形でフレデリックが同じデザインのソファーに座り、彼の護衛を務める男女がその背後に立った。
なんとなくヴァージニアが視線を立っている二人に向けると男の方が茶目っ気たっぷりにウィンクをした。その仕草を見てようやくヴァージニアは彼らの事を思い出した。
(前に会った時は鎧を着ていたから分からなかったけど、この方たちは近衛騎士隊の人たちだ。名前は確か……スコットさんとミウさんだったかな?)
近衛騎士隊は王家直属の騎士団である。家柄と人柄と実力、何より王家への忠誠心篤い者しか入れない精鋭部隊である。
以前にフレデリックと会った時に「信頼できる腹心」と冗談めかして二人を紹介されたが、お忍びの護衛に選ばれる所を見るとあれはフレデリックの本心だったのかもしれない。
そんな事を考えているうちにヴァージニアは自分がとんでもなく場違いな所にいる事にようやく気付いて慌てて隣のエレンに暇を告げようと声を掛けた。
「あ、あの、エレンちゃん!?」
「どうしたの……あっ、いけない、お茶と汗を拭くタオルを出さないと」
立ち上がろうとしたエレンにフレデリックの後ろに控えていたミウが「それならば
「いえ、違うんです。エレンちゃんはフレデリック様と大事なお話があるのでしょう? 私はもう帰りますから……」
「いや、それには及ばないよ。こちらの用はもう済んだし、そろそろ城へ帰らないと妹がうるさいからね」
―――
☆
ここで改めてフレデリック王子と実妹であるアニエス王女について簡単に現在の立場と人となりを説明させていただきますね。
当時のオーガスタ黒王国国王セドリック・ヴァン・オーガスタには二人の妃と三人の子どもがいました。
王妃との間に生まれた長男のシオン・ヴァン・オーガスタ。
そして二番目に迎えた妃との間に生まれた兄妹であるフレデリック・ヴァン・オーガスタとアニエス・ヴァン・オーガスタです。
既に父の跡を継ぐために政務に関わっているシオンと違い、フレデリックは政治から距離を置いて自由な生活を謳歌していました。
王族としての務めは最低限しか果たさずフラフラしている彼に白い眼を向ける者もいましたが下手に政治力を持てばシオンとの間に後継者問題が起きかねないという事情もありセドリック王もこの放蕩王子の振る舞いを大目に見ていました。
フレデリックの見目麗しい容姿と気さくな性格から国民からの人気は高い事から王家のイメージアップに寄与するならそれで良いというのがセドリック王の考えだったのかも知れません。
ですが父や兄より国民に近い視点を持っていたフレデリックが現在の黒王国の在り方、つまり魔力至上主義を憂いていました。彼がヴァージニアに対して差別的な態度をとらなかった理由はここにあります。加えて表には出していませんがシオンがエイルムスとの間に諍いを起こしている事も非常に危惧していました。
そして話に出たアニエスは十八歳になる王女でした。
王族の女性ともなればとっくに結婚を考えねばならない年齢でした。ですがセドリックの度を越した愛情により婚約者の決定がなかなか決まらず、アニエス自身もフレデリックにべったりであり結婚に乗り気ではありませんでした。
ですが周りの貴族たちはこの美しい妖精のような王女を放っておく訳がありません。それは単に貴族としての地位という話に留まらず守旧派と革新派の勢力バランスを崩しかねない影響力があると見なされていました。
一方で貴族の権力争いに興味がない庶民の間では「誰がこの美貌の姫を娶るのか」が賭けの対象となり盛り上がっていました。
噂の的であるその姫君は去年までヴァージニアたちと同じ学校に通っていましたがヴァージニアはその姿を見たことは一度もありませんでした。なぜならアニエスは基本的に学校に来ることが稀、来ても常に彼女の歓心を買おうとする者たちの人だかりで遠目にも見る事は出来なかったのです。
アニエス姫の人となりが少し気になっていたヴァージニアはある日エレンに彼女の性格について尋ねてみました。その問いに少し渋い顔をしてエレンはこう述べたと言います。
『遠くから眺めている分には楽しい人。でも直接関わると凄く疲れる人よ。もしジニーが彼女と会う機会があったとしても最低限の挨拶だけにすることをお勧めするわ』
幸い彼女が学校に在籍中にはエレンの危惧した状況になったことはありませんでしたが、噂の姫君についてヴァージニアは密かに興味を持ち続けていました。果たして現実にお姫様は物語とどう違うのかを見てみたかったそうです。
その願いが叶い、エレンの言っていた意味を知る事になる日が来ようとは夢にも思わずに、です。
では話をオースマー家の応接間に戻しますね。
―――
「本当にミウさんを置いていくつもり?」
「また話を蒸し返すのかい、エレン? これがお互いギリギリの妥協点だと確認したじゃないか」
「あなたの心配は分かるけども……」
立ち上がりかけたフレデリックの袖を掴んでエレンは訴えかける。
話の内容についていけないヴァージニアにフレデリックの後ろに控えていたスコットが
「ウルフェン嬢もご存じでしょうが、現在のエレン様の微妙なお立場にあります。もちろんフレデリック様のエレン様を思うお心に変わりはありませんが、ならばとよからぬ事を考える輩が出てくるかもしれません。そのもしもに備えての話をしていたのですよ」
「よからぬ事?」
「例えばの話ですが、エレン様の排除、つまり暗殺が考えられます。ああ、そういった動きが具体的にあると言う事ではありませんよ? ですがこれからもないとは言い切れません。今までもフレデリック様を慕っている者たちが遠くからエレン様とお母上を見守ってきたのですが、それにも限界はあります。なのでフレデリック様はミウをこの屋敷に常駐させる事をエレン様に提案したのですが……」
「それが難航していると?」
「ミウの事はエレン様もよくご存じですし、今までもミウがエレン様の護衛を務めた事は何度もあります。ですが今回はエレン様がなかなか了承をして下さらないので殿下直々に説得に来られたという訳です」
困った物だと言いたげにスコットは肩を竦め、チラリとヴァージニアの顔を見る。にこやかな顔をしながら常に相手を冷静に観察する。フレデリック配下の騎士の中で最も切れ者と称される若き騎士はエレンの行動の原因が二日前にオースマー家を訪れたヴァージニアにあると踏んでいた。そしてその考えが当たっていた事をヴァージニアの表情から確信した。
スコットの話を聞かされたヴァージニアにはエレンがなぜ護衛を付けられるのを嫌がってるのか理由がすぐに見当がついた。
今、エレンはフレデリックに黙って王家が関わる重大な問題を調べている。そこに王家に忠誠を誓う
(私のせいでエレンちゃんが大変な事に! でもどうすれば……)
調査にはエレンの力が必要だが、だからと言って安全と引き換えには出来ない。そんなヴァージニアの葛藤を見抜いたエレンは小さくため息をついた。
「わかったわ。ただ私がさっき出した条件は絶対に呑んでもらうわよ」
「君の個人的な調査に関わらない、かい? 心外だな。私が君の研究の邪魔をするとでも思っているのかい?」
「思ってはいないわ。でも、今回のは私の個人的な物ではないのよ」
「誰かとの共同研究かい? ふぅ、分かったよ。ミウ!」
ヴァージニアの前にお茶を出していたミウが「はっ!」と言い直立不動の態勢をとり主君の言葉を待つ。
「エレンの警護に際して、もし研究内容を見聞きしても他言を禁ずる。むろん、この私にもだ。お前にそれが誓えるか?」
「はっ! 騎士の誓いに懸けて!」
「これでいいだろう、エレン?」
騎士の誓いは絶対である。もしこれを破れば、その人物は地位を失い、最悪死罪になる事すらあるものだ。それを知るエレンはフレデリックの提案を呑むしかなかった。ここで断れば誓いを立てたミウの名誉も傷つけることになるからだ。
「分かったわ。しばらくの間よろしくお願いします、ミウさん」
「はっ!」
二人のやり取りを見て満足そうに笑ったフレデリックはエレンの手を取り口づけをした。
「大丈夫さ。父上は元々私が誰でもいいから結婚しさえすれば文句は言わないという立場だったんだ。すぐに私が説き伏せて、君とリーザ様を私の屋敷に迎え入れてみせるよ。君の為の書斎もそのまま残してある。そこでなら誰の目も気にせず研究に集中できる。もちろん信用できる来客は歓迎するよ」
フレデリックは上流階級の女性を何人も虜にしてきた微笑みをヴァージニアに向け今と同じ暮らしが出来る事をエレンにアピールする。
「……ええ、そうなればいいと私も思っているわ。でもあまり無理をしないでね」
「君を妻に迎えるためならばどんな無茶でもするさ」
立ち上がったエレンはフレデリックの傍により、二人はごく自然に唇を重ねた。
「!? !!! !!!!?」
思わず声が出そうになったヴァージニアは慌てて両手で自分の口を塞いだ。ジロジロ見るのは失礼だとは分かっているのだが目が全く言う事を聞いてくれない。恋人のキスは三秒ほどで終わり二人は体を離した。
「それじゃ、行くよ。あまり根を詰めすぎて体を壊さないようにね」
「あなたもね。色々ありがとう」
フレデリックは顔を真っ赤にしているヴァージニアに優雅に一礼してスコットを伴い外へ出ていった。
一方、フレデリックの仕草で間近に親友が居た事を思い出したエレンの顔もみるみるうちに赤くなってしまう。
「ええっと、今のは……」
「だ、大丈夫、大丈夫です! 婚約者なのだからあれくらい普通なんですよね! 私たちの歳ならあれくらい普通、いえ、もっとすごい事だってしているんですよね! 例えば――!」
「ジニー、落ち着きなさい! ほら、お茶を飲んで!」
大丈夫アピールしているうちにヴァージニアが妙な事を口走り始めた。そんなヴァージニアの口に強引にお茶を飲ませながらエレンは思った。
(うぶだと思ってたけど、結構色々知っているのね。だけど、いかにも小説で知った知識で偏りすぎよ。これは一度、親友として正しい知識を教えてあげたほうがいいわね)
貴族であれば性教育は家で受ける物だが、冷遇されているヴァージニアはきちんとした教育を受けていない。
先ほどのヴァージニアの言葉からそれを察したエレンはヴァージニアを教育する事を決めた。気恥ずかしさはあるが、ヴァージニアの身近にいる人間でそれを出来るのは自分しかいないとエレンは決意を固めるのだった。
―――
「変な事を口走ってごめんなさい!」
ややあって落ち着きを取り戻したヴァージニアが醜態を晒した事を謝る。それに対しエレンは首を振った。
「私もあなたの事を忘れてあんな事したんだからお互い様よ。それに私には新しい課題も出来たし」
「課題?」
「ミウさん、私たちは部屋へ行くわ」
エレンに対しミウは小さく頷いて「何かあればすぐにお呼びください」と言いヴァージニアたちが階段を昇るのを見送った。
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