近づく祭りと不穏な噂 10

 レイチェルが石造りの神殿の内部に入るとひんやりとした空気が肌に触れた。外観同様に内部の壁や柱にも細かい彫刻が彫り込まれ参拝者たちはその芸術的な美しさにため息をついて見惚れている。

 だがレイチェルはそんな内装に目も向けず修道女が教えてくれた書庫へ行く道を探していた。中に入ったら神殿の関係者に尋ねればいいと思っていたのだが順路以外はロープで塞がれており神殿関係者の姿もない。


 (このまま列に混じって移動していたら外に出てしまいますね。さて、どうしましょうか)


 レイチェルが考えている間にも列は淀みなく進んでいき黒曜教が崇め奉る聖石を模したレプリカがある礼拝堂へ辿り着く。運悪く列の中央に押し込まれてしまった背の低いレイチェルが苦労しながら周りを見ると何人か神官の姿が見えた。だが距離が遠すぎて話しかけることが出来ない。ヴァージニアなら恥ずかし気もなく大声で呼びかけるのだろうが厳粛な雰囲気の礼拝堂でそれを真似る勇気はレイチェルにはなかった。


 (仕方ありませんね。なら手段は一つです)


 そのまま人の波に押され礼拝堂を出たレイチェルは列の端に移動すると素早く体を屈めてロープを潜り狭い通路へ飛び込んだ。廊下が薄暗い事と周囲の人たちは礼拝堂で祈りを捧げた高揚感に包まれていたことが幸いしレイチェルの行動に誰も気づくことなく出口へと進んでいく。


 (はあ、こんな事なら修道女さんに書庫の場所を聞いておくべきでしたね。とにかく早く誰かに会って書庫の場所を聞きませんと不審者扱いになってしまいます)


 既に不審者になっている気がするが、寛容な黒曜教徒なら許してくれるだろうと甘い期待を抱きながらレイチェルは順路よりさらに薄暗い通路を進んでいく。

 途中でいくつかの部屋があったが扉に打ち付けてあるプレートには『食糧庫』『備品倉庫』と書いてありレイチェルが求めるものではなかった。


 (ひょっとしなくても違う場所に来てしまったようですね。ですが引き返しても……)


 「動くな。ここでなにをしている?」

 

 ようやく待ち望んだ神殿関係者との接触だが、レイチェルの予想を裏切り背中から掛けられたその声はどこまでも冷たく鋭利だった。背中越しに聞く声は若い男の物だが、一切の感情が感じられず、それ故に対応を間違えば即座に殺されそうな不気味さがあった。


 「ごめんなさい。私は神殿の書庫を探していたんです」


 レイチェルは下手な言い訳はすべきでないと判断し背中を向けたまま自分の目的を告げた。(今のところは)教会に害意はないのは本当であるし真摯に事情を説明すれば説得できる自信もあった。

 僅かな沈黙の後に背後の男が「こちらへ向いて帽子を取れ」と言った。

 レイチェルは相手に不信感を抱かせないようにゆっくり振り返り帽子を脱ぐと美しい金色の髪が広がり花のような馨しい香りが通路に広がった。


 「女だったのか」


 食い詰めたスラム街の子どもだと思っていたのか男が意外そうに呟く。

 男の姿は神職に就く者とは明らかに違っていた。黒いマントに黒いズボンはいかにも黒曜教会の関係者らしいが、胸には黒い胸甲ブレストアーマーを着け、手には柄の長い長剣が握られている。そして剣の切っ先は真っ直ぐにレイチェルに向けられていた。

 男の年齢は二十代後半に見える。だが右目は眼帯に覆われ、顔の右半分には獣の爪で付けられたと思わしき傷が生々しく残り、男の実年齢を推し量る事を妨げていた。


 「神殿の書庫を探していたと言ったな。それがどうしてこんな場所をウロウロしている?」


 「それは――」


 男はかなり剣呑な雰囲気の持ち主だったが恰好から黒曜教の関係者に違いないと判断しレイチェルは変装してからの経緯を説明した。

 話を聞いている間も男は剣を下ろさずにいたがレイチェルの話を聞き終えると、ゆっくりと剣を下ろした。


 「書庫に行きたいのなら列に並ぶ必要はなかったな」


 「え?」

 「神殿の横に書庫へ行くために別の入り口がある。お前が入ったのは礼拝堂へ向かうための入り口だ」


 「……では私は単に無駄な時間を費やしていたのですか?」


 たっぷり二時間近く並んでいたのが無駄だったと分かりレイチェルは膝から崩れ落ちそうになる。そのショックを受けている様子を見てレイチェルが神殿に悪意を持つ者ではないと判断したのか眼帯の男は「ついて来い」と言い、レイチェルの脇を通り通路の奥へ進んでいく。

 男がどこに行くのかは分からないがレイチェルに選択肢はない。眼帯の男は強い。目の動き、体の使い方、そういった物が常人と違う。もしレイチェルが魔術を使って逃げようとしても、この男なら簡単に追いついてくるという予感があった。そして、その後は――。


 (別に何かを盗みに来たのではないのですから堂々としていましょう)


 諦観か開き直りか。レイチェルは男の後を大人しくついてくことにした。

 人でごった返す礼拝堂への道と違いレイチェルたちが歩く通路は神殿に相応しい静謐を湛えていた。大人が三人は並べる広さの通路を眼帯の男は黙々と進んでいく。その背を見ながらレイチェルは男の事を考えていた。


 (身なりも雰囲気も神官という感じではないですね。となればこの人は黒曜教の神殿騎士でしょう。姉さまが学校で見た人たちの中にこの人もいたんでしょうか?)


 気になる点は色々とあるが男の雰囲気からレイチェルは声を掛けられずにいた。だが歩幅の違うレイチェルを急かすこともなく、時折レイチェルに合わせて歩く速度を緩めてくれる男に少し好感が持てた。


 (口数は少ないですが悪い人ではないみたいですね)


 黒曜教に不信感を抱いてはいるが、その信徒全てに疑いを持つほどレイチェルは愚かではない。書庫の事を教えてくれた修道女も列に並んでいた黒曜教徒たちも悪い人ではなかった。だがそれはあくまでオーガスタの黒曜教会の話だ。


 (現在の黒曜教会のトップにいる人物。そして百年前の教皇とレオン王に取り入っていた者の素性。そして聖石とは何か。これらを調べねばには辿り着けないでしょう)


 百年前に聖女の遺産を求めたのは誰なのか? 

 そもそも黒曜教と虹の聖女に何の因縁があるのか?


 これらの謎に迫る何かを掴みたいとレイチェルは願っていた。事はヴァージニアの未来に関わるのだから一切手を抜く事は出来ない。


 何度目かの角を曲がると向かい側から眼帯の男と似た服装の非常に体格のいい髭面の壮年の男が歩いてきた。


 「おや、団長殿、何か忘れ物……ん? その坊主はどうしたんですか?」


 「ただの迷子だ」


 迷子呼ばわりにレイチェルは少しカチンときたが実際に迷っていたのだから何も言えない。なにより眼帯の男が団長と呼ばれた事がレイチェルは気になった。


 (団長? こっちの若い人の方が?)

 

 壮年の男とレイチェルをここまで連れてきた男。年齢的にはどう考えても壮年の男の方が団長と呼ばれるのが自然に思える。

 不思議そうにレイチェルがジロジロと自分たちを見ている事に気づいた壮年の男が廊下に響く大声で話しかけてきた。


 「坊主、お前は運が良いな。こちらにおわす方は黒曜騎士団長にして四天してんの一人、東天のファーディス様だ。本来ならお前のような奴が言葉を交わすことなど出来ない方なのだぞ」


 騎士団長はともかくの意味が分からず困惑の表情を浮かべるレイチェルを見て驚きで目を丸くしていると勘違いした男は更に調子に乗って続ける。


 「驚くのも無理はない。なにせファーディス様は史上最年少で四天に選ばれた方。黒曜教の守護者であり、教会に仇為す者を討つつるぎ! その姿を見ただけで悪意ある者どもは震えあがり――」


 「それぐらいにしておけ」


 「はっ、失礼しました!」


 口上めいてきた壮年の男の言葉を遮り眼帯の男、ファーディスは歩き出した。

 レイチェルも慌てて敬礼をしている壮年の男に頭を下げると、慌ててファーディスの後を早足で追った。今までは少し距離を取っていたがレイチェルは思い切ってファーディスに近寄った。

 

 「あの、四天とはどういった立場なのでしょうか?」


 書庫で調べればいいと思うのだが、直接本人に聞いた方が早いと思いレイチェルは駄目で元々とファーディスに尋ねてみた。


 「……黒曜教を導くのはミレイユ山脈にある大神殿におわす大神官様だ。だが大神官様は神事に専念せねばならないお立場だ。四天とは大神官様に代わり各地の教会を管理する役を仰せつかった者たちだ」


 「国で言えば宰相や大臣クラスの役職ということですか?」


 「そんな大層な物ではない。四天は大神官様の代理に過ぎない。正しい信仰を伝え、力なき者を守る。ただそれだけを行う存在だ。……中には思い違いをしている者もいるがな」


 「え?」


 今まで淡々と話していたのに最後のファーディスの言葉には感情、特に怒りのような物をレイチェルは感じた。レイチェルはその感情の正体は何なのかが気になったが、それを聞くことは叶わなかった。


 「ここが書庫だ」


 足を止めたファーディスが目の前の扉を指さす。そこには確かに『書庫』とプレートが掛かっていた。


 「中に書庫を管理している者がいる。分からない事はその人に聞け。ではな」


 「あっ、ありがとうございました!」


 ファーディスは帽子を脱いで頭を下げるレイチェルをチラリと見ると、そのまま外の光が見える方向へ通路を進んでいく。振り返らずに立ち去るファーディスの後ろ姿を見送るとレイチェルは書庫の扉に手を掛けた。

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