近づく祭りと不穏な噂 9
長くなるかと思われた神殿への行列待ちも意外に早く進んでいき、レイチェルは一時間ほどで列の真ん中ほどの位置にいた。
そんな中でレイチェルは後ろに並んだ親子連れと仲良くなっていた。もっとも喋っているのは親子側、特に父親でレイチェルはほぼ聞き役に徹していた。その理由は変装をして身分を偽っている事と召使いに声を聞かれる事を警戒してだ。実際に行列が進みレイチェルが神殿内の敷地内に戻ってきた時に一度だけ召使いが近くに現れたが彼女はまだ広場の露店を探し回っていてレイチェルが変装をして行列に並んでいるとは夢にも思っていないようだった。
(大人しく引き上げればいいのに。本当に執念深い女ですね)
その内召使いが神殿側に捜索を依頼しかねない事を危惧しつつもレイチェルは辛抱強く列が進むのを待っていた。
その間も親子連れ、特にお喋りな父親は陽気に自分たち一家の王都までの旅をさも波乱万丈の旅路のだったかのようにしゃべり続けていた。
この親子は王都の東にある港町で商売をしているそうだ。父親は三十代始め、母親は二十代後半、娘は五歳くらいで疲れたのか今は母親の背中で眠っている。
彼らは母親の実家が王都の近くにある村だったため里帰りのついでに建国祭で賑わう王都へ足を伸ばしたとの事だった。
「―――それでですね、途中の村で魔獣が出たとかで足止めされてしまいまして大変でしたよ。日数には余裕がありましたが、もう少し長引いていれば王都観光を諦めなければならなかったでしょうね」
野に暮らす獣が何らかの理由で多くの魔力を浴びて生まれるのが魔獣と言われている。その戦闘能力と獰猛さは獣の比ではなく戦い慣れした者でなくては相手にならない。そのため魔獣が発見されれば周囲一帯は封鎖され一般人の立ち入りは禁止されてしまうのだ。
「しかし、最近は魔獣の被害が多いですねぇ。私が懇意にしている商人仲間も魔獣に襲われたのですよ。雇っていた護衛が対処しきれず泣く泣く荷物を捨て逃げだして命拾いをしたのですが荷物は魔獣に破壊され大損を被ったと泣いていました。聞いた話では国の騎士団にも被害がでているとか。護衛を雇う余裕のない商人や旅人は命がけですよ、全く」
父親は商人らしく口がよく回る。大半はどうでもいい世間話だが今回の話は中々興味を引く話だった。それは列に並んでいる他の人たちも同じだったようで周囲の人たちも会話に加わってきた。
「おらは北から自分の足で来たんだ。けど途中のある森が封鎖されててよ~。結局、大回りしなくちゃならなかったんだ」
「あたしゃ、南からだけど似たようなもんだよ。物騒な世の中になっちまったもんだよ。山や森だけじゃなく平野にまで魔獣がでるなんてねぇ」
そんな魔獣が大発生しているのかと初めて知ったレイチェルは言葉を発さず彼らの言葉を注意深く聞いていた。そんな中で全員の話がひと段落するのを待っていた商人の男がとっておきの話を披露し始めた。
「実はあまり大きな声では言えないのですが、実はこの魔獣騒ぎに関連した別の事件も起きているそうなんですよ」
「別の事件ですか?」
絶妙な間で合いの手をいれたレイチェルに満面の笑みを浮かべ頷くと男は大きな声で言えないといいつつ声を潜める事もなく語り出した。
「ええ、私も王都に来る途中できいたのですがね、なんでも人が突然死する事件があちこちで起きているそうなのです」
「突然死……ですか?」
「ええ、ついさっきまで元気でいた人が一夜明けたら死んでいた、なんて事件が多発しているそうなんです。噂では村の住民全員が死んでいたなんてのもあります。しかも恐ろしいのはその死因です。その亡くなった人たちには外傷もなく毒物や魔術が使われた痕跡もないそうなんです」
なまじ父親の喋りが上手いせいで話に信憑性が増したせいで話を聞いていた人たちの顔に怯えが混じり始めた。それを見て今まで黙っていた母親が「あなた!」と注意するが父親の方は意に介さず話を続ける。
「しかもですよ! その不審死が起きた場所には必ずと言っていいほど、ある魔獣が近くにいたそうなんです」
「そんなおっかない魔獣がいるのかい!?」
話を聞いていた男の一人が怯えを抑えきれずに父親に問いかける。普通の人にとって魔獣は未知の生物とほぼ同じだ。そんな得体のしれないモノが王国内をウロウロしているかもしれないと知れば男が怯えるのも無理はない。
だがレイチェルは魔獣が外傷もなく人を殺したという話は眉唾物だと思っていた。確かに体内に魔力を溜め込んだ魔獣の中には魔術に似た力を扱うものもいる。だがほとんどは直接的な攻撃に用いられる程度で、呪いのような高度な術を使って人を衰弱死させる魔獣は聞いたことがない。それに呪術という高度な術を身に着けるほど魔力を蓄えた魔獣なら村に侵入して人を襲った方が早いだろう。
(それに魔獣が人里を襲うのは人や家畜を食べるためです。殺しただけで何もせず立ち去るなんてあるわけがないです)
そう結論づけてレイチェルは父親の話に興味を無くし聞き流している間にも列は進んでいく。あと五十人ほどで神殿に入れそうな所までくると父親は話の締めくくろうと最後のとっておきを披露し始めた。
「皆さんも怖いと思うように私も怖いです。実は人の命を刈り取る魔獣がなんと巨大な白い狼の姿をしているらしいのですよ。そして言うまでもありませんが狼は黒曜教にとって邪悪な存在とされています。ですから家族と共に黒曜教会に祈りを捧げ守ってくれるようにお願いしようと思ったのです。それにどうやら国王様も重い腰を上げて本格的な調査を指示したそうです。ですからこの事件もきっともうすぐ解決するでしょう」
商人の言葉に「おお、なら俺(私)たちもいつも以上にお祈りしないと」と周りの人は頷きあう。その顔はさきほどより恐怖の色は薄らぎでいた。その根底にはレオン王の暴政から国を立て直したセドリック王への信頼があるからだろう。
一方レイチェルだけは途中で出た『白い狼』という言葉に引っかかりを覚え考え込んでいた。
(白い狼……白い……。最近そのフレーズを聞いたような気が……。確か昨日姉様が……そうです! 確か虹の聖女は白き獣を連れていたという伝承があると仰っていました!)
怖がらせてから安心させる。自分が望む展開に話を持っていけた事に満足した顔をしている父親にレイチェルが詳しい話を聞こうとした。しかしそこに黒曜教の神官が神殿内のマナーについての注意喚起の大声でレイチェルの声は遮られてしまった。
そして列は遂に神殿の中に入りレイチェルもまたオーガスタでの黒曜教の中心地へと足を踏み入れたのだった。
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