近づく祭りと不穏な噂 7
召使いを振り切って神殿の敷地に辿り着いたレイチェルは広場に立ち並ぶ露店を物色していく。そして服飾雑貨を扱っている店を見つけると適当に帽子と上着を買い、急いでそれを身に着ける。
買ったばかりの茶色の帽子を目深に被ったレイチェルは広場の隅にある木の陰に隠れる。そして周囲に人がいないのを確認してから恥ずかしさを押し殺しいかにも仕立ての良いロングスカートを脱いだ。スカートの下にはヴァージニアに借りたショートズボンを履いており、レイチェルは観光に来た子どもに成りすました。
(一番丈の長いショートズボンを借りましたけど、やはり少し恥ずかしいですね)
本当は足首くらいの丈があるズボンにしたかったのだが、それではスカートが翻った瞬間に見えてしまう可能性があった。あの目敏い召使いを欺くためには仕方ないとはいえ素足を晒すのには抵抗を感じるレイチェルは周囲に変な目で見られていないか心配になった。
(姉さまは、こういう恰好をする女性をよく見ると言っていましたけど本当でしょうか?)
レイチェルも母と過ごしていた時はズボンを履いていた事もあるが、あれは子どもの頃である。結婚が出来る年齢の女性が足を露出しているなどはしたないという教育を受けていたレイチェルには今の恰好は裸でいるような恥ずかしさと言っても過言ではない。
そんな心境のレイチェルはなかなか木陰から出ていく勇気が持てずスカートを手に持ったままチラチラと広場の様子を観察する。そして一つの結論に達した。
(確かに丈の短いズボンを履いている女の子はちらほらいますが、みんな私より明らかに年下ですね……。姉さま、騙しましたわね)
ちなみにヴァージニアは別にレイチェルを騙した訳ではない。街を出歩く事が多いヴァージニアには半ズボンは子どもが履く物だという認識が出来ていた。そして、その認識は頭のいいレイチェルも共有出来ていると思いこんでいた。
その思い込みからレイチェルが半ズボンを借りた時にヴァージニアは自然に(レイチェルは子どもに変装するのだ)と思ったのだ。
だからレイチェルが「街には、こういう恰好をした(大人の女性)はいるのですか?」と聞いた時に「外にはこういうズボンを履いた(子ども)は沢山いる」とヴァージニアは答えたのである。
結局、姉妹それぞれ少し言葉が足りなかったから起きてしまったすれ違いなのだが、そんな事を知らないレイチェルは恥ずかしさと悔しさで悶えていた。
そうして五分ほど木の陰で広場の様子を窺っていたレイチェルの目に彼女を追ってきた召使いの姿が映った。だが召使いがズボン姿の女の子には見向きもしないのを見てレイチェルは変装は効果があると確信した。
(恥ずかしがっている場合じゃないですね。私が一人で動き回れるチャンスなんてそんなにないのですから)
覚悟を決めたレイチェルは脱いだスカートを畳んで馬車から持ってきた肩掛けカバンに入れる。そして長い金色の髪を帽子の中に隠すと深呼吸を一つしてから人が溢れかえる広場へ歩み出た。
最初は「何てはしたない恰好をしているんだ」と白い目で見られるかと思ったのだが、すれ違う人は誰も何も気にしていない。やがて何も言われない事に自信を持ったレイチェルは当初の目的を果たすために広場の人ごみを縫うように歩いて神殿を目指して人混みの中を歩き出した。
黒曜神殿に使われている石材は王城に使われている物と同じであり柱や壁には大地神の恵みを意味する様々な植物が細緻に彫り込まれている。既に存在していた他の神殿に比べ圧倒的にお金と労力が掛かりオーガスタ王家からの支援を受けている事から『第二の王城』とも言われる。晩年のレオン王は完成したばかりの神殿を自慢する目的で他国の要人と会談をしたという逸話もある。
(聖女の遺産を渡すことが出来なかったから、レオン王はこの豪勢な神殿を寄贈したのでしょうか?)
そう思うと神聖な存在であるはずの神殿も俗な物に見えてきてしまう。
だが多くの人はそんな神殿の成り立ちの秘密など関係なく救いと祝福を求めて神殿に入り、中に安置されている『聖石』に祈りを捧げている。
(エレン様は聖石は周囲のマナや魔力を吸い取っていると考えておられるようですが、少なくとも神殿から出てくる人に異常は見られませんね。まぁ、神殿に行った全員が体調不良になっていたら大問題になっているでしょうけど)
ヴァージニアやエレンのように聖石を直接見れればいいのだが、さすがにそんなチャンスはそうそうない。
(何年かに一度、聖石を公開する日があるそうですが、それに期待するしかないでしょうか)
そんな事を考えながら神殿へ入る人が並ぶ列の最後尾を探していると、黒曜教の修道女と青年が話しているのが目に入った。
「んじゃあ、建国祭の日に聖石は見られねぇのか? せっかく楽しみにしてきたのにそりゃねえよ」
「申し訳ありません。現在、聖石に穢れが現れたため浄化をしている最中なのです。なにとぞご理解くださいませ」
そう言うと中年の修道女が深々と頭を下げた。青年の方もこれ以上問答をしても無意味だと悟ったのか不貞腐れた顔をして地面を蹴ると広場の方へ大股で歩いて行ってしまった。
どこかで黒曜教の関係者に会えないかと思っていたレイチェルはこの機を逃さず修道女に近づき話しかけた。
「あの、少しいいですか?」
「え? ええ、もちろんです。何かお困りでしょうか?」
近づいてきたのが男の子だと思っていた修道女はレイチェルの可愛らしい声を聞いて少し驚いた表情をみせた。だが修道女はすぐにレイチェルに優しく微笑んだ。
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