近づく祭りと不穏な噂 5

 ややあってルルニアが神妙な顔をして、緊張しているヴァージニアに尋ねた。


 「アンタの質問に答える前に、まずこちらの質問に答えてもらっていいかい? アンタ、何が目的で五百年前の事を調べているんだい?」


 「えっ、えっと……」


 まさか理由を聞かれるとは思っていなかったヴァージニアは言葉を濁し、ルルニアの質問にどう答えるか脳をフル稼働し考える。


 (正直に答えるのはダメ。学校の宿題は無理がありますね。趣味って言ったら今度は興味を持った理由を聞かれそうです。なら一番怪しまれない言い訳は……)


 「私はある方に短い期間でしたが教えを受けていたのです。その方は休憩の合間に虹の聖女に関してとても面白い話をしてくださいました。ですが理由がありましてその先生にお目にかかる事が出来なくなりました。それで自分で教えていただいたことを調べてみようと思ったのです」


 「まさかその先生ってエドワード・オースマーって人じゃないよな?」


 ジュストの言葉にヴァージニアは驚き、ルルニアは顔をしかめた。


 「こっちが話している時に余計な口を挟むんじゃないよ!」


 「はあ? あのな、婆さん。依頼料は俺が払ってんだ。言ってみれば俺も依頼主なんだぞ」


 「こっちはまだ受けるとは言っておらんわ、小僧! 偉そうな口は一人前になってから言いな!」


 「なんだと、このくそババア!」


 「喧嘩は止めてください!」


 バンッとカウンターを叩きヴァージニアは立ち上がると二人に頭を下げた。


 「ご迷惑をおかけしました。本は自分で探して見ますから喧嘩はしないでください。それでは失礼します」


 「ちょっとお待ち。嫌な思いをさせて悪かったね。ただこんなのは喧嘩じゃない。ただの冒険者の日常さ」


 ルルニアの言葉にジュストも頷きヴァージニアに謝った。


 「悪い悪い。つい仲間と馬鹿やってる時みたいな感覚になっちまった。婆さんの言う通り喧嘩じゃないんだ。で、婆さん、ジニーの依頼を受けるのか?」


 「そうだね。ただ受ける前にアタシは注意をしておきたかったのさ。少し前にエドワード先生絡みで面倒なことになったからねぇ」


 ルルニアの言葉が気になりヴァージニアはもう一度カウンター席に座る。隣のジュストもさっきまでの悪ガキのような顔ではなく冒険者の顔となり話を待った。


 「さっきのアンタの顔を見るとエドワード・オースマー先生の事は知っている様だね。なら知っているとは思うがあの人は歴史研究の為にオーガスタや周辺国の遺跡になんども足を運んで調査をしていたんだ。そしてその護衛を冒険者ギルドで雇っていたのさ。そこの坊主も何度か護衛として雇われていた。そうだろ?」


 「ああ。まぁ、あまり実入りのいい仕事じゃなかったが、身元がしっかりしているし支払いはちゃんとしてくれる。何より俺らみたいな冒険者を見下す事もなく古代遺跡の事を色々教えてくれたりもした良い人だったよ」


 「貴族の中には冒険者を見下して支払いを渋ったりするのも多いからね。その点じゃエドワード先生はいい依頼者だったよ。だけどある日、黒曜教に盗みの罪で告発されて行方をくらませちまったのさ」


 「あの小心者の先生が盗み、それも泣く子も黙る黒曜教相手にやるなんて思えないけどな」


 ヴァージニアはさも初めて聞いたかのような顔をしつつエドワードの事を思い出していた。と言っても会ったのは片手で数えられるほど。会話をしたのも一回だけでそれも数分程度。食事に出た僅かな酒で酔っ払ったエドワードの食卓での独演会をただ傾聴していただけだ。それでもリーザやエレンの口から語られたエドワードの人となりとジュスト達のソレは全く相違なく感じられた。


 「ただ問題なのはその後の黒曜教会の行動さね」


 「ああ、やたらエドワードがどこを調べていたかとか聞いて回っていたよな。やっぱり噂通り先生は黒曜教会にハメられたのかねぇ?」


 「冒険者ギルドは黒曜教会にも色々世話になってるんだ。滅多な事を言うんじゃないよ。ただ普段は世俗に興味ないって顔をしている黒曜教会が表立って動きを見せた。しかも話によると先生が最近調査に行った遺跡に人を向かわせてたそうだよ」


 「そういや新人が魔獣退治を兼ねて遺跡に行ったけど変な連中に追い返されたって言ってたな。まさか、それがそうなのか?」


 ジュストの問いにルルニアは答えずヴァージニアを見据える。その目は全てを見通すように鋭くヴァージニアは緊張で喉の渇きを覚えた。だが極度の緊張で腕が思うように動かずコップに手を伸ばすことが出来ずにいた。


 「さて、これで何でアタシがアンタに五百年前の事を調べているのか聞いた理由が分かっただろう? エドワード先生が何をしたかは知らないが、そのせいで黒曜教会はかなり神経質になっている。もしアンタが興味本位で先生の真似事をするつもりなら止めたほうがいい。少なくとももう少し間を置いてから動くことをアタシは勧めるよ」


 「けどよ、子どもがやっている事にまで黒曜教会が首を突っ込んでくるか?」


 「普通ならないと言える。けれど最近の黒曜教会は普通じゃない。噂じゃ北にある大神殿に常駐している『黒曜騎士団』から何人かオーガスタに呼び寄せたって話もある。とにかく今はどんなことでも刺激しない方が身のためだよ」


 (ひょっとして昨日学校に来た人たちがその黒曜騎士団の人たちだったのかな。だとするとルルニアさんの言う通り諦めた方がいいのかもしれません。でも!)


 ルルニアが善意から警告してくれたのは理解している。最初はレイチェルにまるめ込まれて始めた調査は今ではヴァージニアにとっても大切な使命クエストになっていた。だからヴァージニアはまっすぐにルルニアの目を見て答えた。


 「心配してくださってありがとうございます。ですが私はどうしても虹の聖女や黒の災厄の事を調べたいのです。ですから、何かご存知でしたら教えてくださいませんか?」


 ヴァージニアは自分の名を偽っている事や事情を話せない事に申し訳ないと思いながら、今の自分のありったけの思いを目に込めた。

 果たして、それをルルニアがどう受け取ったのかは分からない。けれども彼女は諦めたような顔をして「ちょっとお待ち」と言い裏の部屋に引っ込んでしまった。

 三分も経たずに帰ってきたルルニアの皺だらけの手には一冊の大きなスケッチブックがあった。彼女はそれをカウンターの上に置きヴァージニアに差し出した。それを見ていたジュストが「あっ!」と驚いた。


 「おい、婆さん! それエドワード先生のスケッチブックじゃねえか! なんでアンタがこんなの持ってるんだよ!?」


 「大きな声を出すんじゃないよ、バカタレ! これは先生が最後にここに来た時に忘れて行ったのさ。忘れ物をどう扱おうがアタシの勝手だろ」


 「そりゃそうかも知れねーけどさ……」


 ルルニアの言葉にジュストは苦笑いした。


 「でも忘れてったのは、あの調査が終わった後の打ち上げパーティーの時か。酒に弱い先生が珍しく浴びるように酒を飲んで酔い潰れてたな」


 エドワード失踪の一月ほど前の話である。

 オーガスタの東に新しい古代遺跡が見つかったという知らせを聞きつけたエドワードは四人の冒険者パーティーを雇って調査に出発した。雇われた冒険者の話では金目の物は全て先に見つけた冒険者に持って行かれていたがエドワードはそれを気にするでもなく嬉々として壁画を書き写していたという。

 調査自体はつつがなく終了し道中に野獣に襲われかけた程度で何の危険もなく彼らは王都へ帰ってきた。

 そして数日後、ひどく上機嫌でこのギルド本部に訪れたエドワードはこの店で今まで協力してくれた冒険者たちにお礼を兼ねたパーティを開きたいと言ってきた。

 娘のエレンが第二王子の婚約者とは言えオースマー家が裕福であった訳ではない。それなのにエドワードはそんなパーティを開いたのは調査が大きな成果を挙げたからなのは明白だった。そのパーティには彼の希望通り今までに護衛を引き受けた者たちが多く呼ばれ、ジュストもその一人であった。


 「俺もよく遺跡で古代文字の写しを書き取る作業とかやらされたなあ。けどあの先生がよくあんな大きなパーティなんて開けたよな」


 「アタシの予想じゃコツコツ溜めていた冒険者を雇う金をパーッと使いきったと思うよ。それはつまりもう調査に行かないつもりだったのか、それとも誰か援助してくれる人でも見つけたのかもしれない。ただ一つ言えるのはあの日のエドワード先生は人生の絶頂にあったことさ。自分の足元に落とし穴があるのにも気付かずに、ね」


 ルルニアは自分のコップに注いだ水をやりきれない思いと共に飲み込み、改めてヴァージニアに挑発的な視線を送る。


 「アンタが先生の知り合いってんなら奥様やお嬢さんの事も知っているんだろう? ならこれを届けてから中を見せてもらったらどうだい。もちろん、持ち逃げしても構わないがね」


 「このスケッチブックは責任を持ってエレンちゃ……エレン様に届けさせていただきます」


 「そうしておくれ。奥様たちによろしく言っておいてほしい」


 そういってルルニアはヴァージニアに手を差し出す。ヴァージニアはその手を握り返し「わかりました」と言いジュストにも頭を下げた。


 「ジュストさんも色々ありがとうございました! 私は早速エドワード先生の家に行ってきます」


 「ああ、頑張ってくれよ。もし困った事があったらいつでもここか大通りの支部に来てくれ。ただし今度は自分で依頼料を用意してな」


 悪戯っぽく笑うジュストに「はい」と元気よく返事をしてヴァージニアはもう一度二人に「ありがとうございました!」と丁寧に頭を下げて勢いよく外へ飛び出していった。


 ―――

 「けど珍しいよな。普段は素人が危ない事をやろうとすると殴ってでも止める婆さんがあの子を止めないなんてよ」


 「ふん、お前も用は済んだろう。さっさとスラム街の見回りに戻りな」


 「へいへい。んじゃな、婆さん」


 出された水を飲み干すとジュストも手をヒラヒラと振って外へ出ていく。

 一人残されたルルニアはさっきヴァージニアと握手した手を見つめていた。


 (ジニー・ウォルコット。魔力の無い『無能者』。あの立ち振る舞いは貴族の出で間違いないだろう。そしてヴァージニアの愛称はジニー。あの子はウルフェン家の、エリスの孫に違いない)


 あの握手は単に別れの挨拶をするためではなく、ジニーと名乗る少女の魔力を探知するためだった。その結果は彼女には全く魔力が無い事が分かった。

 魔力至上主義のオーガスタの貴族社会で『無能者』でありながら貴族の子女としての身分を持っているのはルルニアの知る限りただ一人しかいない。


 (ヴァージニア・ウルフェン。エリス、あんたはこの事を予知していたというのかい?)


 遠い目をしたルルニアの意識は六十年前のこの場所に飛んだ。


 まだ結婚もしていない娘時代。ジュストが座っていた場所に若い頃のルルニアが座って粗末な朝飯を胃に放り込んでいた。

 そこに二階にある部屋から一人の若い女性がゆっくり階段を降りてきた。寝癖のついた栗色の長い髪に若草色の瞳をもつヴァージニアと瓜二つの少女はルルニアの姿を見ると顔をほころばせ隣の席、ちょうどヴァージニアが座っていた場所に座った。


 「随分と遅いお目覚めだな。お前ももうガキじゃないんだから身だしなみ位自分で整えろよな、エリス」


 「そんなの後でいいの! それより聞いてよ、ルルニア。私ね、すごい夢見ちゃったの!」


 「ま~た世界が滅ぶ夢か? いい加減にくだらない事言ってんなよな」


 「違うの! 今日の夢は素敵な夢だったわ。ふふふ」


 「人の顔見て不気味に笑ってんじゃねえよ」


 「ごめんね。だって夢の中でのルルニアはお婆さんになっていたんだもの」


 「はあ?」


 「お婆さんになったルルニアはカウンターの向こうに居て向かい合うように座っているのがね……なんと私そっくりの女の子なの!」


 「なんだ、そりゃ?」


 「きっとあの子は私の娘、ううん、ルルニアの年齢を考えたら孫かもしれないわ。もし私の孫がここに来たらその時は助けてあげてね」


 「いつまでも寝ぼけているじゃねえよ。ほら、さっさと顔を洗ってこい!」


 「は~い」

 

 それは埋もれていた記憶だった。

 しかしジニーの顔を見た瞬間、あの時にエリスとの会話を思い出したのだ。


 「……まったく。あんたには敵わないね、エリス。あの子は本当にアンタにそっくりだったよ。喋り方も立ち振る舞いも笑い方も何もかもね。自分の膨大な魔力を嫌っていたアンタの孫が全く魔力を持たない。これもアンタには見えていたのかい、エリス?」


 ルルニアはかつての親友に語り掛け酒瓶を掴みグラスに注ぐ。

 今日だけは昔に浸りたい。その衝動にルルニアは従う事にした。

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