ウルフェン家と学校の一幕 4

 ヴァージニアは図書館で虹の聖女に関する書物を探すという予定が狂ってしまった事に落胆していた。

 エレンから何冊か本は借りていたが、どれも内容が薄くエレンも「大して役に立たないかも」と言っていた。実際に明らかに子ども向けの絵本に近く作家の創作した話が描いてある程度のものだった。


 『お父様の資料も黒曜教会にほとんど押収されたのよ。私の方でも探してみるけどジニーたちも探しておいてくれないかしら?』


 だから例え望み薄でも学校の図書館で蔵書を調べてみようと思ったのだが、それも出来なくなってしまった。


 (仕方ない。一旦家に帰ってからレイチェルに相談しましょう。エレンちゃんから聞いた話も伝えないといけませんしね)


 恐らくレイチェルはもう屋敷に帰ってヴァージニアの帰りを首を長くして待っているに違いない。屋敷の部屋でちょこんと座って自分の帰りを待つレイチェルを想像するとヴァージニアもレイチェルの顔を無性に見たくなってきた。


 (よし、急いで帰りましょう! でもその前に……)


 昨日は学校からエレンの家へ直行したため勉強道具をほとんど学校の錠付きの棚に入れたままだった。それを回収するためにヴァージニアは忍び足で校舎に入っていく。


 まだ陽が高いのに誰もいない校舎内を歩くのは不思議な感覚だった。教室、廊下、中庭、どこからも物音ひとつせず耳をすませば遠く離れた大通りの喧騒が聞こえてきそうだった。


 (本当に誰もいないのでしょうか? いや、そんな訳ないですよね。調査に人を呼ぶなら誰か残っていなきゃ駄目でしょうし)


 階段を昇った二階にある生徒の更衣室に辿り着いたヴァージニアは棚からカバンに荷物を移して部屋を出る。相変わらず廊下には誰もいない。これなら見咎められることなく帰れそうだと安堵したヴァージニアは忍び足ではなく普通に歩くことにした。


 (さてと、私も帰りましょう! でも少し大通りの様子を見てからでも……いえ、きっとレイチェルが待っているはずです! すぐに帰り……ん?)


 誘惑を断ち切り出口に向かおうとしたヴァージニアの耳に何か音が聞こえた。どうも近くの部屋からゴソゴソと何かが動いているような音がしているようだ。


 (ああ、なるほど。既に調査の人が来ていたんですね。それなら誰もいないのも納得です!)


 おそらく校内の職員全員が邪魔にならないようにどこか一か所に固まっているのだろう。とすれば、ここで見つかると怒られてしまうと考えヴァージニアはまた忍び足で歩き出す。

 もう少しで階段に辿り着くと言う所で人の気配がした教室から重い物が倒れたような音がした。最初に柔らかい物が地面に落ちた音、次いで固い物が落ちた物音が無人の廊下を振動させるほど響いた。


 (な、なんでしょう、今の音?)


 飛び上がるほど驚いたヴァージニアは音がした方へ振り返る。

 経験から、後に聞こえた音は机が倒れた音と判ったが、続いて起こるはずの机の位置を直す音が一向に聞こえてこないのが不安を煽る。

 無視して立ち去るのが賢明だと分かっているが好奇心とお節介な性格がヴァージニアの足を音がした部屋の前へ戻らせた。

 その部屋は最上級生の更衣室だった。戸に耳をつけるが中からは物音はしない。


 (事故、それとも誰かが盗みに入った!? 人を呼んでくるべきでしょうか? いえ、まずは中の確認です!)


 特に問題なければ謝ればいいと覚悟を決めヴァージニアはスライド式の戸をゆっくりと開いていく。

 いきなり入る事はせず小さく開いた隙間から中を覗くと部屋の中央にあるテーブルが横倒しになり椅子もひっくり返っている。その椅子の影に女性のものと思われる足が見えた。


 「だ、大丈夫ですか!?」


 ただならぬ様子に慌てて部屋に駆け込んだヴァージニアはうつ伏せに倒れている女性を仰向けにして顔を見る。その顔に見憶えがあったが名前が出てこない。それも当然で女性は魔術学の先生でヴァージニアと接点が全くなかったからだ。


 「先生? 先生、大丈夫ですか!?」

 

 ひどく顔色が悪い先生の肩を揺するが「うう……」と苦しそうなうめき声を漏らすだけで目を覚ます気配はない。


 「どうしましょう!? とにかく人を呼んでこなきゃ!」


 ヴァージニアは「すぐに戻ります!」と倒れている先生に声を掛け廊下に飛び出した。そのままの勢いで普段は絶対にしないし出来ない三段飛ばしで階段を駆け下りヴ医務室を目指す。

 簡単な傷は生徒でも魔術で簡単に治せるので、医務室は骨折や急病など高度な回復魔術を必要とする場合にのみ使われる。ただこの女学校でそんな大怪我をする生徒はまずいない。そのため医務室の場所はうろ覚えだったが幸い階段を降りてすぐの場所にその部屋はあった。


 「先生、います……か?」


 ヴァージニアも学校内で怪我や病気をした事がないので初めて医務室に入ったのだが、その部屋の異様さにはすぐに気が付いた。

 部屋の天井を覆うように黒いモヤが広がり、その下では医務室の先生がぐったりとしていたのだ。


 「先生!?」


 いかにも怪しげなモヤに気を付けながらヴァージニアは背を屈めて倒れている先生に近づく。火事では煙が出た時は頭を下げて行動するとエレンから聞いたからの行動だった。だがそのせいでモヤの一部が触手のように伸びて近づいているのに気付くのが遅れてしまった。そしてモヤで作られた触手がヴァージニアの体を貫いた。


 「ぐっ、あ……」


 実体のないモヤは体を傷つけることは無かったが、体中の力がごっそりと奪われる感覚がしてヴァージニアは床に膝をついた。体の奥底にある生きる為の必要な物全てが奪われる感覚に耐え切れずヴァージニアの意識が遠くなる。


 (ああ、このまま死ぬのかな)


 だがその時、ヴァージニアが身に着けていたペンダントが今までに見せた事のない強い輝きを発した。それはまるでヴァージニアを励ますように、そして黒いモヤに対して戦意を示すかのように。

 そしてペンダントの内に眠る強大な力は惜しみなくヴァージニアの体の注ぎ込まれ失った物を補充、いやそれ以上の物を与える。

 ヴァージニアを貫いていたモヤが黄金の炎に包まれあっという間に浄化された。危険を感じたモヤは天井を沿って廊下に逃げようとするが――。


 「逃がしません!」


 常人を越えた身体能力を得たヴァージニアが天井ギリギリまでジャンプしモヤに平手打ちを見舞う。だが実体のない相手にヴァージニアの攻撃はすり抜けてしまう。しかしそれでもヴァージニアは会心の笑みを浮かべた。

 確かにヴァージニアの手はすり抜けてしまったがそこに込められたエネルギーは余すことなくモヤに伝わっていた。

 

 「~~~~~~~~!」


 ペンダントの力と接触したモヤが耳障りな甲高い音を発しながら蒸発していく。

 そして最後の瞬間、ヴァージニアの目に何か小さな欠片が砕け散ったのが見えた。


 (……黒い、石?)

 

 不思議な出来事にしばし呆然とするヴァージニアの耳に廊下から雷鳴のような大声が飛び込んで来た。


 「失礼! 我々は黒曜教会から派遣されてきた者だ! どなたかおられないか!?」


 「隊長、ここに誰か倒れています!」


 「手遅れだったか! 各員散開して対象物を回収せよ! ただし決して一人で行動するな! 相手はどのような姿をしているか分からん! 決して油断はするな!」


 リーダー格の男の声に数人の男女が「はい!」と答え校舎内に靴音と僅かな金属音が静寂を破り突入して来た。


 (黒曜教会の人がなんでここに?)


 確かにこの学校にも黒曜教徒は在籍している。だがそんな理由で黒曜教が表立って出てくることは無い。

 オーガスタ国内では国教として手厚く保護を受けている黒曜教はその特権ゆえにあまり目立つことをして他の精霊神信仰者と諍いを起こすのを避けてきた歴史がある。その黒曜教が単独で調査に現れたのはかなり異様な出来事だった。


 (黒曜教に注意しろってエレンちゃんも言っていました。なら、ここはすぐに逃げた方がいいでしょうね)


 身体調査などされてペンダントを取り上げられでもしたら一大事である。そう判断したヴァージニアはペンダントの力を引き出した状態を維持したままそっと医務室の窓を開け静かに外へ出る。

 姿勢を低くしたまま敷地内に生えている木の影に素早く移動して、そこから校舎を見ると窓越しに廊下を走り回る黒い服や鎧を着た黒曜教徒たちの姿が見えた。


 (先生たち大丈夫でしょうか? とにかく今日は早く家に帰りましょう)


 一刻も早くレイチェルと話した方がいいと考えたヴァージニアは自分の背の倍近い高さの塀を簡単に飛び越えると何食わぬ顔で他校の生徒たちに混じり学校から離れた。

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