ウルフェン家と学校の一幕  3

 ヴァージニアは部屋に置いたカバンから剣や巻物などの貴重品を急いで部屋の隠し金庫に入れる。以前にヴァージニアの部屋で服やお金が盗まれた事があるため魔力の泉で見つけた物は全てレイチェルの部屋に隠すことに決めていたのだ。

 準備を終えるとヴァージニアは涙を誤魔化すために顔を洗い屋敷を出た。

 

 「うわぁ、今日も色々な人がいるなぁ……ってだめだめ。早く学校に行かないと」


 ヴァージニアは賑やかな大通りに後ろ髪を引かれながら『学生街』に入っていく。

 学生街は王都の北西、王城に寄り添うようにある一角だ。

 ヴァージニアが通う貴族の子女を教育する女学校、軍人の道を志す若者が通う軍学校や騎士学校、研究者と技術者の面を併せ持つ魔術士を育てる魔術学校など比較的裕福な家庭の子が通う歴史ある名門校が連なる地区である。

 普段、日中は静かな場所であるが、今日は通りに何人も大きな荷物を持った他校の生徒とすれ違う。学校によっては建国祭に合わせて校内を開放して店や出し物を披露する所もあるのでその準備に勤しむ生徒たちが楽しそうに歩いている。

 ヴァージニアが通う学校は建国祭の日は休みになるが特別何かをすることは無い。毎年のように生徒たちから他校のようなイベントを開催すべきと意見が出されるのだが格式を重んじる先生たちは首を縦に振ってくれない。そのせいで段々と時代に置いて行かれつつあり生徒数も後発のライバル校に取られている。

 ヴァージニアはどちらでもいいという立場であり建国を祝う三日間の祭りは例年通り一人で遊び回る気満々であった。


 (去年の騎士学校のトーナメント戦は面白かったですし、大通りや商人街もじっくり見て回りたいです。ふふっ、貯めておいたお小遣いを使って遊びますよ~!)


 祭りの雰囲気に重い心も少しずつ解きほぐされヴァージニアは近づく祭りの日に思いを馳せ足取りも軽く学校への道を進んでいく。


 ヴァージニアが学生街のほぼ中心にある女学校に付くといつもは閉まっている門がなぜか少し開いていた。

 守衛の詰め所に声を掛けるも誰もそこに居なかったので仕方なくヴァージニアは無断で中に入り小走りで校舎を目指す。

 古めかしい校舎の玄関を通り教室へ急ごうとするヴァージニアだったが後ろからした女の子の声に呼び止められ振り向いた。


 「こんな時間から授業に出るとは随分と良い御身分ですわね。ヴァージニア・ウルフェン?」

 

 呼び止めたのはヴァージニアの同級生であるシーシェル・リヴェイだった。

 現財務大臣の次女であり、彼女の姉はオーガスタ黒王国の第一王子シオン・ヴァン・オーガスタの妻、つまり未来の王妃である。

 歴史ある貴族の子女に相応しい気品を湛えたシーシェルが歩くと彼女の水色の長い髪と服の上からでも分かるほどのボリュームのある胸が揺れる。


 (うわ~、いつ見てもすごい揺れです……。年は同じはずなのに何でこんなに差が出るんでしょうか?)


 自分の年相応の胸と比べて少し落ち込むヴァージニア。勘のいいシーシェルはすぐにヴァージニアの考えている事を察してさっと胸を腕で隠して目を険しくする。


 「ちょっと、いやらしい目で見ないで頂戴!」


 「ええ!? 羨ましいとは思いましたけどいやらしくは見てない……」


 「そんな事はどうでもいいんです! それより今日はもう教室に行っても無意味ですわよ?」


 「どういう意味です?」


 今日は半日で学校が終わる話は聞いていない。もしかして聞き逃したのかと思いヴァージニアはシーシェルに尋ねる。また呆れられるかと思ったがシーシェルは血色のいい頬に手をあてて心配そうな表情をして昼頃にあった出来事を語った。


 「午後の授業を担当されていた先生が倒れられたのよ。しかも倒れた際に頭をぶつけられて怪我をしてしまったの」


 「ええ!? それで怪我の具合は?」


 「すぐに他の先生が回復魔術を使われたから問題なかったですわ。けれど酷く衰弱していて今日はもう帰られました」


 「……あれ、でもそういう事情なら代行の先生が来られたり自習時間になったりするのではないですか?」


 「そうですわね。ただ他にも体調不良で倒れたり気分が悪くなった人が先生、生徒を問わずに学校中にでてしまいましたの。それで流行り病の可能性も考え午後の授業は中止。原因が究明されるまで学校も休みとなったのです」


 シーシェルは流行り病の可能性だけを挙げたが実際は呪術などを用いた学校に対する攻撃も考慮しての処置だった。

 この学校には名門貴族の子女たちが集まっている。その中の誰かを、あるいはまとめて殺そうとする可能性は決して少なくない。

 過去にも婚約絡みのトラブルで呪いを用いるという事件があり学校側はそれを危惧していた。そして物事を便に済ませるために学校を休みにし生徒を遠ざけたのである。

 シーシェルは学校側の思惑を見抜いていたが、ヴァージニアの方は思いもよらない展開に呆然となっていて、それどころではなかった。


 「そういう訳ですのであなたも早く帰りなさい。間もなく校門も閉められます」


 「うう、せっかく来たのに~。あの、少し図書館に寄ってはダメでしょうか?」


 「ダメに決まっているでしょう! ……そう言えばあなた最近やけに図書館に通ってますわね。まるであの本の虫みたいに」


シーシェルの言う本の虫とはエレンの事である。

シーシェルとエレン、この二人は学校を代表するほどの才媛ではあるのだが非常に仲が悪い事で有名だった。

シーシェルは「貴族の子女たるもの家に為に尽くす」という昔ながらのオーガスタ貴族の考え方をしている。そんな彼女が社交界にも出ず自分の趣味に没頭しているエレンに好感を持てるわけがない。

 特に第一王子の妃として常に努力し周りから認められようとしている姉を持つシーシェルからすれば周囲に溶け込もうという努力をしないエレンの態度は許せないものであった。

 もちろん互いに立場があるため面と向かって罵り合うようなことは一度もしなかったが、それでも二人の間には常にピリピリとした空気が流れ続けていた。

 そんな貴族の価値観を大事にするシーシェルだが不思議とヴァージニアに対して差別的な態度を取ることは一度もなかった。と言っても決して友好的という訳ではなく、たまに挨拶をするくらいの間柄だった。

 しかしエレンの休学以降シーシェルがヴァージニアに話しかける事が増え、その理由が分からないヴァージニアは不思議に思っていた。それにエレンの事を口にするときも以前より刺々しさが無くなっている気がしていた。


 「エレンちゃんみたい? そんな照れちゃいますよ~」


 「褒めていません! そんなに本が借りたいのならエレン・オースマーに借りればいいでしょう?」


 「あっ、エレンちゃんにはもう借りたんです。実は昨日エレンちゃんの家にお泊りしたんです。とっても元気でしたよ!」


 「……あら、そうですの。それより分かったのなら早く帰って勉強しなさい。魔術は仕方ないにしても他の事は皆と同じ条件なのですから大目に見てもらえることはありませんのよ?」


 「そ、そうですね。それではさようなら……じゃなくて、ごきげんよう、シーシェルさん」


 胸に右手を当てて軽く左足を引き腰を落とす貴族の挨拶の作法をしてみせるヴァージニアにシーシェルは遥かに洗練された同じ挨拶をしてみせた。


 「ええ、ごきげんよう、ヴァージニアさん。あなたも貴族なのですから、もう少し礼儀作法は頑張りなさい」


 「は、はい!」


 そう言い残しシーシェルは玄関から外へ出ていった。ヴァージニアは気づかなかったがエレンが元気だと聞いてから少しシーシェルの表情は明るくなっていた。


 「私はちゃんと約束を果たします。だからあなたも早く帰ってきなさい、エレンさん」


 そう呟いてシーシェルはエレンが学校に休学を申し出た日の事を思い出す。

――

 「ヴァージニアの事、お願いするわ」


 そう言ってエレンは入学以来一度もまともに相手をしてこなかったシーシェルに深々と頭を下げた。


 「待ちなさい。なぜあなたがあの子にそこまでする必要があるのです?」


 陰口や嫌がらせなど誇り高い貴族がする事ではない。それは子どもの理想論だというのは百も承知しているが、それでもシーシェルは自分の理想を守りそのような行いをした事はなかった。

 だが、それでも貴族には貴族に相応しい交友関係を持つべきだと考えていた。

 だからエレンが将来性のないヴァージニアの為に頭を下げるのが本気で理解が出来なかった。しかもそれを今まで嫌いあっていた自分に、である。


 「友達だから。それだけじゃ不満かしら?」


 「不満ね。あの子にそれだけの価値があるというのですか?」


 「……私はね、自分の事を不幸だと思っていた」


 「あなたが? フレデリック王子の妃に迎えられるのに何が不満だと言うの!?」


 「フレデリックは好きよ。彼も私に好意を持ってくれていると信じている。けどね、じゃあもし私が魔力を全く持ってなかったらあの人は私を好きになってくれたかしら?」

 

 それは魔力至上主義のオーガスタ貴族に生まれた者が誰もが持つ悩みだろう。シーシェルも幼い頃からそうした魔力至上主義に振り回されてきたしオーガスタ黒王国の貴族子女は大なり小なり誰もがそうであろう。

 だが魔力を多く持って生まれた者は労せずに多くの物を手に入れられるのもオーガスタ黒王国だ。

 だからシーシェルはエレンもそうだと思っていた。人と接しようとしないのも内心で他人を見下しているのだと思っていた。ヴァージニアに関してもきっとペット感覚で手懐けているのだと思い込んでいた。


 「私の魔力が類を見ない程高いと知った、位の高い貴族が何度も私を買い取ろうとしたわ。買い取るどころか誘拐されそうになったことも何度もあった。そのせいで私はずっと家に籠って生きてきたの。そんな環境から抜け出せたのはフレデリックと婚約できたから。でも祝福しに来てくれた人は皆こう言ったわ。『お子様が楽しみですね』って。ええ、そうよ。誰も彼も私をただの『魔力の高い娘』『将来価値のある子供産む存在』としか見てくれなかった。だから私は人が苦手になって誰とも話そうとしなかった。あなたに言わせれば妃にあるまじき考えでしょうね」


 エレンの言う事を甘えと断じるのは簡単だろう。だがシーシェルにはその辛さがよく分かってしまった。


 『お前がもう少し早く生まれてくれれば、もっと楽にシオン様と婚姻を結べたのにな!』


 姉より魔力の高いシーシェルに父親がそう言い放った時に怒りを覚えた。家の為に人生を賭けて妃の座を勝ち取った姉の努力を見ようともしない父が腹立たしかった。そして結局自分もまた魔力の高さだけしか見られていない事に悲しくなったのを思い出し目を伏せた。

 

 そんなシーシェルにエレンは語り続ける。


 「でもジニーは違った。私は最初ジニーを憐れんでいたわ。そして境遇は全く違うけれど自由に生きる事は出来ない者同士だと思っていた。でも違った。あの子は自分の境遇や運命を受け入れて、それでもいつも笑って自分に出来る事を探し続けていた。そうやって自分の存在を認めてもらえるように頑張っている子なの。人より遥かに恵まれているくせに嘆くばかりで何もしようとしなかった私と違って、ね」


 「……」


 「あなたは認めてくれないでしょうけど、私が歴史の勉強をしているのはその影響よ。私も自分の力でつかみ取りたいの。親から貰った魔力じゃなく自分の力で!」


 「貴族の子女が求められるのは優秀な子を産む事だけ。それ以外の事なんて誰も求めてはいませんわ!」


 「この国が聖王国だった頃は女性の当主や騎士が多く活躍していたのを知っている? でもいつの頃からか貴族の女性はあなたの言う通りただ子どもを産む事だけを期待される存在になってしまった。私はそれを変えたいのよ」


 「そ、そんな事……!」


 出来る訳がないと出来たらいいという、二つの気持ちが同時に湧きおこりシーシェルは二の句が継げなかった。


 「話が逸れちゃったわね。ジニーは私の目を覚ましてくれた恩人なの。これがあなたに頭を下げた理由よ。もちろん特別に配慮しろなんて言っている訳じゃないわ。ただほんの少し見守ってくれていればいいから」


 「どうして私なのですか?」


 「あなたが自分にも他人にも厳しい人だからよ」


 「……わかりました。あなたが帰ってくるまでその役目を引き受けますわ。ただし見守るだけです。不必要な事に手出しする事はしませんから」


 「ええ、それでいいわ。ありがとう、シーシェルさん」


――

 校門近くで待たせていた馬車に乗り込みシーシェルは空を見上げる。


 「はぁ、まさかこんなに手がかかる子とは思いませんでしたわ」


 「お嬢様、どうかなさいましたか?」


 「いえ、なんでもありませんわ」


 何か粗相があったのかと焦っている御者に声を掛けヴァージニアを待ち疲れたシーシェルはそっと目を閉じた。遠くから聞こえる人の喧騒を聞きながらシーシェルは空いてしまった明日の予定を考えながら窓を見ていると黒い馬車がすれ違い彼女が来た方向へ走り去っていった。

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