動き出すモノたち 2
人工的に作られた洞窟の中にある広場。その中央で背中にコウモリに似た黒い翼と頭にねじれた二本一対の角を持つ半裸の若い女性が壇上にいる人物に平伏していた。
その女性を見下ろしているのは石造りの玉座に座っている様々な宝石のアクセサリーを身に着けた老齢の女性だった。平伏した女性とほぼ同じ特徴を持っているが彼女の背にある翼は戦いによる傷のせいか皮膜が破れ痛々しい姿を晒している。だが彼女の持つ威圧感はそんな肉体のハンデをまるで感じさせない。
そして若い女性を囲むように広場の壁に沿うようにやはり同じ特徴を持つ五人が質素な貫頭衣に身を包み固唾をのんで成り行きを見守っている。
「では何か? お前は異常があったことに気付いていながら数か月もの間、誰に報告もせずに放置しておったと、そう言うのか?」
玉座の老女が静かに体を震わせ平伏している女性に静かに尋ねる。しかし手が置かれている玉座のひじ掛けがミシミシと音を立てているのを聞けば老女の心情がどのようなものかは容易に想像が出来る。
「も、申し訳ありません!」
「申し訳ないで済むかぁっ!」
バキッと言う音がして石造りのひじ掛けを粉々に握りつぶされた。怒りに任せて老女が立ち上がり、その怒気だけで広場が揺れ天井からパラパラと小石が振ってきた。
このまま老婆が平伏している女性を殺してしまうのではと思われた時、壁側からよく通るのんびりした声が広場に響いた。
「ババ様、どうか落ち着いて下さい。まだ出来て百年も経ってない我らの新たな住居を潰すおつもりですか?」
「黙れ、若造! 誰が口を挟んで良いと言ったか!」
「はて、この場で発言権がないのなら何故我々は呼ばれたのです? 特に用事が無いのなら私は家へ帰って眠りたいのですがよろしいですか?」
壁際で成り行きを見守っていた有翼人の中で、最も若い男が
発言した男の見た目は三十代半ば、髪をオールバックにし黙っていれば精悍そうに見えるのだが、欠伸で目の端に涙を浮かべている姿はただのだらしない男にしか見えない。
「貴様は長老の地位についても変わらんな」
「別に望んでなった訳でもありませんからね。早く甥が成人してくれればと毎朝目が覚める度に思っていますよ。それよりババ様は何をお怒りになっているのです? 朝早く叩き起こさ来てみればこの状況です。一体何があったんですか?」
そんな事も聞いていないのかと玉座の主は呆れ顔をするが、言われてみればまだ誰にも今回の件を説明していなかった事を思い出した。
(そういえば事が事だけに使いの者にも事情は知らせてはおらなんだな。全く年は取りたくない物じゃな)
老女が自分の落ち度を認識した事で先ほどまでの烈火のごとき怒りはひとまず収まった。目の前の女性に対する怒りはまだ燻っているが、今はそれに拘泥している場合ではない。事は大陸の平和に関わる事なのだから。
老婆は乱れた気を整える為に深く深呼吸をすると椅子に深く座り直した。そして、この場にいる全員の顔を改めて順繰りと見渡しと重々しく口を開いた。
「聖女の遺産が盗まれた」
その言葉に若い男を除いた四人が息を呑む。
だが老婆に意見した若い男は今一つ分かっていないようで「それで?」と表情で続きを促している。
「お主、この意味がまるで分かっとらんのか? 我らが長年護ってきた物が盗まれたのじゃぞ!」
「いや、遺産については知っていますよ。私も若い頃に異常がないかって遠見の術で何度も見張りをさせられましたからね。そういえば少し前に置いてあった人間の城から持ち出されたのではなかったでしたか?」
「隠し場所が移っても我らは監視を続けていた。あれが魔の手に渡る事を避け、継承者が現れた時には我らが正しく導くためにな。なのにこの娘は二か月前に異常を感知しながら何も報告をせんかったのじゃ!」
再び怒気を露わにした老婆に女性が「お許しください!」と額を地面に擦り付けるが老女の怒りは収まらない。
「そういえば数日前にババ様にしては珍しく若い者が何人か外へ派遣しましたな。ふむ、それで様子を見に行かせたら仕掛けが動いた形跡があったと?」
「お主はやる気がない癖に頭は回るんじゃな。そう、全てお主の言う通りじゃ。遺産を隠した魔力の泉を管理している者の目を盗み仕掛けを起動し箱を調べて見たら中は空じゃったそうじゃ」
広場に重苦しい沈黙が降りる。
ここにいる者のほとんどが遺産が老婆にとっては特別な思い入れがある大切な物だと知っているからだ。それの行方知れずになったとなれば怒り心頭なのも無理はない。
「なるほど。それでババ様はどうなさるおつもりで?」
「無論捜し出すに決まっとる!」
「ですから、どうやってです? 私は実物を見たことはありませんがアレには追跡魔術が効かなかったのでしょう? そんなものをこの広い大陸の中からどうやって捜すのですか? しかもババ様自らが人間の里に降りるのを禁止しているのに?」
あてもなく探し回るには人数が必要だが、その人手を出すのを老婆自身が禁じている。その男の指摘に老婆は苦虫を嚙み潰したような顔をして唸り残った左側のひじ掛けを握りつぶしてしまった。
「うぐぐ……! ならば貴様ならどうする!?」
「そうですね。掟を廃止してくださるなら可能な限りの人員を下界に降ろすという方法があります。数は力ですからな」
だが口を真一文字に結んだ老婆の顔は明らかにそれを望んではいないので男はすぐに別の意見に切り替える。
「私の案がお気に召さないのならば最小限の人数を下界に降ろし情報が流れてくるのを待つしかないでしょうね」
「ただ待つだけと言うのか」
「下界は広いですからね。少人数で捜すというのなら動き回るより情報を集める方が確実でしょう。異常な力を身に付けた人、あるいは蒼い剣を持つ者の情報が流れてきたら情報を辿り大元へ至るという方法しかないでしょう。ただこれは遺産を見つけた者が手元に置いてくれている場合です。どこかに売り飛ばされていたら……目立つ剣以外は諦めるしかないでしょうね」
「諦めきれる訳があるまい! お前はあの子の遺産、特にペンダントがどれほど重要な意味を持つのか分かっておらんのか!」
「親父からある程度の事は聞き及んでいますよ。ですが今の我らには遺産が正しい心を持つ者に渡っている事を祈り行動するしかありません。他の長老様方に何か考えがおありなら話は別ですが」
今まで話に加わらなかった年老いた四人の長老が一斉に「何もありません」と答え、その顔は明らかに「巻き込まないでくれ」と言っていた。献策して上手くいかなければ今度は自分が今も平伏したままの女性と同じ立場になるかもしれないのだから意見を述べるのを忌避するのも当然だろう。
「いいだろう。貴様の案を詳しく述べてみよ」
「それでは申し上げます。ですがその前に、どなたか最近の下界の地図をお持ちでないでしょうか? 人が作った国は興亡が激しいですからいちいち憶えていられないのですよ」
「誰か東平原地方の新しい地図を持ってこい!」
老婆の命を受けた側仕えが広間を飛び出していく。ややあって真新しい地図を一枚持って帰ってきた。
その間に男は平伏したままだった女性を老婆の許しを得て立たせると広場の隅に立たせ自分が着てきた上着を貸し与えた。そして戻る途中で近くにあったテーブルを担ぎ老婆の近くで下ろす。
それが終わると同時に側仕えが真新しい地図を持って広場に戻ってきた。
「遺産の調査に行かせた者が買ってきた物だ」
「ほほう、その者は中々いい仕事をしてくれましたね。ふ~む、これが聖王国の流れを汲む新しい国ですね」
「流れなぞ汲んでおるものか! 使命を忘れた愚か者の子孫が治める国じゃぞ!」
「人間は我らより短命で記憶もうつろいやすいものです。ですから我らが補助をする役目を担っていたのでしょう。二百年前にババ様が下界との接触を断つまでは」
「ワシのした事が間違っていたとでも言うのか!?」
「魔術で遠方から定期的に見守るという選択が今の事態を招いたのは間違いないでしょう? 結果的には我らの方も若い者は使命に疎くなってしまいました。それはそうでしょう。実際に見た事もない、はるか遠くにある宝の監視なぞ若者からすれば暇で身が入らなくなるのも当然です。少しは事情を知っている私でも、つまらない仕事押し付けやがって、と思ったものですからなぁ」
老婆の顔が真っ赤に染まり近寄っていた四人の長老が顔色を変えて壁際に逃げる中、男は全く変わらぬ様子で地図を眺めている。
「まぁ、この話はまたの機会にしましょう。今は遺産の発見か回収を急ぎましょう。このオーガスタに三人、周辺のフィリン森林国とヘイル草原自治領にそれぞれ二人。そこから先の国へはそれぞれ一人でどうでしょう?」
「多すぎるのではないか!?」
「これでも大分絞っているのですがね……。言うまでもないでしょうが我らは戦闘特化の種族で失せ物探しに向いてはいないのですよ。そのうえ外と繋がりが無いので他の種族に協力を頼むことはできない。そんな状況で人数を絞っては捜せるものも捜せません。それともババ様は諦めるおつもりですか?」
「そんな事が出来るわけあるまい! 全くお前の物言いはワシの兄にそっくりになってきおったな!」
「偉大な祖父に似てきたとは光栄ですよ。人選については各部族から志願者を募る方向で行きましょう。あてのない捜索は精神的に辛いものがあります。やる気のない者は邪魔になるだけでしょうからね。更に長期間に渡る場合は交代の人員を考える必要もあるかと」
嫌味にもにっこりと笑って答える男に老婆は物を言う気力も無くし椅子に座り込んで手を振り周りの者を遠ざける。
「よかろう。後の事はお前たち各部族の長老に任せる」
「ありがとうございます。ただ、その前に一つ認めて頂きたいことがあるのですが」
「まだなんぞあるのか? はぁ、言ってみよ」
「では。さきほどオーガスタに三人送ると言いましたが、その一人をそこに居るニルシュを加えたいと思っているのですが」
「なに!?」
すっかり存在を忘れていた老婆が広場の隅で名前を呼ばれて驚いている女性に目を向けた。
「その者は今の事態を招いた罪人じゃぞ!」
「閉じこめたり角や翼を折っても遺産は見つかりませんよ。ならば人手として利用するのが一番でしょう」
「ならん! 罪を負いし者に何の罰も与えんなぞ……」
「そう言えば私の祖父が存命中にこんな話を聞いたことがあります。『聖女は妹に人間と協力するように何度も念を押して頼んでいた』と。しかしババ様は二百年前にその頼みを無視しましたよね。しきたりを破った事が罪ならばババ様も同罪……」
「ああああ~! 分かった、分かった! 万事任せる! それで良いじゃろう!」
「有難き幸せ。ニルシュ、そういう訳だから君はすぐに旅立ちの支度をするように。ただし他の者と違い君の旅は罰だ。遺産が見つかるまではここに帰ってくることは許さない。そのつもりで準備をしてきてくれ」
それはほぼ追放と同じ意味だった。男が準備しろと言ったのは荷物の事だけではない。家族にも別れを済ませておけと言う配慮もあった。
「必ず遺産を見つけ出して見せます!」
深々と老婆と男に頭を下げニルシュと呼ばれた女性は走って広場を後にした。それに続いて四人の長老も老婆に頭を下げ去っていく。
残った男は地図を丸めて手に持つとふと思いついたように老婆に尋ねた。
「ババ様。そういえば尋ね忘れていたのですが……」
「万事任せる。さっきそう言うたぞ」
「いえ、先ほどまで遺産が流失している可能性しか考えていませんでしたが、もしも遺産が正しき心の持ち主の手に渡っていた場合はどうします?」
「決まっておろう、その時は――」
老婆の答えを聞き満足そうに微笑んだ男は頭を下げ自分の一族が待つ家へ急ぐ。
だがその顔には抑えきれない笑みが零れていた。
(遺産など老人が感傷にひたるための物としか思っていなかったがな。だがこの事態を上手く使えば我らの状況を変える一手に使えるかもしれん。しかしつくづく惜しい。父が生きていたのなら私が直接下界に降りたものを! 若い者は全員今の窮屈な生活に不満を持っている。暴発する前に穴を開けて風通しをよくしなければな)
野心を胸に男は細長く無数に枝分かれしているトンネルを急ぎ足で進む。
あてのない探索の旅に喜んで立候補してくるであろう自分の子どもを含めた十数人の若者の中から誰を選ぶかを考えながら。
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