第五章 ウルフェン家

ウルフェン家と学校の一幕 1

 ヴァージニアが起こした波紋は確実に広がっていき、やがてそれは世界を震撼させることになるのですが、それはまだまだ先の話です。

 それでは物語を再びヴァージニアの方に戻しましょう。


 気の置けない親友と一夜を過ごしたヴァージニアは朝はリーザの食事を嬉しそうに食べエレンが渡してくれた虹の聖女に関する伝承をまとめた本に目を通していました。

 エレンも自分で巻物の内容を写した紙を手に父の資料が置いてある部屋と自分の部屋を行ったり来たりし解読作業に勤しみ時間は流れていきます。

 そしてお昼近くになった頃、少し早めの昼食をご馳走になったヴァージニアはオースマー家の母娘に挨拶をして自分の家に荷物を置くために帰宅しました。


 ですが、家の中は普段と何かが違っていました。

 その理由は――



―――

 「ただいま戻りました!」


 家に入ると召使いたちが忙しく働いているが、誰も荷物を持ったヴァージニアの方を見ようともしない。

 もっとも、それはいつもの事なのでヴァージニアも気にせず階段を上がり自分の部屋へ向かおうとするが、ふと家の雰囲気がいつもと違う事に気が付いた。具体的に言うと使用人たちが全員異常に緊張しているのである。それこそ物音ひとつ立てないように気を全神経を使っているくらいにだ。

 ヴァージニアは異様な雰囲気に使用人たちの邪魔になるまいと考え静かに階段を昇ろうとすると白髭を蓄えた執事がヴァージニアを呼び止めた。


 「ヴァージニア様、旦那様が書斎でお待ちです」


 「えっ、お父様がお帰りになっていたのですか!?」


 だがその問いに答えず執事は一礼をするとさっさと自分の仕事に戻ってしまった。


 ヴァージニアの父エイルムスは大将軍、つまり軍事のトップとして普段はヘイル草原自治領との境である未完の長城で守備軍の指揮を執っているはずである。

 

 (何かあったのでしょうか?)


 よほどの事がない限り王都に帰ってくるとは思えずヴァージニアの頭に戦争という単語が浮かぶ。

 自治領では三十年前の黒王国による侵略の恨みを忘れてはいない。いつか必ず復讐に来ると多くの民が信じておりヴァージニアもその一人であった。

 実際オーガスタから西へ向かう商隊が草原の遊牧民に襲われるという話は何度も聞いたことがある。

 エイルムスはそうした賊となった草原の民に備えるために長らく家を空け対応に追われていた。その父親が戻りヴァージニアと話がしたいと言う。

 急いで自分の部屋に荷物を置いたヴァージニアは不安に顔を曇らせながら同じ階の突き当りにある父の書斎に急いだ。


 「お父様、ヴァージニアです」


 「入れ」


 ノックしたドアから久しぶりに聞く父の声がした。静かにドアを開けて中に入るとカーテンを閉めた薄暗い部屋で椅子に座り手紙を読んでいる父が目に入った。

 半年ぶりに目にした父はヴァージニアの目には特に変化があるようには見えなかった。

 既に五十半ばを過ぎた年齢だが、その肌は若々しく、ヴァージニアと同じ栗色の髪に白い物が混ざっていなければ三十代と言っても通用するかもしれない。

 だが眉間に深く刻まれた皺と、何より一切の感情を映すことなく相手に向けられる冷たい瞳が彼の今までの生きざまを如実に現わしているといっても過言ではない。

 そしてエイルムスは久しぶりに会うはずの娘の顔を見る事無く手紙に目を落としたまま抑揚のない話し方で娘に問いかけた。


 「どこに行っていた?」


 「お友達のエレン・オースマーさんの家に一泊していました!」

 「オースマー? ああ、第二王子殿下の婚約者か。いや、婚約解消したのだったか?」

 「いえ、エレンちゃ……さんの話では殿下は婚約を解消する気はないそうですよ」


 「ほう。随分とあの学者の娘に執心しているな。まぁ、いい。将来を考えればお前があの娘と友情を結ぶことは悪いことではない」


 ヴァージニアは決してエレンに下心を持って友達になったわけではない。しかし、それをこの父に話したところで理解してくれない事は嫌というほど分かっているのでヴァージニアは口をつぐんだ。

 そんな娘の心情を推し量る事もなくエイルムスは変わらず淡々とヴァージニアに質問を続けていく


 「だが今日は学校があったはずだ。なぜこんな時間にウロウロしている?」


 「今日の午前は魔術関係の物しかないので……」


 「そうか。ならこれから学校へ行くのだな」


 「はい! あのお父様は今日はどうして家に?」


 「ただの定期報告だ。お前が気にする事ではない。話は以上だ。さっさと学校へ行け。結婚するまでに最低限の礼儀作法を身に付けておけ。お前の価値は女である事しかないのだからな。せいぜい今から男に媚びへつらう術を物にしておけ」


 「お父様……いえ、なんでもありません。それでは失礼します」


 今日こそは父とまともな会話が出来るのではないか?

 今まで何百回も思い描いた希望は今日も無残に壊された。

 それでも娘の顔を見ようともしない父に涙を堪えて笑みを見せてヴァージニアは入ってきた時同様に静かに部屋を後にした。


――

パタンとドアが閉まる音と共にエイルムスは手にした手紙を苛立ち紛れに床に放りすてた。手紙の内容などヴァージニアが来る前に既に読み終わっていた。それでもエイルムスが娘の顔を見ないようにしていた理由。それは――。


「忌々しい……! 年を重ねるごとに顔立ちも声も性格も全てが母上に似てくる! それなのに母上の魔術の才能は全く受け継いでいないとは! これは私に対する当てつけなのか、母上……」


 他の誰にも見せたことない苦悶の表情をしてエイルムスは部屋の鍵をかけると、席の後ろにある本棚に入っている分厚い本を手早く入れ替えていく。

 最後の本を入れ替えた後エイルムスは一冊の本に自分の魔力を通した。すると本棚がドアの様に奥に開き小さな隠し部屋があった。

 そこは小さな祭壇、そして奥の壁には一枚の肖像画がかけられているのみの簡素な部屋であった 。

 そして祭壇に跪いてエイルムスは壁に掛けられた絵を見る。

 絵は親子を描いた作品で栗色の髪をもつ母親が同じ色の髪を持つ幼い子どもを膝に抱き微笑んでいる姿が描かれている、ともすれば何の変哲もない絵である。

 ただ一つ特筆すべき点があるとすれば母親の何から何までがヴァージニアにそっくりな事だ。あと数年経てばヴァージニアを描いた絵だと言われても誰も疑わないだろう。

 

 「どうしてですか! 私はあなたの無念を晴らすために己の心を殺したのに! そんな私をあなたは責めるのですか!」


 何か使い道があるだろうと無能の子を生かしておいた。しかし、その子が月日が経つ度にどんどん母に似てくることにエイルムスは恐怖を覚えた。

 最後にヴァージニアが目に涙を浮かべ微笑む姿を思い出しエイルムスは胸をかきむしる。その姿は大嫌いな父に虐げられていた母がよくしていた顔だったからだ。


 エイルムスは恐ろしかった。

 あり得ないとは分かっている。しかしいつかヴァージニアがこう言うのではないかと思うと体が震えてくる。


 『どうして私との約束を破ったの?』


 母エリスの声が聞こえた気がしてエイルムスは祭壇を乗り越え母の絵に縋りついた。


 「違う、違う、違う! 私はあなたの為に全てを捨てて復讐をしているのです! 私の歩んできた道は間違っていない。そうでしょう、母様……」


 だが肖像画の女性は何も答えず幼い我が子エイルムスを抱き優しく微笑むだけだ。

 まるでその絵に神が宿っているかのようにエイルムスは体を震わせ懴悔の言葉を繰り返す。

 その姿には『毒蛇』と呼ばれ国の内外問わず恐れられてる威厳は微塵もない。

 その姿はまるで親とはぐれた子どもの様でエイルムスは世界で唯一愛した存在である母にただただ呼びかけ続けるのであった。

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