第四章 動き出すモノたち

動き出すモノたち 1

 ☆

 才媛の誉れ高いエレン・オーズマーに協力を求めた事によりヴァージニアたちは知られざる歴史を垣間見ることになります。


 ふふっ、解読できなかった部分が気になりますか?


 ですが、あの巻物に書かれていた内容が明らかになるにはまだ先の事となります。内容を明かすのはその時にしますからお楽しみに。


 その代わりと言ってはなんですが、ここで少しヴァージニア以外の方の話をしましょう。

 ええ、もちろん彼らものちにヴァージニアの旅に大きく関わってくる重要な方たちですよ。


 ヴァージニアが彼らに出会うのはまだ先になります。


 ですが、その未来の出会いより前に彼らもそれぞれの思惑を胸に行動を起こしていました。


 それはヴァージニアが聖女の遺産を手にし、その秘密を探っているのと同じ頃の話です。

 オーガスタ王都オーガスから西に数日程の距離にある森の中。その森の近くにある農村に住む幼い姉弟が野生の狼の群れに襲われていました――。

 

―――

「はぁ、はぁ……」


 薄暗い森の中を、幼い姉弟が息を切らせて走っていた。

 まだ十歳を迎えていない幼い姉弟は体が草木で傷つくのも厭わず走り続ける。

 だが、体力のない弟が木の根につまづき転んだことで逃走は失敗に終わった。

 いや、そもそも逃げ切れるはずがなかったのだ。


 「ああああ……」


 「お、お姉ちゃん……!」


 弟を何とか立たせようとした姉の顔が恐怖に引き攣る。


 「ウウウウウ……」


 「ウウ……」


 姉弟を囲むように六匹の野生の狼たちが囲む。

 既に陽が暮れようとしている薄暗い森の中に何故幼い姉弟が入り込んだのか?

 それは数日前から寝込んでいる母親に薬草を持って帰りたかったからだ。


 「あの森の奥にはな、恐ろしい化け物が住んでいるんだ。いいか、絶対に子供だけで森に入るんじゃないぞ!」


 姉弟が住んでいる村に代々伝わる話で姉弟も耳にタコができるほど聞いた。

 けれども姉弟は病に苦しむ母の為に大人たちの目をかいくぐって森に入り、ようやく目的の薬草を手に入れたのだ。

 治癒術士に頼むお金もなく、無償で治療をしてくれる黒曜教会を訪ねるほどの体力も母親にはない。だから、森で採れる薬草に一縷の望みをかけたのである。

 だが言いつけを破り踏み込んだ森の中で姉弟は言い伝え通りに狡猾な獣たちに襲われ、その命は風前の灯火だった。


 「い、いや、来ないで!」


 爪が割れるのも気にせず姉は地面の砂を掴んで投げるが、狼はそれをあざ笑うようにヒラリとかわし低い唸り声をあげ姉弟の恐怖を煽り心を折ろうとする。

 そして遅れてやってきた群れの中でひときわ大きな狼がゆっくりと歩いてくる。

 今まで自分の子どもに狩りの練習をさせていた群れのボスが獲物の仕留め方を実演するためにゆっくりと距離を詰めてくる。それに併せて姉弟を囲んでいる六頭の狼も包囲を狭め、他の狼より早く獲物に食いつこうとしてにじり寄ってきた。

 群れのボスが牙を剥き姉弟に飛び掛かると、他の狼も一切に動き出した。


 「助けて……パパ!ママ! 誰か!!」


 「お、お姉ちゃん!」


 無駄と分かりつつも飛び掛かってきた狼から庇うように弟を掻き抱く姉。

 これで幼い姉弟の生命は終わったかに思われた。


 「ギャン!!」「ガアアア!」「キャウン!」


 しかし、狼たちの獰猛な牙は姉弟に届くことはなかった。

 姉弟の上に影が落ちると何かがぶつかり合う音と短い動物の悲鳴。そしてすぐ近くに現れた何かの気配に姉弟は恐る恐る目を開けた。


 「……白い、おお、かみ?」


 そこには姉弟を庇うように巨大な狼が立っていた。

 頭の高さはゆうに三メートルを超え、不思議な事に体の各所に白い宝石のような物が埋め込まれている。

 そして、その逞しい前足の下で姉弟に襲い掛かろうとした群れのボスが必死に拘束から逃れようともがいていた。


 「ギャウ、ギャウ……!」


 体当たりで吹き飛ばされた周りの狼たちが一斉に吠え、森は一気に騒然となる。だが白い狼が意に介する事なく前足でボスを蹴飛ばして開放してしまった。

 立ち上がったボスは自分たちの狩りを邪魔した獣に対して唸りをあげて敵意を露わにする。

 だが吹き飛ばされた子どもの狼たちは相手の威容に完全に圧されウロウロとその場を行ったり来たりしている。その姿はまだ戦おうとしている親に「逃げようよ」と訴えているように見える。


 「ウウウウウウウ」


 群れを率いる者としての矜持か、周りが逃げ腰の中にあってもボスは激しく威嚇しながら態勢を低くして今にも白い狼に飛び掛かろうとする。

 

 その時、幼い姉弟にも分かるほど周囲の空気が変わった。


 『ウウウウウウウ』

 

 今までさしたる興味も無さそうにボスに対峙していた白い狼が僅かに口角を上げ、恐ろしく鋭い牙を晒し地の底から響くような唸り声を轟かせる。

 その声を聞いた瞬間「ギャイン、ギャイン」とまるで尻を噛みつかれたような声をあげて周りを囲んでいた狼が足をもつれさせながら四方に逃げ散った。

 一匹だけ残されたボスは体を低くした体勢のままだが耳が完全に後ろに倒れ身動きすらできずにいた。そして全てを諦めたのかゴロンと仰向けになり腹を見せて恭順の態度を示して命乞いを始めた。


 「ハッハッハッ……」


 「……」


 完全に興味を失ったのか白い狼が後ろに振り向くとボスは弾かれた様に立ち上がり暗い森の中へ消えていった。


 「お、お姉ちゃん……」


 「大丈夫、大丈夫だから」


 姉弟にとって助かった、とはまだ言えない状況だった。

 目の前の獣は狼からを横取りしただけかもしれない。

 次の瞬間には、その牙や爪で命を奪われるかもしれない。姉弟は恐怖に震え更に互いを強く抱きしめ合った。

 

 だが、いつまで経っても目の前の獣が何かしてくる気配はない。

 恐る恐る姉が視線をあげると白い狼の黒い瞳と目が合った。


 「あの、あなたは私たちを食べないの?」


 姉が恐る恐る尋ねる。

 ただの獣が人の言葉を理解するはずがない。

 けれど姉は白い狼の瞳に知性と、そしてまるで父のような優しさを感じたのだ。


 「…………」


 白い狼は何も言わず姉弟に体を寄せペタンと地面に座り姉の顔をじっと見つめてくる。

 

 「乗れってこと? 私たちを村まで送ってくれるの?」


 白い狼は何も言わず、ただ姉弟の方を見ているだけだ。

 森が夜に支配されていくにつれて奥から謎の咆哮が聞こえてくる。


 「お姉ちゃん……」


 「乗せてもらいます! ほらアンタもお礼を言って」


 座ってもなお姉弟より背が高い白い狼の背を、体のあちこちに生えている石を足場にして二人はなんとか背中に乗る事に成功した。

 

 「お姉ちゃん、この毛サラサラのフワフワで気持ちいいよ!」

 「うん、スゴイね! きゃっ、何!?」

 

 二人の腰にするりと褒めていた白い毛が巻き付きついた。その毛が姉弟の体が落ちないように支えると白い狼はすくっと立ち上がった。

 大人すら見下ろせるほどの高さからみる景色に兄妹が歓声をあげると周囲の景色が動き始めた。最初はゆっくりと、次第に速度は増していき暗い森を風の如く走り抜けていく。途中、何度か大きな獣を見かけたが誰も白い風の動きを止める事も出来ない。


 夢のような時間はあっという間に終わった。

 姉弟が二時間かけて歩いた道程を白い狼はわずか五分ほどで駆け抜けてしまった。

 白い狼は姉弟の村にほど近い森の端で姉弟を降ろした。


 「あの、ありがとうございました」


 「ありがとうございました」


 礼を述べる姉弟にチラリと視線を送った狼の目が姉のポケットからはみ出している萎れた薬草を見つめた。


 「あっ、これ、なんとか摘めた薬草なんです。ちょっと萎れているけどお母さんに良くなってもらいたいから」


 そういって姉が少し悲しそうに笑う。言っている本人も枯れかけた薬草では効果はないと分かっているのだろう。


 「……」


 白い狼はそっと姉のポケットに顔を寄せ鼻で萎れた薬草に触れる。すると薬草が見る見るうちに瑞々しさを取り戻した。


 「これって……」


 「すご~い! まるで精霊神みたい!」


 姉弟の歓声が周囲に響くと近くから物音と野太い男の声が聞こえてきた。


 「お~い! 誰かそこにいるのか~?」

 「あっ、パパの声だ!」


 聞き慣れた声がした方向を姉弟は同時に振り返った。

 すっかり暗くなった森の入り口近くに明かりが何個か揺らめいてるのを見て姉弟は自分たちが帰ってこれた事を実感した。だが同時に兄妹はある事を懸念した。


 もし敬虔な黒曜教徒である父が教会が邪悪な存在としている狼を見たら――。

 

 「あの……あれ?」

 「お姉ちゃん、狼さんいなくなっちゃったよ?」


 姉が逃げるように狼に伝えようと振り返ると既にその姿は霞のように消えてしまっていた。


 「夢……じゃないわよね」


 手に持っている薬草は青々としたままだ。そして何より姉の腰布に一本の白とも銀色とも判別つかない毛が一本挟まっていた。


 「教会じゃ狼って悪い奴って言ってたけど、あの狼さんは優しかったね」


 「うん、そうね。でもあれは本当に狼だったのかな? もしかしたらあれが森の奥にいるという恐ろしい怪物……だったのかな」


 だとしたら言い伝えは嘘だったという事になる。あんな優しく賢い狼が悪い存在であるはずがないからだ。

 

 二人が呆然としている間に段々と人の声と気配が近くなってくる。男の声を聞いて森を捜索していた他の人も集まって来てランタンの光で森が明るくなってくる。


 「あの狼の事は絶対に人に言っちゃダメよ?」


 「ええ~、なんで? ボクみんなに自慢したい!」


 「そんなことしたら黒曜教の騎士団が狼さんを退治しに来ちゃうでしょ。とにかく絶対に、絶対に人に言ったらダメだからね!」


 「は~い」

 

 「二人とも無事か? 無事なんだな!? 服に血がついているじゃないか、怪我をしているのか? お~い、誰か村に知らせてきてくれ!」

 

 目に涙を浮かべた父親に抱きしめられながら姉はいつの間にか体に負った傷が治っている事に気が付いた。弟の腕にも深い切り傷があったのだが、それも完全に消えていた。

 考えられる理由は唯一つ。


 (ありがとう、大きくて優しい狼さん)


 大丈夫と言っても聞かない大人たちに抱きかかえられ姉弟は村へと帰っていく。

 安心したからかウトウトとし始めた姉弟の耳にどこからか「オオ~ン」という狼の遠吠えが聞こえた気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る