第一章 運命の日
運命の日 1
オーガスタ黒王国。
かつては『オーガスタ聖王国』と名乗っていた国は、100年前に2人の王子が王位を巡って争う内戦に見舞われた。第一王子が掲げた黒い旗、第二王子が掲げた白い旗にちなみそれぞれを『黒派』『白派』と呼び激しく争い最終的に『黒派』、つまり第一王子が勝利し、それに伴い国名を変え今に至る。
パミア大陸の東南に位置する黒王国は平野が多く温暖な気候も相まって作物の実りが多く豊かな国だ。その王都『オーガス』もまた国力に見合う大陸屈指の大都市である。
ヴァージニア・ウルフェンの死から約半年前。
オーガスの東の外れにある『魔力の泉』がある洞窟に二人の少女が訪れていた。
――
「おお、泉がこんなに輝くとは! 私はすぐに外の者たちへ伝えて参ります!」
紫色を基調とした儀式官の制服を着た男性は、まるで自分の事のように興奮しバタバタと足音を立てて走り去りさってしまった。
「あ、あのっ! まだ私が……」
「……行ってしまいましたね。姉さまの事なんか眼中にないのでしょう」
「まぁ、いいです、いつもの事です! それじゃ、私もちょっと入ってみますね」
「ええ、万が一の事もありますからね」
魔力の泉。
古来よりパミア大陸では成人になると特殊な泉に身を浸し、己の魔力を図るという風習があった。いつしかそれは成人の儀式となり、更には体内に持つ魔力量が多い者を頂点とする身分を作ることになった。
多くの魔力を持つ者は多くの者を従え集落を作り、集落は国となり更に多くの人を支配した。そうして生まれた国は別の国と戦い弱き者は淘汰されていった。
そしていつしかパミア大陸、特に東部では「魔力が高い人間は優良種である」という価値観が生まれ後の時代にも影響を及ぼすことになる。
やがて時代は下り「我が子の優劣を早く知りたい」という親が増え成人を待たずに魔力の泉に生まれたばかりの子を浸すのが当たり前となっていった。
力ある子は喜ばれ、平民の子であっても貴族に高額で養子に出され、逆に力ない子は貴族の子であっても捨てられたり殺されてしまう事も少なくはないそんな時代の中でヴァージニア・ウルフェンという少女は異質な存在だった。
明るい栗色の髪と若草色の瞳を持つ、綺麗というよりまだ可愛いという表現が似合う笑顔が似合う少女。だが彼女には1つだけ他者とあまりに違う点があった。
それは――。
「なんの反応もありませんね」
「ありませんね、やっぱり」
長いスカートをたくし上げて泉に足を浸したヴァージニアは力なく笑う。
そう、彼女には全くと言うほど体内に魔力を持たない存在だったのだ。
生まれつき保有魔力が少ない者はそれなりにいる。だが彼女ほど日常生活に支障をきたすほど魔力がない人間は珍しい。いや、過去にもいたのかもしれないが、そうした子は恐らく成長する前に排除され成人まで生きられなかったのだろう。
そうして意味でも今ここにヴァージニアが居ること自体が奇跡ともいえるのかもしれない。
「でも、ここまできれいさっぱり泉が反応しないなんて逆に珍しいです。まぁ、だからこそあの男も今まで姉さまを家に置いておいたのでしょうけど」
「レイチェル、お父様に対してその口の利き方は……」
「申し訳ありませんが、こればかりは姉さまの頼みでも聞けません。私の母にした仕打ちを思えば殺さないでいるだけでも感謝してほしいです」
「レイチェル……」
レイチェル・ウルフェン。
美しい金色の髪にはしばみ色の瞳を持つ、まるで人形のような愛らしい少女の口から出た言葉はあまりに毒々しく憎しみに満ちていた。
彼女の母は、元々ウルフェン家の別荘で働いていた女中だった。
そしてよくある話だが、美しい若い娘が
だが彼女の母はエイルムスに妊娠を告げず1人でレイチェルを育てていた。レイチェルが高い魔力を持つ事をかつての主に告げれば莫大な恩賞が貰えたかもしれないのにも関わらずである。
そして八年後。ヴァージニアに見込みが無いと判断するとエイルムスは使用人から聞いていた、もう一人の娘を捜すことを決意。
当時8歳だったレイチェルを連れていかれまいと抵抗した母は、エイルムスが寄こした使者(という名のならず者)に娘の目の前で半殺しにされ何処かに連れていかれた。そして残されたレイチェルは誘拐同然にウルフェン家に連れてこられたのだった。
そういった経緯を聞いていたヴァージニアは妹に強く言う事はできなかった。
『無能者』であるにも関わらず生かしてくれた父。
自分の欲を満たすためにはどんな手も使う冷酷な男。
腹違いの姉妹の父を見る目の違い。これが後に二人の道を分かつ原因になるのだが、それはまだ先の話である。
(私に魔力があればレイチェルにもお母さんにも迷惑をかけることはなかったのに)
一瞬だけヴァージニアに浮かんだ暗い表情にレイチェルは形の良い眉を吊り上げ姉を睨みつける。
「また私に申し訳ないとか思っているんですか? 私の身に起こった事は姉さまには関係ありません。何度言えば分かってくださるのですか?」
「ご、ごめんなさい、つい……」
「はぁぁ、全く。姉さまは本当にあの男の種から生まれたんでしょうか。そのお人よしすぎる性格はどこから受け継いだのやら」
「た、種って……」
「何を赤くなっているんですか、子どもじゃあるまいし。もしかしたら、姉さまも明日にはどこかの男に嫁がされる可能性もあるんですよ?」
「でも、私なんか貰ってくれる家なんてないんじゃありませんか?」
「西のヘイル草原自治領の辺境部族なら貰ってくれるんじゃないですか。西部に行けばあまり魔力の事は言われないと言いますし。それで言うなら関係改善を狙って西端にあるミランシア王国も可能性としてはありますけどね。とにかくあの男なら今まで育てた姉さまを放り捨てるよりも、意地でもどこかに嫁がせようとするでしょうね。もっともどんな所でもオーガスタよりはマシでしょうけどね」
「外国ならもうレイチェルに会えなくなってしまいますね」
「……全くどうして姉さまはそうなんですか。私はもう子どもではないのですからまずご自分の心配をしてください!」
レイチェルは顔を赤らめてそっぽを向いてしまう。強がってはいるが、本当は優しく繊細な妹の横顔を見てヴァージニアは寂しさに胸を掴まれる。
既にレイチェルには縁談が決まりかけていた。
今回、成人の儀として泉に来たのは相手側の要請でレイチェルに高い魔力が備わっている事を示すためだった。
今回の儀式の結果を受けてレイチェルの婚約は正式に決まり、通っている学校卒業と同時に結婚することになるだろう。
そうなれば『ウルフェン家の恥』であるヴァージニアは体面を気にする両家の意向でレイチェルに二度と会うは出来なくなるはずだ。
別れの日はそう遠くないという事実にヴァージニアは息苦しいほどの寂しさを感じる。姉妹揃っての外出も恐らくこれが最後となるだろう。
だが、零れ落ちそうになる涙をヴァージニアは無理やり抑え込み笑う。
(私のせいでレイチェルやお父様、会った事はほとんどありませんが兄さま、姉さまにこれ以上迷惑はかけられませんから)
「姉さま、体が冷えてしまいますから、そろそろ出ましょう?」
「……そうですね、帰りましょうか」
寂しさを笑顔で押し殺し、ヴァージニアは泉から出ようと妹の方へ走ろうとして石床に足を滑らせてしまった。
「ほわっ!?」
「姉さま!?」
「な、なっなっ、とっとっとっ~の、ほっ!……あっ」
態勢を整えようと手足を振り回す努力も実らず、盛大に水飛沫を挙げてヴァージニアが泉に尻もちをついてしまった。
「全く何をしているんですか。怪我は……え?」
「わ、わわ!? 何が起こっているんですか?」
泉がある洞窟全体が激しく揺れはじめ泉の水が左右に分かれ苔が蔓延っている石床を露わにしていく
「泉が割れていく?」
「み、水に流されます~」
「もう、早く立ち上がってください! 姉さま、何をしでかしたんですか!?」
「な、何もしてませんよ~。うう、下着までびしょびしょですよ~。着替えなんて持ってきていないのに……」
「それより姉さま、こっちに来てください。あそこの床が!」
水の移動が終わり、泉の中央部分に水が無くなった。ほぼ苔に覆われた石床だが奥の一部分だけが苔が覆われていない。その床が左右に開き人一人が通れる下り階段が姿を現わした。
その不思議な光景を端まで流されてから戻ってきたヴァージニアとレイチェルは言葉もなく見守っていた。
「……」
「……姉さま、何か喋ってくださいまし」
「えっと、本当に私何もしていませんよ?」
「なら、一体どういうことでしょう、一体誰がこんな大仕掛けを? ……って姉さま、どこに行くんですか!?」
「何か音がするんです。ちょっと見てきますからレイチェルはここにいてくださいね」
「勝手な事を……ああ、もう私も行きますから!」
洞窟の天井部分には明かりの魔術がかけられているが、階段の奥にまでは光が届かない。追いついたレイチェルが手のひらに生み出した光球の明かりを頼りに降りていく。階段を降り切ると人が五人入れるほどの玄室に行き当たるが何もない。
「随分凝った仕掛けなのに何もないのですか?」
「ううん、音はまだしてる。こっちの方に……」
何かに導かれるようにヴァージニアが玄室の中央に来ると足元に魔術の儀式で使う『
吸い寄せられるようにヴァージニアは箱に触れる。するとカチリと鍵が開く音と共に、中に閉じ込められていた空気が爽やかな風となって外に漏れヴァージニアの栗色の長い髪を揺らした。
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