聖女の冒険 ~輝石物語~

カエリスト

第一部 王都の少女

序章 終わりと始まり

終わりと始まり

 「お姉さま、いくら私が憎いからって、こんな仕打ちはあんまりです!」


 華やかな円形ホールで、今日15歳の誕生日を迎えたレイチェル・ウルフェンの綺麗な指の先から紅い滴がポタポタと垂れ、埃一つない大理石の床を汚す。


 一瞬の静寂の後、血が付くことを恐れたのか、それとも騒動に巻き込まれるのを嫌がったのか。レイチェルの誕生日と婚約を祝いに来たはずの客たちは一斉にレイチェルと彼女が「お姉さま」と呼んだ少女、ヴァージニア・ウルフェンを輪のように囲む。好奇、侮蔑、興奮、あらゆる視線を受け姉妹の舞台は幕を開ける。



 「レ、レイチェル、何を言っているんです?私がそんなこと……」


 「バースデーカードにカミソリの刃を仕込んでおいて、よくそんな白々しいことを言いますね! そんなに私が憎かったのですか! ずっと私はお姉さまの味方だったのに!」


 駆け寄ってきたメイドに手当を受けていたレイチェルが泣き崩れる。それが合図だったかの様に、それまで傍観者を気取っていた者たちが一斉に非難された少女に罵詈雑言を浴びせかける。


 「なんてひどい姉がいたものだ!」


 「レイチェル様の晴れの舞台を台無しにしようなんて、あさましいにも程がありますわ!」


 「そうですわ。いくら自分が魔力を持たない『無能者』だからって妹に嫉妬するなんて最低です!」


 非難の声は収まらないどころか、ますますヒートアップしていく。

 そして、最もレイチェルの傍にながら真っ先に一番遠くまで逃げた小太りで背の小さな婚約者が周囲の目を気にしながらレイチェルを庇うように立つ。だが、その足は傍目から判るほどに震え頼りないことこの上ない。

 

 「こ、この! 無能者のくせにボクの婚約者を傷つけるなんて許さないぞ!」


 若干声を震わせながらもヴァージニアに指を突きつけ、小太りの男は魔術を使おうとするが何も起こらず周囲が静寂に包まれる。


 「ぼっ、坊ちゃま。ここでは魔術は使えませぬぞ!」


 「なんでそれを早く言わないんだよ!」


 勇ましく(と本人は思っている)前に出てきたはいいものの唯一の攻撃手段が無くなった婚約者がそっと背後に忍び寄って耳打ちする執事に怒鳴る。

 そんなコントをしている2人を背が高く目つきの鋭い男が後ろから追い越し無言でヴァージニアの前に立ち――。


 パァンと乾いた音がホールに鳴り響いた。


 「お前は部屋に戻っていろ。レイチェル、お前は着替えてきなさい。皆様、お騒がせして申し訳ありません。すぐに新しい料理と飲み物をお持ちします。どうかしばらくお待ちください」

 

 頬を押さえ涙を浮かべるヴァージニアに一瞥もくれることなく父であるエイルムス・ウルフェンは無理やり口角を上げた笑顔らしき物を顔に浮かべて客に無礼を詫びる。主催者であるエイルムスの落ち着いた振る舞いに招待客たちは落ち着きを取り戻し、完全にヴァージニアの存在を忘れたかのように名家の出身である婚約者の勇気ある行動を薄っぺらな言葉で褒めたたえる。

 

 そんな寒々しいホールを飛び出したヴァージニアはぶたれて赤くなった頬を手で隠し階段を駆け上がる。途中、何人かの人にすれ違ったが必死に顔を隠して自分の部屋に急ぐ。

 

 (お父様が頬を叩いて下さって助かりました。そうでなければかもしれませんから)


 騒ぎを聞いた従僕たちの蔑む視線から逃れるように自分の部屋に飛び込むと直ぐに扉に鍵をかける。誰も来ないとは思うが念のためである。そしてとても貴族の令嬢が使うとは思えない程質素なベッドの下から小さな箱を引っ張り出した。

 

 「あまり時間がありません。急がないと……」


 飾り気のない小さな箱には古ぼけたペンダントが入っていた。特になんの変哲もない白い石を加工して作られたペンダントだがヴァージニアが身に付けると僅かに光を発する。すると、彼女の叩かれ赤くなっていた頬はみるみるうちに普通の肌の色に戻り、痛みもきれいに無くなっていた。

 そっと窓を開け下に誰もいない事を確認すると、ジニーはドレス姿のまま近くの木にしがみつき滑り落ちて着地する。ささくれだった樹皮に引っかかり綺麗なドレスが破けてしまうがヴァージニアは下着が見える事も気にせず走って植木の影に隠れる。

 ホールでは先ほどの騒動など無かったように楽団が音楽を奏で宴に興じる人たちの喧騒がやかましいほどに夜の空気を震わせている。


 「……さようなら、レイチェル、お父様」


 愛する妹と嫌いにはなれなかった父に短く別れを告げてジニーは涙を堪えて、あらかじめ敷地外に出るための抜け穴を目指し走った。


 同じ頃。

 メイドに付き添われ豪勢な私室に戻ったレイチェルは「少し一人にさせて」と言いメイドたちを部屋から追い出し窓を開けた。

 夜の闇に沈む庭に何かを見つけようと必死に目を凝らすと黒い影が塀の下でゴソゴソと動いているのが見えた。


 「行ってらっしゃい、姉さま。偉大なる精霊神よ、どうか姉さまの旅路にご加護を」


 胸に手を当て溢れる涙もそのままにレイチェルは、もう会えないであろう愛する姉の為に静かに祈りを捧げた。


 ―――


 「でな~、その女がまたいい尻をしててな」


 「そんな事言っていると、また奥さんに怒られますよ」


 「はっ、文句を言うんなら俺じゃなくて自分の贅肉に言いやがれってんだ!」


 「いや、その文句を俺に言われても困るんですけど……あれ?」


 「うおっ、なんだ、カミさんが来たのか!?」


 「こんな夜中に奥さんが出歩いている訳ないでしょ! 飲み過ぎですよ、ホントに。そうじゃなくて、そこに人がいませんか?」


 「あれまっ、ホントだ。ここら辺に別荘持ってる貴族の娘さんか~? お~い、お嬢さん、そこは危ないぞ~!」


 どこかで酒でも飲んでいたのか赤ら顔の見回りの兵士が口に手をあてて呼びかける。女の子が立っているのは崖で、眼下には昨日までの悪天候で荒れる海が大地に暴威を振るっていて、とても年頃の少女がロマンチックな思いに浸れる場所ではない。


 「お父様、お母様、先立つ不孝をお許しください」


 「へっ?何言って……うわあああああ!?」


 「お、落ちた~!?」


 酔いが吹き飛んだ年嵩の兵士とまだ幼さが残る若い兵士が慌てて断崖に立って下を覗き込むが、手にしたランタンでは明かりが届かずドレス姿の少女の姿は確認できない。


 「おいおいおい、ここから落ちたら死体なんか上がらないぞ」


 「あっ、これ遺書なんじゃ……」


 「見せてみろ!……ウルフェン!?じゃあ、身投げしたのは将軍閣下の……?」


 「ウルフェンって言ったら、あの『毒蛇』って言われている……。どどどど、どうしましょう、俺たちの所為にされたら!?」


 「バ、バカヤロ~、どっちみち俺らがこの時間帯の警邏を担当してるのなんてバレるんだから隠しても無駄だ! とりあえず詰め所に戻るぞ。面倒事は上に任せりゃいいんだ、急ぐぞ!」


 「ま、待ってくださいよ~!」


 流石に経験豊富なベテラン兵士は先ほどまでの弛緩していた思考を切り替え、狼狽えている若い男を叱咤する。手汗で遺書を濡らさないように丁寧に腰の袋に入れてから逃げるように駆け出すと若い男も今にも倒れるのではないかと思う歩青い顔をして後を追って走りだした。


――


 こうして、ヴァージニア・ウルフェンの生涯は終わりを告げた。

 ウルフェン家当主、エイルムス・ウルフェンは驚くほどにあっさりと娘の死を受け入れ遺体の捜索も「不要」と言い残して次の日にはレイチェルと共に北の王都へと戻っていった。その冷淡さからのではという話も出たが、目撃者がいることこともあり噂が広がることもなく、ただ一人の『無能者』が自ら命を絶っただけと世間から忘れられることになる。


――


 ヴァージニアが身投げをした翌日の朝早く。ウルフェン家の別荘がある街の中、乗合馬車の駅にて。


 「そろそろ出発……」


 「ちょっと待ってくださ~い!」


 「おっ、嬢ちゃんも乗ってくのかい?」


 「はい!」


 「んじゃ、そこの婆様の隣に座ってくれ。あんた冒険者かい?」


 「いえ、巡礼の旅をしているんです」


 「ほお、若いのに立派なもんだ。それじゃ、北のイルム村まで出発だ!」

 

 白いペンダントを身に付けた少女が席に座ると、駅員が客車へ上がる階段を取り外す。それを確認すると御者が馬に鞭を入れると二頭立ての馬車はゆっくりと街の北門を目指し動き出した。

 

 これが始まり。

 後の世に語られる『虹の聖女の冒険』の始まりです。


 えっ? 本に書かれている事と違う? ええ、それにはもちろん理由があります。

 聖女の冒険に登場する人の子孫は今も生きていますから迷惑をかけないように改ざんされたり省かれたりしているのです。

 「あなたの先祖は昔悪事を働いていた」とか「聖女を迫害した街」なんて評判がたったら大変でしょう?

 それに本人の希望で本として残す場合は未来を担う子どもが楽しめるようにしてほしかったそうです。


 けれど、聖女の本当の冒険を記した書物はちゃんと残っているんです。

 私が今話したのはその一節です。


 続きが聞きたいですか?

 ふふっ、いいですよ。なら、まずはを語らなければなりませんね。


 そうです。聖女が旅立つ前に、いくつかの重要な出来事があったんです。

 物語の中では精霊神の啓示を受けて旅立ったことになっていますが真実は違います。


 一体なぜ彼女が自らの意志で旅立ちを決意したのか。


 そもそものきっかけは妹であるレイチェル・ウルフェンが受ける儀式に、後の聖女であるヴァージニア・ウルフェンが同行したところから始まるのです――

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