結末
「四号バンガローの方で光が見えた。その数秒以内に翠さんがバーベキュー場に戻ってきたら、翠さんに犯行は不可能と判断される。確かにそうです。でも、何も四号バンガローの方で明かりをつけなくてもいいんです。四号バンガローの入り口横には洗面台の上に大きな鏡があるじゃないですか。あれに反射した光を私たちは見たんです。でもそのアリバイを成立させるためには、翠さんは懐中電灯を持って行ってはいけないんです。光はこの川幅を往復します。見える光はとても弱いものになりますね。だから強い光を出すものを持って橋を渡るわけにはいかないんです」
紗綾はそこまで言うと、対岸の四号バンガローを見やった。
「そしてもう一つ、このトリックを成立させるのに重要なのが光の見えるタイミングです。そこで翠さん、あなたは橋のうえから大きな石を蹴り落とした。その音を合図に共犯者が懐中電灯を振る。あの水の音にはあなたが疑われない、絶妙のタイミングを計る目的があった。その上、音を立てることでバーベキュー場にいる人たちの注意を対岸に向けることもできます。うまく注意をひけなかった場合は対岸の相方が懐中電灯を振らなければいい。勿論この場合、どうやってアリバイを成立させるか、その方策も用意していたのでしょう。バーベキュー場側からの明かりが見えるのは、成功した場合、橋を渡っている翠さん、あなただけですね。共犯者からの明かりが見えなければ次の手段に移る。相方が懐中電灯を振ることは翠さんのアリバイを作る以外にも、うまくいったか否かの合図にもなるということです。いや、これは私の考えすぎかもしれませんけどね」
紗綾はそう言うと立ち上がって大庭の前にしゃがみこんだ。
「ねえ、大庭さん。どうですか? 私の言ったこと、間違っていることありますか?」
覗き込もうとしても大庭の表情は前髪に隠れてうまく読み取れなかった。ただ唯一見える口元は、歯を食いしばっているのだろうか、何かを耐えているように苦しく見えた。
「違う! あ、あいつらよ。あの、包帯男を殺したあの女と男が泰君を殺したのよ!」
それが大庭の限界だったのだろう。大庭はそう言うと大きく咳き込んだ。しかし紗綾はそれを見て呆れたように首を振った。
「その言い訳は苦しいですよ。山中警部、当然調べましたよね、実際そういう事件があったか」
「あ、ああ」
「どうです、実際にありましたか?」
「いや……確かに亡くなった男はいたそうだが、あの話のように包帯は巻いていなかったし、一人旅で心臓発作だった。当時の調書も調べたから、これは確実だ」
「そうですよね。ねぇ、大庭さん。その包帯男の話も二人の共作でしょう? 今回の事件で泰さんに包帯を巻きつけ流す。それが見つかって、あのノートの記述が発見されれば、その噂にある男女が泰さんを殺したっていうシナリオを作れます。でもそれは、警察の捜査力を見くびりすぎですよ」
紗綾の目は壊れかけの人形を見るように、今にも目を背けたい、そんな目であった。
「そもそも、大庭さん。ダメですよ。人殺しっていう一世一代の大仕事になって、自ら手を下さず、計画だけ持ちかけるような男につぎ込んじゃあね」
紗綾がそう言った途端、大庭翠の口元から嗚咽が漏れてきた。しかし紗綾の表情は変らなかった。
「それに赤羽さんはまだ一言も返してこない。このままじゃ、あなた一人の罪にされかねない……。ねぇ赤羽さん、なんか言ったらどうなんです?」
紗綾はそう言うと赤羽の方を向いた。赤羽もそれを予期していたようで、ぐっと首をこちらに捩じるとにやりと笑った。
「ああ、そうだな。俺がその光を当てたって証拠はどこにもないからな。いや、ひょっとすると偶然懐中電灯の光がそのバンガローの鏡とやらに当たっちまったのかもしれない」
大庭の嗚咽が止んだ。
「あの光のアリバイさえ解けちまえば、こいつには犯行時刻のアリバイは無くなるからな。こいつ単独の犯行じゃないのか?」
それは冷酷な一笑だった。その刹那大庭を殺気が包んだようにも見えた。誰からも彼女の瞳は見えなかったが、実際、この時紗綾が大庭の肩に手を置かなければ、どうなっていたかは分からなかっただろう。
「大庭さん。安心してください。この畜生もしっかり罪に問われますから」
紗綾の言葉に大庭が顔をあげた。泣きはらした目は真っ赤で、顔も紅く染まっていた。紗綾はそれを見ると、優しく微笑んで、頷いて見せた。
「赤羽さん。そんな無理に懐中電灯にこだわったのが仇になりましたね。懐中電灯が壊れた。それも凛さんが買ってきた懐中電灯が壊れたとなると、当然凛さんも手に取って確かめるでしょうね。でも、その懐中電灯はトリックに必要だった。だから、一見壊れたように見えてもすぐに使えるよう戻せる細工が必要だった。そこであなたは電池の端子にテープを貼った。そしてトリックを実行した後は、やっぱり懐中電灯が点かないようにしないといけない。だからもう一度テープを貼った。確認される前にこんな重要なアイテム、さっさと壊してしまえばよかったのに……」
紗綾はそう言いながらポケットから一枚の黒い紙を取り出した。
「電池の端子についていたテープ。そこに指紋が付いて……」
その瞬間、紗綾は自分の頭上を何かが掠めるのを感じた。
「チクショウ!」
実にそれは危ない、瀬戸際だった。あとすこし紗綾の屈むのが遅れたら、この男の投げた石が紗綾の頭に命中する所であった。紗綾はゆっくりと姿勢を戻すと、警官に組み敷かれた男を睨んだ。
「これがあなたの指紋ならば、少なくともあなたがこのトリックを実行しようとしたことが証明できますね。それと、凛さん」
間宮凛に目を向けると、彼女もこの男の醜怪な面を見たのか、ただただ打ち震えることしかできずにいた。
「凛さん。まだこんな男を庇う必要があると思いますか? あなたは恋人として、この男の行動に注目していたから、光を振っていたのがこの男だと、泰さんの殺害にこの男が加担していると気付いたんじゃないですか? そして、この男と翠さんの関係にも薄々感づいていたんじゃないですか!」
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