88.迷宮都市レストーネア―2


 出発から九日目。

 二日前の村で宿が大部屋しかなく一晩ほぼ眠れない、なんて旅をする上では避けられないトラブルもあったりしたが、翌日馬車の中でユウの肩にお世話になりつつ微睡んでなんとか立て直し、今日はとうとう迷宮都市への到着予定日である。


「にしても、九日はやっぱ長いな。最後どうする?」

「疲れてるから馬車……と言いたいところだけど、動いてなくて疲れてるって感じもする。軽く体動かしたいな」

「だよな。ってことで、今日は歩くぞ。昨日は乗り換えがもう出てなかったけど馬車で二時間程度らしいから、歩いてもそんなにかからないだろ」


 はぁい、と可愛く念話で声を上げる天月に、どこで覚えたのかまるで人間のように片手……じゃない、翼を上げるルリ。……もともとそんな感じはあったけれど、ルリもどんどん(戦闘力以外の意味でも)レベルアップしている気がする。人外ならぬ鳥外? に……? まぁ可愛いからいいか。


「ふはっ」

「え、何?」

「お前今、ルリの成長っぷりを可愛いからいっかで流した気がした」

「なんでわかるの!?」


 はは、と笑うユウは楽しそうで、そのままぐるぐると腕を回しながら「ほら行くぞ」と歩き出してしまう。……そんなにわかりやすかっただろうか。気を付けよう。


「お、こっからは歩くやつもそこそこいるみたいだな」

「そうだね、さすがにここまで近くなると馬車も混んでるし」

 ちょうど迷宮都市に一番近い村とあって、昨晩泊まった村は宿屋の数も多く、ゆっくり休むことができた。スビアイ迷宮方面以外からもやってくる馬車がここにすべて立ち寄っているようで、馬車が待機している場所はなかなかの台数が並び賑わっているが、商人や旅人らしい人たちではない、冒険者だろう人たちは皆そのまま街道を歩いていくのが見える。

 すでにこの時点で、スビアイよりもずっと人が多く感じる。

 これはものすごく大きい都市なのではないだろうか。そういえばその辺りを確認したことはなかったが、ドルニグくらい? いや、ノクトマくらいだろうか。迷宮が軸なのであれば、武器屋や防具屋、装飾品から薬まで、いろいろ期待できるかもしれない。ギルドも大きいかも。商売もすごく盛んかもしれない! と、思いつく限り口にしながら、のんびりユウと天月と共に歩く。ルリは長い間あまり飛ぶことができなかったせいか、ぐるぐると私たちの周囲を回ったり空を悠々と飛んでみたりといつもより長い距離を飛んでいて、時折休みに来てもまたすぐ風が気持ちいいと言わんばかりに空へと舞い上がる。


 とても平和だ。


 だがもしあのスビアイ迷宮で知ったことが事実なのであれば、もしかしたらこれから行く迷宮都市にいくつか存在する迷宮も、人の魂を喰らって繋いできたものだったりするのだろうか。罪人が贄になっているのだろうか。

 目を逸らすつもりはないが、その辺りは知らないままでいたほうが平和だったかもしれない、なんて思う。知らずに贄や餌になるなんてごめんだが、ちょっと純粋に楽しもうと思っていた気持ちに水を差された感じがあるなんて思ってしまうのは許して欲しいところだ。

 いくらそういった刑が定められていると言っても、贄と聞くとやはり面白くない。が、それがそもそも法として定められており、他の刑だって前世住んでいた国の暮らしていた時代から見ればかなり残酷とも言えるものが多いので、こういった世界だと割り切るしかないのだろう。奴隷制度があるくらいなのだから、よくよく考えると言われずともありえた話であった。

 というより前々世よりはマシかもしれない。あの世界は荒みすぎて、自らの子を魔族に贄として差し出す親もいたくらいだ。世界によっていろいろあるんだろうし、現状中途半端にしか迷宮の謎を知らない私がただ贄なんて許せないなんて騒ぐ方がたぶん勝手なのだろう。……そのあたりの謎を解明してまですっきりしたい気持ちもないけれど、神っぽい何かの声というのはやはりひっかかるものがあった。


 ここに転生するきっかけとなったのだろう、案内人ユウ曰く天界の入り口、魂の案内をしているというあの不思議な場所に現れた、とてつもなく大きな。あれが神だというのなら、あの強制的に私たちをこの世界へ運んだものが、あの少女をあの場に縛り付けたのだろうか。

 それとも八百万とまでは言わなくとも、神が多数存在しているのだろうか。もしくは、何らかの幻覚をかけられただけで、相手はひとであったのか。

 悩んでいると、こつんと頭に軽く何かが触れる。


「ミナ」

「え?」

「悩みまくってるって顔してるな。心配か?」

「んー……まぁ、気になることは多いかな。ただ、考えてもわかんないし、簡単に割り切れるものでもないってのもわかってる」

「なるほどな。というか、初心者迷宮に入っていきなり核と遭遇するとか迷宮の秘密の一部を知らされるとか、内容が濃いんだよ」

「主人公っぽい?」

「言いたいことはわかるけど、あの場だったら俺とは限んなかっただろ?」


 ユウが誰を指してるのかわかって苦笑する。そもそもあの場にいた全員が……恐らく私も含めて、いろいろ濃かった。とても初心者用とは思えない探索となったが、一応グリモワールやユウの強すぎる魔力を見せず攻略できたという面では及第点か。なんだかいろいろありすぎて次の迷宮攻略が不安になった気がしないでもないが、まぁ考えすぎても経験の浅い私でわかるわけがないか。


「大丈夫だ。その時できることを一つ一つやっていこう」

「……うん」


 よし、と顔を上げたところで、うっすら遠くに大きな影が見え始めたことに気付く。まず私たちが気になったのは、やはりその『高さ』であった。


「あれが地上迷宮都市レストーネアか。塔も赤っぽいのがあるな、他にもあるけど」

「目立ってるのは赤と黒っぽいのと白いやつ、かな? 少し低い緑もあるけど」

「だな。そもそもあれ元はなんだったんだろうな。スビアイ迷宮は貴族屋敷だったみたいだけど、建築技術どうなってるんだ……? ノクトマの中央にあった監視の塔だってあんなに高くなかっただろ」

「地下迷宮に関しても今の技術を超えてるらしいし、認識としては核の魔力による自然現象だって考えられてるのかな? 建物が経つことを自然現象にしないで欲しいけど」

「いや待てよ。あのスビアイの地下で見た勝手に土が盛り上がるようなダンジョン内の動きや、核が自由に鉱石を移動させることができていたことを考えると、不可能じゃないんじゃないか……? 『刹那の奇跡』も似たような理論だな。ミナ、ちょっとあの中入ろう」


 顎に手を当ていろいろ考えていたらしいユウが指さしたのは、右手にある林だ。何か思いついた様子で少しわくわくしていて、そのまま二人で街道を離れて林の中へと足を踏み入れる。街道には冒険者もちらほら見えるが、迷宮都市に入る前に一狩り……と言った様子で先ほどから出入りしている姿も多いので、特に目立つわけでもない。

 かなり長い距離を移動しているので見たことがない植物も多い。未開の森ほどではないだろうが、触れただけでまずいものもあるかもしれないので、天月やルリにも触れないよう注意を促し奥へと進む。だが無害な生き物が多いのか、魔物ではなく動物に近い生き物が多いようだ。角のない鹿っぽい生き物や、猫と犬の中間のような謎の生き物などが、こちらに気付くとテテテと少しのんびりした逃げ足で去っていく。

 中にはこちらに、というよりルリや天月に興味津々と言った様子で顔を出す動物もいるので、すこしびっくりするくらい平穏な風景が奥に進んでも広がっていた。


「人間どころか天月がいてもあの危機感のなさを見るに、あまり凶悪な魔物はいないみたいだな」

「だね……未開の森なんて他の生き物を見た瞬間から殺る気満々! って感じで臨戦態勢とるか、びっくりするくらい逃げ足早い生き物ばっかりだったから、なんか違和感がすごい」

『うわぁ、うわぁ、ぼくよりちいさな仔がにげない! ねぇねぇ、ちょっと遊んできてもいい?』


 大興奮状態なのは天月であった。その頭にちょんと乗っかってこてんと首を傾げつつこちらを見るルリも、もしかしたらついていきたいのだろうか。


「うーん、見える範囲にいてね。迷子にならないように」

『うん! いってきます!』


 言い切る前にすでに出発していた天月と、どちらかといえばその天月を見守る為といった様子のルリが、こちらを草陰からじぃっと見つめていた耳の長い犬のような生き物のところへと駆けていく。……なんだろうあの動物。まぁ天月より小さいくらいだし魔力は感じないので大丈夫だろうと様子を見ていると、二匹はくんくんと匂いを嗅ぎあい、そのままじゃれあいつつもごろごろ地面を転がった。巻き込まれそうになったルリが慌てたように少しだけ飛び上がったが、離れる様子はない。まるで困った弟を見守るお姉ちゃんである。


「じゃあこの辺にするか」


 一応周辺に人の目がないか確認したらしいユウが屈むと、刹那の奇跡を見せて欲しいと頼むので、そのまま対象を地面に向けて発動する。ほんの一瞬浮かんだ魔法陣を見たユウが、そのまま地面にがりがりと枝で陣を描き始めた。


「ここが……あれ、こうだっけ?」

「そう、で、確かここがこんな感じで」


 前々世であれば複雑なものも含め魔法陣はすべて暗記したものだが、この世界では簡略化されているものばかりなので決まった形が多く、しかも魔法そのものを覚えられれば詠唱で勝手に補助されて発動できるので、魔法陣の研究をしている人は少ないという。だがユウはグリモワールにある複雑な魔法陣について私が話したこともあるので自主的にいろいろ調べているらしく、今も書き終えた魔法陣に手を加えては消してと何か悩んでいるようだ。

 じっとその様子を見て、あ、と気づく。戦闘系の魔法とは分野が全く違う為に専門ではなかったが、この魔法陣に似たものは前々世でも見たことがある気がする。


の魔術建築の技師をしてた人が似たようなものを使ってたような……?」

「お、やっぱあんのか。なら理論は間違ってないな」


 これでどうだ、と書き終えた魔法陣にユウが指先で触れ、魔力を流す。慎重に流されるそれが浸み込んでいったところで、少ししてその中央の土がもこもこと盛り上がり始め、そしてふくらはぎ程度の高さまで伸びたところで、余分な土が落ち細長く形が整えられ始めた。

 これは面白い、と見つめていると、その土の棒のようなものは中身が空洞の筒状に変化し、さらには円錐のような形が作られて上が塞がる。正確な形を作るのは難しいのか曲がった四角であったり崩れた穴のようなものが窓のように円筒に開いていき、それを見た私は思わず「塔だ!」と歓声を上げた。すごい。恐らく強度はなく建築として使うことはできない魔法陣ではあるが、あの謎技術に繋がるものがそこにあるのは間違いない。

 しかしそれは窓が作り終わって数秒後、ぐしゃり、と突如崩れ去った。


「っくそだめだ、疲れた!」

 足を投げ出し、地面に座り込んだユウが空を見上げつつ苦しそうに激しい呼吸を繰り返す。見るのに夢中になっていたが、どうやらめちゃくちゃ魔力を消費したようだ。溢れかえった様子はないので、文字通り消えてしまったのだろう。……ユウをこれだけ疲れさせるとは。

「こりゃ根本的にどっか陣の基礎が違うな。まぁ、なんとなくはあのありえない建物の秘密がわかったかも」

「そうだね。……ってユウ、ポーション飲んで、はい」

「悪い。あー、マジで疲れた。未開の森に朝から晩まで潜ってる方がマシなレベル」

「わりととんでもない比較だね……」

 そのまま崩れた土の山を戻し、薄く残った魔法陣の痕跡も丁寧に消す。と、駆けてくるような足音に振り返ったところで天月がきらきらとした目を私たちに向ける。


『ねぇねぇ! ふたりはぼくのパパとママなの!?』

「は? ゲホッ、ゲホゲホ!」

「え、ユウ大丈夫!?」


 仰天して起き上がったユウが咽て突っ込み損ねたが、今うちの子は何を言ったんだ。驚いたまま天月にもう一度視線を向ければ、どこかきらきらと期待するような目でこちらを見られている。


「パパとママって、どうしたの、天月」

『あの仔が言ってたんだ! 一緒にいるのはパパとママなの? って。ルリはおねえちゃんだって!』

 天月が視線を送ったのは、少し距離が近づきつつも、やっぱり草陰からひょこりと長い耳を出してこちらを覗く動物である。

「ゲホ……天月お前、パパとママってなんだかわかってるのか?」

『よくわかんないけど、もしかしてかあさまみたいなかぞくのこと?』

「そうだね、天月のママはかあさまだよ。同じ意味だから」

 優しく諭したつもりなのだが、えええ、と天月は首を振る。

『かあさまはかあさまだよ。ごしゅじんさまたちは、つがいでしょ? ふうふっていうんだっけ? ぼくのことうちの仔ってごしゅじんさまは言ってたから、かぞくだったらパパとママがいいな』

「いいな、っておい、天月……」


 ユウが珍しく目元を赤く染めて頭を抱える。その様子を見て一拍後に、私も『つがい』と言われたことに気付いて顔が熱くなった。なんという誤解……いやもしかして誤解でもない……? いや、夫婦なら違うけど、それは私たちが教えた言葉だし。ちょっとまって、天月の感覚でつがいって何を指すんだ。否定するのももしかして違うんじゃ、と戸惑う中、きらきらとした視線でこちらを見られ、私とユウは同時に陥落した。


「いいよ天月……」

「おう、それでいいぞ……」

『やったー! パパとママとルリおねーちゃーん!』


 嬉々としてまた駆け出していく天月と、一度くるりと私たちの周囲を回ってそれを追いかけるルリ。それを見守って、なんとなく視線を横にずらせば、ぱちりと音がしそうなくらいはっきりとユウと視線が絡む。


「ママだってさ」

「そっちもパパだよ」


 そのセリフで同時に二人視線を泳がせ、再びそれが絡んだ時にはつい二人で照れ隠しに笑いあうこととなったのだった。

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