87.迷宮都市レストーネア―1


 スビアイの街を出ることが決まったのは、予定していた滞在期間を迎える前日であった。

 ここから馬車で九日かかるという迷宮都市へは、他の冒険者たちと同じように馬車を使うつもりだ。依頼を受けてから半月と少し、もう出発しなければ、あちらで依頼者と合流する前の準備期間一ヵ月を確保できなくなってしまう。

 スビアイ迷宮はトラブルがあったものの、そのトラブルの翌日には納得できるまで探索できたことだし、私たちとしてはその時点ですでに出発の予定を立てていたのだ。だがそれに待ったをかけたのがギルド……というより例の赤ランク、パーティー名アウロラと名乗る三名であり、便乗したジュストたちであった。事は重大であるからすぐに旅立たれては困ると足止めを喰らってしまったのである。


 曰く、あの幽霊少女から依頼を受けたのはあの場にいた全員であり、協力しあうべきである。

 曰く、一緒に協力しあって彼女を救おう。この悲劇を終わらせるべきなんだ。

 曰く、本来であれば緑ランク冒険者には開示しない情報が多々含まれていた為、すぐに開放するわけにはいかない……などなど。ジュストの発言がどれであるかは非常にわかりやすいと思う。劇っぽい自覚はあったようだ。


 最終的にはジュストたちはともに組もうなんて言い出すし、赤ランク三名はパーティー自体の勧誘ではなくとも完全に臨時で組むことを想定したような発言を繰り返し、そんな中呼ばれたギルド奥の部屋で作戦会議まで始まって、味方ではなくとも中立に近い位置にいたのはエドナさんのみとなった。それでも固辞する私たちに『それなら占術を見てみるのはどうだろう?』なんて運頼みなことまで提案される始末である。なんでも行き先に迷ったり悩んだりする場合、たまに冒険者たちの行く先を占ってくれる立場の占術士もいるらしい。

 よほど強い力を持つ占術士でなければ結果は普通一人では判断できず、街や領主などが占術士を数名常に召し抱え、多数決に近い形で危険な災いを予測するのが一般的な占術と認識されているが、要はそういった彼らの修行の為に時折冒険者ギルドも協力しているのだという。


「俺たちは別に依頼を受けることを迷ってるわけでも悩んでるわけでもない。すでに断った案件だ。あんたらがしつこいだけだろ」

「でももしかしたらいい結果が出るかもしれないよ?」

「あんたらにとって、か? 悪いが俺たちはやることがある。それを妨害するような依頼はごめんだ」

「占術が嫌いかい? それとも自信がない?」

「占術に頼るもんじゃないだろ、あの幽霊に捕まってた当人も言ってただろ? オレたちはオレたちの手で未来を掴む、って。そいつらに手伝わせろ。自信も何も関係ないな、何度も言うが俺たちはやることがあるんだ」

「……挑発には乗ってくれない、か」

 諦めたように緩く首を振るニコラスに、冒険者の自由だと言葉少なに同意するエドナ。ジュストたちは何か言いたそうにしながらもこの場に参加する許可が与えられたソフィアになんとか宥められ黙っている。

 だがそこで一番残念そうに肩を落としていたのはまさかの一人、年齢は四十後半であるという冒険者としてはかなりの年長者、デルバであった。


「私としてはぜひミナさんと共に依頼に臨みたかったのですが。陽光、これもなかなかに素晴らしい付与術でありますが、払暁はその力が底知れない。この年齢にして初めて耳にした術なのですよ。どなたに教わったのでしょうか、師はどちらに?」


 興味の対象は私か、と私がそのことに反応するよりも先に、バンとテーブルを叩いて立ち上がったのはユウだ。


「知り得た情報は口外しない。そもそも相手はギルドを通した依頼者というわけでもなかったんだ、ギルドに何か言われる筋合いもない。俺たちは依頼通り表向きの任務ジュストの救出に協力したんだし、足を引っ張った覚えもない。それ以外については知るか。あの場でも俺たちは依頼者であるあの幽霊に対して依頼は受けられないと説明したし、それでいいと納得されてる、それがすべてだ」

「もったいないな。この依頼については確かにギルドは間に入っていないけれど、ギルドも注目し、黙認とはいえ解決を願っている任務なのに。青や赤に上がるのに有利な査定をもらえるかもしれないよ」

「緑には過ぎた内容だからな。他を当たってくれ」

「……ちなみにその、やること、ってなんだい?」

「話す義務はないだろ」

「頑なだね、もしかして別な指名依頼とか?」

「それこそ話す義務がないな」


 行くぞ、と促されて、私もすぐさまその場を去る。背後からちょっと待ってくれと叫ぶジュストやバートの声も聞こえたが、私たちは足早に部屋を提供してくれていたスビアイのギルドを後にした。

 やはり私たちが誘われていた理由は、払暁という珍しい魔法のせいだったかと、舌打ちしたい気分だった。予想はしていたことだし、いつかこうしたことに巻き込まれることも覚悟していた。あの場では使うしかなかっただろうし、人目があった為誤魔化すことも不可能であっただろう。結果的にジュストは円満に奪還できたのだから言うことはない、といえる筈の……払暁という魔法。これは、魔法使いの使う魔法に分類される力と、付与術士が使う魔法に分類される力の、混合魔法であった。


 ありえないとはいわないが、根本的には、他の性質の力との混成がやりにくい。武器に魔力や魔法を乗せるだけの魔法が魔法剣士として分類され確立するように、別物として皆認識してしまうからだ。魔法が多職でも修行によって多少なり習得できるものである為に混合魔法がないとは言わないが、それも長年の研究により発見されたごくわずか。

 魔法とはほぼ定型である、と考えるこの世界で、天才的な魔法使いとして有名なアーリアンナ師匠もまた『清浄の水』ですら初耳だったというのだから、払暁が珍しいと興味を持たれるのはある意味当然であった。

 あの時私は、自身の持つグリモワールより、混合魔法を使う方がリスクが少ないと判断していたのだ。後悔はないが、やっぱりめんどくさいな、というのが本音である。恐らくユウの方もあの赤三人には二職持ちの規格外な緑だと判断されているだろうし、落ち着いてそう考えてみるとあの勧誘も納得がいくというもの。

 それでもだ。


「ごめんねユウ」

「いや、ぶっちゃけ俺がジュストたちの前で最初に地面を切って見せた時の抵抗も、魔法剣士としてはありえなかったからな。魔法使いらしい好奇心で興味を口にしたのはデルバだったが、ジュストもニコラスも興味の対象はたぶん俺だった。あいつら両方魔法剣士だったからな、ニコラスの前では抑えたとはいえ、アレだからな」

 ユウがアレと称したのは、少し前にユウがジュストともめた件だろう。ジュストはユウの剣技と魔力の使い方に興奮しすぎ、ニコラスたちの前でユウが『穴に落ちた後』の行動を口にしたのだ。私が自ら払暁について語ったのとは、わけが違う。あれはどうやったんだ、だとか、それはもう詳細に、冒険者の切り札とも言える技のことを、ぺらぺらと。

 当初から名前も告げたがらなかった私たちである。さすがのバートも冒険者としてはやっちゃいけない一線を相棒ジュストが越えたと判断し止めにかかったのだが、素晴らしいことを素晴らしいとほめただけのつもりであったジュストが気づくには一瞬遅かった。最も彼は、すでに共に悲劇の少女の依頼を受けた仲間という認識であったらしいので、人の切り札の秘密を暴こうなどという考えではなかったようだが……ユウが完全にその時点で依頼を受けないと決めたのも無理はない話であった。その場にいた幽霊少女ですらユウに同情したくらいである。


「俺が不器用だってのもあるんだろうけど、やっぱり人と組んでやるのはやりにくいな」

「まだ緑なのにね。指定以外当分はごめんだね~」

「ま、当分も何も、すでにそのめんどくさい依頼筆頭の護衛任務があるわけだけどな」


 がくり、と二人して気分が落ちる。まぁそんなこんなで出発はぎりぎりとなったわけであったが、私たちは宿に引きこもり、依頼を受けたふりをしてスビアイ山に行くと見せかけ、とっとと迷宮都市方面に向かう馬車に乗り込み出発となったわけである。感傷も何もあったものではない慌ただしい出発だ。まぁそれほど長くとどまったわけではない街であるが。


 途中にある村などに立ち寄りつつ、これから九日かけて移動することになるわけだが、直通ではない為に馬車の乗り換えもあり、普通であれば行先などわかるわけもない。が、冒険者がスビアイからそちら方面に発つとなれば、おのずと行先は推測できるというもの。迷宮都市はそれだけ魅力的だ。

 今は彼らも忙しい為出会うことはないだろうが、あまり迷宮都市にも長居したくないな、なんて馬車で揺られてしばらく。

 駅馬車でもある私たちの乗る馬車の速度は遅くもなく速くもない。一応天月やルリといった従魔も一緒とあって、他の客とは離れた、揺れと後ろから襲われた際の危険性のせいか不人気な最後方の後ろ向きの椅子に乗り込んだ私たちの視界はなかなかに絶景である。そこでふっと思い出したのは、あのギルドの一室での、ユウとニコラスの会話であった。


 ――占術が嫌いかい? それとも自信がない?


 あのニコラスの言葉は、煽るという意味もあったのだろうが、私の心に引っかかるものでもあった。あの時のユウは気にした様子もなく『占術に頼るもんじゃないだろ』と言っていたが、ニコラスがそう口にしてもおかしくないほど、ユウは占って決めるかという言葉に不快そうにしていたのだ。理由は本人が語ったように明白であったが、一応否定も肯定もしなかったその一つ目の質問。それがどうにも、私にはひっかかったのである。


「ユウはもしかして、占術が本当に好きじゃない?」


 ぽろりと何気なく口にした言葉であったが、ユウは僅かに息を飲んだようだった。そしてすぐため息を吐くと、悪い、と口にする。


「別に嫌いってわけじゃない。いやな思いをさせたか?」

「えっ? ううん、なんで? そんなことないよ、私は占術士じゃないんだし」

「占術で俺たちが一番関わりあいあるのはあのじいさんだろ。お前なついてたし、恩人だしな。別にじいさんも嫌いってわけじゃないんだ、ただ、俺は自分でやりたいことをしたいってだけで。……まぁ俺にとっちゃライバルだったな、じいさんや師匠たちにお前をとられるか、一緒に旅できるか毎日悩んだぞ。お前は俺より先にあっちと話すようになるし」

 そこまで口にして、若干茶化すような声音に思わず顔が熱くなる。確かにあの頃私はユウとなかなか話すことができなくなってしまっていたが、おじいさまたちをライバル視って。まさかそれが占術に思うところがある理由じゃないだろうが、あの頃から私と一緒にいたかったのだと思わせる発言に顔が熱くなった私を見て、にっとユウは口角を上げる。

「占術に関してはまぁ……頼りたいとも思わないし、どっちかっていうと都合がいいなら利用してやるって考えだけど」

「うん、まぁ、前世まえの考え方だとそういうのもありだよね」

「前……ああ、占いね。信じたい部分だけ信じるってやつか。まぁ前も占いにはあんま興味なかったけど、じいさんたちからそれ貰える後押しになったのはラッキーだったし、その占いに命救われた身だってのはわかってるんだけどさ」


 そもそも私たちはその占術と占術士、その仲間である師匠たちにあの実験から助けられたのだ。ユウが『それ』と指したのはもちろんグリモワールであるし、その点については当然同意であり、感謝している。だが同時に思うのは、納得だ。ユウは助けられたことに感謝もしていたが、いち早くあの隠れ家を出ようともしていたのだ。それは迷惑をかけたくないというだけではなかったのかもしれない。ユウは師匠たちに感謝と敬意も払っているが、……心から信用しているかと言われると、違う気はしていた。


「どうして謝るの?」

「お前は俺と違うだろ?」

「あ、その言い方なんかいやだなぁ。壁作ってるみたいで」

「そうじゃないっての。ただ、わかってるんだよ。恩人も信用できない自分がおかしいってのは。ミナにとっての恩人でもあるんだし、グリモワールにはかなり助かってる部分もあるんだ。謝罪の言葉くらいは出る。……それでもどうしても、無理なんだよ」

 がり、と首筋を指先でひっかき、ユウはどこか苦しそうに、小さく私にだけ届くような声を絞り出す。敵を攻撃しやすいよう開放的な後方の席の風が僅かに魔力を含み、ユウが声を漏らさぬようにしているのだと察してその瞳を覗き込む。

「なぁ、占術ってのは、お前の前の前にもあったのか? 呪術はどちらかというと、占術の下位互換だろ?」

「この世界ではね。というより、前の前にはなかったんだよ、占術って。だからここで記憶を思い出して、自分が助けられた理由を知って驚いたの。よくわからない魔法が発展してるんだなーって感じで。前の前は、呪術の方が厄介だったんだよ。この体の奥にあるように」

「そう、か」

 そこで言葉を区切るユウの考えがわからなくて、じっと視線を逸らせず見つめる。ユウは苦笑したあと、なんでもない、と私の頭の上で手のひらをわしゃわしゃと動かした。

「わっ」

「俺が憧れたのが自由ってだけだ。感謝もしてるが、占いを妄信できるって感じでもなくてな」

「あ、それはわかるよ。魔法の一種なんだけど、根本的に理屈が私にはわからなくて。呪術の上位みたいな扱いだけど、理論的に全く別物にも見えるんだよね。私の中では本当に、当たるも当たらぬも、みたいな『占い』って感じ。それ以上の力は予知になるんだろうけど、予知って使い方によってはすごく怖い」

「あー、なるほどな。そもそも天気予報やら災害が起きる時期の推測ってのはいいけど、何かをやる、為すためにって言われると疑問ってのはわかる。やりたいことは自分で見つけて自分でやりたい。言われてやるのも面倒だし……そもそもさ、俺があの実験に選ばれたのも、多分あの術の結果だったんだと思うんだよ」

 何気なく語られたその内容にぎょっとする。え、と目を見開く私に、たぶんそうだろ、とユウは軽く笑う。

 だが言われてみれば、そこには納得しかなかった。あんな大きな実験を、占術が根付いたこの世界で、やらないわけがないのだ。

「国が重大な方針を決める時にも利用されるんだ。貴族のやつらがやってないとは思えなくないか?」

「……そうかも」

「だから俺にとって恩があるとはいえ、恩だけじゃないってこと。簡単な話だろ?」

「……次の依頼者の依頼、いいの?」

「グリモワールの謎を調べるのは俺たちにとって重要だろ。今回限りってとこかな」

 グリモワールを知る貴族からの依頼ではあるが、私たちは、占術によって私たちにたどり着いた貴族の依頼の為に今動いているのだ。いやじゃないのか、と問えば、それがもともと目的の一つであり割り切ってる、とユウは視線を空に向ける。

 つられて向けたそこには、うっすらと魔法陣が雲のように遠くに見えた。そういえばあれもこの世界特有だが、こうした異世界であるという証拠のようなものばかりが目につくと、余計前々世の文字でかかれたこのグリモワールの謎が深まるというものである。

 地形も歴史もすべてが違う、まったくの異世界にある、謎の魔道具とその文字を知る私という異物。なんとなしにその指輪の石を撫でると、すりすりとルリが頬にすり寄り、膝に頭を乗せていた天月がぐいぐいと鼻先を押し付けてくる。それを見たユウがずるいなと言って私の手を持ち上げ手の甲に口付けるものだから、直前までの不安は吹っ飛んでしまう。


 迷宮都市までは後少し。結局青ランク昇級までの依頼もほとんどこなせなかったわけだし、到着してからもあれこれ忙しいだろうこともあって、つかの間の休息だ。見知らぬ人たちと一緒とはいえほぼ互いに無干渉であった旅は快適で、私たちは思ったよりも楽しく旅路を進むことができた。



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