86.秘密迷宮の巡愛―15


 そろりと足音を忍ばせ少し先に進めば、まるで劇場で劇でも見ているかのような熱い空間がそこにはあった。


『今落ち着いて考えると、本当に何も思い出せないの! あなたを似てると思ったのに、彼の顔がぼやけて思い出せない。名前も……そんな、あの人の名前を思い出せないなんて!』

「やはりこの状況がおかしいんだ。君は『神』とやらにいいように使われているのではないか? そもそもその声の主が本当に『神』である証拠もない。神様っぽいというのも間違いじゃな――」

「だぁあああっ! 何してんだよジュスト! お前、囚われてるんだぞ!?」


 とうとう我慢できなくなったのか、それまでの忍び足も忘れてバートが突撃していく。なかなかに勇者だ。彼には勇者の素質があるに違いない。それを言うなら幽霊を説得し成功しているっぽいジュストもそうかもしれない。勇者パーティー……とてもお近づきにはなりたくなかった案件である。


「あ、おかえりバート」

『うるさいわね、いらっしゃい』

「ああ、っていらっしゃい!? ナンデ!? 俺敵ですけど!?」

『わかってるわようるさいわね。というかあたしの迷宮なんだから、あんたたちが来てたことなんて気づいてたに決まってるじゃない。うるさすぎ。通してあげたのわかんないの? これだからうるさいだけの男は』

「うるさい言いすぎだろ!」


 なんだかスビアイ山での出会い頭から人の話を聞かなかったバートの立場が、逆転している気がする。ここにソフィアがいたら苦労が増えてたんだろうなぁ、なんて思いつつ、静かにその幽霊少女を見つめ……るふりをして、本体を探した。今はまた透け透けの幽霊少女であり、その中にハート型の宝石、本体と思われる核はなかったのである。


 ユウ、石がない。それだけを小声で伝えれば、待ってろ、と小さな声が帰ってくる。ユウもまた位置を探しているのだろう。が、その視線がほんの一瞬ひとつの場所へと向けられたその時、あーもう、と声を上げたのはあの幽霊少女だった。


『なんなのあんた、バケモノ? 乙女の秘密を探るのは感心しないわ』

「人を化け物呼ばわりする奴もどうかと思うぞ」


 どうやらユウは本体を探り当て、そしてそのことを彼女も察したらしい。そしてそのまま少女の視線は動き、ニコラスたちにも向けられてすぐ嫌そうな表情になる。

『バケモノだらけじゃない。ああもう、そこの鬱陶しい技を使う女もいるし、いいわ。降参、降参よ』

 ひらひらと手を振る少女が鬱陶しい技を使うと言った相手は、私だ。よほど払暁や陽光はお嫌いらしが、彼女の様子から私たちが来ているとわかっていてあえてここに呼び込んだのだということが伺えて――

「んだよ、それなら早く穴作ってくれればよかったのに」

『あんたバカね? うるさいだけじゃなくてバカぁ? 招待してんじゃなくて容認してやったんでしょ本当バカ! あたしの中調べてたのはあんたたちでしょ! 気使ってあげたのよバカね!』

「あ? な、なに言ってんだ! お前の中ってなんだよエロい言い方すんな!」

『は!? バッカじゃないの、え、エロいって、卑猥なのはあんたの頭の中よ! このバカエロ騒音男!』

 つい本音を言ってしまったバートがものすごく少女に噛みつかれている。

 あの遭遇したばかりの頃の高い甘えるような声はなく、まるで別人のような少女はどこか生き生きとしているようにも見える。幽霊だけど。そう思ったのは私だけではなかったようで、そっちが素かと呟くユウの声に、くるりと柔らかそうな髪を翻した少女はにこりと笑みを見せる。


『いい女はいくつも仮面を持っているものよ?』

「なるほど?」

「なるほど、じゃないミナ。あれは参考にするな」


 そこでパンパンと手を叩く音が土がむき出しの部屋内で反響し、思わずびくりとユウの斜め後ろにくっつく。安心安全のいつもの位置から見えたのは、そろそろいいかな、とあのよくわからない笑みを浮かべ手を叩くニコラスさんであった。こわ。


「この様子だと、君は協力的であると考えてもいいのかな?」

『そっちの出方次第よ。それと……さっきは悪かったわ、意地になって追い出したりして』

 その言葉は、私たちへと向けられていた。一瞬戸惑ったが、それが昨日この部屋を追い出したことであるのは明白だ。さっき、という言葉を使ったのは、こんな地下深くで長い時を過ごす彼女に時間の感覚があまりないということの裏付けか。


「どういう心境の変化だ?」

『別に、あたしの目的は変わってないわよ。あの人に逢いたいの。生まれ変わりでもいいのよ、生まれ変わっても必ず逢おうって、確かに約束した筈なの。……でもね、そっちの女の、魔法。……それを浴びてから、おかしいのよ。妙に思考が晴れやかになってくるような、今まではずっと、周りがまっくらだったような気がして、それで』

 次第に言葉を探すように、彼女の口調がゆっくりと、そして苦し気に掠れていく。

 彼女の言う魔法は、私の陽光と払暁のどちらか、あるいはその両方で間違いないだろう。驚きながらも脳内では急速に仮説が立てられていく。

 まさか。そう思ったとき、どんな魔法かな、とニコラスの視線がこちらへと流れた。


「……思い当たる魔法は二つあります。一つは陽光、主に対象者の心や魔力の乱れを落ち着かせる効果です。私は彼女の攻撃で混乱する彼らを落ち着かせるために一度、あとは幽霊ならば光の影響を受けるかもしれないと彼女に向けて一度使っています。二つ目は払暁、対象に対する幻惑や夢、隠遁系の力を晴らす術です。幽霊は実体がない、そうであると物理攻撃が効かないかもしれない、けれどそこに存在するならと、本来見えぬものをあぶりだすためにも使える技なので一応その問題を解決するために使ったんですが……もしかしたら」

「彼女にかかった何らかの幻惑を晴らしたのかもしれない、と。その前の陽光によって乱れを落ち着かせたことも関係したのかもしれないな」


 言葉を引き継いだニコラスが、なるほど、と頷く。対し少女は悲痛な表情で、やっぱり、と言いながらも何度も首を振った。


『急にまわりが見えるようになった気がして、焦って、なのにいろいろ勝手に考えが頭に浮かんできて、意地になってあなたたちを追い出したのよ。でもそのあと彼といろいろ話してたら、この違和感が無視できなくなったの。どうしてあたしは何度も生まれ変わりだと思った男の人たちを、その魂を、取り込んでしまったの、って。おかしいでしょう、おかしいのよ! どうしてあたし、あんなに何度も! 生まれ変わっていた魂を喰ってしまったら、二度と生まれ変わってくれない! それに彼らは一度もあたしのことを思い出してなかったの!』


 少女の頬を、涙が伝う。いや、涙というより、魔力の雫のようであった。それでも確かに透けた彼女から溢れるその雫だけは本物で、ぽたぽたと地面に雨を降らす。


『あたしの中に彼がいる感じがしないの。きっとあたしは、何人も他の男を食べたんだわ。あの人じゃない。あたし、裏切ってしまったの? あの人に逢えるって、ここで彼が来るのを待っていればいいって言われた筈なの! きたらわかるだろうって、でも、違った! なんであの声を信じたの? どうしてあたしは名前を思い出せないの? 彼の名前は? どうしてわからないの? あたしは、何をさせられて、何をしていたの!? 何年も何十年も何百年も、それ以上経っているのかもしれないんでしょう!? あたし、そんなに長い間ひとを、魂を奪って、どうして気づかなかったの。どうして、一人でずっと……っ、あたしが、バカで本物のバケモノになってしまっているじゃない! 約束だったのに、あの人だけをずっと想っていたはずなのにッ』


 我慢できなくなったと、そういわんばかりに室内に少女の悲痛な声が響き渡る。それはむき出しの感情そのもののようで、バートやジュストはぼろぼろと涙を流しながら聞き、赤の三人もその表情を痛ましげなものに変え、私と、そしてユウまでも唇をかみしめることになる、そんな声だった。


 誰も口をはさめず、彼女の悲鳴をただ聞き続ける。そうしていると涙をぬぐったジュストが彼女に寄り添い、その背を撫でるような行動をとった。そういえばここに戻ってきたときの彼の声は、確かに自分がここから出る為の意図もあったのだろうけれど、本当に彼女の孤独を救おうとする強い意志を感じたように思う。ジュストは本気で、彼女が一人にならないよう戻ってくるつもりでいたのだろう。自分を捕らえ、殺そうとしていた彼女と、本気で心を通わせようとしていたのだ。

 きっと彼女が心を取り戻したのは私の魔法なんかじゃない、ジュストの相手を思う気持ちだったのだろう。


 ジュストは彼女に触れることはできないが、その様子を見た彼女は幼子のように涙を溢れさえる。いやよ、くるしい、こわい、たすけて。しかし一切思い人の名前を口にできず、あのひとはどこ、と泣き声が混じる。

 仮面をいくつも持っているような魔性の女ではなく、ただひとり後悔と孤独に泣き叫ぶ少女がそこにはいた。


 しばらくして、ぐすぐすと鼻を鳴らし、地面を濡らし続けた少女は、ごしごしと目元を擦るような行動を見せたあと、覚悟を決めたと言わんばかりの表情を見せ私たちを見回す。


『手を貸して欲しいの。あたしはここのダンジョンを見てなきゃいけない。出られない。とても、よくないことになる気がするから。あたしは、あたしの本当の名前と、あのひとのことを思い出したい。逢うことを考えるのは、それから。それと、この迷宮には今、たまに異物が生まれるの。あたしの迷宮内にある力で生まれるんじゃない、不自然ななにかが生まれて、この迷宮を探索する冒険者たちを糧にしてる。あたしはそれが許せない、ここは、あたしの縄張りよ』

「……冒険者に依頼するなら、報酬はどうするつもりなのかな」

 口付きと双頭のことかと目を見開くが、赤ランク冒険者の三人はその言葉には食らいつかなかった。態度を変えずニコラスが言葉を続けた瞬間、私たちと彼女の間の天井が崩れ、ぼとぼとと何かが降り注ぐ。ただの石にも見え一瞬攻撃かと戸惑ったが、落ちてきているのは魔力を帯びた、鉱石だ。

『お金が欲しいんなら鉱石を上げる。冒険者はこれが好きでしょ? 他にもあたしにできることなら協力するわ。でもあたし、自分の名前も思い出せないのよ。わかるのは、あたしが昔なんらかの声を聞いてここの主に任命されたことと、その時からたぶん記憶が曖昧になったこと。それとあんたたち、異物について調査してたでしょ、隠さなくていいし、わかることを教えるわ。あと差し出せるのは…………そう、ね』

 彼女は本気で、なんとかして私たちと交渉しようとしている。そこでふと顔を上げた彼女は、ぐるりと見回した目をニコラスで止めると、あたしのような存在はどれくらいいるのかしらと首を傾げた。

「……それは、迷宮の核のこと?」

『そうよ。知ってるのよ、あたしが初心者迷宮って言われてるの。そうすれば冒険者はまだ力ないうちにここに集まるだろうし、って、容認していたところもあるし。それで、あなたたちみたいな熟練者の強い人は、滅多にこない。それでもここに来たのは、あたしの中にある異常の存在もそうだけど……はっきり言うわ。今更冒険者一人を探すのにあなたたちが来るのは不自然よ。これまでとの違いがあるとすれば、今回はあたしの存在を知った人間を見逃したこと』

 その言葉に、ニコラスは笑みを返しただけだった。

 ああ、そうか。正気を取り戻した彼女は、なかなかに貴族らしいというか……いや、彼女自身が交渉が上手いのかもしれない。気づいたのだろう、がとても私たちにとって珍しいのだ、と。

「君は名前がわからないほど記憶が混濁しているんだろう?」

『あなたはあたしに何か聞きたいのよね? 迷宮の存在理由? 神様っぽい声のこと? ……それとも、あたしみたいな話せる核が他にいるのかどうか、とか?』


 その言葉は、決定打であった。名もわからぬと嘆く彼女は、確かに冒険者の興味を引くことに成功したのだと、はっきりと感じる。……私たちの目的とは違うので関係ない筈だが、ここで、この場に巻き込まれていることにとてつもない違和感を感じた。このままじゃ私たち、今後も巻き込まれるのでは? その考えはユウもそうであったらしく、横を見れば視線が合って、同時にため息を吐く。ルリは眠っていて天月はあくびをしている状況ではあるが、今この場ではもしかしたら歴史的な転機を迎えているのかもしれない。


「……その依頼、受けるに値すると判断するよ。君のその愛に応えてね」

『……嫌味?』


 恐らく何らかの幻覚作用があったとはいえ、何人も勘違いで憑りついたとも言える彼女に対し愛を口にしたニコラスに、少女は悔し気に顔をゆがめる。だがそこで身を乗り出したのはジュストであった。

「まさか。数千年規模で愛を忘れぬその様子は、たとえ操られていた期間があるとしても、愛だよ。純愛と呼ぶにふさわしい君の想いをもてあそんだ何かが神であるなんて、やっぱりオレは信じない」

『……ジュスト』

「やっと名前を呼んでくれたね。必ず君の名前も取り戻そう。ここでオレたちが巡り会ったのも何かの運命かもしれないけれど、それが神が用意したものであるというのなら流されてなんてやるものか。オレたちはオレたちの手で未来を掴む。視界がはっきりしたという君にならもう、できる筈だよ。愛と向き合うこともね」


 触れることはできないが、まるで手を取り合うような動作で視線を絡ませる二人。やはりそれはまるで一つの劇のクライマックスを迎えたかのようで――


「だから、なんでお前はんなこっぱずかしいことをペラペラと言うんだよ。俺まで恥ずかしいじゃん」

『そこのうるさくて空気読めないバカエロ男は一度死ねばいいと思うわ』


 締まらないゲストバートのおかげで、彼らは漸く具体的な依頼内容の話し合いを開始したのである。

 なおこの話し合いは、私たちはほぼ空気であったと付け加えておく。一体何のためにここにいるのだろうと遠い目になるほど、できれば聞きたくなかった明らかに情報規制がかかりそうな言葉連発の空間はすごく居心地が悪かった、という感想で、締めさせていただこうと思います。

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