85.秘密迷宮の巡愛―14
約束の時間には誰一人遅れることなく集まり、私たちは問題なく、変わらず口を開いた状態のスビアイ迷宮へと突入した。
見送りに来ていたソフィアはそのまま別働隊と行動を共にするらしい。そちらの任務は主に周辺の調査、警戒と、念のため昨晩から入場制限をかけているものの、すでに迷宮に潜っていた冒険者が出てきた場合の説明担当であった。前者は簡単に言えば、双頭や口付きのアンデッドがダンジョンから漏れ出ていないかの調査である。スビアイ迷宮は立地的にダンジョン内から魔物が溢れやすく、街もそれを見越して作られたものであるとはいえ、口付きアンデッドはこれまで報告されたそのどちらもが赤等級である。未開の森から抜け出した双頭の蛇など等級は白銀だ。
今はまだ情報が出回っているわけではないようだが、赤ランク冒険者パーティーであるニコラスたちはおそらく知っているのか、双頭の蛇もそれなりの強さと思って侮るな、もともとは自分たちの依頼であったが、口付きと双頭の調査を手伝ってほしいと、別働隊となったことで不貞腐れるものもいた他のメンバーをうまく鼓舞していたようであった。成果があればギルドから報酬も出るらしい。
今回迷宮内でも噂が出ていたことで、大っぴらに調査することになったのかもしれない。
さて、肝心の迷宮の中だが、地下一階、二階と、特に変化は見られなかった。以前大穴をあけてみせた迷宮主もとくに邪魔をする様子はなく、魔物も通常のものしか見られない。こうなるといっそ不気味だが、双頭が見られた地下三階以下が本命だ。
地下三階を探索し始め、漸く赤ランクの三人が動き出す。それまではこちらの実力を見るかのように戦闘や罠の発見、解除をこちらに任せていた面々が、蛇を見るとその視線が鋭くなる。結局双頭を発見することはなかったが、そのまま地下四階まで下りたところで余計に彼らの警戒は強まった。
「腐臭がひどいな」
「ここのモグラのアンデッドは倒したって話だけど……一匹しかいない、とは言えないかな」
先に言葉を発したのは、それまでほとんど口を開かなかったエドナであった。一匹しかいないとは言えない、その言葉で戻ったことを咎められたとでも思ったのか一瞬バートの雰囲気が剣呑さを増したが、結局彼は何も言わずに黙り込んだ。しかしそれに気づかないなんてことはなかったようで、ニコラスはにこりと笑うと「責めたわけじゃないんだよ?」と続ける。
「この状況では異常を告げに戻るのが正しい。実際、地下四階より下に潜っていた冒険者は他にもいたけれど、損得勘定やらプライドが邪魔したのかすぐに戻って異常を伝えようとした人はいなかったみたいだしね。おかしいよね? こんなに魔物がいなくて腐臭が強い、異常な状況だっていうのに。その割に情報は何も持っていないんだから」
にこにこと笑う笑みは穏やかだが、明らかに呆れや怒り……嘲笑に近いものを含んでいるとわかる声音だ。
確かに、私たちが脱出した後戻った冒険者たちは地下四階以下の異常に気付きながら、魔物に出会わぬことで探索しやすいとでも思ったのか、すぐに戻ろうとした者たちはいなかったのだという。
地下五階では数は多くないながらも希少な鉱石が発見されることがあるらしい。魔力が濃い場所という特性からも魔力を含んだ有用な鉱石となりやすいようで、人が掘り進めても時間が経てば元通りの形に戻されてしまうそうなのだが、その際土が動くことで新たな鉱石が表面もしくは近い位置へと移動され、これまでも継続的に発見されてきたようだ。魔物が少ないと気づいて、冒険者はまずそちらに向かったのだという。
「君たち地下五階は探索したの?」
「……いえ、俺たちは地下四階に繋がる階段……地下三階から急に開いた穴に落とされたんで。でもあれ、地下五階に落ちたって高さじゃなかったような……」
バートが戸惑いながらも答えれば、ふぅん、とニコラスは笑い、首を傾げる。
「なら、長年地下五階までの初心者向けダンジョンとして存在していたスビアイ迷宮は、実際はかなりの年月人々を欺いた巨大ダンジョンの可能性もあるわけだね」
「そうであれば、街の者たちは喜びましょうな」
「なっんで、んなこと!」
ニコラスの言葉に続いたデルバの言葉で、とうとうバートが気色ばんで声を荒げた。だが実際、初心者迷宮という呼び名は長く冒険者をとどめて置けるものではない。
「それとも、核は人の魂を奪って成長する力を蓄えている途中かな?」
「ふざけんなよ!」
まるで街は、ジュストの犠牲を喜ぶ可能性があるような。そんな言葉に、バートは激高しニコラスに手を伸ばす。しかしその手はさらりとかわされ、デルバには我儘を言う幼子をいさめるような目を向けられ、エドナは完全なる無関心だ。戸惑うように視線を彷徨わせたバートはこちらに視線を止め、ぐしゃりと表情を歪める。
私たちが庇うような様子を見せなかったせいだろう。それはわかっているが、これまで仲間が捕まったバートに余計なことを悟らせないようにしていた三人が急に態度を変えたことに違和感がありすぎて、こちらとしては対応に困るところである。
「なんでだよ! おかしいだろ、ジュストの、人の命だぞ! ダンジョンを育てる為? 継続させる為? その為にあえて贄を許すなんて間違ってるだろ!」
「そうだね、罪なき人を贄にするなんて間違ってるよ。君の感覚は大切にすべきものだ」
「だから……っ! は、え?」
「よし、やる気は戻ったみたいだね。先ほどから、鬱陶しい程に卑屈な空気が出ていたから。それくらい強気で挑まないと心が先に負けるよ? 何せ相手は人の言葉を理解し話す核なんだからね」
「え、え?」
「それにしても、やっぱり二人……ユーグとミナちゃんは冷静だね。情だとかそういったものではなく、言葉通り自分たちの都合でのみ捕らわれた顔見知りを助けようと……いや、取り戻して核にやり返そうとしている、と言えばいいかな。実に頼もしい。感情的になって核を壊されたりしたら困ってしまうし」
「は、俺は?」
「君はたぶん感情的になるくらいでちょうどいいよ。核は壊せないだろうから」
「ぐっ……~~くそっ! 赤ランクのやつらってこんなんばっかかよ!」
「こちらはもうすぐ白になるところだけどね」
あ、そうなのか。どうりで白銀のルイードさんが調べているだろう双頭の蛇についての調査を受け持っているわけである。
どうやら試されていたらしいと聞いて少しだけ唇に力が入ってしまった。フードを深くかぶったままだから完全に表情は見えていなかっただろうが、こんな時でも無表情を貫くユウとは大違いである。
ところでいきなりなんなのだろうか、と思ったところで、ニコラスは足を止めるとすっと表情を変えた。
「さて、ギルドの目もなくなったところで作戦を詰めよう。作戦会議にはギルドの人間も一緒にいたからね。端的に言えば、今回僕たちの最優先は『核と話すこと』であり、『人質を救出する上で交渉を持ち掛けること』だよ」
「交渉?」
「そうさ。君たちの話じゃ、核の少女は『愛した男がいれば強くなれる』という発言と、『ここに入り込んだ異物の対処だってできる』と言っていたそうだね? そして実際はその愛した男も生まれ変わりではない可能性が高い、と。つまりは血筋であれば限定されるかもしれないが、本当は誰でもいい可能性もあるということだ」
話し出したニコラスは、つまりは『異物』が『口付き』や『双頭』である可能性が高いとし、それの調査を引き受けつつ強くなる手段の双方の妥協点を探るつもりのようだった。それならば結局贄はいるだろうと思うのだが、そこはつまり、『そういう人間』を使うのだという。当然バートは反発しこちらも『贄』が変わらずいることに不愉快な感情が残るが、なんとあまり公になっていないながらもそれはそう珍しいことではないらしい。
曰く、犯罪者にそういった刑が科せられることがあるのだと。
贄を必要とするのは、このダンジョンに限った話ではないのだという。そんな迷宮崩落してしまえと思わなくもないが、崩落となれば多くの人間が路頭に迷い、崩れ落ちることでそれこそ地形的な被害が被る場所も多いのだそうだ。それこそダンジョンが崩れてしまえば、連鎖して大きな街が共に崩落しそうだとか、隣接した山が噴火するだろうだとか、生態系が変わり絶滅する生物が出るほど影響が与えられる土地が多いだとか。
「それに……ああ」
そこまで淀みなく話していたニコラスが急に口籠もる。なんだ、と言う視線を向けられ彼は苦笑するが、そこに言葉を挟んだのはデルバであった。
「実は……皆様を信じてお話し致しますが、迷宮の崩落というものはただ言葉通り崩れ落ちるという意味ではございません。迷宮とは言わば魔力の溜まり場、そこが崩れ去るとなれば、当然、そこにあった魔力は解き放たれ吹き荒れます。迷宮の魔物はそもそも迷宮の魔力から生み出されるものであり、それが放出されるとなればどうなるか、皆様もお分かりになりましょう? 高ランク冒険者には知られる話となりますが、かつて崩落したとされる他国の迷宮はその後、変わらず人が暮らしていたはずの街を含む周辺一帯を巻き込んで、人の近寄れぬ樹海と成り果てその地に沈み、その後百年ほどかけて魔力が薄まるまでまったく調査できぬような状況に陥ったそうです。凄惨なその事件を教訓に、各国は取り決めたわけです。迷宮は崩落させるべからず……混乱を防ぐ為民にはあまり知られていませんが、今回の任務も上層部の思惑とは別に、崩落させるという選択肢は初めからない、というわけです」
再び歩くのを再開し語り出すデルバの声音は真剣そのものであり、バートは「な、なんだって……?」と愕然とした様子を見せた。後ろを歩くユウと私は視線を合わせ、目で語り合う。言葉にせずとも思いは同じだ。
『あやし〜い! うそっぽーい! ニンゲンのたてまえ? ってたいへんだね!』
言葉にしちゃったよ
こちらに向けた念話だからいいけども。
まぁ急にペラペラ話し出して、いくら真実味があってそれがおそらく事実であろうが、怪しいのは確かだった。嘘ではないかもしれないが、誤魔化してはいるような、そんな独特な雰囲気である。ニコラスが話しすぎたせいで仕方なくなのかわざとかは知らないが、結局私たちはそのまま突っ込むことなく話を流し、地下四階のアンデッドにやられた冒険者の遺体を見た三人は埋葬は帰りのほうがいいいと判断して先へと潜り、特に敵に会うことなく地下五階まで巡り終えた。というより、地下五階では目的地が決まっているかのように二枚の地図を重ねて透かしたニコラスが歩みを進め、ある場所で足を止めたのだ。
「さて、ここが、地下三階で君たちが落ちたという大穴地点の真下あたりだと思うよ。予想通り何も痕跡はないけど……エドナ」
「わかっている」
答えるなりエドナはしゃがんで耳をすませたり、壁に手を当て目を閉じたりと動き出す。ユウもまた目を閉じて集中している様子を見せていたので周囲に敵の気配がないかと警戒していると、やがて少しして数歩先を進んだエドナが振り返る。
「どうかな、少年」
「ここ……そうだな、このあたりは地下に空間がある、か……。俺がジュストにつけた目印はもう少し奥の方だが、地下五階では壁の先だ。ここで降りるのがいいと考える」
「さすがだ。ということで頼んだよ、純粋な魔法職のお二人さん」
エドナから視線を送られたのは、デルバと私だ。空間があるとしてもかなり掘り進めなければならないのではとその魔力量を想定し眉を顰めれば、それでは私がと前に出てデルバが杖を構える。
「付与術で魔力を染み渡らせると仰っておりましたね。私が適当に土魔法で周囲の土を削りますから、お嬢さんはその穴の表面に干渉して修復を防いでいただけますかな」
「わかりました」
言うなり、そう長い詠唱を必要とせずデルバはよいしょと土を引き抜いた。まるで杖に引っ掛けて持ち上げたかの動作で、人が三人は楽に入れるような大穴を開けて見せたのだ。その速さに驚いたが、慌てて言われたように修復を妨害する。それを確認したデルバは持ち上げた土をぽいっと道の先に放り、さぁ行きましょうとさっさと飛び込んだニコラスに続く。
「そのまま維持しとけ」
「うん、えっと、お願い」
余計な魔力を使わないよう、私は維持だけに集中して、ユウに抱えられ下へと降り立つ。すぐさまバートが続き、最後にエドナが降りた後術を解けば、天井となった穴はじわじわと逆再生するように塞がり出した。
やはり地下はさらなる空間、通路が続いている。それをユウの示す方角に向かって歩き出してすぐのことだった。
「何か聴こえるな」
「……ジュストの声だ。よかった、無事で……」
「だからオレが生まれ変わりである可能性は低い。もし本物の君の想い人が現れた時偽物のオレなんかいたらきっと悲しむだろう?」
『そんな……でも、ほんとに似てて』
「おそらく君がそう感じるのは、オレの血筋が想い人の血縁者だからなのだろうね。君もオレが少し違うように感じるんだろう? 何度も言うが、これまでの男性たちが本当に生まれ変わりなら、こんな可憐な少女を暗い地下に閉じ込めたままなんてするはずがないんだ。それも何度も一人にして! 君はその『神』とやらに思い込まされているのかもしれない。目が覚めた今、過去を調べ真実を見つめるべきだろう! オレが協力する! もし本当にいるのなら、探そうじゃないか、本物の生まれ変わりを!」
『ああ、あのひとに、逢いたい……! でもあなたが行ってしまったら、あたしはまたここでひとりぼっち……』
「たまに逢いに来るよ。オレは各地を旅する予定だから不定期になってしまうけれど、たくさん土産話を持ってこようじゃないか!」
なんだかものすごく盛り上がっている。聞き様によっては口説いているとも取れるような、熱心な声でもあった。ひくりとバートの表情がひきつり、全員の視線がバートに向く。
「あー、いや、あいつも頑張ってるってか、その、女癖は悪くないんだ。ちょっと人たらしなだけで……」
「勝手に、というか簡単に核でもある幽霊と約束を結ぶのはよくないと思うよ? 一応彼捕まってるわけだし」
まぁなんか大丈夫そうだけど。
そう続いたニコラスの言葉で、一気に辺りにはなんとも言えないような空気が漂ったのだった。
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