80.秘密迷宮の巡愛―9


 え、と声に出た時にはもう、私たちの体は宙へと投げ出されていた。


 とてつもない魔力風だ。胸の石を持っていない霊体の方は随分と魔力が弱いとは思っていたが、本体に隠した石には随分と魔力を内包していたらしい。

 技とも呼べぬ、魔力の奔流。すこんと抜け落ちた表情ながら彼女の視線は彼女の王子だけを見つめていて、絶対に逃がすものかという思いが伝わってくるようだった。


 誰よりも早く反応できていたユウは即座に私を抱えたが、突然、そして大暴れとなった魔力の奔流を前に、なすすべなく体は投げ出されている。地面や壁、天井にぶつからぬよう抵抗が精一杯といった様子で、珍しく表情を焦るものへと変えていた。

 だが、それだけでも十分驚異的なのだ。私はといえばそばにいたルリを守ることだけでいっぱいいっぱいであり、バートに至っては先ほどから何度か体を壁などに打ち付け、ジュストはこの暴風のような魔力の中捕らわれたように宙で動けぬまま苦悶の表情を浮かべている。


 これは、やばい。


 その時、ぐるん、と体の向きはそのままに、幽霊少女の顔がこちらを向いた。

 揺らぐことなく見開かれた瞳。表情らしきものは浮かんでいなくて、揺らめく魔力だけがその心情を物語っているその様は、見るだけで命を奪ってしまいそうな光景であった。

 気絶しなかっただけマシだ。咄嗟にグリモワールを構えようと腕を持ち上げたが、それより先に、まるで夜の闇が死神の鎌で切られたかのように、赤い筋を作り出した。彼女の口が、にんまりと、笑みを模って開かれたのだ。

 途端に一切の音が消え去ったようにしんと部屋が静まり、声が、明瞭に響く。


『あたし、あなたみたいな小賢しいイイ男、嫌いだわ』


 それは確実にユウに向けられた言葉であった。


「は?」

『ずっと、ずーっと、一番あたしを攻撃して、力を見せて、一番の強敵は自分だと、自分に標的を向けていた』


 その言葉に、私も、そしてユウからも驚く気配を感じる。

 一番騒いでいた筈なのに、彼女はかなり冷静に周りを見る目があったらしい。今の声音もまた低く冷徹さがあり、きゃぴきゃぴと明るい声音はなりを潜め、聞いているとぞわりと体が震えるような声だ。


『男は馬鹿なほうがいいじゃない。正義感が強くて真っ直ぐでお人好しで、単純で。あたしみたいな女でも捨てられなくて。彼がいれば私はひとりじゃなくていいの。没落なんて関係ないし、いやなやつのところに行かなくていい。彼がいれば私はまた強くなれるし、ここに入り込んだ異物の対処だって……! ここはあたしの楽園なのよ! あんたみたいな底知れない男はいやよ、それに……あんたみたいないい男に守られてるその女も!』

 ぶわりと膨れ上がった魔力をぶつけられ、咄嗟に突き出した杖が僅かにそれを相殺する。さすが魔道具の杖だ、ただの魔力に多少なりと干渉できる上に、この状況で折れないなんて優秀すぎる。……が、当然相殺しきれなかった力に押し出され、息苦しい程の純粋な力を前に呼吸すらままならない。

『あたしたちはこれからゆっくりと再会までの時間を埋めて、彼が再び眠りにつくそのときまで愛し合うのよ! そんな時間を邪魔するなんて、無粋でしょう? わかるわよね? その女も、何か隠しているんでしょう? あんたほどの男が囮になるほどに! あたしと、彼の時間を、邪魔しないでぇえっ!』


 次に感じたのは、ただの魔力ではない、術の気配だった。それの対象は当然私たちだけではなく投げ出されていたバートも一緒で、ジュストだけが捕らわれたまま、私たちは押し出されるように距離を取らされていく。

 私を支えたまま、ユウが「くそ」と声を上げ、何かを投げるような動作をする。その動きだけでは何をしたのかよくわからなかったが、きっと恐らく、ユウは『彼』を見捨てるつもりはないのだとわかる。

 意識が朦朧としているらしいバートはまともな抵抗もできず、それをなんとか伸ばした手で服の端を掴まえて捕らえたが、私たちはそのまま手も足も出ず投げ出された。一瞬の衝撃のあと、僅かに感じる腐臭。私たちはそれ以上の動きがないと気づいて周囲を見回す。


「やられたな。さすがダンジョンの主、俺たちだけあそこから出されたか」

「部屋を移動させられた? 何階だろう、ここ」

「少なくとも、地下四階より下だ。この迷宮が本当は何階ある構造なのか知らないが」


 さすがに立って着地、とはいかず、片膝片手を地面について着地した私たちのその手の下に、ねとりと粘着質な音を立てるあの水があった。腐臭もある。すぐさま周囲を立ち上がり警戒しつつ、『清浄の水』で洗い流す。何が起きているかわからない以上、感染症などの可能性は潰しておくべきだろう。

 倒れ込んだまま動かないバートにも水をかけるが、決してぬるいわけではないその水を浴びてもバートが目を覚ますことはなかった。ポーションも飲ませたが、あの状況では頭を打っている可能性もある。

 今は普通の女性より力がある冒険者といえど、さすがの私も体格があるバートを連れて歩くことは不可能だ。ここはユウに頼むしかない、となれば、必然的に戦うのは私になる。……ルリは無事だが天月がいない今、付与術のみで対応しきれる可能性は低い。

 覚悟を決めるしかないかと思ったその時、微かにうめき声が聞こえた。


「ポーションが効いたか。おい、起きろ」

「ぐ、ぅ……あ? くそ、ここ、どこだ」

「わからないが、地下四階かそれより下だとは思うぞ。寝てたら死ぬと思え」

「あー……あー、思い出してきた。ああくそ! あの女、あいつをどうする気だ!」

 がばりと勢いをつけ上半身を起こしたバートが、直後「いてててて」と呻く。素早く腰に下げたポーチからポーションを取り出して飲み干し、そのまま容器は苛立ち紛れと言った様子で地面へと叩きつけられた。カシャンと軽い音を立てて砕け散った容器が光を反射しないほど薄暗いこの場所で、バートの瞳はぎらぎらと火を起こしたかのような苛烈な光を湛えていた。魔力が揺らいでいるのだ。


「落ち着けよ。騒いだって敵を呼び寄せるだけだ」

「うっせーなわかってるよ! くそ! 俺何もできなかったじゃねーか、青なのに!」

 強く握られた拳が、ダン、と地面に叩きつけられると同時に粘着質な水が飛ぶ。さっとそれをよけて回避したが、同じように避けたユウはそのままくるりと宙で回転すると着地と同時にバートの頭にがしりと手を置き体重を乗せたようだった。


「いででででっ! おい何すんだ!」

「落ち着けって言ってんだろうが、せっかく落としてやった汚れに突っ込むんじゃねぇよ。熱が出ても置いていくからな」

「は? あっ! ……お、おう。悪い、頭に血がのぼってたわ」


 ユウの視線の先の水に手をついた自分に気付いたのか慌てて手を離そうとしたバートは、ねっとりと絡みついたそれを見て口元を引きつらせるとすぐ冷静になったようだった。

 長く冒険者を続けた者にとって、怖いのは怪我より病、そして感染症だ。

 赤ポーションである程度の怪我は治せても、体を巡った毒素の排除は外部からの治癒や薬といったものと己の体力にかけるか、外部要因を補助と割り切っての本人の抵抗力や魔力操作などの能力による対抗が主なのだ。まさに緑のポーションの使いどころということになるが、一番治療に時間がかかる。

 超優秀な治癒師の解毒系術があればマシだが、当然体力は消費する上に本人にデメリットのない即時完全回復なんてものはない。受けた治癒やポーションの効果を全身に巡らせる為、その力に頼るだけではなく自身でも行うことが効果的であるという実験結果はいくらでもあるが、しかしそこに至るにはなかなかに鍛錬が必要だ。実験結果での成功例が大抵高ランク冒険者や騎士である時点でお察しである。

 基本的に魔力とは練り上げた先で操作するものであり、体内に意識を向ける機会は少なく、難易度も高い。私もユウも抵抗力は高いが、それでも気を付けているのが清潔を保つことなのだ。バートの反応も当然である。


 うわぁ、と嫌そうな顔をして立ち上がったバートにもう一度水を出して手を洗わせ、担ぐ必要がなくてよかったと思いながらも周囲を見る。まるで廊下のような長い通路だが、やはり一度見た地下四階同様、不自然なほどに魔物の気配はない。

 そこでふと思い出したのは、先ほどの透け透……幽霊少女の言葉だ。


「ユウ、あの幽霊が言ってた『ここに入り込んだ異物』ってもしかして、双頭とか異形のアンデッドかな……」

「そういうことかもな。その排除のために力が欲しいようなことは言ってたが、それで人違いの恋人を返してとか言われても笑える話じゃないし――」

「おい、待て待て。なんの話だ?」

「あー、お前最後の方ほとんど気絶してたな」

「うっせーよ。お前が嫌いだとか叫ばれてたとこはなんとなく聞こえてたよ、ありがとな!」


 どうやらユウの行動理由を勝手に明かされていた間は多少なり聞こえていたらしい。ユウは不服そうだが、まあ事実なのは間違いないだろう。とはいえ、聞こえていたのはほとんど最初だけのようだったが。

 ということで、ほとんど意識がなかったバートにあの時のこと(私たちが何か隠してると指摘されたこと以外)を説明しつつ、右か左……前か後ろかというべきか、迷路と言ってもいい地下迷宮内のどちらに向かうかを多数決で決め、私とユウが選んだ先へと進みだす。

「ぜってー後ろだって」

「しばらく奥まで続く一本道より、曲がり角でも変化があったほうがわかりやすい」

「こっちの方が曲がり角が近いってか」

「……お前が気絶している間に多少周辺は調べたからな」

「なら先言えよそれ!」

 わりと元気を取り戻したのか、吼えるように叫ぶバートのいる方の耳を塞ぎながらユウが面倒くさそうな顔をしているが、ユウはここに落とされてからというもの周辺の探索なんてしていない。恐らくかなりハイレベルな暗殺者の探知系スキルを使用したのだろうが、それを説明する気はないのか誤魔化したようだ。

 あの少女には私が何か隠しているとばれたようだが、見られたわけではない。恐らく私が隠しているものというのはグリモワールのことだろうが、それは別に決め手というわけではなかった。ユウの方が、よほど力を温存している。それでも私たち人が何かするのではと恐れる程度には、少女は疲弊しているのだろうと考えられる。


「恐らくすぐジュストが殺されるようなことはないはずだ。今は戻って態勢を立て直すぞ」

「この場所を離れてあいつが助かる可能性があるのかよ! このままもう一回地下の入り口探して――」

「青のあんたたちが手も足も出なかったんだ、これはもっと上のランクに頼む問題だ」

「お前らは、緑なんだろっ! ランクなんて関係なかったじゃないか! さっきは油断しただけだ、頼む、もう一回あの場所に行くの手伝ってくれ!」


 それはある意味いい柔軟さなのかもしれない。

 ランクで強さを決めつけられるような環境で、ランクなんて関係なかったと、下のランクに躊躇いもなく助けを求める彼は、確かに友人を思っているのだろう。

 だけど私たちだって、何もここまで状況を知ってしまった現状、見捨てて逃げると言っているわけではない。今は状況がまずい、それが理由だ。


 まず一つ目、天月がいないこと。これは、テイマーである私にとっては武器が一つないのと同じ、かなりの痛手である。しかも、怪我をした冒険者を乗せる為体の大きさを変え、その防御力や移動の補助を行っている現状、離れていながらも天月に魔力を送り続けているのと変わらないのだ。私が過保護にユウに守られていたのはユウがこのことをわかっていたからである、と、一応心の中で主張してみる。……修行しよう。

 二つ目は、このダンジョンにまだ逃げられぬ冒険者がいるということ。そう、あの怪我をした女性冒険者の仲間である。あの核との戦闘でこの迷宮が崩落する危険性が出た以上、逃げられず隠し部屋にこもっていると思われる冒険者たちを先になんとかしなければならない。

 他に迷宮に潜っている冒険者たちがここから出られるようにしなければ、勝手に崩落なんてさせられないのである。


 三つ目は、バートだ。

 彼は、というよりジュストとバートは、先ほどすべて後手に回った状態だ。落下時も、その後も、常に付与術士である私の支援やユウの強引な魔力操作によってフォローを受け生き残ったという、ぎりぎりの状態であったのである。

 私は確かに後方支援がメインであるが、出会ったばかりの特技や動きすらわからぬ相手との連携をこなしつつユウの後衛を務めるには不安があり、その辺りは私の冒険者としての経験不足が如実に表れたことになるが、ジュストが捕らわれた今その状況のまま突撃するには無理がある。連携が取れないなど、修正不可能な事態に陥る可能性が高いのだ。


 はっきり言ってもいい。だが、口論している暇もない。私とユウは一つ目と二つ目の理由だけ説明したが、とくに二つ目の理由を聞いたバートは唇から血を流すほど感情をむき出しに震え、そして最終的には一度脱出に同意した。

 次もあの核を壊さずに脱出できる保証はないのだ。そうして魔物のいない、妙な胸騒ぎを覚えるような薄暗い地下で、私たちは血の匂いをかぎ取った。

 腐臭は残っているが、だからこそ際立ってその血の匂いが鼻に残る。それを辿れば、変わらない景色ばかりのように思えたこの地下空間に、とうとう変化が現れた。


 通路に、引きずったような跡と長い血筋。まだ乾ききっていない、真新しいそれには覚えがある。はっとしてその痕を辿って駆けた私たちは、がらんと開いた、瓦礫が隅に押しやられた広い空間に飛び出した。


 ぐるりと土に囲まれたような空間であったが、一部の壁に、ひどい爪痕のような傷がたくさん残っている。敵の気配はないが、激しい戦闘痕は残っているようだった。土の削れた痕も、血痕もすべて、そこまで時間が経っていないものばかりだ。


「ここは……」

「地下四階の隠し部屋、かもしれないな。アンデッドはいないみたいだが、もしかしたら立てこもってる冒険者がいるかもしれない」


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