77.秘密迷宮の巡愛―6
落ちる。
それは、きっと深くはなかった。長い距離ではない筈だ。
それは、ただの希望だった。
それは、永遠とも思える死の前の一時であったのかもしれなかった。
「紐なしバンジー体験なんてやだーっ!」
「案外余裕だな? ミナ……」
叫ぶ私に、どこか呆れたような声でユウが腕の力を強くする。
すぐそばではなんとか落下に抵抗しようとするも重心がずれて頭から落下するジュストとバートがおり、叫んではいるが体勢を立て直す余裕はないようでもがいている。対し私はユウの腕の中に抱え込まれ、ユウが背中を下に向け落下から私を守るようにしながらも、まず足を着けるようにと風で体勢を調整しているのだとわかる。
周囲は土壁のようなものが岩壁となり、速い速度で下から上へと流れている。
だが、速いと言ってもなんだか違和感がある。これはなんというか、体を叩きつける風や浮遊感は本物だが、まるで速度を調整されているようではないかと思ってしまったのだ。急に視界が開けたと思えばその様相で、しかもユウに抱えられた安心感からつい、若干余裕な言葉が出てしまっただけである。やることはやるよ、一応。
「ってことで、『我らの能力を増幅せよ、身体強化』! そこの二人、体勢を立て直して!」
「風で補助してやる、さっさとしろよ」
「え、う、うわっ」
私が全員に身体強化を付与した直後にユウがやや乱暴に風の魔力をぶつけて頭を上空へと向けさせ、それに慌てたように手足を動かし宙でなんとか姿勢を保ったのはさすが青ランクと言ったところか。……そういえば、青ランクと言えば未開の森周辺の警戒調査に派遣されるほどの腕前なのだ。ならばこの程度の魔力反応、何が起きても自分の実を守る程度には対応できるだろう。
そう、落ちていく間に、私たちは下に何らかの意志ある者が魔力を操る波を感じたのだ。
この状況で、下にいる何かは敵か、味方か。まぁ敵の確率の方が高いなと思った瞬間、狙ったように私たちの元へと石礫が放たれた。敵確定だ。
それを杖で殴り、ユウが鞘で弾き、ジュストとバートが慌てたように体を捻って回避するが……その石礫の位置に、はっきりとした違和感を感じたその時だ。
「地面だ、着地しくじるなよ!」
きっと本当に落下時間は長くはなかったのだと思う。見えてきた石畳のような地面を前に、私はユウに支えられながらも、役割を理解して杖を構えた。
私だって修行に耐えてきた身だ。突然の落下とはいえ、着地に失敗したりしない。それでもユウが支えてくれているのは優しさ……だけではなく、次の私の役割の為である。
「ユウ、行くよ! 『風と共に走り抜け、全てを燃やす炎の力、大地は盤石な支えなり、流れゆく水が助けとならん』!」
ユウの支えで地に足を下ろしながら、練り上げた魔力でユウに付与をかける。
身体能力を向上させる身体強化の上位派生、以前使用した防御付与の対ともいえる攻撃力増加の付与魔法。防御ではなく攻撃上昇効果の付与を選んだのは、この狭い地下空間でも最もユウが動きやすくするためだ。
今現状私が使用できる付与魔法でも最も上位に位置するその術をユウに使用すれば、私から離れた瞬間地を蹴ったユウが、この地にある魔力をほとばしらせる何者かに肉薄する。
『炎よ宿れ』
抜刀と共に静かに声を上げたユウの魔力が刀に纏わりついて燃え上がり、そしてそれは私の付与術を用いて激しく燃え上がって、そして急速に収束した。
消えたのではない。圧縮されたのだ。
凶刃となるその炎を纏う刃は、ユウの狙う対象に寸分違わず突き刺さる。ゴウっと聞こえる音はすでに斬撃の音ですらない。
すぐそばで息を飲むような音が続けざまに聞こえたが、ここにいる二人もまた着地と同時に攻撃に転じたユウの動きを視界にとらえたらしい。
『きゃぁっ、な、なになになにー!? どうしていきなりあたしが殺されかけてるのぉおおっ!』
突如響く可愛らしい、……聞き覚えのある声。私たちが穴に落ちる直前に聞いた、あの声で間違いなかった。やはり、とユウが対峙する相手に視線を向けて、思わず足を引きかけたが耐える。
そこにいたのは、少女だった。今の私より少し上の年齢の、可愛いと綺麗を内包したような可憐な少女。白いドレスに身を包み、ふわふわの金の髪を靡かせて、細い手首を慌てて前に突き出す――体の透けた、少女だ。
「ゆ、幽霊!?」
声を上げたのは私ではなくジュストだが、私の心で響く悲鳴も同じである。幽霊。アンデッド蔓延る、いわば死者とは肉体を持ったゾンビのような何かであるこの世界において……幽霊。霊体。……はぁあ?
下にいるのは敵だとは思っていた。だがまさか、前世のホラーで良く聞くような死者の魂だとか霊体だとかそういった幽霊と呼ばれるものがここにいるとはさすがに思わなかった。
ここはダンジョン、いくら初心者用といえど、死者がいなかったとは言わない。
というよりこのダンジョン自体が何らかの人工的な建物の跡地なのだ。何百年もしくはそれ以上昔か知らないが、そこには確かに生活する人がいたはずで、今この世界の人間であるジュストが声を上げたように『幽霊』という言葉や概念がこの世界にもまぁ物語なんかであるにはあるのだが、いないと思っていたものがいるという衝撃はなかなかのものだ。そういえば前々世でも幽霊はいた気がするが、どちらかというと魂魄に干渉した禁忌の魔術系統であったので、幽霊はしゃべることもできず佇むだけのホラー現象でしかなかった筈だ。
ということで目の前で喚き散らしている可憐な透け透け少女にはやっぱり驚かされるものがあり……有り体に言うと、こわい。
ひ、と上げかけた悲鳴を飲み込んだのではなく、出すことすらできない驚きに体が強張る。戦なんて当たり前、魔物も魔人もアンデッドも等しく敵だという環境で育った記憶もあるのだから、ホラーなんて今更……なんて思っていたが、透ける体で魔力を迸らせる得体のしれない少女にはさすがに驚いた。人は、知らぬものを恐れるのだ。そもそも肉体がないのに器たる魔力を操るなど、力の権化たる竜族ですらあり得ぬ話である。
だが、怖がっている場合ではないのだ。少女が突き出した両手からこれでもかというほど刃とも言える魔力が噴出して周囲を巡り、周囲の石がまるでポルターガイストでも起きているかのように縦横無尽に暴れまわる。ボケっとしていたら殺される。そう見てわかる状況に、怯えている場合ではないとなんとか杖を振り上げる。
「ルリ! 『回避上昇』『盾』『加速』、逃げ回れっ! ――えっと、あああ、『包み込む安らぎの光、陽光』!」
ルリへの指示はすぐに出すことができたが、問題はいまだ何らかの魔力と切り結び続けているユウへのフォローだった。
麻痺させる? ――肉体がないのに?
ならば沈黙? ――言葉なく魔力を放出する幽霊相手に?
であれば浸食? ――
ユウを強化する? ――すでに現時点最強の付与は使ってる!
やばい、どの付与術が効くのかわからない!
となればと、咄嗟にそばで混乱か恐慌か魔力を乱れさせるジュストとバートの二人に心や魔力の乱れを落ち着かせる効果のある『陽光』の術をかけ、その間にも今私が使える付与術をいくつも引っ張り出して考える。
麻痺はもしかしたら、金縛りのように魂を痺れさせることは可能かもしれない。……が、それには何か術式が足りない気がすると前々世の知識が囁きかける。
沈黙は無理だ、意味がない。直感を信じてその手を切り捨て、浸食も改良が必要と断じ、夢へと誘う『誘惑の魔手』も恐らく抵抗されると感じ、あれもこれもと却下する。
ユウは刀で目に見えぬ何かといまだ対峙し続けている。まるでユウの刀をあしらうように動く少女の手のひらには、ユウの魔力が圧縮された刀をも弾くような超高濃度の魔力が集まっているように見えた。
苦戦しているというよりは、どうやら切れないらしいと気づく。というより、透ける体に刃が通過しても、当たらないようなのだ。だが、最初の一撃はくらったのか、血は出ないまでも左肩に斬撃……というより破裂したような痕があり、何らかの方法で今は防いでいるのだろうと思われる。
ユウは付与された増強効果の力を使いこなし、魔力を安定させたまま乱れなく刀を振るい続けている。あれほどに目に見えるほど圧縮された魔力の塊相手に弾かれることなく剣戟を続けるあたりはさすがユウだが、焦りは見られずともどうにも決め手にかけるらしく、ユウの変わらぬ表情からは探るような視線が消えていない。きっと刀を振るい続けながらも、この周囲の強度のわからぬ地下で自分がとれる手段をいくつも考えているのだろう。生き埋めはさすがにごめんだということだ。
唯一刃がぶつかるのがあの手のひらの濃縮された魔力である。ひとまず、ユウはあれを叩き切ろうとしているらしいと判断する。
幽霊の相手なんてしたことないのでそれが正しいのかは謎だが、それしかないといったところか。……
ガキン、と襲ってくる石礫を杖でたたき落とせば、背後でも恐らく私を狙っただろう他の石礫をルリが体当たりで落とすのが見えた。再度『盾』でルリの守りを固め、残り二人の冒険者が戸惑いながらも武器で石礫に対抗するのを見て、その違和感に確信する。
当人も恐らく気付いているのだろう、訝し気な表情をしているが、ならばと私は駆け出し、バートのその腕を引っ張りこんで、困惑するジュストにぐっと押し付ける。
「えっ」
「おい、なんだ!?」
「そのまま応戦してください、ジュストさんのそばには石礫が来ないんでしょう?」
そう、先ほどの体が落下していた頃からそうだったのだが、なぜか、ジュストさんだけはこの剛速球のような石礫から一切狙われていなかったのだ。
なんの理由があるのか知らないし、もしやあいつの仲間かとそんな可能性も過ぎるが、それならば肉体がある彼には少し痺れたり夢を見てもらえばいい。そう判断して、不審な動きがあればジュストに体当たりして止めるようルリに念話で指示を飛ばし、一人石の暴風雨とも言える中を杖を手に駆け出す。
ユウの動きには余裕がある。恐らく相手の隙を探し様子を見ているのだと判断して、私は再度手を伸ばし、『陽光』を再び、今度は敵横付近に向けて発動した。幽霊って光を嫌いそうじゃない? という安直な発想ではあるが、効き目はともかくとして驚かせる効果はあったらしい。
ぼとぼとっと陽光周辺で石が落ち始め、『ええっ、なんでぇ!』と可愛らしい声があがる。どうやら相手の不意はつけたようだと確信し、私は続けて詠唱を開始した。
『照らすは魔、隠れしその姿をさらせ、払暁』
付与と前々世の魔術の恐らく混合となるであろう、対象に対する幻惑や夢、隠遁系の力を晴らす術だ。前々世では使用に慣れざるを得なかった、魔人族を炙り出す術であるそれは、もしかしたら幽霊にも有効かもしれない。
そう判断した私の勘は正しく、発動したその時点で少女は高い悲鳴を上げる。光の力が組まれた付与が体にかかり、まるで本体をさらすように透けた体が一瞬濃さを増したのだ。
『きゃぁああああっ』
動きが止まった。そこを狙って、一人荒れ狂う幽霊の動きを翻弄し抑え続けていたユウの刃が、その頭上に掲げた手のひらの魔力ごと胴体を分断するように振り下ろされた。
圧縮された魔力がまるでガラスのように砕け散り、じゅわり、と溶けるような音を立てて、幽霊と思わしき少女が零れるように姿を消す。
同時に、多少無理をしてこの世界にはない魔術をくみ上げたせいかどっと疲れて揺れる体を、即座に戻ったユウに支えられた。だがそれも僅かな間だ。
切ったとはいえ、得体の知れない相手であった為に最大限の警戒を続けて周囲を見回す私たちの耳に、「やったか!?」なんてテンプレートなフラグを立てるバートの声が聞こえたが、敵の姿が再び現れることはなく……
『ひどぉい、いきなり切りかかるなんてあんまりじゃない? あたし、ここの迷宮の核なんだよわかってるー? もーっ、体ぼろぼろー! 助けて私の王子様ぁ』
のんきとも言えるような響く声だけは変わらないままそこにあり、珍しくユウが「くそ」と吐き捨て僅かに魔力を波立たせた。
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