76.秘密迷宮の巡愛―5
治癒師のソフィア、魔法剣士のジュスト、狩人のバート。
それが、スビアイ山であった冒険者たちだ。……再度聞くことはできなかったので、彼らの会話から聞き取っただけだけれど。
私たちを見て足を速めた彼らだったが、私が肩を貸しているのが怪我人であると気づくと、その後は見事な連携で動き出した。
ソフィアと呼ばれたあの緑ランクの女性は治癒師であったようで、応急処置しかできていなかった足だけではなく、あの不衛生で粘着性のある液体がばら撒かれた通路を傷口むき出しで歩いたことによる感染症対処に即座にかかる。ジュストという青年は剣をいつでも抜ける状態で周囲を警戒し治療を行うソフィアと患者につき、狩人のバートは持ち前の索敵能力を駆使して周辺の警戒だけではなく敵が近づくと音が鳴るように罠を仕掛け、即席の安全地帯を作り出したのだ。
当然私たちもただ見ていたわけではなく、患者を地べたに寝かせぬよう敷布を用意してみたり新たな水を用意してみたりと手伝いに動く。ちなみに大判の敷布は、新調した肩掛けの鞄があたかも魔道具であるかのようにふるまって腕を突っ込んだユウが指輪から取り出したものである。
そうせざるを得なかった。さらに増えた冒険者の姿に安堵したのか、私が肩を貸していた女性はその場で崩れ落ちたのだ。容体は、長くはない距離を歩いただけであったが確かに悪化していたのである。
貸した肩に乗る重さが増し、耳元で聞こえる息が荒くなり、服越しに触れる体温が上がっていたのは間違いなかった。最悪の状況を迎える前に、治癒師のソフィアが今すぐ処置が必要と判断したくらいなのだから、ここで出会ったことは幸運であったのだろう。
緑の下級ポーションでは、満足に体力が回復できなかった、ということだ。私たちの持っているポーションの質は悪くない。冒険者は一般的にそうでない人たちより体力もある筈で、それでもこの状態ということは、地下四階はよほどヤバイ状況であると感じさせる。
「ユウ……」
「他の冒険者が地下四階より下にいる可能性はある。あまり時間はないかもしれないな」
「君たち、二人で話し合ってないで、状況を説明してくれ! 怪我人に説明させるのは酷だろう!」
声を上げるジュストに、まぁ確かに、とユウが口を開く。
地下四階にまったく敵の姿が見当たらなかったこと。そこにこの緑ランクの女性冒険者が、片足をなにかに喰われた状態で倒れていたこと。
彼女は四人組で行動していた冒険者であり、突如現れた腹に口があるアンデッドに苦戦して、散り散りになったらしいこと。仲間は恐らく地下四階の隠し部屋に潜み、扉を土壁で塞いで立てこもっているだろう、と彼女が話していたこと。
「腹に口があるアンデッド……? 元からそういう化け物みたいな様相の魔物がアンデッドになったということか?」
「いや、腹に口があるってんなら、スビアイ山にもいたんだ。レッドベアが一体、腹に口をつけたまるで特殊個体のようなアンデッドとして山にいた。舌が長いだとかそこだけ腐ってないだとか、ここで出たっていうモグラの魔物のアンデッドの腹についているものと特徴が似てる」
「山でアンデッドに遭ったのか……! しかもレッドベアなんて、元が青等級である以上アンデッド化すれば討伐依頼は恐らく赤だぞ、そんなまさか! 報告したのか!?」
「したよ。倒して山を下山したあと、すぐスビアイで報告してる」
「倒したぁ!?」
直接ユウと会話していたジュストより先に驚いた声を上げたのはバートだ。まじかよ赤だぞ、という言葉からも、私たちが緑ランクでありながら赤等級以上と思われるアンデッドを倒したことに疑惑を含んだ驚きがあるのだとわかる。
しかし、驚いた表情をしながらも問い詰めそうなバートを止め、冷静に話を進めたのはジュストである。
「スビアイ山とここのダンジョンに共通して何らかの異常が起きていると?」
「その可能性を危惧してる、ってとこだな。何せ俺たちは見てないが、彼女たちは昨日地下三階で双頭の蛇を見ているって話だったから」
「双頭の蛇? 逆さ蛇の特殊個体か?」
「だとまだいいんだけどな。なんでもスビアイ山でも見つかったらしいぞ、双頭の蛇。この情報も彼女からのもので、俺たちは未確認だ」
彼女、とすでにぐったり寝込んでいる様子の冒険者を指してユウが説明すれば、少ししてジュストとバートの二人は難しそうな表情で黙り込んだ。
そこでふと思い立ったのか、ユウがあと二人いなかったか、とジュストに向けて問う。そういえば山で出会ったときは五人組だったような気がするな、と思い返していると、もともと残り二人は暫定的なメンバーであり、依頼が合えばたまに組むといった間柄であると説明される。つまり、現状はこれ以上ここに助けになりそうな冒険者が現れることを期待できないということだ。普通にダンジョンに挑んでいる冒険者もいるだろうが、やってくるのを待つより自分たちで動いた方が早いというものである。
しかし一体、何が起きているのか。その声に出さずとも感じるような表情に、ひたすら治療に当たっていたソフィアもまた顔色を悪くし……突如、かっと目を見開く。
「ちょ、え!? 地下三階って言った!? ここじゃない! ここでも異常が起きてるかもしれないんじゃない! 私たち地図を買ってそのまままっすぐここまで来たから、他に情報なんてないのよ!?」
「そんなこと言ったらここは地下四階に繋がる階段のすぐそばだぞ? いつアンデッドが上がってきてもおかしくないんだから、治療が終わったらさっさと移動しよう」
「そうね、そうだったわね! あなたたち二人冷静ね!」
あっさりここが危険だと言ってのけたユウだけではなく、隣にいる私までひとまとめにソフィアが「なんで落ち着いてられるのよ!」と理不尽な怒りの声を上げている。どうやらかなりパニックを起こしているらしく魔力が一瞬乱れたが、それでも一瞬なのだからなかなかの使い手なのかもしれない。治療はほぼ終わらせたようなので、それを見て天月を少し大きなサイズに変更する。地下三階の通路は地下四階よりまだ少し広く、上に行くほど通路には余裕がある構造なのだ。
「天月、ごめんね。背中を貸してくれるかな?」
『けが人を、はこぶんだね! まかせて! でもとくべつだからね』
まだ子供であっても誇り高き銀狼。主である私や認めているユウ以外を乗せることは多少なり抵抗があるらしく、とくべつ、ということを強調する天月の頭をゆっくりと撫でる。
ぶん、と尻尾を振ってアピールする天月に、ユウがすでに意識が朦朧としている冒険者を担ぎ上げた。そのまま敷布を使って天月が苦しくない程度に固定する。
朦朧とはしているが治癒が効いたのか呼吸は落ち着いて顔色はマシになっており、あとは休ませることができればといったところだ。さすがに失った足を元に戻すことはできないだろうが、命の危険は脱したとみていいだろう。
さて行くか、と足を踏み出した瞬間、ぴたりと足を止めたのはジュストで、それを振り返って確認したバートもまた察したように表情を変える。
「……オレは、地下四階を探ってくる」
「んじゃ、付き合うぜー」
「……は!? だめよ、何言ってるのジュスト、バート。怪我人を運んで救助を呼ぶのが先に決まってるでしょ?」
「だが地下四階には他の冒険者もいるかもしれない。このダンジョンの推奨は緑ランクだ、少しでもランクが高い人間が行って注意喚起しないと、犠牲者が増えるかもしれないだろう」
「はっ?」
「ソフィアは怪我人を見ないといけないだろうから、彼らと一緒に上に上がるんだ。ギルドに報告してきてほしい」
「いやいや、待って。何かあったらどうするの?
「でも、そっちの二人だってそうだろう。応急処置しかしていなかったんだ。治癒師じゃないんだろう?」
問われて、わざわざ情報を口にするつもりはないと私もユウも無言を貫く。私たちだって状況から彼らを魔法剣士、治癒師と判断しただけで(バートのみ山で自分は狩人だと自己申告していたが)、別に自己紹介を受けたわけではない。あちらも私が従魔を連れている時点でテイマーであることを察してはいるだろうが、だからといって仲間でもない相手にこちらの手を説明する理由もないのだ。
聞いておいて答えるとも思っていなかったのか肩を竦めたジュストは、危険だから君たちははやく行くんだと促しこちらに背を向けた。
ユウと視線を合わせる。彼らは青ランク、私たちよりもランクが上で、私たちのようにそのランクに見合わぬ戦力を持っている可能性だってある。……だが、先ほど警戒する彼らに見えた魔力量は、至って一般的な冒険者のものであった。隠しているならまだしも、……本当に、行かせていいのか?
「ジュスト、バート!」
「止めるなソフィア! オレたちは行かなきゃいけない、少しでも犠牲を減らさなければ!」
「でもっ、アンデッドなんて――」
だがその時、ぐ、と苦しそうに呻く怪我人の声に我に返ったらしいソフィアが、非常に苦しそうな顔をして二人から視線を外す。どうやら彼女は、仲間を信じて送り出す決意を決めたらしい。
私とユウが下に降りた方がいいかもしれない、という考えがなかったわけではない。経験不足であるという自覚はあるが、それでも普通の冒険者ではないという自虐を含んだ自覚もあるのだ。
だが私たちが口を開くよりも先に、想定外のことが起きた。
――見ぃつけたぁ
「っなんだ!? 今声が」
ぞわり、と背筋が粟立った。
とても可愛らしい声だった。まるで愛しい人にかけるような、ひどく上機嫌で、愛らしく、柔らかい……それでいて全身を凍り付かせるような、少女の声。
それが、迷宮内の通路を反響するように響いている。完全にホラーだ。私と、そしてユウの探知にも引っかからない何者かの声が突如響いたことに全力で警戒する。
が、遅かった。
「え」
「うわ!?」
突如、全員の足元がぽっかりと大穴をあけた。落とし穴のような突然の床の消失に、罠なんてなかった筈なのに、と全員の顔色が変わる。
壁を蹴って駆け上がろうにも、穴が大きすぎて届かない。かろうじて先を進もうとしていた天月が通路に近いとみて、私は咄嗟に杖を振った。
「なんっ……天月! 『加速』『加速』『盾』!」
「天月、行け!」
私の意図を察したユウが、私に『飛翔』の付与をかける余裕がないとみて援護するように風の魔力を天月へと向ける。もちろん攻撃の為ではない、天月を上に押し上げる為の風だ。
「きゃぁああっ!」
天月は私たちの意図をくみ取り、真横にいたソフィアのフードを噛んで一気に落とし穴から脱出する。ソフィアを連れていったのはもちろん怪我人の為だ。
内臓だけがふわりと浮くような、ぞっとする感覚が体を支配する。暗すぎて下が見えず、どこに落ちるのかすらわからない。今から飛翔をかけようにも、制御が難しいあの技を使いこなせない現状では、通路に戻るには不可能な距離がすでに開いている。
そのまま落下する私たちの目の前で、落とし穴は急速に閉じ始めた。いつもの罠のように下から土がせりあがるのではなく、確実に上が土に覆われていく光景にぎょっとする。天月から、私たちを助けることができなかった悲痛な声を上げる念話が届くが、それに大丈夫だと答えた瞬間、私の腰を抱えて引き寄せたユウが、着地の体勢に入ったのがわかる。
「舌噛むなよ、そのまま任せとけ」
大丈夫だ。そう感じてほっとして、どうやら落ちることなどなかっただろうに私についてきたルリに『防御上昇』をかけたところで、暗闇は唐突に終わりを告げた。
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