66.ノクトマとスビアイ山―13


 長いようで短い一生だ。

 魔族のいる世界で魔王が誕生し、幼い頃からその脅威にさらされ生きて、勇者一行に選ばれ旅をして、恐らく魔族の術中にはまって死んだ。

 言葉にすればそれだけのことのような気がするが、必要な情報の補足をして話し終えた頃には、ユウは深く息を吐きだし額の前で組んだ手が強く握りしめられていた。


「後がない程魔族とやらに消耗された世界の、魔王討伐を目的とした勇者の仲間……」


 そう、そういうことなのだ。私の拙い説明の中から要点を抜き出してくれたユウにほっとすると、その握りしめられたユウの拳が震えるのが見える。


「そして、仲間に殺された……?」

「う、うん。というよりたぶん、魔族の陰謀にかかったというか」

「ミナが野営や夜に他人がそばにいるのが苦手な理由は、そこだろ」

「……それは、たぶん。たしかに耐えられないほど恐怖はある、よ。二度転生しても忘れられないの、治癒師を殺された幼馴染の目が。呪いの因果はわからないけれど」

「……呪い。くそ、この世界じゃ呪術は占術の下位互換扱いで不遇だ。情報がなさすぎるな」


 ユウの組まれていた手が開かれたかと思えば、ぐしゃり、と乱雑に黒髪がかき乱される。ユウが私のことで怒り困っている、という事実は予想通りで、そしてひそかに期待した通りで、そしてとても苦しかった。

 聞かせたくなかった。隠していたかった。だってユウは、あの案内人として私の半生を視た時から苦しそうな表情を見せてくれていたのだから。……それに、重荷になりたくなんてなかった。


「ミナ」

「はい」

「……はぁ。こっち来い、ほら」

「うん……?」


 片手を広げるユウとの距離を、言われるがままほんの少しだけ詰める。ベッドに横並びであったが、その距離は私たちにしては広い方で、少し詰めてもまだ距離がある。だがユウの手が届く範囲に来たところで、私の腕はユウの力強い手に引っ張られた。


「少し触る。我慢しろよ」

「え」


 そのまま腕に囲われ、何事かと硬直する中で、ユウの手が背に触れた。じわりと広がる魔力にはっとする。肌の上を、その下を、撫でるように、温めるように広がっていく魔力は、決して私を傷つけるようなものではなかった。引き寄せられ、肩に頭を乗せる。我慢しろ、と言われるがまま目を瞑って待っていると、くそ、とどこか焦るような声が聞こえる。


「どこだ。呪術なら、種がある筈だろ」


 この世界で呪術はほとんど発展していない。だがそれでもごく少数の情報の中に、呪術とは基本的に種もしくは核と呼ばれる呪いの中枢があるというのはある程度知られた話だ。それは、前々世でも変わらなかった。

 植え付けて、発芽させ、育てるものなのだ。まるで一つの命のように。

 今は私の付与術で抑え込んでいるが、根本的な解決には至っていない為今もあるだろうそれ。それを、ユウは自身の魔力と独自の探知を使って探ろうとしているのだろう。そんな強引な方法、ユウのように無駄に使えるほど大量の魔力やその制御する能力がなければ、やろうと思ってもやれるものではない筈だ。

 ……あとは、私の、ユウの魔力をなぜか拒否しないという体質のせいか。


「ユウ。今は私が抑えてるからきっと見つけにくい」

「俺だって除去は恐らくできない。けど……あった、これか!」


 それは胸の奥であった。私が気づかなかった、私が刺された、あの場所だ。


「クソ、小さいな。砂粒みたいなものだろこれ。こんなに小さいのに根付いてるのか……?」

「私、最後は負けたけど、すごく防御力の高い魔術師だったから。抵抗力も、それなりにあった。小さくて済んでたんだね、あんなに黒い魔力だったのに」

「あっけらかんと言うなよ。だめだ、俺の力じゃやっぱり消せない……この周りの極小の魔法文字、お前の付与術だな。あとで紙に書きだしてくれ、付与術の邪魔にならないように違う魔力を上乗せして強化する」

「……違う魔力?」

「俺に決まってるだろ。普通なら無理だろうけど、ミナは俺の魔力に拒否反応が出ないからな。今となっちゃ酒の結果とはいえいい情報だった。あとは結界と同じだ、構築する。付与術は無理だけど、結界陣くらいなら作る。確か呪術に対する防御結界があった筈だ、それを改変して……」


 どうやらユウはあの魔法文字だけで『魔術』に触れるに至ったらしい。この世界では魔法と一緒くたにされる魔術は、魔法よりも人の手が加えられた技術なのだ。

 すうっとユウの魔力が引いていき、腕も緩んだことで、私とユウの間に魔力を含んだ空気が流れ込む。それがどうにも体を冷やすような冷たさを持っていて、ふるりと一度全身が震えた。


「ユウ。私、あの世界を」

「その先は予想でしかないんじゃないか」

「そうだけど、でも」

「俺はその世界を知らない。だから何を言っても気休めにもならないんだろうけど、だからって俺は別にミナに対しての感情が変わったりしてない」

「ユウはそう言ってくれるんじゃないかともたぶん思ってた、だけど私は罪人だ! 幸せになるなって、きっと私自身もそう思ってる!」

「罪人ね。……てか、ミナに言わせておいて後出しってのも最低なんだけどさ。……俺はお前以上にこの世界で罪人だよ。そういう生き方だった。……そうだ、俺は前世より明らかに今世寄りの価値観で生きて、相棒のミナに過去を告白する勇気もなかった。くそ、ミナと一緒にいられないような人生を歩んできたのは俺か」

 珍しく取り乱したようなユウの姿に、はっとした。そうだ、私はユウが何か抱えていると、気づいていたのに。私が罪を言うことで、逆にユウを追いこんでしまったらしい。

 私と会う前のユウが何をしていたか、大体は想像がついていた。初期の頃は警戒から隠したがっていた二つ目の職業、大雑把に聞いたことがある元の生活が、それを示している。

「ミナ、俺がお前に会う前は」

「……暗殺者?」

「……そうだよな、気づいてた、よな」

 気づかないふりをすることはできなかった。その方がきっと傷つけるから。でもその瞬間のユウの表情は、初めて見るものだった。

 他者に対しては表情が抜け落ちたかのように無表情を見せることが多いユウだが、今の表情はそうではない。無の奥にすべてを閉じ込めたような、そんな複雑な表情だった。

 それこそ、転生を経て人生経験が重なった分深みが増した表情なのだろう。まだ十代の、幼さの残る少年の顔に浮かぶようなものではない。

 ユウは自身が暗殺者であったことを、この世界の価値観で気にしていなかったわけではないと、如実に示すものだった。

 ぽつり、ぽつりと語られるユウの過去。それは私には、大人に振り回されて必死に足掻く子供の嘆きに聞こえる。胸の苦しさに咄嗟に前髪をぐしゃりと握るユウの手を止め、その熱を知覚し二人同時に固まった。


 しばしの沈黙。そして再び二人ほぼ同時に、頭を抱える。


「あー」

「……んん」

「やばいな俺ら」

「ご、ごめん」

「両方だっての。ま、正直互いに察してたんなら、これまでとあまり変わらない気がするけど。……傷の舐めあいとか、依存とか、まぁ普通はあんまりいい関係ではないんだろうな。それだけなら」

「それだけじゃない?」

「そんな簡単な言葉で表されてたまるか。俺は二つと俺の核になったドラゴンの分、ミナは三つ分の人生だぞ」


 妙に力の入った言葉に、確かに、と頷いてしまう。私はそのまま人生三つ分、ユウは魂核が融合された後一週間眠り続けたあの間に感情や意志に触れる機会があったという。既にドラゴンの自我も記憶も何もない、と言ってはいたが、それは竜の心をユウが受け取ったようなものなのかもしれない。


「幸せを望むのは、ずるいのかもしれない。少なくとも俺の環境は恨まれて当然だった。それに、俺の体を使ったあの実験は多くの人間を巻き込んだ筈だ。何も知らない奴も。俺が最初、竜の魔力に耐えられなかったから」

「それはユウのせいじゃない! それに恨まれるって話なら、私だってこの呪いの種から、勇者の声が聞こえる。明確な恨みの声が頭の中でぐるぐるしてた。糧はきっとあの世界の民の恨みだ」

「それに関してはいつかその勇者とやらの術を必ずぶっ飛ばすとしてだ。俺としては、俺たちがすでに普通を捨てざるを得ない環境だったと分かったあの実験の後に、覚悟は決まってたんだ。……普通の幸せじゃなくても、旅とその先に、たった二つあればよかった」

「二つ?」

「ふは、欲張りに聞こえるか? 二つだよ。自由と、あと、ミナがいればそれでよかった」


 強制された暗殺稼業から抜け出して自由になりたかった。

 警戒ばかりの人生で、一緒にいたいと思ったのがミナだけだった。

 そう話すユウの言葉に、ぐるぐると気持ちがかき乱される。


「なら私は、ユウと、自由……?」

「あー、それに関しては……俺がミナを逃がす気がない時点で、自由があるとは言い切れないんだけどさ」

「私、呪われてるのに」

「関係ないな。呪いは絶対解く。それに俺なんてもう人間だとも言い切れない」

「それに関しては、私だって。……フェニックスの蘇生の後、異様に私たち身体能力高いよね? 怪我もすぐ治る」

「俺は気にならないな。ミナも同じなんだから、それでいいよ」

「な、なんか熱烈な告白みたいだね?」

「そりゃそうだろ、その通りだからな。ちょっとどころじゃなく歪んでるけど」

 こんなときに。思わずそう言った瞬間ぼろりと涙が溢れて、顔を上げたユウが困ったように指先を浮かせた。その指先が僅かに震えていて、私の口角が不格好に持ち上がる。


「うれしい」


 ユウの瞳が、大きく見開かれた。


 ユウへの恋心を自覚して呪いが発芽したのは間違いないだろう。

 私たちは普通じゃない。幸せは望んじゃいけないかもしれない。罪悪感から開き直るつもりもない。でもただ、目の前の人と一緒にいたい。

 その願いが叶うならきっと私は幸せなのだ。だからきっと発芽したのだろう胸の奥の呪いが、抵抗を激しくしている気がする。


「ミナ」


 ユウの手が背に回って、きつくぎゅっと抱きしめられた。魔力を感じて、暴れる胸の奥まで染み渡るようだ。それにきっと呪いを押さえつける効果はないけれど、私の力の安定には効果があったのかもしれない。どうにもほっとして、全身から力が抜ける。やっと心底安心できる場所を見つけたように、揺らぐ魔力すら安定していくようだった。

 そろりとその背に手を伸ばせば、歓喜するようにユウの腕の力が強くなって熱が上がる。


「一緒にいてくれ、ミナ。この先もずっと。何があっても、一緒に解決するんだ」

「うん……はい」

「ゆっくりでいい。俺たちは俺たちのペースで。だって俺たちは周りに合わせるのが難しいだろ」

「はは、そうかも」


 きつく抱きしめ合うと、漸く落ち着いたのかといった様子でルリと天月がそばにやってきた。そうだ、お前たちもいたなとユウが笑って抱き寄せ、みんなで体温を分け合う。

 幸せだった。けれど今は、今だけは、あの声は聞こえなかった。



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