65.ノクトマとスビアイ山―12


 軽い食事を用意したあと探したのは、昨日よりまた少しいい宿だった。

 緑ランクに上がるまでの報酬をほぼ宿と食費にしか使っていない私たちは、少しばかり……というより結構お金に余裕がある。依頼の報酬だけではなくあちこちで素材を得ては売って稼いでいた上に、私たちは冒険者が一番金銭をかけることになるだろう武器防具などの装備品にほとんどお金がかからないのだから当然だ。


 まだ早い時間に探したこともあって、私たちが今日泊まることになる宿は隙間風もないし、ベッドも汚れていない、そこそこ綺麗な部屋となった。

 昨日より少し大きなベッドに綺麗なシーツがかけられている。テーブルは少し頑丈そうだし、とても狭いけどシャワー室だってついていて、そこそこのお値段なのは納得だ。……ってまたベッドは一つか。まぁ、旅をしていてそこに文句を言えるわけもないのだけど。

 昨日よりいい部屋とはいえ、あくまで冒険者向きの部屋である。そこまで上質というわけではないが丈夫な家具に気後れすることもなくほっとできて、この宿は当たりだな、なんて言いながらも二人、ベッドの淵に腰かけた。

 周囲に視線を向ければ、隙無く防音の為の結界……魔法が施されたとわかる。制御が難しいこの魔法は、風属性や地属性の複合、振動を遮ることで一定範囲内の音を外に漏らさないようにするための術だ。ほんの少し前まで声が漏れないようドアの隙間に布を詰めていたのが、少し懐かしい。以前から見てもかなり練り上げられた精度の高い防音結界をぼんやりと見つめていると、ユウはなんでもないと言った様子で首を振る。


「昨日師匠の防音結界も見せてもらったからな」


 それで完全に仕上げたのか。私ももう少し練習しないと。……それにしても、話すための場の準備が、整ってしまった。


 どうしよう。


 この部屋はテーブルはあったが、椅子はなかった。サイドテーブル代わりなのか、ただの棚代わりなのか、そのせいで私とユウは横並びだ。

 このまま、すべてを話すことなく話すことはできるだろう。前々世の記憶があることは話してもいいのだ。それで、師匠が知らない魔法のことも、戦い慣れた行動をとることも説明できる。……その時守り切れなくて、友人が死ぬ様を見てしまったのだと、……言える? 本当に? 世界を破滅へと導く失態を犯したのだと、それだけ隠せれば本当に満足?


 違う、私は、前々世のすべてを悔いているのだ。


 どくん、と心臓が強く跳ねる。指先まで一気に震えて冷たい水が走るような感覚があって、座っているのに体がぐらぐらと揺れる気がした。


 そんなの、ユウが気づかない筈ないのに。



「ミナ」

「あっ……ちょっと、ちょっとだけ、待って。すぐ……」

「そんなにつらいなら、話さなくてもいい」


 特に感情の乗らない声だった。自然と出た言葉、ではない。きっとユウが、感情を殺したのだ。一時は遠のいたあの声が、またがんがんと頭で鳴り響きだす。

 気を使わせていると、痛い程わかる。仲間のこんな様子を見せられて、放っておける人じゃないのに。


『お前のせいだ』

 そうだ、私のせいだ。

『幸せになるなんて許さない』

 私は幸せになっちゃいけない、罪人だ。

『そうだ、愛されるなんておこがましい』

 あいされちゃ、いけない

『ゆるされない、お前だけが幸せになるなんて』


「それが本音か!」


 頭を抱え、立ち上がる。ユウが驚いた気配がするが、今胸の奥に湧き上がるこの感情は、どこまでも深い怒りだった。


「あなただけには言われたくない! 確かに私の油断があの結果に繋がったけど、聖女の一番傍にいたのは勇者のあなただった筈だ! 呪うほど私が憎いか! あなたにだけは言われたくない!」


 激しい怒り、恨みなのかもしれない。ただわかるのは、弓使いと治癒師の二人やあの世界の民ならばともかく、勇者は、あの人にだけは私を責められたくないという強い感情だった。

 別れたあと、何とも思っていないと思っていた。未練もないと。だけど、恋愛感情はなくとも、私にも恨む感情があったのかもしれない。

 きっと突然叫びだした私に、ユウは驚いた筈だ。気が触れたと思ったかもしれない。恨みとは呪術の糧になるのだから、怒るべきではないのかもしれない。


 だけど今戦わねば、飲まれる気がした。


『生意気な……!』


「絶対に負けない!」


 聞こえた声が、二つあった気がした。勇者と、聖女。二人の恨むような声が吹き荒れる私の魔力に押されるように脳内から遠ざかる。


「ミナ!?」

「ユウ、防音維持したまま私の魔力も部屋の外に出ないようにして!」


 叫ぶ私に反応し、ユウの魔力がすぐ部屋全体に広がる。……何も聞かずに信用してくれたのだとわかって、じわり、と目じりに涙が浮かぶ。

 そのまま覚悟を決め杖を取り出し構えれば、不思議と鮮明に、やるべき術の術式が脳裏に浮かんだ。


『照らせ太陽、輝け光。暗き底から這い寄る闇を、その輝きで押し止めろ』


 これは恐らく、付与術だ。恐らく、というのはこの世界では聞いたことがないせいである。

 というのも、前々世で魔族に対抗する手段として私が用いた魔術なのである。

 呪術に対抗するには、治癒師の光回復魔法か聖女の癒しの奇跡が定番だ。私も光属性の魔法は使うことができたが、ただ放つだけでは呪術に対抗することはできなかった。自身にかけられた呪いに光の攻撃魔法や防御魔法をぶつけても意味がなかったせいだ。

 そんな中唯一、その侵攻に抵抗する術として習得したのが、この魔術だったのである。あの世界には付与術士という職はなく、治癒師や聖女が治療してくれるまで凌ぐ術として生み出したこの術を、私はどうやら正確に覚えていられたらしい。

 ああもしかして、私に治療手段がなくなるように先に治癒師を手にかけたのだろうか。今更ながらにその可能性に気が付いて、涙が溢れた。私の防御力は異常に高くて、さらにこの術のせいで敵が攻めあぐねていたのかもしれない。


 体の周囲に浮かび上がる、前々世の魔法文字。魔力が踊り文字を描いて私の周囲を埋め尽くし、そこでようやく、光の向こうで呆然とするユウの表情が見えた。目が合ったと同時に、発動したが正確に私の体に刻まれたのだとわかる。


 発動、しちゃった。やっぱり確定だ。私は呪われている。


 光が収束し、思ったより魔力を使ったことで膝をついた私を、ユウが慌てて支えてくれた。そのままベッドに促され、その腕をぐっと掴んで引き留める。


「ユウ、私呪われてる」

「……呪い? 呪術?」

「うん。だから……全部話すよ」

「……それは、話し終わった後俺から離れるつもりで?」


 はっとして顔を上げる。上げた瞬間ユウのその表情を見て、息を飲んだ。


「……俺がはいそーですかっていうと思う?」

「そうじゃなくて」

「いいよ、聞き終わった後も俺が変わらないってわかるまで、ミナはわからないだろ。言っとくけど、ミナが負い目を感じる必要はないぞ。捕えてるのも逃がさないのも俺だから」


 聞きようによっては怖い言葉が、どうしようもなく優しくて甘くて。はは、と笑い声をあげてしまった私を見て、ユウが頭を抱えて項垂れる。


「心配になってきた」

「え?」

「いいよ、あとでわからせる。話せる?」

「わ、わからせるって……ん、えっと、何から話そう」

「とりあえずさ。ミナ、お前、転生何回目?」


 その言葉は、思ったよりもすんなりと私の耳に届いた。いつもと変わらぬ軽い調子で、あれほど怖かった言葉が、響くこともなく胸に収まる。

 呪術への唯一の抵抗である付与術はうまく抵抗に成功しているのか、あの騒がしい声は今聞こえない。そう思うと落ち着いて、私はゆっくりと深く吸った息を吐きだした。


「二回目だよ」

「思ったより少なかった。そうじゃないかとは、前から思ってたんだけど」

「……やっぱばれてた、よね」

「森で生活しなれてただけじゃなく、戦い慣れてるだろ。あと魔法も……グリモワールの使い方も違和感あったから。完全に知ってる魔法を選んで掴んでるっていうか……覚悟も、違う。それにあれだな、さっきの付与術も、師匠が知らない魔法も、そういったものを使うときの魔力の研ぎ澄まされ方が半端ないんだよ、ミナは」

「え、そんなに違う?」

「全然違う。そこだけ玄人だよ。……勇者に、聖女、だっけ? 呪い? ……何があったのかはまだよくわかんないけどさ、その前世……じゃないな。前々世が、ミナを苦しめてる原因か?」


 苦しめてる原因。そんな言われ方をするとは思わなくて、返答が詰まってしまう。

 イエスだと答えてしまいたいけれど、それではあまりにも勝手が過ぎるのではないだろうか。あの世界に暮らしていた人たちがどうなったのか、想像ばかりで確信はない。それでも世界を背負っていながら死んで危険にさらしたのは間違いない事実で、失敗した私があとから苦しいなんて、言えないんじゃないだろうか。

 だって、私たちが背負っていたのは、世界まるごとなのだ。


「……私はそんなこという資格ない」

「ミナがそう話す理由があるんだな? どういうことだ」


 うだうだと考えてしまう私を見ても、ユウは面倒くさがることなく、あくまで私を守るような優しい言葉ばかり言うのだ。

 このままじゃ、だめだ。


「あのね、ユウ。私はね、……前々世で、勇者一行なんて呼ばれてたの。魔術師だった。……聞いてくれる? あの世界の、『私』のこと」


 私が姿勢を正しそう話すと、ただ頷いてくれたユウに向けなんとか笑みを浮かべて、私はゆっくりと目を閉じ思い出す。覚えている限りの真実を。絶対に、「ミナは悪くない」なんて無理をして言わせないように、声に悲しみなんてのせず淡々とあの世界での事実を。


 私は呪われている。糧は間違いなく、誰かの悲しみなのだ。







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