64.ノクトマとスビアイ山―11


 雲に見え隠れする太陽は、まだ高い位置にある。


 人通りの多いノクトマの街中、のろのろとユウに手を引かれていた私は、必死に頭に響く声と戦っていた。


 ただ混乱しているのではない。外に連れ出された今、私の頭だけはひどく冷静に状況を分析している。


――『お前だけ幸せにさせるか』

 やめて。やめてよ。


 これは、……勇者の声だ。

 言われた覚えのある言葉から、覚えのない……まるで私の心の奥底から生まれる悔いに反応して責めるような言葉まで、ぐるぐると頭の中で反響している。

 私の心を、根こそぎ全てかき混ぜて恐怖に陥れようとするように、ひどく責め立てる声。……それは、今このような声が聞こえる状況になる前から何度も自身の言葉で感じていたものばかりで、その経験がむしろ今私の正気を保っているような気がした。


 私がもっと仲間の様子を気にかけていたら、治癒師が殺されることは防げたかもしれなかった? ――わかってる。だって聖女が堕ちたことに一番気づける位置にいたのは、恐らく魔術師の私だった筈だ。

 あの世界が私のせいで滅んだかもしれない? ――知ってるよ。だって私は曲がりなりにも勇者パーティーの魔術師だった。


 なら、その罪は許されるものではない。――そうだよ、だって世界が懸かっていた。人類だけじゃなくて、全部、ぜんぶだ。


 ひどく鮮明な声だった。私が思い出すのはもう一人の幼馴染、治癒師こいびとを殺された親友の鋭い視線ばかりであった筈なのに、薄れていた勇者そんざいが激しく私を責め立てる。


 私が殺されたあの時、すでに私と勇者の関係はかなり希薄なものであったと思う。同じパーティーとして行動していながらおかしな話だが、私は変わってしまった勇者のフォローに走り回り自然と行動を共にする時間はなくなっていたし、旅の後半、彼は私を魔法火力要員の、魔族に対する単なる武器にしか思っていなかった……待って。本当にそうだった? 彼の名前もそうだけれど、何か忘れているような違和感がずっしりと胸の奥に溜まっていく。

 そもそも勇者も聖女も、名前すら思い出せないのだ。もう一人の幼馴染の名前と、友人であった治癒師の名前は憶えているというのに。なぜ同じ幼馴染で元恋人であった勇者の名を思いせず、人間最初に忘れるのは声なんて言う話があるくらいなのに、声だけは認識できるというのか。いくら前々世の記憶だとしてもちぐはぐな状況に、ますます確信が強まっていく。


 私はあの殺された瞬間に文字通り呪われたのだろう。


 そうは言っても本格的な呪術だとかそういったものではないのかもしれない。だが魂をも傷つけるような悪意の塊が、私の中に残った可能性は高かった。

 急速に組み立てられていく仮説。脳裏に、今までにない程、あの世界にあった魔術、魔法の技術や知識、様々な理論が吹き荒れる。


 状況を整理しよう。まず、覚えていることを確認しなければ。


 私はあの世界で勇者パーティーの魔術師だった。これは、間違いない。

 では勇者を必要としたあの世界に何が起きていたのか? ……魔族だ。あの世界は、魔族と、それ以外が長きに渡り争いを繰り広げていた。

 魔族は魔族以外を虐げ、その欲を隠すことなくぶつける餌としてしか他種族を認めていない。それでも人族に比べればその数は少なく、数をもってあの世界はぎりぎりの均衡を保っていた。……だというのに、私たちが生まれる少し前、それまで数百年は空席であった魔族たちの王がついに選ばれ、その危うい均衡が崩れたのだ。魔王の誕生、それが、世界の破滅への一歩となった。

 魔族には、世界など必要なかったのだ。魔王さえいれば、彼らは彼らに都合がいいよう世界を作り替えることができるのだと言われていた。

 魔王の誕生により、それまで魔族に従うことなく自由気ままに動いていた魔物たちが統率されるようになっていった。魔物たちは魔族の下位とも呼べる獣たちだが知性が低く、それまで魔族一派とすら認められていなかった獣たちは魔王という主を得て、その数をもって人を上回った。人族が保っていた優位性を覆されたのだ。

 暗黒時代の始まりだなんて言われたその時代が、私が生まれ育った時代である。


 私は物心ついたときから親がいなくて、似たような境遇の子供たちと身を寄せ合って生活していた。その中でも仲が良かったのが、幼馴染の二人……勇者と弓使いだ。

 私たちは食べ物を得る為に魔物蔓延る森に忍び込み、時には戦い時には逃げ、徐々に力をつけながら育った。成長するにつれ聞こえてくる、人族にとっては絶望しか感じられないような、魔族の噂。それでも生きるのに必死になっていた私たちはそのまま戦いながら成長を続け、そしていつしかそこそこの剣士、狩人、魔術使いとして育ったのだ。

 私に魔術を教えてくれたのは、時折私たちのような子供たちにパンを持ってきてくれていたおじいさん。のちにその人が王に仕える魔術師であったと知ったが、その彼の推薦で私たち三人は王都で開催された大会に出場。そして優勝し、勇者一行として担ぎ上げられたのだ。

 そう、私たちの世界の勇者は、前世の創作で見たような特別な剣に選ばれたわけではなく、神の啓示があったわけでもない、力自慢によって選ばれた。

 私たちが食料を得る為に入り込んでいた森は今世の未開の森のように危険な地であり、私たちはそこで奇跡的な運の良さで生き延び力をつけていたのだ。

 勇者が光の魔法適正が高かったこともあって、まさしく物語のような期待の勇者となって私の幼馴染は世界の希望を背負ったのだ。


 勇者に選ばれた幼馴染はその後未来を約束し、私と恋仲となった。その期間は長くなかったが、増えた仲間と私たちは長い旅をした。

 勇者に弓使い、魔術師わたしと、治癒師にそして……聖女。

 聖女はとても可愛らしい少女であった。神殿から紹介された彼女と合流したのは、すでに勇者一行として旅立ってから一年半ほど経ってからだ。各地を旅して魔物を沈め、魔族を倒し、魔王がいるという地に向かう私たちと途中合流する形となった少女は、勇者に恋をした。勇者もまた、彼女に惹かれた。

 すでに彼の心が自分にないと知った私は、別れ、耐えることで勇者パーティーを維持することを選んだ。すでにその頃には、私たちがその世界で最も強い人族の希望であると嫌でも思い知っていたのだ。

 治癒師は私と良き友人であり、彼女のフォローが大きかったこともあって、旅は続いた。手を取り合ううちに治癒師は弓使いと恋仲になり、私はそれを応援した。恋が芽生えるのも仕方ない、旅の終わりが待てないのは当然だったのだと思うほど、私たちは日々命の終わりを意識して生きていたのだ。

 おかしくなってしまった勇者と聖女は少し距離があり、それでも解散もできず。残った仲間への恋心や愛、友情、そういった生きる理由に縋りながらつらい旅の中襲いくる苦難を乗り越えていったのである。……最も、結局それも長くは続かなかったのだが。

 私は勇者に別れを切り出された後、旅を続けると決めた時点ですでに勇者に恋心を持っていなかったが、それでもパーティーを離れるべきだったのかもしれない。

 聖女は歪み、堕ちた。まず犠牲になったのは治癒師で、ふりまかれた悪意は弓使いを飲み込み、そして私も死んだ。残されたのは勇者と、堕ちた聖女と、治癒師の後を追いかねない勢いで憔悴していた弓使いのみ。

 摩耗し絶望の淵にいたあの世界の人族が、それ以上を耐えられたとは思えない。


 私は呪術は不得手であった。私が得意とする魔法の、対極に位置していたせいだ。あれは、特に魔族の一部が得意としていたもの。精霊に力を借りる魔法でも、魔力を糧に事象干渉する魔術でもない。ましてや神に祈りを捧げ得られる加護でもないその力は、強い負の感情を元に、正の感情を犠牲もしくは生命力などを糧にする技術であったと記憶している。

 この世界ではあまり発達していないものだ。……なぜ? 負の感情など、人がいる限りなくなりはしないのに。そのこともあって、この地では呪術に関して詳しい知識が入りそうにはない。

 なんにせよ、前々世の知識の中にいくつか引っかかるものがある。魂への攻撃、それは確かに、には存在していた。理論上、転生してもそれが残る可能性は非常に高い。


 いつ呪われた? 死んだ瞬間? 呪いの種はいつ蒔かれた? わからない。

 誰にやられた? 勇者、じゃない。あの人はどれだけ堕ちようとも呪術とは対極の位置にいる存在だった……ならば恐らく、聖女。


 当然聖女は聖なる乙女、その力の根源は勇者と同じく呪術とは正反対の位置にある筈だった。だがあの聖女は、私が気づいたときには……遅すぎたあの時点では、とっくに魔族の手先となっていたようだった。思い出すのは死んだ瞬間の、あのどす黒い魔力の名残だ。


 なぜ。私はそこまで恨まれていた? もちろん、勇者の新しい恋人であった聖女であれば、私を邪魔に思う可能性はなくはない。……だけど呪術は、魔法使いが魔力を消費するように、何か代償が必要な筈だ。それは決して、簡単なものではなかった筈。聖なる乙女が一度でもそのような力に縋れば、二度と神の加護は得られない魂となっていた筈だろう。むしろ清らかな力に守護されていたその魂に反動で何があるかわかったものではない。

 何がどうなっているのだ。


 兎にも角にも、恐らく私の魂には呪いの種が蒔かれていたのだ。そしてそれは、あの世界を破滅へ導く一歩となった私の魂を捕らえるに至ったのだろう。今世での影響は? ただ頭の中がうるさいだけならばまだマシか? いや、遠くないうちに発狂しそうだ。それほどまでに……


「こわい」


 声に出てしまった気がする。はっとして口を塞ごうとしたが、体が上手く動かなかった。そこでようやく私は自身が足を止めていたことに気付き、そろりと視線を上げる。


 青い瞳が、深い海の奥底を思わせるその瞳が、じっと私を覗き込んでいる。


「声に出して正気に戻れるなら、言え、ミナ」

「……ユウ」

「言えない?」

 どこか不安そうにユウが私を見る。

「ま、ここじゃなんだしな。こんな往来で言える話でもないんだろうし……さて、そのまま歩かないなら、特別に俺が抱き上げて宿まで連れてってやる」

「え、遠慮します」

「へぇ? 確かにミナは慎み深いと見えなくもない程遠慮がちだし他人と距離をとるが、案外俺の前じゃそうでもない。遠慮、なんて珍しいこと言っているうちは話を聞いてやる必要はないな」

「全力でお断りします、歩ける! 歩けるから!」


 こちらに手を伸ばしながらにやりと笑ったユウから慌てて少し距離をとって周囲を確認する。いつの間にか北門側の、宿の近くまで戻ってきていたらしい。馬車にも乗った記憶があるような気がするが、ずっと考え事をしていたせいであまり覚えていない。きっとユウがずっと私を見守り導いてくれていたのだろう。

 それに気づいた瞬間、脳内に響く声が僅かに遠のいた気がした。頭を振って、振り払う。先ほどまでより小さな声のそれに、ほっと息を吐きだした。……なんとなく、理解する。この呪いが芽吹いたのは、私が恋心を自覚したことが引き金になっていたのかもしれない。


 そんなに私が憎いのか、勇者と聖女は。


「行くぞ、ミナ」

「あ、うん」


 ユウにはもう、隠せないかもしれない。ユウは敏いのだ。そもそも、私が妙な戦闘慣れしていることも、『清浄の水』など師匠も知らないような魔法の知識を持っていたことも、ユウはおかしいと思いながらあえて黙ってくれていた節がある。


 ここまで心配かけたのだ。話したほうがいいのかもしれない。そもそもこの呪いのこともある。……ユウから離れないといけないかもしれない。

 その考えに至った時、うるさい声より過去の記憶より、何よりも恐ろしいと体に震えが走る。

 ああでも彼に話すということは、私が過去に、世界を破滅に導く要因となった可能性を語るということだ。……どう思われるのだろう。その罪深さがこの今の魂にまで呪いとして残っているだなんて……言うの? ユウに?


 怨嗟の声が聞こえる。

 お前のせいだ、人殺し、災厄の種め。


 ああ、怖い。でも今度こそ、呪いを抱えた私は覚悟を決めなくてはならないのかもしれない。









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