63.ノクトマとスビアイ山―10




 約束したのは南門のそばの、とある食事処。

 南門から見て右の列にある目立つとんがり屋根の店。その手前の道を入って突き進み、奥の赤屋根の果物屋さんを左に曲がると見える二階建て、茶色い屋根の店が師匠たちとの待ち合わせ場所だ。

 当然、この街に来たばかりの私たちが知る店ではない。若干情報の少ない待ち合わせ場所の情報に、どきどきしながら巡回馬車に乗り、南門に向かう。……どきどきするのは、何も知らない店を探すせいだけの話ではないだろう。

 昨夜の夢が、私を蝕む。


 今日の天気はいまいちに見えるのだが、相変わらず門前の大通りは活気がある。いい匂いに誘われて適当にいくつか購入しつつ、とんがり屋根を見つけて近寄る。どうやら薬草茶を売りにした喫茶店のようだった。最も多くのお客さんが飲んでいるのは紅茶のようで、薬草茶はあまり売れてなさそうだ。

 その手前の細道に入って直進。細道と言ってもここでも商いは盛んで、大通りに比べて品数は少ないが取り扱いが珍しいようなものを含めてまだまだ店が立ち並ぶ。それもだんだんと少なくなってきたところで、ユウが赤い屋根の果物屋さんを見つけて足を止めた。……赤と言っても随分くすんで、どちらかというと赤茶だ。それでもこれだろうと左に曲がったところで、ユウがぴたりと足を止める。


「あっ」


 目的地であろう茶色の屋根の建物の前からこちらを見て声を上げたのは、あの少女だった。

 来てくださったんですねとほっとしているが、そりゃ来るだろ師匠との約束だし、とユウはそっけない。相手が貴族の可能性を知りながらも、あからさまな拒絶がそこに見える。……そもそも、彼女にもこの国の貴族にも関係ない話かもしれないが、私たち……とくにユウにとって、貴族も王族も等しく地雷に近い地位である。……いや、そうではないか。そもそも私たちは自由な冒険者。各地を旅する冒険者は、貴族や国と専属契約を結んでいない限り、その命に従順になる必要はないのだ。

 定住していない冒険者は、冒険者ギルドに半年ごとに請求される冒険者税以外領主に直接税を払うこともなく、しかし脅威を前に戦う義務がある。その税金はその半年間の依頼の受諾、完了報告が行われたギルドの所属領に日割りで納められるのだという。……これに関しては、街に家を構えていない宿暮らしの冒険者に住民としての納税を強要した領主の土地から冒険者が立ち退き、魔物の脅威を前に泣きを見た貴族がいたことから、大体どの地方も同じような政策がとられているらしい。多少大雑把なのは、戸籍すら正確ではない発展途上にあるこの世界のこれからの課題なのであろう。

 当然、冒険者が貴族より上に立ったわけではない。だが、強制的に命令を従わせる権利が貴族にはないという以上、あちらが貴族であると口にしていない今、他と態度を変えるつもりもないとユウは判断したのかもしれない。そもそもとして、ただの商人であり契約違反をしたウェルさんに対しての方が丁寧に接していたのだ。

 これは、こちらが不服でありかつ依頼者が何者であろうと姿勢を崩さぬというあからさまな意思表示であった。少なくとも護衛期間ともにいなければならないのに、使用人のようなことをするつもりはない。


 その少女のすぐ後ろから姿を見せたのは、師匠であった。昨日の薄暗い木材置き場などではなく、明るいところで見るその姿はやはり師匠で間違いなくて、思わず足を踏み出しかけると、「こんなところにいないでほら入った入った」と建物の中へ促される。


 わぁ、と思わず呟いてしまったのは、店の外見に比べて中が良く手入れされていたせいだ。床はぴかぴかに磨かれ、壁も外とは雲泥の差である。

 左側に大きな扉があり、その先が半個室の食事処であるのか、微かに声は聞こえるが客の姿は見えなかった。どことなく大衆食堂とは違う空気に、天月とルリがぴたりと私にくっついてくる。

 新品ではなく、使い込まれているが丁寧に手入れされているといった様子のカウンターにまっすぐに向かった師匠は、ただ黙ってそこにいた店員に何かを囁いて手の内を見せる動作をすると、すぐ左手にある扉ではなくそのカウンター横の扉へと案内された。従業員用の扉かとも思ったが、開けてすぐ、短い通路の奥に見えたのは階段だ。

 雰囲気にのまれて無言で上ると、いくつも扉がある廊下に出た。先を歩いていた店員さんが奥の部屋を示す。無言。……なんか、いかにも秘密の会合で使うような店なのかも。どきどきしつつ案内された部屋は、磨き抜かれたテーブルと、クッション付きで上質な布張りの椅子、美しい花の飾られた大きな花瓶などが目に付く、明らかに質の違う部屋だった。


「……こわ、なんだこの部屋」

「お前たちも、そのうちこういった店の一軒や二軒贔屓にしとくといいよ。まぁ当分先かもねぇ」

 ユウの呟きに笑いながらそう返した師匠に促され、私とユウが並び、その前に師匠と少女……シアンが並ぶ形で着席する。

 それで、と戸惑いながら口を開いたのはシアンで、師匠はにっと笑ったまま口を出さず。それにさらに心細いと言った様子でシアンは視線を彷徨わせる。

 なんだからしいなと思う私はたぶん師匠に慣れたということなのかもしれないが、要は自分で言えということだ。

 この前の勢いはどうしたと言わんばかりにしばし無言の時間が続いたが、覚悟を決めたのか、その、と口を開いたシアンが身を乗り出す。


「依頼内容は変わりません、三ヵ月以内に迷宮都市、赤の塔最上階へと私を導いて欲しい。報酬はできる限り望むものを、そして我が家に残された開かずの本に添えらえた手紙。……私の願いを叶えてくださいますか、ユーグ殿、ミナ殿」


 それは、やはり正式な名乗り……自己紹介もなく唐突に始まった。

 ごくりとシアンが喉を鳴らす音がする。目線を上げると、ばちりと目が合った。……私たちの旅はユウが主体だと明らかだったと思うけれど、その視線は動かない。こちらを見るのかとなんとなく視線を逸らせずにいると、やや強めに「わかった」とユウが続けたことで視線がそれた。


「ただし俺たちがお前と行動を共にするのは二カ月後だ。先に迷宮の様子を見る予定だが、二カ月後まではついてくるのも許さない。俺たちが受けるのは『赤の塔最上階到達までの塔内の護衛』に、必要であれば『依頼品取得の為の援護』だ。宿もできればそちらで安全を確保してほしい。俺たちは同行者を良しとしない。塔攻略中も、最低限以外を求められても対応はできない」

「……二か月……それで到達できるのならば、わかった」

 しばし悩む様子を見せたものの、あとがないと言わんばかりにシアンは了承する。果たして彼女が欲しがるものとはなんなのだろう。

「あっはっは、最低限ね、ユーグ、あんたはミナ以外ほとんど視界にもいれないじゃないか」

「……師匠、視界くらいには入ってます」

 その突っ込みもどうなんだ。急に飛び出した割り込みにくい話題に唖然としている間に、大きな瞳をぱちりと瞬き、シアンが僅かに首を傾げる。

「……ミナ殿はユーグ殿の恋人ですか?」

「は?」

 私が反応するより先に場に落ちた、ユウのただ一言に込められた圧に震えた。低い声で落とされた「は?」になんだかいろいろ詰まっている気がして、それはどういう反応だとむしろ私のほうが困る。

 恋人? んなばかな。絶対違う。だけど昨日までのことを考えると、それも、……なんというか。これは私が鈍いのか? と問いたくなるが、間違いなく誰も答えてはくれないだろう。微妙な関係、それが答えな気がする。


 私はきっと、ユウが好きだ。恋愛的な意味で、間違いなく好意を抱いていると思う。

 だけど私は恋愛が怖い。その感情から生まれる関係に括られて、いつかユウと別れる日を恐れるのが怖い。……昨晩のあの夢で、気づいてしまったのだ。私の過去の恐怖の記憶が、最早呪いとなるほどに強く育ち蝕んでいるのだと。


 勇者は私をいらないものと判断した。聖女を選んだ。

 聖女は私を疎んだ。聖女は仲間を殺し、その罪を私に押し付けた。

 親友は私を恨んだ。憎んだ。恋人を殺された、そのすべての憎悪は殺意に留まらず、荒れ狂って私を飲み込んだ。魂にその怨嗟が刻まれるほどに。もしかしたら、あの聖女が何かしていたのかもしれない。


 私の死は、自惚れではなく、あの世界の破滅の一歩になった筈だった。その罪はひどく重く、魂を縛り付ける怨嗟をより大きなものへと作り替えている。


 魔王を倒す最後の希望、勇者一行の、治癒師と魔術師は、決して死んではならなかった。


 胸が熱い。焼ける。嘲笑う声が聞こえる。ここは大丈夫だと言った海色の瞳の青年が薄らいでいく。


 今世の集落の人間は常に蹴落とし合っていた。男は力を競い合い、女は誰が力ある男の傍に侍るか、狭い世界で蔑み合う。王侯貴族は自らの欲で国を滅ぼし、多くの民の命を奪った。私が忘れられていた筈の魂の呪いは、ここで引き出されてしまった。

 前世の情報に溢れたあの世界では、人は情報を御しきれなかった。言葉は人を殺すのだ。それは、私に刻まれた呪いの糧となる。


 恋も想いも願いも言葉だけは美しく、表裏一体のもう一方が人を容易く支配する。


――『お前だけ幸せにさせるか』


「ひっ」

「ミナ!」


 ひゅう、と喉が鳴った。はっと顔を上げると、腰を上げた師匠が眉を顰め痛ましげに私を見つめ、シアンが目を見開いて固まっていた。そう、そうだ。ここは夢じゃない。その証拠に、確かな熱を持ったユウの手が私を掴んで、その青い瞳が覗き込んでいる。


「大丈夫だ、それは無理に飲み込まなくていいものだろ」

「……ユウ」

「俺がいる、師匠やじいさんもいる。今望まないならそれでいいだろ。俺とのことだって、二人で好きにいられればそれでいいんだ」

 ああ、ユウは、私の迷いなどお見通しだったのだ。

「……ごめんなさい」

「ありがとう、だな。師匠、俺らもう出ます。二カ月後、迷宮都市のギルドに行きます。そいつの口止め頼みますよ」

「仕方ないねぇ」


 大事な話し合いの途中だったのに、やってしまった。

 だがそんなことより、どこまでユウに悟られているのか、私の罪を知られているのか、恐怖の先にある真実に怯え、シアンに対し唸る天月を抱き上げなければ叫んでしまいそうな激情を抑え込むことに必死にならざるを得なかった。




―――お知らせ

(数ヵ月かけてこちらの作品を一度非公開→修正という形で改稿しております。物語の大筋は変わりませんが、後半はかなり大幅な加筆もございますのでご注意ください。このページが改稿後の最新話になります)

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