59.ノクトマとスビアイ山―6


 姿を隠す付与をかけ、大通りを離れた薄暗い細い路地を無茶苦茶に曲がりながら走る。

 天月とルリには決して離れずついてくるように指示を出しているが、むしろ後方を気に掛ける私とユウを先導するように一羽と一匹が先を進んでいる状態だ。そんな連携をしつつ私とユウは身体強化をかけた状態で風を切るように走っている筈なのだが、背後の気配もまた一定距離がありながらも離れる様子はない。……相当な手練れ。


 突如先を飛んでいたルリが戸惑うように揺れ、それに気づいて天月が速度を緩める。それに気づいたユウが前に躍り出ると、こっちだ、と先を進み始めた。

「よくわかったなルリ、あっちはスラムだ。狭くて路地に人も多い。移動は目立つ」

「え、知ってたの?」

「さっき屋根の上から見た時、あの辺りだけ暗くて入り組んでた。中央が金持ちの領域なら、外壁側が真逆なのはよくある。それにここまでくれば匂いでわかる」

 こんな移動の中で匂いなんてわからないのだが、ルリや天月の様子からもわからなかったのは自分だけなのだろうと妙に納得して、足を動かす。それにしてもどこまで、と思ったところで、ユウの手が突如私の腕を掴み、「こっちだ」と空き地らしき場所へと飛び込むこととなった。

 材木置き場にでもなっているのか多くの丸太が積み上げられており、ユウはその一つの山の裏に迷わず飛び込むと、足先で円をぐるりと描く。私の使うものとは違い、地面に傷をつけることなく緩やかな円の魔力筋が見えたが、それは一瞬。即座に私たちは押し込まれ、ユウの腕に抱えられたと同時に魔力筋は消えてしまう。

『潜伏』

 暗殺者のスキルだ、と察して動きを止める。円が見えた場所から出るなよ、とユウが囁き、そのまま背後の様子を伺うのを見ながら、息を潜めた。

 恐らく円の中がスキル範囲なのではなく、私たちがスキル範囲をわかりやすく確認できるようにユウが円を描いたのだと思う。つまり、大地にしか付与できない私の結界術よりよほど優秀な範囲スキルだ。


「いいか、俺はここから離れたら身を隠して背後をとる。相手は間違いなく二人組だ、俺が攻撃を開始したら、もう一人に沈黙をかけてくれ」

「……わかった。天月、ルリ、私が指示を出すまで絶対に動かないで。私が指示を出せない状況になったら逃げること」

『ええっ!?』

「大丈夫だから、ね? ルリ、天月をお願いね」


 これまでは、こんなに気を張り詰めた戦闘をすることなんてなかった。

 ユウも私も、余程状況が悪くなければ青や赤等級の魔物に私たちが負けるとは考えていない。油断はできないがそれが人間相手でも一方的にやられるなんて事態にはならない筈だ。

 赤の上、白等級以上ならまだしも、こんな街中でユウが警戒するほどの相手に会うことになるのは想定外だ。何かあった場合を考え、こちらの勝敗に関わらずルリと天月はどうするべきか……あらかじめ決めておくべきだったと僅かに後悔しながら、闇に紛れて姿を消すユウを見送り、緊張に強張る体に喝を入れる。

 ユウが離れたという事実は隠せぬ緊張を生むが、私だって緑ランク冒険者なのだ。タイミングを逃さぬよう杖を手に気配を慎重に探り――

 タッ、と消しきれない微かな足音を捉え、その方角に視線を送る。位置を把握と同時に闇に紛れたユウの刃が振るわれる様を確認し、私の術がもう一方へと放たれる。


『失いしは嘆きの音、沈黙』


 それはローブを着た人物に確かに付与された筈だった。

 しかし、かかったと同時にその人物がユウと私から距離をとるように跳んだ直後、何らかの干渉を受けパチンと僅かな破裂音と共に私の付与が解除されたと気づく。

 すぐさま術を構築しなおす。沈黙が効かない、ならば!

 が、それは相手も同じで、手袋に包まれた手がこちらへと突き出された。


『宿主の力を食い殺せ、浸食』

『我が魔力を糧に暴れろ、風神』


 ローブの人物が放つ風の魔力と私の浸食の付与がぶつかり合い、激しい魔力の奔流に髪が暴れ、その隙に天月とルリに防御と盾のスキルを発動し、地面を蹴る。

 目の前の敵は恐らく魔法使い。二職持ちである可能性もあるが、ちらりと確認した様子ではユウが今剣を打ち合っているもう一人は魔法剣士だ。あちらは最初の一手でユウに怪我を負わされたのか左手が動いておらず、間もなく決着がつくと判断してこちらの魔法使いに距離を詰める。私の魔力探知に引っ掛からなかった厄介な人物はこちらだ。


『宿主の力を食い殺せ、浸食!』

「風神!」

 二度目の侵食の付与を発動するが、一発目の侵食を食らいながら打ち勝ったらしいあちらの魔法が、いまだにまるで風の精のような姿を崩すことなく術者の前に回り込んでこちらの攻撃を防ごうとし――そこに後方に回り込んでいた天月が襲い掛かって吼えた。


『どっかいけーっ!』

 ガウウ! と天月が吼えた瞬間、粗削りな魔力が風の魔力を吹き飛ばす。風神と呼ばれた魔法が圧され、こちらの侵食を受けながらその姿を朧気にし、それを切っ掛けに天月の爪の一撃を受けて掻き消える。

 そこにルリが飛び込んできたことで、咄嗟に術者がそれまでなかった杖をどこからともなく取り出し――は?


「うそっ! 天月待って止まって! ユウ! 剣を収めて!」

「ああ。ったく、何してんですか……師匠」


「おや、気づかれたかい。やっぱ武器を出すんじゃなかったね。いい手だよミナ、前より随分迷いがなくなった」


 見覚えのある、虹色に輝く石の嵌った木製の魔杖。それは森の隠れ家で幾度も見た、印象に残る武器の形状そのままだ。

 それだけじゃない、落ち着いてみれば慣れた覚えのある気配に、穏やかな声。……そう、私たちの前に現れたのは、まさかの……アリア師匠だった。


「師匠!」


 思わず喜びに声が弾み、駆け寄って抱き着きながらも首を傾げる。あの森の隠れ家におじいさまと一緒に暮らしていた筈の師匠がなぜここに。

 既にもう一人を戦闘不能状態に追い込みこちらに迫っていたユウも杖で気づいたのだろう、さっと剣を引き足を止めると、で、あれは? とフードを外し顔を見せた師匠に問う。


 そろりと師匠から手を放し、振り返ってユウの相手を見る。そちらもローブで身を隠していたのだが、体型は小柄で決しておじいさまではないし、まして大柄なルイードさんではありえない。

 ならば師匠と共にいたのは一体、と目を凝らせば、癖のある薄茶の長い髪がローブの隙間から零れ落ちている。……女の子? と思うと同時にどこか既視感を覚えながらポーションを取り出そうとすれば、アレも持ってるからいらないよ、と師匠が笑った。

 ユウは街中でしかも相手の正体がわからないこともあって、その刃で身を斬りつけはしなかったらしい。……もっとも左腕の骨は折れているようだけれど。よろよろと右手で小瓶を取り出すのを見守って、それで、と師匠を見る。


「何事ですか、こんな街中で急に」

「何、弟子が出て行ってそう経たないうちに緑に上がると聞いて、祝いだよ」

「もう上がりました。祝いで襲い掛かって来る師匠がいてたまるか」

「そりゃ残念だねユーグ、あんたの師匠はそんな師匠さ。まぁ抜き打ちテストは合格としておこうか。ただ欲を言うならあっちをミナに任せてあたしの相手をあんたがするべきだったね。純粋な魔法使いにぶつけるなら付与術士より魔法剣士だよ」

「……はい」

 師匠の指摘にユウが素直に答えるのを聞き、今更ながらどっと冷や汗が流れた。

 そうだよ私師匠と戦ってたんだよ……! 師匠に勝てるか! 道理で私の術があっさり解除されるわ圧し負けるわ……しかもこれが師匠じゃなかったら私が今生きているかは謎だ。

 何せ相手は私に悟られない程魔力と気配をうまく隠しきっていた魔法使いだったのである。それもランクは白銀だ。いや、そもそもそんな相手に街中で襲われること自体稀だとは思うが、障害物の多い街中はむしろ師匠のような魔法使いにとってデメリットの多いフィールドなのだから、もう少し戦えるようにならなければだめだ。……まだまだ修行が足りないようである。


「にしてもルイードのやつに聞いちゃいたが、本当に銀狼だね。まだまだ荒いしやり方も幼いが魔力量はさすがだよ」

『ふふん! すごいでしょう!』


 師匠の言葉に天月が嬉しそうに体を揺らす。それを微笑ましく見守りながらも、気になって首を傾げる。ルイードさんと別れたのはそう遠い話ではない。

「ルイードさん、師匠のところに行ってたんですか?」

「いんや、手紙だけどね。それでまぁあたしが出て来たわけさ……ああ、こっちにおいで。どうだい、うちの弟子たちは」


 話しながら視線を私たちの後ろへと向けた師匠につられて、もう一度後ろを振り返れば、小瓶を片手に小さな足音でこちらに近づくのはユウが相手にしていた人物だ。ふとその姿に何かが重なり、あ、と思わず声をあげる。

「昼間の」

「……その際は失礼した。私はシアン。分け合ってアーリアンナ殿の手を借り、その弟子であるあなた達を探していた」

 続けられた言葉に思わず私とユウは顔を見合わせ、同時に警戒する。

 この人は昼間、本屋の出入り口でぶつかったあの人物で間違いない。が、探される理由が私たちには思い当たらなかったのだ。……身なりから貴族か金持ち、それに近い存在だと思っていただけに、例え師匠が手を貸していたとしても厄介ごとの気配しかない。

 ……待てよ? さっき師匠は、『どうだい、うちの弟子たちは』と言っていたのではなかったか。……試された?


「……そんなに警戒しないでほしい。いや、あなた達にとって歓迎できることではないかもしれないが」

「なら理由だけ説明して帰ってくれないか、勝手に探られても気味が悪い」

「……君の師匠に相談した上だ。勝手に力試しと追ったことは詫びよう」

「師匠に迷惑かけたなら余計だ。どこで俺たちを知った?」

 ユウの声には警戒がひどく滲んでいる。それに相手の声も硬くなりながらも、どうやら引く様子はないらしい。


「……占術で、南へ行けと言われて。そこで青の冒険者たちが君たちの噂を……ルイード殿の弟子の話をしているのをたまたま聞いて、直接ルイード殿に接触した。それでアーリアンナ殿を紹介してもらえたんだ。まさかアーリアンナ殿に力を借りることができるとは思わなかったが、案内を頼んだのは事実だ」


 告げられた情報に思わず眉を寄せる。青の冒険者たちというのは恐らく、未開の森で私たちが助けた冒険者パーティーの生き残りだろう。ルイードさんが口止めをしてくれていたが、元から完全に噂を止めるのは無理だということはわかっていた。

 ……問題は、それを聞いた人物が、白銀であるルイードさんに接触できる力を持っていた点だろうか。個人で占術に行先を委ね行動できる伝手があるのも気にかかる。並の占術では、ステータス開示の他はあまり強力な結果は出ない。災害などを複数人で曖昧ながら察知できる程度の筈だ。だというのにこの人物は、白銀のルイードさんに接触し、さらに彼が師匠を紹介までしたのだという。強運どころの話ではない。

 南へ行けと言われた、ということは、普段の活動範囲はここから北、未開の森に隣接した辺境のこの地ではないのだろう。別の領地の貴族? 白銀に接触できるだなんてただの金持ちではありえないように思う。


 そこまで僅かな時間でなんとか辿り着き、天月を抱えてルリを呼ぶ。どういうことですかと師匠に目をやれば、やれやれと言わんばかりに師匠は肩を竦めた。

「ま、あたしも反対したんだがね」

「そんな、アーリアンナ殿!」

「この子たちの実力はわかっただろう? 失礼だが、あんたじゃついていくのは大変なんじゃないかい」

「……それは」

「え、ついていく?」

 その言葉に思わず首を傾げ、ユウが盛大に眉を寄せた。苦笑した師匠はユウに視線を移すと、ほらねと言って視線を戻す。

「この子たちは金を積まれたって面倒な依頼を引き受けやしないよ。特にこっちのユーグは邪魔されるのを嫌うしね」

「わかってるならなんで連れて来たんですか、師匠」

「そりゃユーグ、可愛い弟子に会いに行くついでさ。ま、あのじいさんの伝言もあったんだけどね」

「……ってまさか、おじいさまですか?」

 ひらひらと手を振り答える師匠が言う「じいさん」とはおじいさまなのではないかと驚きに目を見開く。まさかこんな早いうちに、ルイードさんに続いて師匠まで私たちに言伝があると言い出すとは思わなかったのだ。

「そうそう。じつはちょっと急ぎの話でね。伝言はね、『三ヵ月以内に地上迷宮赤の最上階隠し部屋からお宝を取ってきて、その子に渡してやって欲しい』だそうだよ」

「……は?」

「もちろん、じいさんの話であろうと引き受けるかどうかはあんたたちの自由さ」

 その子、と指されたのは、シアンと名乗ったあの謎の人物だ。おじいさまが私たちに言うということは、おそらく占術結果による『何らかの事態』への最善手。

 自由に旅をして世界を見て回ると言った私たちに、たった数ヵ月でこんな話を持ってくるだなんて、何か異常が起きていなければ師匠たちに限ってはありえないだろう。

 というか三ヵ月以内って。地上迷宮ということは例の迷宮都市なのだろうが、それはここから恐らく半月程かかる筈。詳しく調べたが、この領と王都の間に位置しているのだ。


「待ってくださいアーリアンナ殿! ですからその件は、私も!」

「別にこっちはお前さんがどこかで潜んで待とうが、弟子だけで最上階に辿り着こうが、どちらでもいいのさ。そこまで協力するとは言ってないよ」

「そんな! 私は己の手であれを勝ち取らないと駄目なのです!」

「人を使って手に入れるのもあんたたちの立場からすれば力だろうに、頑固だねぇ。その辺は父親にそっくりだよ」


 話を聞きながらも、嫌な予感にじりじりとユウと一緒にシアンから距離を取る。どう考えてもなんだか面倒なことになっているとしか思えない。

 ついていくってまさか、一緒に地上迷宮に上れとかそういう話になるんじゃないだろうか。

 先ほどのユウと戦っている様子から見て、ある程度の力はあるのかもしれないが、どう考えても年下の私たちにとって他人だ。しかも師匠たちに依頼できるほど立場がある相手の前で、私たちの力は非常に使いにくい。見られていいものではない。

 ドラゴンの魔力も、グリモワールも、蘇った私たちの肉体の異常さも、パーティーとして共に過ごすのであれば隠すのは面倒だ。

 と、その時、シアンのかぶっていたフードが下ろされ、意志の強そうな緑の瞳がひたりと私たちを射貫くように捉える。


「不躾かつ無理を承知で頼みたい。私を、地上迷宮赤の塔最上階へと連れて行って欲――」

「断る」


 食い気味で否定したユウの言葉で、しん、と材木置き場に嫌な沈黙が広がったのだった。


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