13.最初の街ドルニグ―9


 どうやらエリックさんは、かなり事態を重んじているようだった。

 兵士から解放されたあとすぐギルドへの道の途中にある店で外套を購入し、まだ目を覚まさぬ恋人の肌を隠すように袖を通させた後、彼はすぐにギルドに向かった。

 本当は休ませたい気持ちも強いようだったが、彼はパーティーリーダーとして今回の件をはっきりさせねばならず、そしてその間彼女を宿で休ませることができない理由があった為だ。

 というのも、彼らはパーティーを組んで三人で活動し始めて三か月ほどであるそうだが、どうやら宿は一緒に三人部屋を使っていたようで、今回のことで弓使いのエリザへの信頼を失ったことが、今すぐ宿を使えない理由だった。

 つまり、宿に媚薬を盛られ気を失った恋人一人おくこともできず、かといってまだ目を覚ましていないとはいえエリザと一緒だというのも信用できない。そもそもこの状況の女二人を宿に残すのも問題だ。

 今は気を失っている恋人に媚薬が効いている様子は見えないものの、その状態で一人で目を覚まさせるのはまずい、と。宿の客層的な問題もあるのだろう。


 エリザの件はギルドに報告するつもりでいるらしいが、彼女を放り出すことはしない、とユウに説明していた。問題は自分たちの間で起きた件ではなく、己で倒せない敵を引き連れたまま新人のいる方に逃げ対応を丸投げしたこと。その癖己の権利は主張し、まだ日が浅いどころか初日の新人を言いくるめ、騙し、利用しようとしたこと。媚薬という条件下ではあったもののまだ意識があった段階で行為を迫るという行動を、素材剥ぎ取りの邪魔をしてまで行ったことなどなど、彼曰く完全アウトである事案がいくつも重なっていることが、今は放り出さない理由であるらしい。


「俺たちだけの問題なら、合わなかったと解散してそれでいい。だが他冒険者に迷惑をかけたとあれば、それはリーダーの俺にも責任がある。放り出していい筈がない」


 そう言った彼は深く頭を下げていた。

 とくに、他パーティーの討伐したものを己の手柄とすることはいくら冒険者ギルドが冒険者同士の争いには口を出さないといっても踏み越えてはいけないラインであり、報酬に金銭が絡むことからも、ギルドが『報酬金を渡す相手を違えた』『評価を違えた』となることは看過できない。その為一定のラインを超えるとギルド直轄冒険者による調査、捕縛、警備兵への引き渡しが行われるらしい。


「いいのか?」

「ああ。もともと良くない兆候は見られていたんだ。約束は守るし、ギルドの調査でも決してそちらに迷惑が掛からないようにする。たださすがに、黒が三つ上の等級とされる魔物を倒したことは誤魔化しようが、いや、誤魔化してはいけない部分になるが」

「まぁ倒すと決めたのは俺らだからな」


 そうして事前に説明されたあとは、ギルド内で受付職員に想定外の魔物が発見されたことを報告し、その時のトラブルにより一人が問題を起こしたことを告げた。アルラウネの花を見せた事で受付に顔を出していなかった筈の職員……昨日私たちの登録をした男性が現れると、速やかに私たちは二階別室へと案内された。その際、荷車は全て、人間込みでギルドに回収されている。



「つまり、林でアルラウネの縄張りに気づいたユーグ殿のパーティーはシカの狩猟を諦め報告の為に林から離脱。直後草原でその林からエリザ殿が八頭のホーンボアとシカを引き連れ先頭を走る形で現れ、ユーグ殿たちが黒ランクであることを知っていた上で助けを乞い接近、合流直前で一人横に跳んでエリザ殿が逃れたことにより、ユーグ殿のパーティーが交戦。エリザ殿はそれを離れて見ていたのみ。二人でそれを殲滅したとわかるとエリザ殿はユーグ殿の荷車にホーンボアの討伐の証明の運搬を要求。報酬は街まで自身が護衛すること、そして自身の受けた依頼を一緒に完了扱いにすること、と発言。さらに、ユーグ殿に事情説明を求められたエリザ殿は自身の失態による緑等級の魔物、アルラウネの襲撃を仲間の失態とし、救助ではなく撤退を要求。ユーグ殿はこれを嘘だと判断し、取り残された冒険者の存命の可能性が高いと推測して救助へ向かった、と」


 一度区切った職員さんの言葉に、ここまでは私たちでなければわからない話だということで、頷く。次にエリックに視線を向けた職員さんは、アルラウネに襲われるまでの経緯を確認し、エリックの同意を持って、メモしていた紙をぺらりと捲る。


「ユーグ殿は鳥の飛び立つ方角から推察し、アルラウネを発見。既に蔦に拘束されたエリック殿、マーナリア殿の解放、保護、治療をミナ殿が担当、それが終わるまで引き付ける役をユーグ殿が担当し、最後は二人で緑等級アルラウネ討伐。証明部位を得て林から離脱し、媚薬効果が進行し動けずにいたエリザ殿と合流したが、その際依頼任務遂行の妨害行為を受け、エリック殿も認める上で対処。ホーンボアとシカの一部を持ち帰り、残りは適正に処理した上で帰還と」

「ああ、間違いない。ただひとつ付け加えさせてもらうなら、彼らは戦えないエリザに敢えて魔除けの術をかけた荷車をそばに残すことで守っている。エリザはそれを持ち逃げしようとしていた節があるが、彼らが彼女を見捨てたわけではないと強く進言させてくれ」

「そうですか。これらのことから冒険者ランクGエリザは重要参考人として身柄をこちらで預かることになるでしょう。ユーグ殿、ミナ殿に関しては元より完了していた依頼とは別に、一つ上である茶等級依頼のホーンボア討伐を完了とし報酬が支払われます。アルラウネ討伐に関しては、明日こちらから林への調査が入りますので、追って連絡することなりますがよろしいでしょうか」

「はい」


 すぐに頷いたユウとは違い、その隣に座っていたエリックさんは目を丸くし驚いた様子を見せた。淡々と紙を纏めた職員さんが、どうしました、と無表情に問いかければ、いや、と戸惑う様子を見せたエリックさんが、言葉を選んで口を開く。


「正直、倒すのを見ていた俺ですら驚いたものですから。新人の彼らがたった二人でホーンボアの群れやアルラウネまで討伐したと、事実だとしてもどう理解してもらえばいいのかと悩んでいたんですよ」

「……普通であれば信じられない出来事なのかもしれませんが、珍しいとはいえ新人が強いことはありえない話ではありません。何より私は彼らの『師』に心当たりがありますので。あくまで確定した結果が出るのは今はまだ意識のない重要参考人の取り調べと、アルラウネに関しての調査後になるでしょうが」

「……なるほど、やっぱりただの新人じゃなかったってことかぁ」


 がりがりと頭をかいたエリックは、立ち上がる職員さんの前で、がばりと頭を下げる。


「なんにせよ、マーナの……マーナリアの治療、感謝します」

「あの林は、他の依頼場所とは違いギルドが初心者経験用として念入りに調査し、茶等級までの扱いとして依頼の開示をしてきました。緑等級の魔物がいたことは大きな問題です。ギルドとしても無暗に有望な冒険者を潰してしまうわけにはいきませんので、当然の処置でしょう。お疲れ様でした」


 かつかつと扉に向かう職員さんだったが、一度振りかえると私たちに視線を合わせ、僅かに頭を下げる。


「ドルニグの街ギルド職員、ディートヘルムと申します。何かございましたら私まで」


 その後立ち去ったディートヘルムさんと入れ替わりでやってきたギルド職員の治癒師にエリックさんが呼ばれ、私たちも今日は報酬を受け取って終了となり、朝とは違う受付職員から無事全ての依頼の報酬を受け取った後、漸く宿へと戻ることができたのだった。




「水ありがとう、助かった」

「それくらいいつでも。今日はお疲れ様でした」


 食事を終えて部屋に戻った私たちは、部屋の真ん中にロープを使い布を広げて張った仕切りを作り、それぞれ私の用意した『清浄の水』を使って身体を清めていた。冷たいのが難点だが、石鹸なしでも十分汚れや汗が落とせる水は大活躍だ。とはいえ浴槽があるわけでもないので布で拭う程度であり、湯に身体を浸からせ疲労を取ることができないのは残念な部分であるのだが。


 すぐに魔道具である防具に着替えられるようにしつつも、少し楽な部屋着となったところで、袖をまくって水を張り替え、衣服の洗濯と、ついでに今日使った麻袋や手拭を洗う。もういいか、と問われ返事をすれば、少し布を避けてこちらに顔を出したユウが、ぴたりと動きを止めた。


「……今いいって言わなかったか?」

「え? 言ったよ?」

「お前なぁ……今日アルラウネと戦ったばっかなんだぞ、あんまり男の理性を過信しないでくれ」

「……はい?」


 言われた意味はなんとなくわかるのだが、己の姿を見下ろして、首を傾げる。今の私は洗い物をするために腕こそまくっているが、それでも肘から下が出ている程度であるし、服自体は隠れ家にいたころと同じ、なんの変哲もないロングスカートのワンピースである。

 これで駄目なら、むしろ助けられた当初の大きい服を紐で縛って着用していたころのほうがアウトだった筈だ。


「馬鹿、頭だ。髪乾かせ」

「髪?」

「……もういい。洗い物途中なんだろ、前みたいに俺がやるから櫛貸せ」

「え、ありがとう! ユウ上手いよね、すごいさらさらになる」

「風と水の魔法の制御を頑張るんだな」


 隠れ家にいたころ、今よりまだまだ属性魔法が上手く制御できなかった私に比べ、天才的に魔法を扱えていたユウがよく、髪を乾かしてくれていたのだ。

 曰く、もったいない、と。両親に鬱陶しいとよく切られていた私の髪は、ユウと会った頃短いざんばら髪であり、薄汚れていた筈だ。隠れ家では師匠の趣味でしっかりしたお風呂があったのだが、清潔にできるようになったのは嬉しくても手入れする知識がなかった。

 前世のドライヤーを思い出しても制御もできず適当であった私より、上手く風を制御できるユウがもったいないと手を貸してくれるようになったのである。

 洗ったあと適当にまとめていた髪がそっと解かれる。しっとりとした重さが背にかかるくらいは伸びてきたのだと思えば、少し感慨深い。


「相変わらず綺麗な銀だな」

「この世界はいろんな髪色があって楽しいけど、私はユウの黒髪もいいと思うよ。日に当たると少し青っぽいよね? 不思議な色」

「こっちじゃ整髪料なんてほとんどないし、男は大して髪に手をかけないけどな。香油は使わないのか? 師匠が最初の頃薦めてた気がするけど」

「香油かぁ。師匠が言っていたのは冒険者になる前でしょう? 正直魔物と戦うのに特徴的なにおいなんてつけてどうするのかと思ったけど」

「まぁ確かにそうか。前世はどんな感じだったんだ?」

「そんな環境じゃなかったかな?」

「……そうか。ま、稼げるようになったら冒険者が使えるやつでも探すか」


 ふわ、ふわり、するりとユウの指先が髪や頭に触れ、かすかな風と共に多すぎる水分が消えて軽くなっていく。時折櫛で梳かれ、じゃぶじゃぶと洗い物を水に浸しながらも気持ちよさに動きが鈍くなると、寝るなよ、と釘を刺された。


「大丈夫だよ」

「どうだか。前科がある」

「一回だけだよ!」

「一回でもあれば十分だっての。男の前でそう簡単に……いや、ミナの場合気が抜けすぎなのは俺の前だけだったな。足して割ってくれればいいものを」

「そう言われましても……ねえユウ、今日アルラウネと戦ったばっかりなんだぞとか言ってたけど、あのアルラウネ、綺麗だと思ったの? それでその気になった?」

「その話題振ってくるなよ」

「いや過信するなから始まって話題振ってきてるのユウでしょ、理不尽な」

 ぽんぽんと繰り出される会話は言葉だけならどこか色を感じるものでありそうなのに、声音にそういった雰囲気がまったくなく、互いに互いを異性だと認識しているのにまるできょうだいのようだと感じて、ああこんなところが『兄妹』に見られる原因なのかと気づいてしまった。


 好きかと問われれば好きだと答える。それは恋愛感情かと問われれば、首を傾げる。私からすれば、それより先にただ一人の仲間である。同志である。無二の相手であると感じる様な何かがあった。初めて知った独りではない死の経験がそうさせるのだろうか。

 ユウもユウでこういったことで苦言を呈することはあるが、私たちの間に色めいた空気が広がったことは一度もなかった。この前宿のベッドが並んでいることに照れはあったがあくまで一般的な状況への戸惑いが一時あっただけで、結果が両者爆睡だったのだからわかりやすいだろう。

 ではなぜユウがこういったことを注意するのかと言えば、それはユウが自分を信用していない節があるせいか。今は完全に制御しているとはいえ、魂核融合の影響であるように思う。なにせユウは……その為に、ある魔道具を手放しはしないのだから。


「ミナを傷つけるつもりはない。けど俺がいつ、本能だなんてよくわからないものに支配されるかわからないだろ」

「アルラウネ、綺麗だった?」

「だから……いや。あれはマンドラゴラと同類だと思った。草だな」

「それで理性が試される話になるのはつまり、植物を前にしてユウの理性が揺らぐと思えばいいの? それともアルラウネ遭遇時の状況のせい?」

「前者は不本意すぎるぞこら。……まぁ後者も……正直ないな、人の見る趣味は。いいからお前はもう少し…………ま、いいか」

「諦められた」

「俺はじっくり時間をかけて互いの理解を深めるタイプだっただけだ、覚えておけ」

「不穏!」


 洗ったものを軽く絞りながら、上を見上げてユウの顔を下から覗き込む。悪戯っぽい笑みを浮かべたユウが、ほら貸せ、と私の手から洗い物を受け取り、ぎゅっと絞ってくれた。

 ぼたぼたと落ちる水が跳ねないように腕を降ろしたユウは未だに私の後ろであり、私はその腕の間だ。身動き取れず全部絞り終わるのを待って、私たちは二人で張りなおしたロープにそれを干した。風で乾かしてもいいが、少し部屋が乾燥しているので乾燥対策である。

 肩に乗った銀の髪はいつものようにひっかかることなくさらさらと零れ落ち、思わずにんまりと笑みを浮かべてその日は機嫌よくベッドに潜り込んだのである。


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