12.最初の街ドルニグ―8


「たお、した……」


 呆然と、いや荒い息を押し殺して男性が舞い散る葉と花びらを見つめ、そろりと怯えるように私、そしてユウに視線を向けた。

 ユウは周囲を見回し、無表情のまま刀の汚れを拭って鞘へと戻す。アルラウネが完全に動きを留めていることを再度確認して、私の名前を読んだ。


「これ、どこ持っていけばいいと思う?」

「アルラウネは……確か特徴的なのは背中にある小さい花だったかな。他に見られない種の花だとか……体持っていくわけにもいかないしなぁ。とりあえずアルラウネが死んだ時点で蔦も媚薬効果はもうないから、触れても大丈夫な筈」

「つまり蔦を媒介にした術だったわけか。道理で普通の解毒剤じゃきかないわけだ……よっと」

 ほぼ女性の上半身と言ってもいいアルラウネではあるが、ユウは特になんでもないといった様子でぶつんと音を立てて、アルラウネの背にある手のひら大の花を回収した。その身体をそのままうつ伏せの状態で放置する。

 魔物であるものの処理は、素材となる部位の回収後は大抵、燃やすか魔葬という魔力を還す術を使い残らないようにする。だがアルラウネは植物系の魔物であり、植物系はアンデッドにはならないと言われている為、背の花さえとってしまえば他の植物同様土に還るのを待ちそのままにするそうだ。これは植物系の魔物が死んだ後は、魔力が滞るせいで通常よりかなり急速に体が融け消失する為だろう。


 魔葬はどこに還されるのか、その場に魔力が散るわけではないのでわからないというのが今の常識だが、私が前に住んでいた世界では空に浮かぶ大魔法陣に還るとされていた。世界に魔力を満たす為の源だったと言われていたが、この世界ではそういった情報はないようだ。


 ユウはこれで終わったとやや急いで私のそばまで来ると、未だ呆然としたままの男に向き直り、荷物か服は残ってないのかと尋ねる。


「すま、ん。アルラウネが……水を吐きだしていただろう、あれが粘液で、衣類の類は全部その、溶かされて」

「ったく厄介な魔物だな。仕方ないか。ほら、返さなくていいからな」

 ユウがぽい、と投げたのは、指輪に収めていた大判の布だった。寝る時に使うかと持ち歩いていたものだが、それを二枚。一枚を私に渡してきたので、ローブの女性を隠すように覆い、横で紐を使って縛り解けないように固定する。


「な……収納魔道具だと……? お前ら、本当に黒なのか?」

「黒なのか、って、そもそも黒でくすぶってるならまだしも俺たちは登録したての新人だぞ。新人全員黒ランク依頼が精一杯の実力しかないと思うのか?」

「……そうだよな。どうにも、冒険者ってやつはランクが実力評価になるせいで、思い込んでたみたいだ。……相手の力量も知らずとんだ間抜けだぜ。悪かった」

「……いや。それで、動けそうか。俺たちはすぐ戻らないとまずいんだが」

「あっ!」

 ユウの言葉にはっとして、頭から血の気が引く。なんだ、とユウに視線を向けられて、慌ててその腕を引いた。


「どうしよう、あの人あんな死体だらけの所に放置してきちゃった! 血の匂いで魔物や野生の獣が来るかもしれない、戻らないと!」

 さすがに寝覚めが悪い。冒険者は自己責任で旅や依頼に出るといえど、あの人は明らかに助けを求めていたのだ。

「……そういうと思った。大丈夫だろ、魔除けの術をかけてきたから余程馬鹿なことをしなきゃ死なない」

「死体だらけ、って、なんの話だ?」


 魔除けの術とは、魔力の低い魔物や魔力を持たない獣を遠ざける効果のある術だ。といってもそれに任せて野営できるほど確かなものではなく、あくまで気休め程度である。

 私たちの会話に男が困惑した様子で立ち上がるが、ユウに呆れたような視線を向けられて、びくりと震える。一応立てるくらいには回復しているようだが、まだどこか辛そうだ。

「あんたの仲間の話だ。悪いけど足手まといだから、あの女が引き連れてきた猪の死体の中に置いてきてるぞ。この状況はあれのせいか?」

「……あいつ! あいつがアルラウネの葉を踏んだせいで! マーナが何度も気をつけろって言ったのに、そのくせ踏んだことを黙ってたせいで襲われて俺を突き飛ばしたかと思えば真っ先に逃げだしやがったんだよ!」

「……だろうな」


 どこか呆れたようにため息を吐いたユウが、それでも早く戻らなければと歩き出し、気を失った女性の前で止まり……ちらりと私を見た。


「まだ目は覚めないか。媚薬は抜けてないな?」

「ポーションを効果増幅で飲ませたし体力はある程度は回復したと思う……けど、専用の解毒剤は手元にないし、清めの水で傷口を洗い流しただけだから媚薬はまだ残ってるかな……」

 ユウがものすごく困った様子を見せているが、理由はわかる。催淫状態にある女性を男のユウが運ぶのは、という話になるわけだが、さてどうするか。

 私の身体強化はまだ制御が完璧ではなく荒っぽいため、ぶん殴るならまだしも抱えて運ぶなんて逆に女性を傷つけかねない。

 私たちがホーンボアを倒した場所からここに来るまで、ほぼ時間はかかっていない。あの場を離れてまだ二十分といったところか。すぐに戻ればまだ、とユウが女性に手を伸ばそうとしたところで、待ってくれ、と焦ったように助けた男が割って入る。


「こいつは俺に運ばせてくれ、誓って手は出さない!」

「……そっちもまだ媚薬効果は抜けてない筈だけど?」

「確かに完璧だとは言えないが、悪いが自分の女が媚薬に侵されているのに他の男に運ばせるわけにはいかないんだ。お前もわかるだろ?」

「事実か?」

「当たり前だ! マーナは俺の恋人だ!」

「なるほど、ならそっちに任せるが、自分の恰好が布を巻いただけなのは忘れるなよ。その状態で我慢が効かなくなっても置いていくからな」


 わかった、と頷く男性がなんとか女性を抱えたところで、行くぞとユウに手を引かれ歩き出す。

 さすが前衛職というべきか体力は随分とあるようで、男性は余裕とまでは言わないが、足取りはあまり遅れることなく林を抜けた。そこで漸く自己紹介となり、男性の名前がエリックであること、ローブの女性の名前がマーナリアであること、そして逃げ出した弓使いの女性がエリザであると伝えられる。こちらも名前だけを伝え、エリザという女性が来てからの状況を説明し、あとは面倒を増やすのはごめんだとユウが収納魔道具について言いふらさないように約束させた。


 そうして見晴らしのいい草原に戻ってみれば、その見晴らしのよさが幸いしたのだろう、ホーンボアの死体の周辺にはまだ魔物が群がるような様子もなく、ほっとして荷車の位置まで戻り……その荷車を引っ張り出そうとするような体勢で、弓使いの女性がぐったりと持ち手にもたれかかっているのが見えた。

 意識はほとんどないようで、荷車を運ぶことはできずにいたようだ。だがその身体の傷は大分癒えていることから、彼女はポーションを持っていたのだろうと察してほっとする。回復手段についてはこれからの為にもある程度考えておいたほうがいいだろう。


「これはあんたたちの、だよな。こいつ、助けてくれたやつの荷車まで奪おうとしたのか。すまない」

「いや。正しく言えば持っていかざるを得なかった、だな。俺が魔除けをかけたのはこの荷車だし」


 女にかけても良かったが、どうせこの状況では死にに行くようなものだ。それなら荷車にかければそれをなんとか持ち運びたい筈で、しかし女の状態では恐らくそう遠くにはいけないだろうと、あとでまとめて回収する為に荷車に魔除けの術を施したらしい。

 さらりとそれを伝えたユウは私にシカの血抜きを任せ、エリックさんに尋ねながらさくさくとホーンボアの死体から必要部位最低限を回収する。ちなみに私の仕事は、既に傷ついたシカの死体に出血効果の状態異常をもたらす術を応用した付与術をかけるだけである。


 そうしていれば当然普通の状態ではなくとも騒がしさには気づく。荷車にもたれていた女が頬を紅潮させ、人の声に周囲を見回してエリックさんたちを発見すると、生きてたの、と声を震わせきまりの悪そうな様子を見せたが、それでも布で身体を隠しただけのエリックさんのむき出しの肩に、徐々に頬を染めていく。思ったより媚薬の効きがいるようだったが、さすがに躊躇っているようで身を縮こませている。


 そんな彼女を無視してユウを手伝っていたエリックさんは、マーナリアさんを安全な位置に横たえ、てきぱきと動いていた。本当なら肉も美味いそうで全部解体したいところだったらしいが、彼らの荷車は壊されたそうだ。第一解体をしていれば夜になるし、そもそも自分たちは倒せなかったのだと受け取ることを辞退したエリックさんを見て、ふうん、と顎に手を当て何かを考え始めたユウのそばに……弓使いの女、エリザがずりずりと近寄って手を伸ばす。

「ねぇ、あん、そんなのいいから、こっちを見て? ね? ほら、今なら私を、あなたの、好きに、していいわ」

「やめろ、エリザ! 悪い、こいつは俺が見張るから」

「やだ、放してよ! あんたよりこの男がいいの。美しく戦う強い男。ねぇ名前を教えて、ぁん、ほら、この体を好きにできるのよ? 抱いていいの、あ、ねぇ」

「エリザ!」

 胸を寄せ強調し、その刺激で悶え、ユウに手を伸ばしながら必死で荒い息を押し殺して訴えるエリザだったが、ユウはそちらに目も合わせず無反応のまま黙々と作業し……少しして騒ぐ女性が己の衣類に手をかけようとしたところで、ユウが動いた。直後、どさりと女性の身体が草の上に崩れ落ちる。


「気絶してるだけだが荷車で運んでいいか? 鬱陶しい。ホーンボアとシカが一緒だが」

「……運んでもらえるだけありがたいくらいだ」

「ならこの後のこともついでに黙っててくれ」


 言うなり、ユウは異空間収納の指輪に残りのホーンボアの死体を全て詰め込み、唖然としたエリックさんを促して街に戻る為に荷車に荷物を詰め込みだした。

 シカや一部解体したホーンボアの肉を専用の革でできた袋に詰め荷車に乗せる。街中でユウの持つ収納魔道具を見せない為、あえて用意したものだ。

 しかしさすがにそれとエリザを同じ場所に詰め込むのは躊躇われ、仕方なく荷車の後ろ、箱が傾きすぎて荷物が落ちないようにと長めに伸びていた板部分にその身体を座らせるようにして括りつけて、大分日が傾き始めた草原を急ぎ足で戻ることとなった。マーナリアさんは申し訳ないが、ひたすらエリックさんが抱えて運ぶこととなる。


「あんたも悪かったな、その、あいつがユーグに迫ったりして」

「い、え。その、えっと」

 突如話しかけられたことで慌てた私を見てエリックさんは不思議そうな顔をしたが、なんとか取り繕うように「大丈夫です」と言い切って、前へと走りユウの隣に並ぶ。

 既にルリは疲れたようで私の腕の中でうとうととしている。やがて空が赤く染まり始めた頃、私たちは漸く、遠くはなかった筈の街の入り口へと辿り着いた。

 門前で何があったのかと兵士たちが困惑していたが、パーティーリーダーであるエリックさんが、仲間が二人気を失っていてどうしたものかというところで荷車を持つ私たちに拾ってもらったのだと正確ではないが事情を説明したことで、漸く私たちは街へと入ることができた。


 といっても身ぐるみ剥がされた状態のエリックさんは門番の兵に古い服を借りることになっていたし、盗賊に出会ったのではないのかとしつこく聞かれていたようだったが。男性の下着まではぎ取るやばい盗賊でもいるのだろうか。

 エリックさんとしてはどうしてもギルド以外で事情を説明したくなかったようで、やや半泣きの必死の説明である。そんな状況の為私とユウも手伝っただけとこの場を抜ける機会を逃し、空が暗くなり始めるまで付き合うこととなったのである。



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