11.最初の街ドルニグ―7


 ユウの言葉にびくりと身体を強張らせた弓使いの女性は、視線を彷徨わせ、喉を鳴らし、それは、と掠れた声を零す。

 だがすぐにじっと見つめるこちら、というよりユウの視線に耐えられなくなったのだろう、彼らはね、と焦った調子で話し始めた。


「馬鹿なことをしてしまったの。ホーンボアを狩ってる時たまたまアレを見つけて、アルラウネの縄張りの印だって言ったのに、いけるって手を出すから」

「は? ……おいまさか、アルラウネをわざわざ呼んだのか」

「そ、そうなの。アルラウネが獲物に気づいて蔦で捕らえようとしてきて、ホーンボアは気配に気づいて暴れて逃げるし、私は、と、止めたのよ? でももうホーンボアに、襲われて、こんな怪我して、どうしようもなくて……追われて、怖くて……」


 ぶわり、と女性の瞳が涙に濡れ、零れ落ちて地面を濡らす。ぼたぼたと数滴落ちた後、両手で顔を覆って泣き始めるその姿は見ているこちらまでも胸が苦しくなるようだ。

 だが。その姿を見て、……「嘘だ」と思ってしまった私は、まるで氷を丸ごと飲み込んで芯から冷えるような感覚に、息を止めた。


 この姿を見れば疑う人の方が少ないだろう、というのは理解しているのだ。だが私は語り始めた彼女を見て、どこか冷えた感情が脳を支配し、指先も、喉の動きも、唇の開きも、瞳の先も、仕方ないと語るその言葉までもが、全てが偽りであるように感じてそこに違和感を溜めこんでいく。いっそ全てただの幻覚なのかもしれないというほどに、その違和感は拭えない。

 いうなれば、ただの感覚だ。この人は嘘をついている。何かがひっかかる。疑心暗鬼なそれに、自分が支配されているのだ。


 人を信じられない私は、「この女の言葉は嘘である。嘘でなければならない」と感じているのではないだろうか。いっそ嘘をついていて欲しい、それなら信じない私が正しいのだから、と思っているのでは?


 理由がないわけではないのだ。彼女は私たちの荷車で依頼任務達成の証拠である部位の輸送を条件に、上のランクである自分が一緒に帰ってあげる、という報酬を提示し、さらに自分の依頼完了と同時にこちらも同じ依頼を完了したことになるよう掛け合うと言ったのだ。倒したのは、私たちだというのに。

 これに関しては間違いなく、女性が自分本位な考えの下告げた言葉だとわかる。恐らく私たちが朝何枚も依頼書を集めていたことから、達成を急いでいると考えて己の依頼完了時に私たちもと、メリットのつもりで告げたのだろう。

 だがそもそも、その依頼対象であるホーンボアを倒したのはほぼユウだというのに彼女が一緒に達成したというのがおかしい話であり、一緒に帰るというのも、彼女自身が一人で帰れる状況ではないせいである。


 別に、一緒に戻るのは構わないのだ。なにせ彼女は怪我をしていて、見捨てて戻るのも気持ちが悪い。だけど別に依頼の完了に混ぜてほしいとも思わない。ただ、私たちが倒したものを己の結果とするのは納得いかない。ぐにゃぐにゃと何を考えているのがわからなくなっていく。


 過去にどんなことがあろうと関係なく、こうして悲痛な声で涙する人のことを信用できなくなってしまった自分がまるで、人ではないように感じる。


「最初に捕らわれたのが彼らで、逃げろと言われて私……だからきっともう……ごめんなさい、ごめんなさい」


 涙を流す女が顔を赤くして目を潤ませたまま、縋るように手を伸ばし、ユウのロングコートを掴む。その手がさらにユウの腰に、腕に伸ばされようとした時、私はぐるりと向きを変えた。


「ユウ、先に戻っていて」

「は?」

「え?」


 ユウの驚く声、女性の喜色混じりの困惑した声。しかしその姿は視界に入れず、さくさくと歩き出す。


「林の方、鳥が逃げていってる。きっとまだアルラウネはいるよ。優先して狙われるのは男。まだ無事かわからないけど、どうせもう出てきてしまったのなら慌てて報告に戻る必要がない」

「それは……おい、待て!」


 私たちは林の情報を知らない。だからこそ下手に刺激してアルラウネを呼び出し、人を巻き込むのがまずいと考えた。だから現れる前に戻ろうとしたのだが、もう出てしまったのなら戻る必要はない。


 ぐっと一度耳を塞ぎ、思考を振り払う。別に、彼女が言う仲間のように、自分たちなら倒せるからやろうという自信で無茶を言っているわけではない。……そもそも、私はアルラウネの倒し方を知っている。前々世でも何度も倒したし、森でユウには言わず師匠と一度倒しに行ったこともある。なにせアルラウネの狙いは男だ。

 倒さなければいけないという正義感ではない。

 ……疑ってしまった罪悪感、それ以上見ていたくないという逃避。己の弱さを突きつけられ、だから、だから私は何度も死んだのだ、生きることができなかったのだと目の前が揺らいだ。

 自分が正常に考えられていないことを下手に自覚しているからこそ、この行動はまずいとわかっている。一端二人から離れて、深呼吸して、おじいさまの言葉の数々を思い出して、師匠の言いつけを復唱しよう。


 チィ、と悲し気に鳴くルリが、するりと肩で私の頬に身体を擦りつけるように動く。それを感じながら林へと足を動かし、……次の瞬間大きな手に視界を塞がれた。


「落ち着けって!」

「ユ、ウ」

「一緒に行くから。離れるなって言っただろ」

「なっ、アルラウネよ!? もう駄目よ、あなたまで死んじゃう、戻りましょう!」

「うるさいな、お前は勝手に戻れ」


 低い声に、びくりと震える。ユウの手に視界を塞がれたまま後ろに引っ張られ、ユウの胸に後頭部を押し付ける形で動きを止められた私は、見えない視界の中で混乱した。ユウ、と呟けば、ユウは小さく、「あいつの言葉は嘘だ」と囁いた。……自分の意見と同じである筈なのに、同時にひどく頭が混乱する。私の勘違いでは、ない?


「お、置いていかないで!」

「うるさい。俺は仲間を見捨てた奴を信じない」

「ち、違うわ! ほんとに、私っ」

「それと、お前のその自称ホーンボアにつけられたっていう傷。魔力抵抗のおかげで進行が遅かったみたいだが、媚薬効果はさっさと解毒したほうがいいぞ」

「え……こ、これは!」

 女性の声がひどく焦りを帯びる。同時に、混乱した。ホーンボアの攻撃に、そんな毒のようなものはない筈だ。


「……勘違いじゃない。自分を信じていい」


 再び小さな声で告げられて、ひゅ、と喉が鳴った。どこまでユウがわかっているのかと焦りが生まれたが、はっとして、そんな場合ではないとその手を剥がし、視界に映り込んだ手のひらを見てぎょっとして、慌てて誤魔化すように拭う。

 泣いたつもりはなかったのに、ユウが目を覆ったりするから。零れていない雫が手に移ってしまっただけだ、けれど、誤魔化せただろうか。


「急ぐぞ」

 そのまま私の腕を掴んだユウが駆け出し、慌ててついていく。前を見たままのユウは、女性が後方で叫ぶ声を無視して、そのまま言葉を続けた。


「落ち着いてよく考えろ。俺たちに無茶するなって忠告したあの男は、かなり慎重派だった筈だ。痛い目みないとわからないのかなんて言うやつが、自分より下のランクの女の仲間を二人も連れているのに、自分より上のランクの魔物に手を出すとは思えない」

「ユウ、でも」

「それだけじゃない。あいつの話じゃ、ホーンボアを見つけてからアルラウネの葉に手を出したんだ。ホーンボアを狩りつくしてからならわかるが、少なくとも八頭以上いる段階で『いけるから』って手を出すのはおかしい。しかもアルラウネを恐れて逃げ出したホーンボアより、あいつは『前を』走っていたんだ。途中から追い抜いたならわざわざ直進する猪共の前に出る理由がないし、そもそも移動速度はほぼ同じか、むしろ追いつかれ始めていた。……あいつはボアより先にアルラウネから攻撃を受けた上で逃げだしてる」


 かちり、とピースがはまるように、自分が感じた違和感がすべて感覚ではない、正しい情報として組み合わさっていく。


「……ど、どうしよう。急がないと」

「俺たちが林を出る時アルラウネの気配はなかったんだろ? なら交戦状態になってからそれ程経ってない。が、急いだほうがいいというのは確かかな、男の方は悲惨なことになってそうだ。……あんまり見せたくないけど」


 速度を上げて駆けるユウの言葉が上手く聞き取れず、なに、と声を返すが、ひとまず急ごう、と声を返される。


「でもユウ、相手はアルラウネだよ、私のほうが安全だよ!」

「んなわけあるか。お前人間の男女が揃ってる状態でアルラウネがどんな行動とるのか知らないのか」

「へ? 男女って、アルラウネは男を食べる魔物でしょう? 師匠がそう言ってたし」


 前々世でも、そうだった。ユウの言葉が何を指すのかわからず困惑したまま走るが、ちらりと私を見たユウは、いいからいつも通りいくぞと告げて林の中を一直線に、魔力が集まり生き物が逃げ出している中心地へと向かい駆け抜けていく。


 すぐに聞こえ始めた悲鳴に、こんな林の入り口近くにアルラウネが来たのかという驚きと、そしてまだ生きているらしい人の声に安堵を感じて前を見た、その光景に、私はひっと小さく悲鳴を上げた。


「年齢制限んんんっ」

「残念だがここじゃ俺らも成人だ」


 人を食う、妖艶な女の姿をした魔物。

 それを中心とした淫靡な空気が、私の知るものよりずっと規制音だらけになりそうな目の前の状況に、思わず悲鳴をあげたのである。

 緑に覆われた森の中。そこにいるのは花びらのスカートの上から惜しげもなくくびれた腰と大きな胸をさらし、妖艶にほほ笑む緑の髪を持つ女性……いや、アルラウネ。そしてその花びらの裾から何本も伸びた刺のある蔦に、全裸に剥かれて腕も足も巻き付かれた男。服はどこに。

 さらに私が驚いたのは、その男性の目の前。こちらに背を向ける形ではあるが、ローブをぼろぼろにされ同じく蔦に絡まれた女性がいたことだった。全裸ではないが服は布切れが引っかかっているような状況で、その状態のまままるで見せつけるように男性の前に蔦で固定されているそれを見て、混乱した。詳しくはピー音がないので語れない。は? えっと、どういうご趣味?


 私の知る、アルラウネの生態と違う!


「な、なんっ……っ!? そ、『その魔力は我が言葉にて火種を生む。糧を得て燃え上がれ咲き狂え! 火焔の芽吹き!』」


 あまりの状況に杖を振り上げて叫ぶ。唱えたのはただの炎属性の魔法ではなく、付与術だ。効果は私の術がかかった時点で対象の魔力自体を糧に育つ、炎属性持続ダメージを与える炎の花を咲かせるもの。おまけに炎属性攻撃効果倍増付きだ。

 その特徴から植物系への「付与」以外効果が低い状態異常付与である為扱いにくいが、しかし魔力を奪い持続ダメージまで与えるそれは炎に弱い植物に対しては効果覿面であり、やや長い詠唱と複雑さはあるものの強力な術である。


『キャァァアアアアアア』


 きゃあ、という悲鳴よりは音波のような声でアルラウネが叫び、蔦を振り回そうとするものの、細い蔦ではあっという間に内の魔力が火種となって焼かれ千切れて、捕らえられていた二人もまた地面に転がり落ちる。あくまで術をかけられた対象の魔力で与える持続ダメージの為、周囲の草は蔦が触れても燃えはしない。


「ひい、いやだ、助けっ! 新人のっ、くそ、……マーナを、こいつを、助けてやってくれぇ!」


 男性が漸くこちらに気づいて叫ぶ。だがローブの女性の声は聞こえず、ぐったりとしていることから気を失っているのかもしれない。


「蔦は切れただろ、早くお前が連れて逃げろ!」

「む、むりだ、ぁあっ! 動けっ、なっ」

 やけに熱をはらんだ声に思わず頬が熱くなる。ユウはただ片手で額を抑え、舌打ちをした。

「ったく、黙ってあれそれ隠してそこにいろ。ミナ、解毒できるか!?」

「わからない、清める程度ならやってみる!」


 私は治癒師ではない。出来るのは前々世の力と知識を強引に組み合わせて生かした『付与』であり、前々世でも知識のみで技術のなかった治癒についてはやらないで薬に頼ったほうがマシレベルである。

 せめて「持続的に体力を回復する」だとかそういった効果であれば微々たる可能性もあるが、問題は気を失っている女性の方だろう。無抵抗状態なのだから、かなりまずいのかもしれない。

 付与術士の味方支援はそもそも、先手を打つのが主流なのだ。事前に状態異常抵抗を付与する、事前にダメージ反射を準備する、致命的な傷を受けないように常時回復効果を与える……そんな、後手に回ると、弱い職。


『全てを流し清める正常なる水をここに、清浄の水』


 ただ身体を綺麗にするような用途ではない為、詠唱し効果を高めた水を作り出し、二人に注ぐ。意識のある男性に構ってはいられず、飲んで、と叫んで、慎重に量を調整し押さえて仰向けにした女性の口に含ませる。がふ、と吐きだすが、少しでも口内に入ったのならそれでいい。なにせ、口の中の傷がひどい。


「ポーションは!?」

「わからなっ、くうっ、ん、たぶん溶かされた! それより、あの男はっ、大丈夫なのか、アルラウネだぞ!」

「ユウは負けない!」


 事実ユウは、新たに伸びる蔦を全て刃で切り落とし、距離を測りながら根に攻撃し、つぼみのようなものから噴出される何かの水を全て回避している。それも、こちらに被害がないよう引きつけながらだ。

 炎の魔法を派手に使えれば早いのかもしれないが、ここは森だ。すぐに消火するならまだしも、ここに動けない二人がいる以上この距離では使い難い手である。そんなユウの状態を確認しつつ、私はウエストポーチから小分けにしたポーションを取り出し、男の前に転がす。もう一本取り出して女性の口にあて、詠唱も続ける。


『効果増幅』


 単純に、ポーションの効果を増幅する付与だ。いくら特殊な環境からここにきて、グリモワールや大きな魔力を持っていたとしても、私は付与術士として一年目であり、決して治癒師ではなくて。そして私たちは冒険者一日目である。

 ……序盤からアルラウネの媚薬だなんて普通の解毒剤じゃ効きやしないものの薬なんて、持ち歩いていなかった。備えあれば患いなしと言えど予想外過ぎる。

 媚薬の効果は魔力によるものだ。恐らくローブの女性は、魔力で抵抗できるからこそ気絶させられ、その抵抗を極力阻止されたのだろう。


 処置はした。ユウの援護に、と立ち上がり、二人に防御結界付与をしようとして……その対象をローブの女性だけに変更する。媚薬効果がどう見ても切れていない男性と女性を同じ結界に入れるわけにはいかない。


「ユウ、行くよ! 『通り塞ぎて流れ断ち、痺れよ』」

「ああ! 『風よ宿れ』」


 私の術の発動と同時にほんの一瞬アルラウネの動きが鈍る。それだけあれば十分だった。ごう、と風を纏う刀が、威力を増し、速度を上げる。目で追えないような移動を見せた刃がアルラウネの根と蔦の攻撃を全て切り裂き、その隙にユウの術が練りあがり完成した。


『切り刻め、風の刃』


 アルラウネの葉と花弁が、まるで吹雪のように周囲を染めたのだった。


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